団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

ホッチキスの針と下水処理場の処理能力

2016年12月26日 | Weblog

  私はある道具をよく使う。この道具は2代目で最初のモノは5,6年使った。長さが12センチくらいで、柄がプラスチックで先が長さの違う2枚重なっている。

 数週間前、「ホッチキス針、外す必要ない?」のニュースを目にした。ホッチキスメーカーの『マックス』は、自社のホッチキス針の箱に「ホッチキス針は古紙再生工程で支障ではありません」と印字した。先に挙げた道具とはこのホッチキスの針を外す道具のことだった。愕然とした。もうすでに習慣化した私のホッチキスの針を特製の道具を使って外す行為が否定された。今までの手間と時間は何だったのだ。

 13年間にわたる海外生活から日本へ帰国した。嬉しいことがたくさんあった。その一つがゴミを出すときの分別が気持ちいいほどハッキリしていたことだった。リサイクルということもあったが、ゴミ処理をする側の負担を軽減することに協力できる喜びを感じた。

  アジア、アフリカ、東ヨーロッパ、中東、極東5箇国で暮らした。下水処理場もゴミ処理場も整備されていていない発展途上国ばかりだった。それ以前に人々は貧困生活を強いられていた。マナーだとかエチケットどころの話ではなかった。ゴミは、最終的に捨てられる以外どうしようもないところまで貧富の差の階段を下りる。最終的にゴミ捨て場に放置され、腐敗して異臭を放つ。

  日本に帰国して日本人のゴミの豊かさに悲しさを感じた。その悲しさを和らげたのが、リサイクルである。そしてそのシステムは、しっかり充実していた。

  私はゴミの分別をこまめにする。ペットボトルのキャップを集め、指定の場所に設置された専用箱に入れに行く。再生可能な紙類は、新聞紙をまとめて束ねられる特製の袋に整理する。ホッチキス針のある書類や小冊子や雑誌も丁寧に針を抜いていた。分別をしていて腹が立つのは、多くのダイレクトメールの封筒の窓だ。今までの普通の封筒なら住所を切り取るか特製の住所氏名を塗りつぶせるスタンプを使って処分できた。窓付き封筒は、セロファンの部分をハサミで切り取る。あの封筒を使うのは、自分たちの仕事を楽にするためのモノであって、真面目にエコを考える客に余計な手間をかけさせていることなど予測もできない高ピーな会社に違いない。あの封筒を使う会社は、セロテープをやたら使うデパートや店と同じくらい嫌いである。

  妻はよく「私たちがどれほど努力してゴミを分別しても、処理場ではどうせ一緒くたにして処分されてしまうのよ」と懐疑的である。そうかもしれない。でもそれを言ったらおしめ~よ。まだ完全な分別も処理もできないかもしれないが、少なくとも私が子どもの頃より日本のゴミ処理は進化している。人々の多くが衛生やエコに関心を持ち、改善しようと努力をして行政にも協力的である。

  先日大学で醸造学を教えていた友が我が家に遊びに来てくれた。彼は環境衛生にも造詣が深い。私はずっと思っていた質問をした。「日本の下水処理場の処理能力は、私たちの生活のあらゆる生活雑排水をどのくらいきれいにする能力があるのか」 彼は言った。「100%に近い元の水に戻す」これを聴いてホッチキス針の針を道具ではずすことを辞めることにした。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クリスマス、ダサイン、タバスキ | トップ | 「真珠湾を忘れるな」 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事