団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

車の中の会話

2021年12月08日 | Weblog

  テレビのCMには、私に訴えることのないモノが多い。そんな中、私の注意をグッと引き寄せたCMがある。ホンダの『STEP WGN「家族の空間」編』である。「乗ろう。話そう。家族で。」と訴える。車に乗った家族が話して、笑って、喧嘩しての様子が映し出される。

 

 十代後半、招かれて滞在したカナダやアメリカで友人家族と車で旅をした。ホンダのCMは、遠い昔の旅を思い出させた。長距離の車の旅は、狭い空間に閉じ込められる。子供達には、苦痛である。家族それぞれに工夫があった。多かったのは、ゲーム。日本の“シリトリ”や“私は誰でしょう”や“ナゾナゾ”。次に歌。クリスチャンの家庭が多かったので、讃美歌が主だった。喧嘩もあった。家族の中で私ひとりが日本人で異人種だったので、私に多くの質問があった。カナダ人やアメリカ人が日本をどれほど理解しているか、日本の知識を持っているかの調査になり興味深かった。

 

 日本に帰国して英語塾を始めた。小さな塾が再婚して閉鎖する頃、塾生が400名ほどになっていた。市内だけでなく、近郊の市町村から通う生徒も多かった。塾が終わる9時頃、塾の前の道路には迎えの車が列をなしていた。それを見るたびに、申し訳なく思った。ある時、生徒の親の開業医の父親と話す機会があった。迎えが大変ではないかと尋ねた。父親は、「そんなことありません。車の中でやっと父親になれます。普段は忙しくて、息子とまともに話すことがありませんでした。でも先生の塾に通うようになり、迎えに来て、家までの時間は、息子はよく話します。それが嬉しくて。授業中、先生がこんな話をしてくれた、なんて話すので、まるで先生の授業に出ているようです。とにかく親子の関係が良くなり、先生には感謝しています」 私は恥ずかしくなったが、嬉しかった。

 

 塾を閉めると妻の海外赴任に同行した。13年間、妻の配偶者として主夫をした。国によっては、交通事情や防犯の観点から、運転手を雇わなければならなかった。私が運転でき妻の職場への送り迎えができた国では、車の中での妻との会話は、塾をやっていた時、生徒の開業医の父親の気持ちが実感として理解できた。

 

 日本に帰国して、妻は勤務医になった。遠距離通勤している。朝、私は駅まで妻を車で送っている。その時、私は心掛けていることがある。妻を3回声で笑わせること。今の車は、ボイスレコーダーが付いている。私たち夫婦の車内の会話がすべて録音されている。それを再生して聞いたら、さぞかし恥ずかしい内容だろう。家から駅までは4,5分である。遠距離通勤して、病院での激務を、こなさなければならない妻のスタートを、何とか心地よいものにしたいと毎朝思う。駅で妻と別れ、家に向かう。車内に話し声も笑い声もない。

 

 夕方、妻が乗った電車が駅に到着する少し前に駅のロータリーに車を止めて妻を待つ。塾の前に迎えの車が列をなしたように、駅の前に多くの迎えの車が並ぶ。妻が改札を出て、小走りで車に乗り込む。会話が再開。きっと待っていたどの車の中でも、会話が始まっているのだろう。見送るより、出迎えの方がはるかに嬉しい。小さな車の中ではあるが、車内は花園のように明るくなり、会話は小鳥のさえずりのようにテンションがあがる。

 

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