団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

WASABIからKARANERIへ

2016年10月17日 | Weblog

 WASABI原材料名:西洋わさび、本わさび、水飴、植物油、食塩、酸味料、香料、クチナシ色素、香辛料抽出物(ある会社の成分表)写真:左から 合成わさび‐合成わさび(チューブ)‐西洋わさび(ホースラディッシュ)‐サメ皮おろしと生わさび

 大阪の寿司屋で外国人にわさびを平常より多く使って握った寿司を提供したという。それが『外国人差別』ではないかとその店で寿司を食べた外国人がネットで訴えた。

 まずもって日本の寿司屋で使われているわさびのほとんどが合成わさびであって本物ではない。本物でないのにニュースではどこの新聞テレビでも『わさび』の表記を用いる。私はまずそれがこのような問題を発生させると考える。

 以前テレビ東京の『世界!ニッポン行きたい人応援団』(毎週木曜日午後7時57分~)でスペインのわさび好きの青年ルベンさんが日本のわさび農家を訪ねた。この番組に選ばれて日本に招待される人は、日本人でもあれだけの“通”はいないと思われるほど,その道を研究熟知した人々である。わさびを詳しく知る外国人はまだまだ少ない。寿司だってここまで世界に知れ渡るのに長い時間がかかった。私がカナダの高校へ転校した50年以上前、日本人は魚を生で食べる野蛮な人種だと言われた。アメリカのハーバード大学の学食で寿司が供されるようになってからゆっくりと受け入れられ始めた。寿司が世界に受け入れられたことによって、わさびも当たり前のように寿司の一部のように知れ渡った。残念なことに海外ではわさびは粉わさびを練って使う。粉わさびもピンからキリまであり、多くは合成であって純正なわさびではない。純正のわさびは高価であり、日持ちがしない。日本の寿司屋でも生のわさびを使う店は当然値段がはる。私は合成わさびでもかまわない。なぜなら生わさびを使うような高級店には行くことができないのだから。ただそれを“わさび”と呼ぶのをやめてほしい。何か新しい名前を考えてほしいものだ。カラネリなどはどうだろう。

 インド人の友人を寿司屋に招待したことがある。その店は生のわさびをサメの皮のおろし器で擂っていた。インドといえばカレーで辛さに人々は慣れていると思う。しかしその友人は寿司を口にして涙を流した。「辛い!」と頭のてっぺんを押さえた。辛さにもいろいろなる。彼は私に訴えた。「なぜ、食べる前にわさびをきちんと説明してくれなかったのか」と。私は反省した。ここに文化の違いがある。このインド人の友人はアメリカの大学で学んだ。カナダやアメリカは説明の文化だと私は思っている。家庭でも学校でも職場でも、いたるところで毎日「なぜ?」と「なぜならば」の応酬が展開される。日本人がもっとも不得意とすることだ。日本の国際化は日本が誇る文化ならば日本人でない人々にも説明できるようになることではないか。

 「言わなくてもわかる」「理屈をこねるな」「技は盗め」「お上に間違いはない」このような環境にすっかりならされてしまった。福島の原発事故問題、豊洲市場問題、2重国籍問題どの問題においても当事者は適切に説明しない。他人は責めても、自身は保身に徹底する。カナダの学校での教師と生徒の明快でテンポよく弾む受け答えがなつかしい。

 夫婦生活も同じ。私は妻に説明できないことしないよう心掛けている。秘密も嘘もあるができるだけ減らそうと努力する。新鮮で美味しい魚が手に入れられる地に暮らす。私たち夫婦の贅沢は、小さな生わさび(1本300円~700円)をサメ皮ですりおろして刺身をいただくことである。時々鼻から脳へ突き抜けるツーンの単純明快な刺激が何とも言えない。日本国中に充満する説明不足の犯罪的怠慢欺瞞を一掃するツーンはないものか。

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