団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

使い切ることの難しさ

2022年12月27日 | Weblog

  毎日の生活で使う物は、だいたい決まっている。今は、大量生産大量消費の時代である。豊かであるということは、幸せな事。団塊の世代が、子どもの頃に戻りたいと思わないだろう。終戦直後で皆貧しかった。物がなかった。トイレットペーパー、ティッシュペーパー、チューブに入った歯磨きなど高嶺の花の高級品だった。

 今はどうだろう。洗面所の棚には、多くの商品が並んでいる。子どもの時住んでいた家に、洗面所などなかった。どこで歯を磨いていたか記憶がない。今は、水道からは蛇口レバーを動かせば、お湯が出る。それだけでもありがたい。お湯ばかりではない。家自体の気密性が向上して、どこにいても温かい。子どもの頃、家に居ても隙間風が入り込んだ。手もほっぺも、しもやけになった。洗面所の鏡に映る自分が、まるで別世界の人に見えることがある。洗面所だけにいるだけでも、子どもの頃の自分がいた環境との違いに圧倒されてしまう。

 あまりの多くの日用品があるので、補充も大変だ。歯磨きチューブが終わりそうなので、新しいのを買った。店の歯磨き売り場には、多くの会社のいろいろな種類が並んでいる。新しもの好きな私は、テレビのCMなどの影響をまともに受け、次々に新しい商品に手を出す。今までにどれ一つとして、CMで唱っているような効果を感じたことがない。それでも80-20(80歳で自分の歯が20本残っていること)を目指して毎日相当な時間を歯磨きに費やしている。歯医者でよく磨かれていると褒められたこともない。一生かかっても歯医者に褒められるような歯磨き術は、会得できそうもない。

 さて終わりそうだった歯磨きチューブだが、すでに1週間は過ぎても、まだ絞り出すと出てくる。性格的というか育った環境からか、モッタイナイの支配下にある。使い切るまでは、新しいチューブに手が出せない。不思議だ。終わったと思っても、指に力を込めて、チューブの口の周りを押し絞ると、ちゃんと1回の歯磨きに十分な量が出る。今日こそは、今度こそは使い切れると押す。まだ出る。こうなると手品や魔法に思える。

 歯磨きチューブを製造販売している会社に提案したい。お願いだからチューブを透明にして中が見えるようにして欲しい。寝ぐせ直しのリーゼ ミントシャワーもハナうがいも容器が透明なので、歯磨きチューブのように「もう終わるだろう」の当て推量の必要がない。歯磨きチューブをあたりかまわず押して使う妻でも、モッタイナイ信者なので、最後まで使い切ることにこだわる。妻は、朝、私より先に歯を磨く。私がチューブから歯磨きを絞り出せるということは、私より力がある妻も出せたに違いない。もう終わりそうで、なかなか使い切れないチューブから、同志的な小さな伝言を受け取ったような気持ちに苦笑い。

 今年も一年ずっと同じ洗面所で、同じことを来る日も来る日も続けてきた。歯磨きチューブを何本使い切ったのだろう。コロナに行動を制限されて、健康寿命の貴重な時間を無駄にしている。洗面所の小さな空間で歯磨きチューブを、どうしても使い切ろうとしている自分が笑える。物のない貧しい子どもの時代、♪もういくつ寝るとお正月♪と心底正月を待った。あの頃の1日は長かった。今75歳になって1週間が1日のような時間に感じることが多い。私の人生も、歯磨きチューブの使い切る寸前のように、もう終わるかな、まだかなの状態なのかもしれない。もう少し手品と魔法が効きますように。


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