コロナで家に籠ったこの3年、終活が進んでいても良いはずだった。学生時代、試験の前に「今回は仕方がない、次の試験で頑張ろう」と大した準備をせずに試験を受けた。コキゴロウ(古稀+5歳)になっても、先延ばし体質は変わっていない。進歩の無さに情けなくなる。
先日、書斎の片づけをした。棚に積み上げられた書籍を降ろして、整理した。薄汚れ劣化した表紙の冊子が出て来た。何だろうと中を点検した。中表紙に写真と『古城の門をいで入りて 上田高等学校64期8組 30周年記念同級会』とあった。高校の同級会の記念誌だった。ページをめくっていくと私の寄稿文が出ていた。読んだ。
「S様 たった今、日本対ユーゴスラビアのサッカーの試合が終わり、0対1でユーゴが勝ちました。善戦しましたが、もう少し日本の粘り、ボールへの執着が欲しい気がします。日本人がたった40人前後しかいないユーゴスラビアですが、とても親日的で、日本への関心が強いし、また知識もあります。サッカー選手では、名古屋グランパスのストイコビッチ、浦和レッズのペトロヴィッチ、そうして福岡のチームにも一人、計3人がユーゴスラビアから行っています。とにかくスポーツの盛んな国で、サッカーの他にもテニス、バレーボール、水球、バスケットボール、ハンドボール、卓球など強いです。社会主義だったので、平等主義が浸透していて、また男女平等も守られています。ネパール、セネガルでの生活は大変でしたが、個々の生活は満足しています。さて同級会の様子、断片的ではありますが、伝わり嬉しく思っています。またお便りします。どうぞご自愛ください。」1998年6月5日午前9時12分12秒 これは代表幹事を務めてくれたS君へのメールだ。私には、まったくこのメールを送った頃の記憶がない。書いてある内容は、もちろん一字一句覚えていない。まるで過去の自分にタイムマシンを使って出会った気分である。
15日、私は朝4時に起きて、ワールドカップサッカー準決勝のフランス対モロッコを観た。モロッコは妻の兼轄国だった。チュニジアに住んで、モロッコとリビアの3カ国が妻の医務官としての任地だった。妻のモロッコとリビアの出張に数回同行した。モロッコでの良い思い出が、対フランス戦でモロッコを応援する気持ちにさせた。しかし残念ながら、2対0で負けた。今回のワールドカップサッカーには、過去に住んだ国々が出場した。どこの国を応援して良いのか迷った。それらの国々の試合を観ては、そこに住んでいた頃の記憶がよみがえった。残念ながら、住んだ国で決勝に進めた国はない。それでも今回のワールドカップサッカーを楽しむことができた。
高校の30周年記念誌が発行されてからすでに24年が経った。記念誌に投稿していた同級生の多くが鬼籍に入った。担任の先生も亡くなった。こうして記念誌に同級生の文章が残っている。多くの過去が消えてゆく中、記念誌のように過去に生きた証の記録が残されている。記念誌を見つけて、同級生それぞれの文章を読んで彼彼女を思い出す。
ワールドカップサッカーを観戦して住んだ国を想い、同級会の記念誌を見て、同級生との高校時代を思い出す1カ月になった。広大で久遠な過去にすっかり飲み込まれてしまった。思えば遠くに来たものだ。