団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

おひとりさま一個買い

2016年05月18日 | Weblog

 私は性格が父に似たらしい。と言っても母は私が4歳の時他界したので母がどのような性格の人であったかは、伝聞情報しか持ち合わせていない。

 父は一個買いができる人ではなかった。江戸っ子ではないのに江戸っ子だと思い込んでいた。見栄っ張りのエエカッコシイだった。悪いことばかりではなかった。他人が困っていれば、江戸っ子を気取るように救いの手を差し伸べた。身内に厳しく他人に優しい。継母はそんな父を“内弁慶”と笑っていた。けれど、ときに父親がドカッと何かを買ったとき、その数の多さと量の多さに豊かさを感じた。貧乏人の強がりを父は、父なりに具現していた。

 その影響か、私もエエカッコシイの大人になった。しっかり父の生き方をコピーしていた。一個買いなどできなかった。結婚して離婚した。狭い田舎社会で世間の目、口は厳しかった。残された二人の子どもを育てるためには、見栄をはることもエエカッコシイもできるはずもなく、考えることなくがむしゃらに働いた。やがて二人の子どもをそれぞれ全寮制の高校へ入学させ、アメリカの友人に預けると“おひとりさま”の生活になった。

 ひとりの生活は寂しく誘惑が多い。身を崩すのは、簡単だ。覚せい剤使用で逮捕され、裁判で清原和博被告は「子供に会えなくて寂しくていつの間にか覚せい剤に手を出した」と昨日証言した。離婚してからのひとりの生活がどれほど寂しいものか私にも理解できる。自暴自棄になって薬物やギャンブルや酒や宗教に救いを求めることも理解できる。いくら身から出た錆であっても、誰でも自分には甘い。理由を誇張し原因から逃げる。あの時の私を救ったのは、坐禅である。坐禅で自分に向き合った。苦行であった。脚のシビレは自らの体重が原因だった。2年間毎日禅寺に通った。2年間自分が生きて来た過去を一つひとつ洗い直した。おひとりさまの作業だった。

 変化が起こった。一個買いができるようになったのである。離婚した時二人とも小学生だった子どもたちが大学生になった。そんな頃、再婚した今の妻に出会った。44歳で結婚式を再び挙げた。結婚式で妻の母親に「2回目だから慣れてるね」と言われた。その時心の中で自分に言い聞かせた。「一回目の自分と二回目の自分は違う。おひとりさまで13年間かけて修行した。今度こそ」 二回目の結婚式から25年経つ。

 妻はまだ働いている。妻が出勤すると私は家でおひとりさまになる。終の棲家と決めて住むのは縁もゆかりもない町である。自然に恵まれた静かな町で気に入っている。心臓を悪くして医者から温暖な気候の土地で暮らすよう勧められた。その点でも今住む場所は理想に適う。ひとりでいることが寂しくないと言えば嘘である。外出もめっきり減った。最近本が読めない。テレビも観ていられない。ラジオも番組担当者の入れ替わりが激しくてつまらない。集中力が続かないのと目と耳が悪くなったせいだ。残された時間で、やらなければならないことはたくさんある。自分ひとりでやらなければならない事である。妻という支えと張り合いがあるからこそ、おひとりさまで留守できる。

 買い物は主夫の大事な日課である。昨日買い物途中、鯛焼き店で躊躇なく邪念なく周りを気にすることなく「つぶあんひとつ下さい」と買えた。時間がかかったけれど、どうやら自己改造が進んでいるとちょっぴり自信を持てた。


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