団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

小田原城へ地下トンネルを通って人車鉄道で

2014年03月28日 | Weblog

 小田原駅は乗降客が多い。東海道新幹線、東海道本線、小田急線、大雄山線が集まる鉄道拠点である。特に箱根の玄関口として駅には外国人観光客の姿が目立つ.私は小田原駅が持つ雰囲気を気に入っている。

 その小田原駅の西口の地下に小田原市が管理する地下街があった。JRが駅ビル“ルミネ”を開業させると客足が奪われ、ついに廃業にいたった。

 以前この地下街に国際フードコートをつくり、いろいろな国の食べ物を食べられる場所にすることを提案した。日本人が海外へ行っても日本食を恋しがるように海外からの観光客もたまには自分の国の食べ物を食べたくなるに違いない。多くの交通路線が集まる小田原駅と同じように多くの国の人々の集まるフードコートを創る提案だった。進展なし。

 地下街を改装して再開するらしい。小田原市はこの地下街の名前を募集すると発表した。名前だけで一度閉鎖した施設を行政の力で甦らせると考えているのだろうか。箱根、富士山、小田原城、新幹線、小田急線のロマンスカー。日本でも有数の観光地伊豆半島、熱海、湯河原などへの中継地としての有利な立地。これだけの可能性を持つ観光地への起点になっている小田原がこの程度では先が思いやられる。

 私は地下街のフードコート設置に加えてもう一つの提案をしたい。それは地下街を起点に小田原城までの続く地下トンネル道の建設である。この地下トンネル道に明治時代に小田原―熱海間にあった人車鉄道の車両を走らせる。地下街の一画に人車鉄道の駅を設ける。地下トンネルを小田原城に直結させるのが理想である。建設費次第だが小田原城公園内は地上を走ってもよい。人車鉄道は人が押す線路の上の人力車のようなものである。運転者は海外からの観光客に小田原城を外国語で案内するガイドする。これこそオモテナシとなる。雇用の推進にもなる。2020年の東京五輪で日本を訪れる人々を呼び込むこともできる。

  現在の小田原駅前地下街の閉鎖に至った衰退は、入り口があってもその先にワクワクドキドキがないことだと私は考える。ただ地下に潜って、また地上に戻るだけでは面白くない。地下に潜って、さらにそこから、が重要だ。現代人は面倒くさがりである。無駄な動きをしたがらない。ただの地下街は水が流れ込んでも排水ができず、たまった水がよどみ濁り、やがて腐るのと同じ状態である。地下街が終点でなくあくまでも通過点にすることだ。地下街を通って小田原城へ行く人の流れをつくるのである。

  海外からの観光客の多くが、日本の城やサムライ文化に興味を持っている。忍者に対する関心も高い。私の生まれ故郷には真田幸村の上田城がある。その一角に井戸がある。観光看板には「城が敵に包囲された時の秘密通路」と書いてあった。実際そうだったとは思わなかったが、子供が持つ想像力は深い底の見えない井戸の中に吸い込まれた。海外からの観光客は、自分の国では経験できないこと、自分の国では見ることができない景色を求める。

  小田原駅で乗降するたびに多くの外国人観光客を目にする。そして地下街の入り口を見る。これだけの数の観光客が来てくれるのにも関わらず、まったく生かされていないこの巨大施設をモッタイナイと思う。私の思い付きでしかない提案であるが、小田原地下街のまわりによどむ停滞、後退、衰退、あきらめムードがさらさらと流れ始めることを期待している。


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