団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

こぐ、押し戻される。こぐ。

2014年03月24日 | Weblog

  3月18日火曜日。妻に頼まれた洗濯物をクリーニング店へ自転車で持って行った。隣の市まで買い物に行くついでだった。私が住む町は駐車場が少ない。クリーニング店がある通りは、以前この町の商店街のメインストリートと言われた。いまではシャッター街である。5,6百メートルにわたって道路両脇のアーケードが取り壊され、一見明るく広くなった。しかし相変わらず営業している店は減る一方だ。その中でも行きつけのクリーニング店は繁盛していていつも路肩に客の車が非常灯をパッカパカ点灯させて不法駐車している。迷惑だ。だからできるだけ歩くか自転車でクリーニング店へ行くことにしている。

  久しぶりの自転車での外出だった。穏やかで太陽の光にも、春はもうすぐと感じられた。天気予報では関東地方、特に東京や千葉で風速20メートルを超える春一番の強風が吹くと言われていた。その予報が遠い所のことだと思えるほど、私の町は風もなく晴れ渡っていた。クリーニング店で洗濯物を出して、駅の近くにある図書館へ行った。調べ物を1時間あまりした。腹が減った。蕎麦屋へ行き、いつものもり蕎麦を食べた。アシスト付自転車でスイスイと移動。下り坂は私の充分重い体重が幸いして楽々風を切って前進。上り坂はアシスト装置がこぐ負担を軽くして、自転車を降りて押して歩くことはしなくてすんだ。

  腹ごしらえして駅へ向かった。駅前の無料自転車置き場に自転車を入れた。電車からキラキラ光る春の太平洋がきれいに見えた。隣の市の駅に着いた。午後2時を過ぎていた。改札を抜ける時構内放送があった。「強風のため上下線で運転を見合わせます」 私は銀行や買い物の用事を済ませたころには運転を再開しているだろう、と気にもせず外に出た。

  全ての用事を済ませて駅に来た。改札口前は大勢の人で埋まっていた。運転見合わせがまだ続いていた。私の町へは鉄道が一本だけなので電車で帰るには待つしかない。新幹線という手もあるが、たった一駅で降りた駅からまた在来線で一駅戻らなければならない。幸いホームに電車が止まっていたので電車に乗った。満員だった。最近手に入れた落語、浪曲、漫才などの昭和演芸のSDメモリーカード盤をイヤホンで聴きはじめた。亡き父が大好きだった広澤虎造の浪曲2本、父を思い出しながら聴いた。車内放送が始まった。イヤホンを外して聞くと「代替え輸送のバスの準備が整いました。バス乗り場1番でご乗車ください」と言った。それを聞いた人々が一斉に電車を降りて階段に殺到、車内にごくわずかな乗客しか残らなかった。しかし1分も経たないうちに今度は「この電車はまもなく発車します」との車内放送。一旦電車を降りた乗客が今度は逆流して戻ってきた。私はすでにシートに座ることができ今度は古今亭志ん生の落語を聴いていた。

  電車は場所によって強風の影響を受け、ところどころで徐行運転で切り抜けた。さすがに鉄橋の上などは強風に煽られて揺れて怖かった。住む町の駅に2時間かかって到着できた。普段は17分の乗車時間である。家を出たときは晴れていたが、黒い雲が空をおおっていた。雨もパラパラ落ちていた。自転車置き場の自転車はほとんど風で倒されていた。アシストを使って家路の緩やかな上り坂に立ち向かった。普段はアシストさえ使えば難なく自転車を進めることができた。こぐ、押し戻される。桜並木に入った。家までは直線であと300メートル。桜の少し膨らみ始めたつぼみも風で吹き飛ばされそうに揺れていた。こぐ、自転車が進まない。まるで止まっているかのようだ。家へのこの道をあれほど遠いと感じたことはなかった。それでも一度も地面に足をつくことなく地下駐車場に自転車を入れた。体全身の筋肉がガクガクだった。家に入るとすでに6時10分だった。妻の電車は6時28分に駅に着く。車に乗り換え、駅に向かった。間に合った。妻は本来5時台に発車するはずだった電車に乗っていつもより2分早く到着した。

  風に振り回された。台風以外でこれだけ強い風や竜巻、突風による被害は、最近増えている。春一番は毎年人々が春はもうすぐそこに、と楽しみにしている季節の徴である。気象異常、地震、火山爆発の発生ニュースと悪い予想が溢れる。地球が悲鳴をあげて人間に何かを警告しているようにも思える。どんな妄想に振り回されても、春は私たちに大きな喜びを届けてくれる。春はもうすぐそこに。「♪春よ来い♪春よ来い」と歌いたい気持ちに合わせるように裏山でミソサザイが今年初めて美しく鳴くのを聞いた。


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