団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

割烹着のSTAP細胞博士

2014年03月26日 | Weblog

  割烹の割は裂くとか切る意味と捉えられる。割烹の烹は熱を使って調理することを意味する。

  現代のベートーベンと称された全聾の作曲家の次は、世紀の大発見と言われたSTAP細胞のリケジョの博士の出現だった。研究の成果にお墨付きを与える英国の権威ある科学誌「ネイチャー」誌に論文が掲載された後、一躍時の人となった。マスコミの取材にさらされ、国中で大騒ぎとなった。私も彼女の快挙に疑うことなくミーハーらしく喜んだ。

  私は彼女が割烹着で実験している姿をテレビで観た。この割烹着には違和感を持った。主夫として料理が好きで20年以上“男子厨房に入らず”の掟を劣等感にさいなまれつつ破ってきた。日夜、安くて糖尿病にも優しく、かつ美味しく栄養価の高いものを調理する努力も重ねた。材料集めもマメに行ってきた。そういう私だからこそ彼女の割烹着に抵抗を持った。

  あの歓喜が嘘のようにSTAP細胞の論文に疑惑が浮上した。喝采が怒号に変わり、いつものようにマスコミは、猛烈な個人攻撃を展開している。STAP細胞にチンプンカンプンな私は、自分が批判の矢面に立たされたように黙り込む。

  ただ今回の彼女の論文が他の論文からのコピペ(パソコンでコピーしたい資料をその部分だけを特定して、自分が作成するレポートなどにペースト“貼り付け”する行為。作家がこれをすると盗作と言われる)であったり、掲載された写真も彼女自身の早稲田大学に提出したものや他の論文からの流用であったらしい。彼女が所属する理化学研究所では調査委員会が立ち上げられた。3月14日東京でこの調査委員会の調査報告が発表された。ノーベル化学賞の受賞者である野依良治理化学研究所理事長は、冒頭で謝意を述べた。4時間にわたる記者会見で疑惑は解明されなかった。

  私はやっと彼女と割烹着とのつながりを見つけた気がした。最先端科学を研究する実験室で割烹着は、どう考えても腑に落ちなかった。彼女は自分の論文作成にコピペや写真の使いまわしを悪いことだとは思わなかったと調査委員会の調査で証言したそうだ。「これだ」と私は考えた。料理の世界と同じではないか。彼女は研究室での自身の研究と割烹着の本来の居場所であるキッチンでの調理を同レベルに捉えていたのではないだろうか。レシピと日本では呼ばれる“調理手順”とか“料理方法”には、特許も著作権もない。だから日本に多く存在する料理研究家と呼ばれる人々は、あちこちのすでに出版されているレシピから良いとこ取りした料理をあたかも自分で創り出した料理であるかのように披露する。カリスマなどとマスコミにヨイショされていれば、どんなコピペ料理も賞賛される。料理は本来、人類の食の歴史の集大成であって、料理研究家と自称する人々がすべて創造自作したものではない。すべての料理は真似であって、味を決めるのがその料理人の腕と経験と気概である。

  野依理事長は彼女のことを「未熟な研究者」と厳しく指摘した。つまり倫理的にも神の領域に踏み込むほどの先端科学の研究を台所で寄せ集めのレシピで料理することと同一視していたことになる。こう考えれば、彼女が割烹着姿で研究をしていたことは理解できる。研究論文に於いては、他の文献や論文からの引用は正確にその出所を記載するのが約束事である。

   今でも私は彼女のSTAP細胞発見が晴れて正々堂々と実証されることを信じたい。未熟な研究者としての落ち度があったとしても、STAP細胞の存在を証明して、彼女が宣言したように女性を少しでも楽にする研究を形にしてほしい。

  今度彼女がテレビに映る時は、割烹着でなく普通の研究者のように普通の白衣で堂々と登場することを願う。未熟は成熟への過程である。


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