団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

譲り合い車内放送

2014年03月04日 | Weblog

  「お荷物はヒザの上に。一人でも多くの方がかけられるようにご協力ください」 これはつい最近私が利用するバス路線のバスで新しく加えられた車内放送である。

 私は以前バス会社に「バスの二人掛けの席を一人占めしている乗客が多いので、車内に注意を促すポスターを掲示するか、車内放送で注意して、座れるようにしてほしい」と手紙を書いた。2,3年前のことだった。いつまで経っても変化は起こらなかった。バスに乗れば、相変わらず多くの年寄り、それも男性が圧倒的に多い、が荷物を窓側に置いて大股開きで不機嫌この上ないしかめっ面で2人用の席を独占している。小心者の私はノドまで「ここに座ってもいいですか」と出かかる。言えない。内心では(おい、じいさん、一人股を大きく広げて座っているんじゃねえよ。いい歳しているんだからもっと周りのこと考えろよ。荷物をヒザに置いて場所あけろ)と吠える。そう思うだけで口に出せない。小心者の哀しさである。社会道徳は、互いの過ちや勘違いを優しくわかりやすく指摘しあって修正できれば、向上していくに違いない。

 荷物と座席に関する車内放送がされるようになってからバスの中に変化が起こった。荷物をヒザの上に置く人と、窓側に座る人が増えた。それも女性が圧倒的だ。男性には相変わらず2人席を一人で座っている年寄りが多い。放送が聴こえているのか、本当に聴こえないのかはわからない。夫婦で乗っていて前後して2人用の席をそれぞれが占拠している場合もある。そのような夫婦を見ると、何となくその夫婦の家庭での様子を想像できるような気がする。旧態依然の亭主関白なのか、一緒に座るのさえ嫌なほど夫婦関係が冷え切っているのか。

 私は車内放送を過度な介入だと思っている。しかし今回の車内の変化を目の当たりにして、車内放送の影響力を見直した。その放送のたびに、年配女性の多くが素早く反応する姿に感心する。そんな様子を見ていると、日頃の社会への不満も和らぐ。

 駅前でバスを降りる時、いつもより大きな声で運転手に「ありがとうございました」と言った。それほど私の心は清々しくなっていた。

  電車に乗ると今度は「お客様にお願い申し上げます。座席は多くの方が座れるように譲り合ってお座りください」とさっそく車内放送が始まった。電車はすいていた。御座なりの録音による手引き書通りの放送である。

  私を含め多くの人々は、他人との関わりあいに危険を感じている。何かを注意して、ナイフで刺されたり、暴力を受ける事件も多い。そうかと思えば、ただ運悪くその場にいただけで、誰でもいいから殺したかったと車の暴走に巻き込まれたり、ナイフで切りかかられる事件があとを絶たない。人が集まる場所や交通機関では物言えぬ弱者に代わって、私たちが言いたいことを言ってもらえることはありがたい。世知辛いことだが、車内放送によって余計な犯罪が防げるのであれば、執拗に繰り返される放送も我慢できる。家庭や学校で社会道徳の基本が躾けられていれば、いい歳の大人に再教育はいらない。改善にも、やり直しにも遅すぎることはない。いつか車内放送がなくても、2人掛けの席に2人の人が当たり前に座れる日がきっとくる。


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