団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

医療相談

2009年01月27日 | Weblog
 妻が医者ということで、私の親戚、妻の親戚、知人などから家に相談の電話がかかってくる。多くが医療相談である。

 ほとんどの電話は夜だ。妻は疲れていても、真剣にその電話相談に耳を傾け、できる範囲で答えている。私はその内容を一切知らない。知ろうともしない。知っても私に判らないことばかりだからである。妻は口が堅い。一身に他人の苦しみを背負いこむ。私は妻を可哀想だと思う。何故ならほとんどの相談者は、妻が一番知りたいその相談の後の経緯、結果を報告しないからである。

 アメリカの小話ジョークで「医者と弁護士は、パーティが嫌い」というのがある。「パーティで医者と弁護士に話しかけてくるのは、無料の医療相談と法律相談をしようと思う人だけだ」で締めくくられる。 妻は別に無料で相談にのるのが嫌だと言っているのではない。直接患者に相対するのではなくて、電話で患者でなく第三者と間接的に話すことに戸惑うのだ。相談者は妻の答えに一縷の望みと、妻から返ってくる言葉、「それは絶対誤診です」と「絶対大丈夫、助かります」に期待を持っているのだと思う。電話の向こうで聞く人は、妻の声のトーンや響きに全神経を集中している。勝手に妻の話しぶりで判断してしまう。すでに頭の中には、妻から聞きたい言葉がたくさん詰まっている。相談は最低15分、長いと何時間にもわたる。多くの大学病院では、3時間待って診療3分といわれるご時勢である。

 巨人軍の主将阿部慎之介選手が新人選手歓迎会のスピーチで「プロ野球選手、とりわけ巨人に入団すると親戚が急に増えるけれど、そういう人たちとは絶対に接触しないほうが良い」と言ったそうだ。プロ野球選手と巨人軍を医者や弁護士に置き換えても通用する気がする。

 東西を問わず、格言や諺に“親戚もの”が数多く存在する。
○貧乏人の親類縁者は、見つけ出すのに骨が折れる。ギリシャ 
○身内の者はイチジクと同じだ。むいてみると蟻がたかっている。 マダガスカル 
○金銭に不自由しない者は、身内にも不自由しない。 フランス 
 
 私が好きなたとえ話は、『君のためなら千回でも』に出てきた“初対面のアフガニスタン人を二人連れてきて、部屋に入れて10分もすれば、二人は自分たちが親戚だとわかる”である。

 もちろん素晴らしい親戚もたくさんいる。親しき仲にも礼儀あり、は大切にしたい教えである。私の身内が妻に迷惑をかけても、私も妻も、相手に言いたいことを、きちんと訴えることができない。お互い我慢するしかない。いつか言わなければと思っていて、すでに先延ばしばかりしている。政治家の悪口なんて言えたものではない。私の親戚知人からの電話を私が取って、それが妻への医療相談だったら、電話を妻に渡す前に「妻への医療相談なら、きちんと事後報告してください」と言う練習をする今日この頃である。

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