団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

陽なたボッコ

2009年01月19日 | Weblog
 我が家は、一応、南を向いているが、冬、陽が当たることはない。南前方に山がある。ちょうど冬は陽が山にさえぎられて、一日中陽が射すことはない。北側は川を挟んで谷間に街並みがあり、そのまた向こうは山になる。我が家の北側の窓から明るく陽に照らされる街や向こうの山が眩しく見える。時々真向かいのマンションの上のほうの階の窓ガラスに反射して陽の光のお裾分けが我が家の窓から飛び込んでくる。そんな日はウキウキそわそわするほど嬉しい。

 陽の光が滅多にこちらに来ようとしないので、冬はこちらから陽のもとに飛び込んでゆく。散歩である。日陰から陽のもとに出ると、寒い日であっても、その温度差にまず驚く。刺すような寒さが引き下がり、陽の当たった後頭部がまずホワっとする。陽の光のやわらかさも数分で、眩しさと熱を感じさせる。着ている防寒下着とゴアテックのアノラックが邪魔になることもある。家から駅まではゆるい下り坂になっていて、歩く易い。

 私は天気の良い日は、わざわざ陽の光を追う様に散歩のコースを決める。コースを決めて、今日は住宅地の中に入り込んで行った。陽当たりの良い家と家の間のほんの狭い小路に、おじいさんがイスに座っていた。「こんにちわ」と私が挨拶すると、おじいさんは顔面の右半分を痙攣させながら、笑顔を作ろうとしてくれる。私はお辞儀して、おじいさんに答えた。おじいさんは太陽のほうを向いている。気持ちよさそうに目を閉じて顔を上げている。イスの上の座布団がふっくらしている。どうもおじいさんは歩けないらしい。なぜならおじいさんはやさしくイスに縛られている。たぶんイスから転げ落ちないようにしてあるのだろう。でも気持ちよさそうにしているおじいさんを見れば、縛られていることなどたいした問題ではない。おじいさんが寝たきりならば、こんなうららかな日は、外にいるほうがいい。

 日光浴ということばより陽なたボッコがいい。昨日の冷たい雨も上がり、今日は気持ちよく晴れ、陽の光が谷の町並み全体を照らし出していた。こんな日の散歩はうれしい。今日の様におじいさんが気持ちよさそうに太陽と仲良くしているのを見ると、ほんわかした気持ちになれる。

 私が子供の頃、日当たり抜群だった廊下で冬、陽なたボッコしながら、本を読むのが好きだった。家の中から親に呼ばれ、立ち上がり急に家の奥に行くと、一瞬、目の前が真っ暗になった。強い日光の中で目の瞳孔が狭まっていた状態で急に暗いところに入ると、瞳孔の調節が狂う。足元がふらつき、よたよた歩きをする。それが楽しくて何度も同じことを繰り返した。

 今住む家で、冬の陽なたボッコを楽しむことは出来ないけれど、川を越えれば、すぐそこに陽の当たる街がある。あのおじいさんにまた会えると嬉しい。いつの時代であれ、やさしい自然に抱かれていると気持ちがいい。穏やかな日、心行くまで陽なたボッコを満喫できた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする