備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

人口非密集地帯のアートフェス

2009-07-31 17:30:30 | Weblog
敷地の片隅に咲くコスモス。去年こぼれた種から育って花を咲かせている。
あぁ~、もう秋か…。
違うな…。

暑さで朦朧として見たコスモスの幻覚ではなく、雑草に負けじとリアルに頑張っている。結構元気。

近所では一面のコスモス畑になっている所もある。
その隣りにヒマワリ畑があったり、青々とした水田に囲まれていたり、ちょっとシュールな光景。
地主側はその配置には意思はないはず。見るコチラ側のお楽しみなだけ。
牛窓に住んでいる時は、なだらかな山がキャベツ畑でパッチワークになっていて好きな風景だった。


シュールな風景に触発されて、頭によぎった事……。

ここ数年、田んぼに数種類の品種を絵画的に植えてみたり、または、インスタレーションを設置してみたりと、人口非密集地帯(過疎や田舎といえばよいのか…山間部・農村・浜辺…)での表現活動が増えている。


個人や数人で製作された表現なら、その規模は個人の力に基づくので、鑑賞側とモノの意識的な距離は近い。
けれど、資本が入って大掛かりなイベントになると、それがミクロになったりマクロになったりと散発的に変化する。ましてや商業の匂いが入り込むほど、失われる部分や見えなくなってしまう部分があるだろう。
純粋な鑑賞では済まずに、経済、行政、政治……が別の要素を加える。
反面、だからこそ生まれる新しい意識や価値もあるわけだが……。

もちろん大規模なのが悪いわけではなく、商業ベースが悪いわけではないけれど、表現が歪められている可能性を感じることも時々。


普段のんびりとした場所に大きなイベントが『持ち込まれる』と、住民の方々はどうなのだろうか?
神楽や祭りを営々と、または粛々と自発的にしている状況とは違う。『おわら風の盆』の例もあることだし。

作る側と見る側だけでなく、観光や鑑賞者目線と住民目線とでは、解釈や印象はかなり変わるはず。
その思いはきっと共有できない感覚なんだろうなぁ。

住民を巻き込んでの「共同」「協働」の表現が多いのは、ある意味、この溝を端に発しているとも言えるんじゃないだろうか。

地域再生型アートフェスは、その違いそのものや相互理解の過程をも含めてが面白味でもあると思う。
どこまで、どのように汲み取れるかは、個人的なことだけれど。


さて、願わくば、乱立傾向にあるこれらが、全国の駅前のように「どこでも同じ!」というパターン化されたイベントにならないようにと……。
『新しい価値の創造』と『ローカルな意識』のバランスが重要になるだろう。


……とりとめもなく、ふと感じた次第。



今、大規模開催といえば、ここ。
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009


あと、ウチから近い所ではここ。
犬島時間


犬島は、銅の精錬所跡、貝塚、陽射し、波の音、ネコ…と色々なファクターが多くて、アート以外もお楽しみが多い。船に乗って島に渡るので、ちょっとした小旅行気分も味わえるし。
夏休みのお出かけに、圧倒的物量の廃墟に触れるのも子供心にも何か残るかな。


さてさて、
陽が落ちてきたら、愚犬福助と一緒に『無作為の美』を鑑賞しに出かけるとしますかな……。マジックアワーにも期待しつつ。

蜩(ひぐらし)の声が遠く響き、思索にふけりつつ歩くには良い頃でしょう。

テーマは、晩酌のアテですが…。 福助君、何か問題があるかね?




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まいこのおちゃ)
2009-08-01 05:32:02
先ほどメールで見学のお願いをしました、宜しくお願いします。
メールを送ってから気がついたのですが、以前に琢磨さんの作品を購入しておりました、見てやってください。
返信する
(*^o^*)/ (bizen-nabechan)
2009-08-01 10:29:36
見学の件、了解です。

『焼酎前割りボトル』ですね。
2007年12月窯出しのモノだと思います。

ひょっとして、酒徒であらせられるのでせふか。

お気をつけて、お越し下さいませ。m(_ _)m


返信する

コメントを投稿