備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

今日はブラームスから

2014-11-07 22:31:53 | Weblog


朝、子供達は学校へ。番犬福助は朝御飯。ルーチンワークを片付けつつ、朝の冷気に一際季節の変化を感じる。
一日の寒暖差や、釣瓶落としの夕暮れに戸惑う季節でもある。

あれほど勢いのあった夏草も今は成長を止め静けさの中。
刈り残した叢の混成具合を見ていると、活花のような趣きもあるなぁ。感傷的に過ぎるか……。
有体に言えば、コムラサキシキブにエビヅルなどの蔓性の草が絡みつき、傍にススキが立っている光景である。
距離感のない青空にジョウビタキの甲高い声が響く。ひんやりとした空気が心地良い。ずっと深呼吸をし続けたい気分。(←過呼吸になるよ)

アースカラーを眺めつつ、コーヒー片手にしばし。「いいねぇ」
近くに遠くに目を移す。



今年の初嵐は花付きが良いなぁ。


朝のサンシュユも艶やか。

朝露と霧が作る片隅の風景。
何となく「今日の始まりはブラームスからにしよう」と思いを定める。


日本は湿潤の国。その気候の中で綺麗に見える自然の色は自ずとある。
春の霞、梅雨の窓越し、夏の陽炎、真夏の入道雲、晩夏の夕立、初秋の朝露、晩秋の鰯雲、初冬の川霧、冬の霜柱。
おぼろげな景色、メランコリックな雨、遠い記憶の地面、遊びまわった海、蝉の声、濡れた草の香り、蜻蛉の群れ、凛とした冷気、透明感ある朝の通学路。

湿気と風景の記憶は直ぐに結びつく。そして、それぞれに美しさと儚さを持つ。
山は笑い、滴り、装い、眠る。


その中でも秋は格別。そして秋はブラームスが似合うと思う。

霧の如く変幻していく主題は、日本人の無常観に沿うのだろうか。
愁いを帯びる響きは、湿潤の記憶を誘うのだろうか。
あるいは情緒的にあるときでも、論理性を崩さない真面目さが気質に合うのか。

「何となくブラームス」の理由はそのあたりなのかも……。


由無し事を思いながら、今日の始まりの一曲へ想いを廻らす。「まずは弦楽から始めてシンフォーニーへの流れだろうな」
穏やかな気持ちの変化を意識から少し切り離してフワフワと遊ぶ如く。
取りとめない緩さで曲を選びつつ、仕事へと気持ちを徐々に切り替えていく時間でもある。

さて、その視野の端に番犬福助くんが。
「頂くものは頂きましたよ」って顔をして伏せているが、横目でこちらをチラチラと見るのは「何か素敵なものが来ないかしら?」という期待に違いない。


大音量でブラームスをたっぷり聞かせてやんよ。 Ψ(`∀´)Ψ


ロクロ座からの風景もまた良し。
















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