巣窟日誌

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エンプロイアビリティ:そのイメージ

2004-06-04 16:02:13 | 経営・人材育成
いまでこそ異文化コミュニケーション版CMCを研究しているような顔をしているわたしだが、じつは大学院の修士時代の論文のテーマは、「エンプロイアビリティ」(employability = 雇用されうる能力、<個人の労働市場における>市場価値)という、経営・人材育成ものだった。この研究は今も続けている。

論文の企画を発表した段階から「本にして出版すべき」と言ってくれた人が結構いて、修士課程修了後にのちに共著者になる林先生が論文を日本経済社に見せてくれたのが、『異端パワー』の出版にいたった最初のきっかけだ。あの本を読んでくださった方はおわかりのとおり、エンプロイアビリティが本の中で大きな位置を占めているのには、このようなわけがある。

が、あの本のタイトルには、「エンプロイアビリティ」のことばは使われていない。なぜか?それは、「エンプロイアビリティ」ということばに、ネガティブな響きがついているので、タイトルにしたら売れなくなると編集者が考えたからだ。

でも考えてみれば、変だ。エンプロイアビリティということばには、もともともは非常に理想的でハッピーな響きがあったはずからだ。

わたしがエンプロイアビリティのことばをはじめてきいたのは、忘れもしない1994年にさかのぼる。日本でのビジネスチャンスを求めてやってきた、教育系コンサルティング会社のエグゼクティブから聞いた。彼は「エンプロイアビリティ」を日本に売りに来たわけではないが、打ち合わせ時に黄色いリーガルパッドにいろいろと図を描いて、通訳を担当したわたしに、この新しいことばを説明してくれた。再現すると、大体次のような話になる。

「エンプロイアビリティっていうのはね、雇用の保障に代わるもので、従業員が企業の中でも外でもエンプロイアブル(= employable、雇われ得る)なように、保証したり支援したりしてあげることだよ。

会社はもう従業員に長期雇用なんて約束できないよね。でも雇用環境はきびしい。従業員はいつ失業するか分からない。失業したら次の仕事をみつけられないかもしれない。こんな状態だったので働くほうのやる気はさがって、企業の生産性が低下したんだ。

そこで、雇用を保障するかわりに、会社が従業員本人に自分のキャリアプランを聞いて、そのキャリアプランに教育と実践のための職務を継続的に与える。

そうすれば、従業員はエンプロイアブルになれるから、レイオフになってもスムーズに次の会社を見つけられるだろう。エンプロイアビリティはトランスファラブル・スキル(= transferable skills、転用可能なスキル、どの仕事にも通用するユニバーサルなスキルのこと)も重視するから、社内の別の部署・別の職務に移ることだってできるんだよ。」

「(ここでわたしの反撃)でもそうすると、教育の費用はかかりますよね。従業員が研修だけ受けて力をつけたところで、別の会社に転職してしまう危険も高まると思いますが。」

「(待ってましたとばかり)いやそうじゃない。つまり、自分が選んだキャリアを研修やポジションでバックアップしてくれる企業で働き続けることは、従業員にとってもハッピーになれることなんだ。

技術革新のスピードを考えれば、われわれは絶えず学習する必要がある。自分の将来を考えれば、その機会を与えてくれる会社になら、多少給料が低くたってい続けようとするはずだ。それに「従業員教育に力をいれて、個人のキャリア・プランの実施をバックアップしてくれる会社」という評判が、より優れた応募者を呼びこむから、企業にとっても利点のほうが大きいんだよ。ぼくはこのシステムが日本でも導入可能だと確信している。」

「(さらに反撃)おっしゃる通りかもしれませんが、大手の日本企業には、もともと研修部などが充実していて、教育・研修に金をかけているところが多いですよ。でもこれは『終身雇用ゆえに企業にとっては教育・研修が金の賭け損にはならない』からこその面があります。

それに日本の会社は、ある部門を切ったらその部門に関わる全員を解雇させたりしないで、まずは他部門への移すことを考えます。営業から企画とか、技術から総務とかへの移動は、実際行なわれています。どの部署へ移動するかは、本人が作ったキャリアプランではなく、すべて会社主導です。」

「でも、エンプロイアビリティは、個人が作ったキャリアプランを、会社が支援するんだよ。ここが違う。」彼は、リーガルパッドにペンで、グリグリとしるしをつけた。

1990年代の初めから半ばぐらいに、アメリカ系の企業に勤めていた方なら、本社がある日突然、やたら「従業員の教育・研修やキャリアマネジメントに力を入れよ」と日本法人に命令してきたのを、不思議に思った人も結構いたに違いない。

――突然、「将来のキャリアプラン」や「やりたい職務」の希望を従業員に聞けと、本社が言ってきた。こんなことを聞いたら、従業員が今の仕事に満足しなくなって、「ほかの部署に行きたい」とか、「この会社じゃ自分のキャリアプランは達成できない」とか騒ぎ出すじゃないか。何でこんなことするわけ? 

――本社命令で、1人あたり予算ン十万円で、個人の希望する研修を受けさせて良いって? そんなことをさせたら、従業員のいまの職務とは関係ない研修に出るかもしれないじゃないか。何でこんなことするわけ?

――会社もちでMBAをとらせてくれる? そんなことをしたら、MBA習得後に別の会社に転職されるかもしれないのに、何でこんなことするわけ?

つまり「こんなことする」理由が、エンプロイアビリティだったわけだ。

ところが、このことばが日本で使われ始めたとき、「これからの日本企業には、エンプロイアビリティのないものはいらない。企業はもはや従業員の雇用や教育を面倒見切れないのだから、従業員は自分でエンプロイアビリティを磨くしかない」に変っていた。しかも「これがアメリカ流だ。」

仰天!

で、なぜこのことばの定義に変化が起こったのか、何が日本市場における「雇用されうる能力」なのかを調べ始めたら止まらなくなってしまい、修士課程での研究テーマとなってしまったわけだ。

ところが、わたしが修士課程時代に勤めていた再就職支援会社の英国本社にも、エンプロイアビリティのプログラムがあったために、コトは次第にややこしくなっていってしまった。


2 Comments

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エンプロイアビリティ。 (Sham&Josh)
2004-06-05 00:07:34
エンプロイアビリティ。
はじめてこの言葉を知りました。
なんだか自分のツボにはまる内容が多くて
毎日福島さんのBLOGをチェックしてます。
RSSリーダーを使うべきかも・・・(爆)

今日はサングラスですね。
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Sham&Joshさん (ふくしまゆみ)
2004-06-05 00:11:43
Sham&Joshさん

>今日はサングラスですね。

「小六女児殺害とネット」のことを考えているうちに、「笑っている場合か」と、ものすごく憂鬱になってしまったので、サングラスをつけました。

年金改正(改悪)の法案も明日あたり可決しそうで、なみだ目です。当分サングラスははずせません。
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