ブログをウェブ日記に非常に近い位置づけと考えて、ブログを研究している人は結構多いらしい。
ブログをウェブ日記として使う日本人が多いことはわかっているが、が、わたし自身はブログを更新が簡単でリンク機能が充実したウェブサイトの一種ととらえていた。そのため、「ブログはウェブ日記の一種」と言われると、奇妙な感じがする。
わたしは自分がブログで書いているのは、駄エッセイのようなものだと思っている。エッセイは日記とは違う。実際に、ブログを更新するほかにPC上で日記もつけているが、同じ日付であっても、日記とこの巣窟日誌の記述が、一致あるいは一部でもかぶることは皆無だ。
わたしとブログに関する共同研究をしているjoshさんも、ブログをウェブ日記とは考えていなかったらしい。だから「ブログ≒ウェブ日記」との前提で展開されている研究をみて、当初は2人で戸惑ったものだ。
でも、少なくとも「ブログ≒ウェブ日記」と定義している人が結構いることは、わかった。
ではなぜ、そう考える人が多いのだろう?ウェブ日記からブログへ移行した人が多いのだろうか? あるいは最初にどのブログサービスを使ったかによって、個人の心の中でのブログの定義は変わるのだろう? それとも、日本人はネットで日記を書くことが好きなため、ブログは次第にウェブ日記になってしまうのだろうか?
ブログをウェブ日記として使う日本人が多いことはわかっているが、が、わたし自身はブログを更新が簡単でリンク機能が充実したウェブサイトの一種ととらえていた。そのため、「ブログはウェブ日記の一種」と言われると、奇妙な感じがする。
わたしは自分がブログで書いているのは、駄エッセイのようなものだと思っている。エッセイは日記とは違う。実際に、ブログを更新するほかにPC上で日記もつけているが、同じ日付であっても、日記とこの巣窟日誌の記述が、一致あるいは一部でもかぶることは皆無だ。
わたしとブログに関する共同研究をしているjoshさんも、ブログをウェブ日記とは考えていなかったらしい。だから「ブログ≒ウェブ日記」との前提で展開されている研究をみて、当初は2人で戸惑ったものだ。
でも、少なくとも「ブログ≒ウェブ日記」と定義している人が結構いることは、わかった。
ではなぜ、そう考える人が多いのだろう?ウェブ日記からブログへ移行した人が多いのだろうか? あるいは最初にどのブログサービスを使ったかによって、個人の心の中でのブログの定義は変わるのだろう? それとも、日本人はネットで日記を書くことが好きなため、ブログは次第にウェブ日記になってしまうのだろうか?
私もブログ=ウェブ日記という解釈を未だにしてしまいがち、
というより、他社にはそう説明してしまうのですが。
なぜそういう誤認が行われるのかと考えてみたところ、
記事1つ1つに(やや大きめのフォントで)日付が入るからではないでしょうか?あるいは、日めくり的な。
というデザイン上の見解はどうでしょうか。
> 記事1つ1つに(やや大きめのフォントで)
> 日付が入るからではないでしょうか?
たしかにそうですね。
それに目立つ位置に大きいフォントで日付が入るとなると「その日の出来事」を書かなければならない気分になることもあるかと思います。
でもブログには日記にはない「タイトル」がありますね。
最近、別の出来事を扱うために新たに作ったブログでは、出来事があった日付とブログを書いている日付にギャップがあるため「日付」欄の存在がジャマになり、表示から日付とってしまいました。
ああ、すっきり… でも日付がないと、ブログとしては間が抜けているような気分です。
あ、確かに。
> ああ、すっきり… でも日付がないと、ブログとしては間が
> 抜けているような気分です。
ここら辺はジレンマですね。
解釈してました^^;
エッセイとして、自分の日記がテーマならば、
それも有りうるかな~と。
そういう本もあるし。
自分では、ネット上の公開を踏まえて、
情報の集約と記録(あれでも^^;)と、
エッセイ的要素を考え、書いてはいます。
ただ、日記と言われると「誰でも出来る」という
感じを受けますよね。
コメントありがとうございます。
確かに日記だと言われると、誰でもできるという感じを受けますよね。
また、ウェブ日記からブログに移ってきた人も多いようです。こういう人たちには、ブログはウェブ日記の一種なのでしょうね。