Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
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悲母観音

2008-11-08 23:04:42 | 出張先にて
富子さんとお別れしてからは、悲母観音にお参りするために高山市内の国分寺を訪れました。

いや、なかなか侮れないお寺でした。

まず、驚いたのは、どんだけ大きいんでしょうか、この銀杏・・・・
見よ!樹齢1000年の貫禄。



そして、三重塔。まさか高山でこのような光景に出くわすとは思わなかったです。



安土桃山時代に建立された鐘楼堂。
中京地区で、安土桃山時代って聴くと何だかそわそわしますよね・・・



その敷地内に、建立されている悲母観音像。この日は、菊花展のテントの裏側にあり探すのに難儀しました。

興行師を辞めた後は、全国を講演して回った女史がその謝金で建てたそうです。
不謹慎にも写真を撮らせていただきました。

観音様と言っても、聖母のような雰囲気です。



観音様の抱くのは手足がない嬰児。

手足を失った娘に、心を鬼にして生活に不自由しない作法を教え込み一人前に育て上げた女史の母。

一度は、命を絶とうと、女史をおぶって冷たい川にともに身を沈めたと聞きます。

久子女史にとっては、全てが試練に違いなかったと思います。

母親とて、自分の死後の娘を思えば、そうせざるを得ないとしても、どんなにか心を痛めたことだろうか。

しかし、自分に置き換えて考えてみても、試練と言うのは乗り越えられる人のみに与えられるものだと感じます。

そして、時間はかかっても乗り越えるしかないから。

つきなみですが、乗り越えた時には、人は大きくもなり、優しくもなり、いろんな意味で俯瞰できるようになるように思います。

そして、人は人として磨かれていくのだと思います。

しかも時間をかけて。

試練を乗り越えていく人の命の強さと尊さを信じます。

与えられた命に感謝します。

(落ち着いたら健康診断いかないと)

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手をあわせる

2008-11-08 02:12:04 | 出張先にて
名古屋の研修で燃焼し、その足で夏から決めていた岐阜・高山に向かいました。

当初は、1人で行く予定だったのですが、あゆみさんとともに岐阜市内から高山までのドライビングです。

目的は、中村久子女史の足取りを訪ねること。

お訪ねしたのは、浄土真宗大谷派の真蓮寺。前にある高山別院はすでに紅葉が美しかったです。



三島多聞住職と中村久子女史の次女の中村富子様にお会いするためでした。

富子さんは、明るく優しく、そして間違いなくDNAを受け継いで、現在は女史の語りべ。(写真掲載許可済)



約2時間、女史の生き方について、それから昨今の行きづらい世の中についてのお話をお2人からうかがいました。

自分の中に激震の走る言葉がいくつもありました。何とも濃い2時間でした。

これから10年の過ごし方を変える日になったかもしれないです。

四肢の無い女史が、見世物師として興行界で気高く生きて、4度の結婚を経て、2人の娘さんを立派に育て上げたこと、本当に多くの人たちに助けられ感謝・人の情けを忘れずに困難を乗り切っていったこと、何においても決して妥協せず、筋を通して生きたこと。

正直、事前に読んだ本は、涙なしでは読めなかったです。

その涙の理由を問うても、最初は、その涙の理由はわからなかったし、この先もその都度、涙の理由は変わるかもしれない。

大前提は女史の勇敢な生き方への畏敬の念です。

しかしながら、うすうす感じているのは

「あるのに求めすぎる」自分の浅ましさへの自責の念だと思う。

求めすぎる・・・

誰かと比較して足りないものを求める、自分の思うようにならないからと言って人を操作しようとする。

決してそうするまい、と思っても多少なりとも働く思い。

もっと自分が持っているもの、自分にあるもの、自分を支えてくれているものに感謝することだと思う。

手を合わせて。

手のない女史は、「手を合わせる姿が最も美しい」と言い、娘に手を合わせて祈るよう言って聞かせたと言う。

合わせる手があるのに、私が手を合わせて祈るのは、まずはお賽銭を投げ入れ自分の幸運を願う時ぐらいです。

決して、1番に自分以外の人の幸せを願ったり、感謝するために手を合わせているかというと決してそうではなかったりして、

何だかそういう自分に嫌気がさしているのだと思うんです。

もちろん自分は大事だけど、何よりも自分が生かされていることに感謝することですよね。

「生かされている」ということについては、数年前よりも実感が持てるようになっているように感じています。

そして、感謝して生きていれば、実は苦しいことやつらいことって案外忘れられるようにも感じています。

朝(あした)に礼拝、夕(ゆうべ)に感謝

合掌

たまにクリックよろしく。



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