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Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

谷亮子の「金」

2007-09-18 01:52:17 | ちょっと感動
先日、私は「体育会バレー部出身なんですよぉ」って言ったら、勉強会仲間に驚かれてしまいました。

体育会出身というのは知っていたらしいのですが、こんなチッコイのにバレー部とは・・という驚きだったんでしょうね。

最近は、スポーツからめっきり遠ざかってしまったのですが、スポーツは元来、するのも見るのも好きです。

ただ、できるスポーツに偏りがあるんですけどね。

不本意な成績が続いていた世界柔道の日本チームでしたが、今朝はインターネットのニュースで最後の最後に金メダルの獲得が続いたことを知りうれしく思っていました。

谷(旧:田村)亮子選手は、私の中では、最強アスリートランキング・No.1なんですよね。彼女の試合はテレビでは可能な限り見ています。

最も好きなアスリートなんです。

怪我に見舞われながらも、強靭な精神力で、自らに厳しい練習を課し、常に技を磨き、周囲に感謝を忘れず謙虚で、いかなる時も優勝に照準をあわせている。

そして、何よりも世界のステージで勝ち続けるものが見せる品格にはしびれます。

「谷でも金・ママでも金」

有言実行には、心から敬服ですヨ。

いったい育児中にどうやって、そんなハードトレーニングと家庭のバランスを取っているのか?子供を産んだことないのでわからないのですが、産後の体力の維持なんてどうしてたんでしょう?

謎です・・・

何事も「完遂」する力というか、やっぱり、私の中で最強アスリートですよ。

今回のインタビューは涙でくしゃくしゃでしたネ。
授乳しながら、練習や試合に出ていた時期もあったようですし、本当に平坦な道のりではなかったと思います。

なんだか本当に、女性として、そして成熟しつづける大人の涙をみたような気がしました。

そう考えると、最近自分の見せる涙なんて、自分勝手な涙ばかりですよ。
トホホ・・・

もちろん、練習に専念できる環境がある程度整っているとは言え、渦巻く様々な感情を整理しながら、世界の舞台で「勝ち」に向かっていくのって、やっぱり想像を絶するセルフコントロールがあってのことなのかなぁと思います。

30代のアスリートが面白いのはこういうところでしょうかね・・・・

北京五輪に向かって素晴らしい柔道を見せてほしいです。心から応援します。

本当に優勝おめでとうございます!


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30代のトップアスリート

2007-08-31 10:43:35 | ちょっと感動
8月はスポーツのビックイベントが続き、今も「世界陸上」の真っ只中です。

私たちの小さい頃には、20代の選手が最もカッコよく輝いていた思い出があるのですが、最近は活躍する選手の中に、30代の選手が増えてきました。

私は体育会出身なのですが、年齢と共にパフォーマンスの衰えはあまり感じなかったのですが、4年生の時は1年生の時にはない練習の疲労感があり、だんだんとコンディショニングの重要性を感じていました。

だからこそ、30・40代のトップアスリートの皆様には、本当に敬服いたす次第なんですよね。

プロ野球では、工藤公康投手・桑田真澄投手、サッカーでは三浦知良などの頑張りは、成熟しつづけるメンタルがフィジカル面を支えて続けていて、怪我の怖さやプレー環境を確保する苦悩を伴いながらも、常に試行錯誤と勇敢さによって活躍の場を維持しているし、

フィジカルのパフォーマンスのピークは過ぎているにも関わらず、なぜか先を走っている感じがあって。

次の世代のお手本であり、影響力が大きい。

カリスマですよ・・・

世界陸上では、アクシデントに見舞われ、苦戦している日本ですが、日本の陸上・短距離界のフロントランナーの朝原宣治選手も、この大会に懸けていたものの残念ながら準決勝で去ってしまいました。

マイクを向けられて、必死にこらえた男の涙には、グッと来ました。

アスリートって孤独なものだと思います。

パフォーマンスは誰が出すものでもなく、自分の心身のみ。コーチやトレーナーはいても、自分を鍛錬するも、癒すのも、やはり自分。

十分に練習を積み重ね、勝利を確信し、コンディショニングも上手くいき、万全の状態で臨んでも、スポーツはまさに筋書きのないドラマです。

事前のシナリオどおりに行くのは、勝者のみという厳しい世界です。

それゆえ、家族を初め、支えてくれている人のことを思うと、溢れてくるものもあるのだと思います。

元シンクロナイズドスイミング日本代表の奥野(朝原)史子さんがスタンドから、夫の朝原選手の健闘を称えていました。

わかちあうものも多くある夫婦なんだろうなあと思います。

女子マラソンも日本代表も30代の選手が増え、ミセスの選手も増えました。配偶者の方の理解や支援があってのことと思います。

それぞれが苦難を乗り越えて、自分を伸ばし、自分の意志で走る。

心から彼女たちを応援しています。

ホント、すごいことだと思いません?今日もぽちっとよろしくです。



しかし、50代の村田兆治投手の投げる球はいまだに130km/時・・・かなり尊敬。
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昭和を懐かしむ

2007-08-03 13:06:19 | ちょっと感動
自分の人生はちょうど昭和と平成が半分づつになりました。

偉大な作詞家の方が亡くなられてしまいました。

それにしても、「あの曲も阿久悠さんの曲だったのか、えっこの曲も?」と見入ってしまいますよ。ホントに名曲が多いですよね。いわゆる歌謡曲だけでなく、演歌やアニメソング、それに全国高校サッカーのテーマ曲もそうだったんですね。

すごい・・・

昭和44年生まれの私です。小学校の低学年は「縄跳び」をマイク代わりにして、歌詞の意味も知らずに、学校の廊下でどんだけピンクレディの振り真似をしたことでしょう(笑)

最近の曲はサビの部分ぐらいしか歌えなかったりするのに、昔の曲はフルコーラス歌える曲が何と多いことか。昭和を懐かしむとて、私の場合は、ピンクレディや山口百恵、松田聖子(以降も敬称略)の曲がフルコーラス何も見ないで歌えるような感じです。

今でも、同世代とカラオケに行けばみんなで歌えてしまいますし、やっぱ好きなんですよね・・・。

詞にインパクトがあったり、情景がきちんと思い浮かぶものだったりする曲なんかは今でも歌えちゃったりしますよね。

あの頃の曲って、美しくて強い曲が多かった。

その曲が、ニユーエイジャーに歌いづがれていく為に、今後はもしかしたらカバーアルバムなんかも出るのもありかと期待もしてみます。例え、形は変わっても、歌が世代をつなぐってステキなことだと思います。

ちなみに私が好きな阿久さんの曲を「苦し紛れに選ぶ」なら、こんな感じです。

1.ペッパー警部(ピンクレディ)
2.勝手にしやがれ(沢田研二)
3.舟歌(八代亜紀)
4.北の宿から(都はるみ)
5.また会う日まで(尾崎紀世彦)

と、なります。皆さんはどうですか?

やっぱNo.1は、どうしても、衝撃的な歌詞の意味も知らずに歌っていた童心に帰れるあの曲なんですよね(笑)

作った人は問わず、昭和の思い出を飾るBGMも懐かしむ今日この頃です。



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昨日のあした

2007-02-26 21:26:50 | ちょっと感動
私は、元夫の仕事で6年前まで茨城県のある工業地域に2年間住んでいました。

その前は横浜に住んでいましたので、この町に暮らすことになった時には難儀しました。

まず車がなければどこにも行けなくて、車の事故がとても多くて、海からの風が強烈に強くて・・・と慣れるまでは苦労しました。

仕事は派遣社員として製薬会社でお世話になっていました。

会社の地元の女性の中には溶け込めなかったのですが、配属先の男性の皆さんには本当に良くしていただきました。

今思えば、かなり面白かった・・・・。
同年代の社員の方に人生を語られたり、皆、理想に燃え、熱かったねぇ~。

会社としても素晴らしい理念や戦略、知的財産を持った会社であり、とても勉強になりました。

当時は製薬会社の製造部門で事務仕事をしてました。

とても優秀な方ばかりでしたが、ノリは体育会そのもの。
で、男臭く・汗臭い職場でした・・・(爆)

でも、今思えば本当にユニークな方が多く、慣れない土地での暮らしも仕事をしていることでかなり紛れていて、楽しかったです。

その後、何人かと年賀状やメールをやり取りしているのですが、最近いただいたMさんからのメールに感動しました。

私のブログを読んでいく中で、会社の「お客様ホットライン室(相談室)」の業務を経験する研修に参加したと言うのです。Mさんはお薬を作っていて、お客様・患者様と接することはありません。

ドクター・薬剤師・医療従事者をはじめ、薬局薬店・調剤薬局や一般消費者からの多種多様な追い合わせにお答えするのは研修とてあいまいな回答もできないでしょうから、本当に大変なことだったと思います。

しかし、いただいたメール(本人了承済みで公開)には
「お客様と直接接する事の大切さと喜びを知るのと同時に、社を代表している充実感の心地よさを知りました。」

とありました。

Mさんが、自分から何かを変えたいという思いから、自ら手を挙げて、自分の業務と全く違う研修に参加されたことが、まず素晴らしい。

そして、この会社にこのような研修が用意されていることも素晴らしい。

私は近年、企業において、顧客対応部門の位置づけを高めるために、社外の勉強会で研鑽を積んでいます。

このような研修を通じて、お客様からの相談業務を体験した方々が得た満足感や充実感、そこで働く人への敬意が、本来の部署に戻った後もいつまでも心に残り、そして会社にとってなくてはならない部門として認められる。

そして、そこから発信されるメッセージは会社の経営を動かすものでありたい。

仲間内ではそういう意志を持っていますので、Mさんからのメールはとてもうれしいものでした。

Mさんは、自分を変えたいと思う気持ちで参加されたとのことですが、私はMさんがこの研修に参加すると聞いた時、人は「魂」の望む方向に自然と引き寄せられるのだなあと感じていました。

そして、

Mさんのメールは
「私が何気なく過ごしている今日という日は、昨日亡くなった人が痛切に生きたいと願った一日である」

と締めくくられていました。

偶然ですが、2人とも似たような言葉を大事にしていることがわかりました。

そして、返信した私のメールには
「私が空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日。」

むなしく生きた日は遠くに忘れ去られ、新しく自分で決断しながら生きていく勇気を手にしてやがて1年半の月日が流れようとしている私です。

この言葉を改めて読み直すと、ずっしりとした重みに身が引き締まると同時に、涙がこみ上げてきます。

そして、むなしくはない代わりに、ここ数ヶ月の苦渋に満ちた日が、例え、どんな1日であってもありがたく思えて、愛おしく思えてきます。

渦中にいる時は、全然この言葉の力を借りることができませんでしたね。

そんなことを引越しの準備をしながら、考え、そしていい切り替えができることをうれしく思うMさんからのメールでした。

Mさんとお仕事をしたのはわずかに1年間でした。でも、こうしてブログを通じて親交を深められていることを心からうれしく思います。

縁とは本当にありがたいものです。

皆さんのクリックもありがたいものです。

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ストリートライブにて

2006-12-06 22:15:27 | ちょっと感動
路上で明日を夢見るミュージシャンが演奏をする光景は都内に限らずいたるところで見られる光景です。

メジャーデビューしているかしていないか?、インディーズではそこそこ人気があるのかないのか?などは詳しくわからないけど、時々「なんかいいかも・・・」とか「面白い楽器で演奏しているなあ」とか思い、1・2分立ち止まって耳を傾けることもあったのですが、今日は、何分くらい聞いてましたかねぇ・・・

御茶ノ水駅で乗り換える千代田線の入り口で、ケニー・Gのコピーバンドなのかなぁと思って聴いていました。すでに軽く人の輪ができていたものの、私もしばらくいつもどおり1・2分聴いて立ち去るつもりでした。

しかし、なぜかいつまでもその場を離れることができない。

それどころか、なぜかウルルンなのですよ。

目尻にぬぐわないといけない涙が、溢れてきて、私だけかと思いきや、前の人の横顔も気づかれたくなさそうに指先がそっと目尻に向かっていました。

サックスのような管楽器だとはわかったのですが、かなり細身で高音なその楽器が、ソプラノサックスかと気づくのには少し時間がかかりました。

狂おしく激しい感情の昂りや、安らかに波打つ心の音のようなものを奏でているようなサックスが、何だかストレスに満ちて「病みそう」とか思っていた私の琴線に触れてしまいましたよ。

演奏が終わり、列に並んでCDを買ってしまいました・・・。

メジャーと呼ぶにはあともう少しというところなのでしょうか?私は知らなかったのですが、海外でもデビューを果たしているようでCDも何枚かリリースしているようでございます。

ジャンルとしてはジャズのようなんですが、すごく聴きやすくて、眠る前に聞いたらかなり癒されそうな感じです。

偶然、道端でこんな音楽に出会えるなんて、幸運な日だったのかもしれません。最近、体調もあまり良くなかったので、これで一気にいいホルモンを分泌させたいと思います。

「jaja」皆さんは知ってましたか?
しかし、年間300日ライブって凄いことのように思うのですが・・・

jaja
jaja
HoriPro Inc, Music Garden

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世界バレー(男子)

2006-12-03 23:50:27 | ちょっと感動
男子の試合も終わりました。今日は、仕事もそこそこ早く上がり、久しぶりに途中からゲームを見ることができました。

男子が念願のベスト8に入り、復活の兆しが見えてきたことをファンは本当にうれしく思ったことと思います。私もチュニジア戦の植田監督の涙、選手への愛情にもらい泣きしそうでしたから。監督も、己へのプレッシャーがほんの少し解けた瞬間だったかもしれません。

また、私がすごいなあと思ったのは、チーム最年長の36歳の荻野選手の活躍でした。

私が高校生の時、隣の県に何やらすごい選手がいるということで荻野選手のことは知っていましたが、こんなに息の長いアスリートになり、チームを引っ張る選手になるとは予想もしませんでした。

この試合が全日本は最後になるかもしれないという気持ちでプレイしていたと思うのですが、負けはしたものの今日もスーパーエースの山本選手に次ぐ得点力で大活躍でしたから、これが最後だなんてことはないように感じています。

荻野選手ほどゲーム中にメンバーと抱きあって喜びをわかちあっている選手は他にいないかもしれません。試合中もよく若手に声をかけ、会話をし、タイムアウトの間は監督の指示もじっくり聞き、咀嚼し、若手を浮き足立たせることなく、引っ張っていく、兄のような優しい姿が印象的でした。

今の選手たちは、海外の長身の選手とある程度、互角に戦える高さやスピードを持っていますし、ゴッツ石島選手をはじめ、真っ向勝負を挑む元気な選手もいます。

一方、荻野選手のプレーはどことなく懐かしい感じがします。今のチームの中ではやはりバレーを良く知ったうま味のあるプレーが光ります。ブロックアウトを狙ったり、ブロックに吸い込ませたりといったそういうプレーであげる得点が若手より多いと思います。

また、レシーブはどんなボールに対しても形は美しいし、誠実です。ケガを克服し、長い選手生活を積み重ねてきた「ひたむき」で完成された姿に感動します。自分が失敗した時は、周囲によく謝っている姿も昔から変わらないなあと思いました。

私と同じ年で世界レベルで活躍するって想像を絶しますよ・・・。驚愕です。

正直言って、けがへの恐怖や、治りも遅くなり、体もきついのが本音だと思います。そういう現実をカバーし、体をメンテナンスし、現役を続けていけることに対して本当に尊敬します。

確かに唯一オリンピックを知るメンバーとして、最年長選手として、チームの中では精神的な支えになってはいると思いますが、「1人のプレイヤーとして認められたい」、そう言って、大ベテランは、いつも最後まで残って練習するそうです。

荻野選手と植田監督が同じ全日本チームで、同じユニフォームで闘っていた頃の記憶がおぼろげにあります。19歳で全日本チームに選ばれた頃からいろんな選手が引退をする姿を見送ったことと思います。

荻野選手には可能な限り現役で頑張ってほしいです。
そして、本当にお疲れさまでした。

そして、Vリーグの季節を迎えます。
今年は、スケジュールが合えば、久しぶりにバレーを見に行ってみようかな?

皆さんにとってはどんな世界バレーでしたか?




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明治神宮にて

2006-11-24 00:10:44 | ちょっと感動

今日は、明治神宮・表参道と歩いて移動しましたが、結婚式が多かったですね。何組もの新郎新婦を見ました。一緒に歩いていた19歳の彼女もちょっと興味津々でした。やっぱり女の子ですね・・・

彼女は、友達同士で原宿に来ることはあっても、さすがに明治神宮には行かんだろ?ってことで、これを機会に参拝をしました(させました)。

二礼二拍一礼と、彼女は何を祈ったかわかりませんが、しばし2人で手を合わせました。

明治神宮のおみくじは吉凶を占うものではないので、おみくじをひいてみようということになり、ひいてみました。

「大御心(おおみごころ)」という、明治天皇と皇后様の和歌がおみくじとなっていますが、実は、インターネットでもおみくじをひけるんですよね。

全ての種類を味わいたい気分になりました。

遠方でおみくじをひくことができない方や、お正月まで待てないあなた(?)にもいかがかと思いました。
こちらをどうぞ

ちょっと興味深かったという方はぽちっとよろしく



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成長のスピード

2006-11-23 23:36:18 | ちょっと感動
私が元夫の仕事の都合で、ある石油コンビナートの町に住んでいた時、中学生の家庭教師をしていました。

その時、中学2年生だったある女の子が東京の専門学校に進学し、遊びに行こうよとメールをもらっていたのですが、ずっと会えずじまいのままでした。

私は、昨日・今日と連休で、今日、彼女と渋谷で待ち合わせをし、昼ご飯を食べ、明治神宮を経由して原宿、表参道と歩きながら、彼女とたくさん話をしました。

彼女と初めて会った時、彼女は13才でした。早生まれで、体が小さくて、第一印象は「小鹿みたい」

そんな彼女が、保育士になりたいということで東京で寮生活を送りながら学校に通っていて、友達のことや恋愛のことなど結構マメにメールしてきていて19歳の彼女なりの悩みは感じていました。

私が知っている彼女は、末っ子で言葉があまり多くない子だったのに、今日は私がずっと聞き役でした。

話の中心は悩みというより、彼女の不満について。授業中の他の生徒の態度のことや、やる気のない先生の授業や不甲斐ない男子生徒の話とか・・・・

君はいつからそんなにCP(支配的な親)が強い子になったのだ・・・・

正義感と怒りのエネルギーなどそんな激しさをいつの間に蓄えてきたのかちょっと驚き。

でも、話がぐるぐる同じところを回るのよね・・・

あら、私の受け止め方が弱いのかしら・・・。
(産業カウンセラーの試験も年明けにあることだし、傾聴の練習のいい機会かも・・・)

彼女が憤りを感じていることの本質的な部分というのは、実は今も昔もあまり変わらなくて「あぁわかるよぉ、言ってること」って感じることが多かったです。

あんなに弱々しい小鹿のようだった彼女の、ある種の「あるべき論」には、ちょっと感心したりもしました。

しかし、その一方で何か強く囚われていることもあるようで、今後どんな風に非合理的にも飛び出す「あるべき論」を強化していくのかと余計な心配をしてしまいました。

親元から離れて暮らすようになり、親のありがたみを知り、また来年定年になる親に負担をかけまいと自分の将来をきちんと考えるようになって、今年敗退した保育士の試験に合格する為には、どんな風に勉強したらいいのかなどそんな話などもしているうちに日が暮れてしまいました。

出会ってから6年間。いっちょ前に化粧も覚え、車の免許も取って、来年は成人式。男の子から告白されただのなんだの話もうれしそうにするあたりはまだまだ子供っぽいんですけど。

でも彼女なりに、自分のことは自分で考えていて、心のどこかで子ども扱いしていた私の成長のスピードよりも彼女の成長のスピードの方が速いことに気づくのに時間がかかりました(苦笑)。

彼女が帰る実家のある町にはニートが多いそうです。今はまだ就職の決まっていない彼女は私はそうはならないと高らかに宣言していました。

あまり器用ではないものの、自分で考え自分で何かしようという力は持っているようですので初志貫徹することを期待しています。

それにしても「先生は何歳で結婚したの?」とか「何人ぐらい男の人とつきあったの?」などの類の質問は女の子の大きな感心事なんですよねぇ~。

最近、記憶があいまいになりつつあり、恋愛についての彼女からの相談には、曖昧な回答が多かった私です。

彼女の方が恋愛にはポリシーがあってちょっと圧倒され気味でございました・・・(苦笑)

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ヒューレックな人たち(二)

2006-11-23 10:05:49 | ちょっと感動
昨日は私の交流分析の恩師の金井省吾先生のお誕生日であり、お祝いの会に同席させていただきました。

お誕生会と言っても、金井先生がこの日を迎えることができたことを、ご自身が感謝する会という意味合いが強く、奥様の心のこもった素晴らしいお料理とともに、各方面でご活躍の素晴らしいゲストから骨の太いお話をたくさん聞くことができました。

ヒューレック研究会と通じて、私は交流分析を学び、手作りのミュージカルに参加することによって、さまざまな自己啓発ができたと思っています。この2年ほど私が健康で健全でいられるのは、ヒューレック研究会の皆さんのおかげです。

私にとってのヒューレック研究会は「大人の学校」です。それはそこに行けば、人生のあらゆる経験をした大先輩がいて、自分の迷いや悩みが多くの場合、払拭でき、その上でどんな風に生きていけばよいのか、未来予想図的なものを見ることができるからです。

私にとって「大人の学校」であるヒューレック研究会ですが、実はゆりかごから墓場までその活動は幅広く、子育て支援や子供の創造力開発教育など、人生の初期の段階をいかに過ごすかによってその後の人生をよりよく生きることができるかというような人づくりにも非常に力を入れています。

そのひとつが「エジソン・アインシュタインクラブ」という子供の創造力開発の取り組みです。

この活動は正直、話を聞くだけも感動的な活動です。その場にご一緒したことがない私がうわべだけで語ることが恐れ多い活動である為、HPを参照してご理解をいただくのがベストだと思います。⇒こちら

私たちの世代は、「自分のことで精一杯世代」で、会社での問題、自分の人生の問題をどう解決するかで煮詰まってしまうことがまだまだ多いです。

しかし、ヒューレックに来ると、それが多少小さな問題のように見えてくるのは、この定年退職後をよりよく創造的に生きている皆さんの、「ピグマリオンの心」に軸足を置いた愛情に溢れたエネルギーのためです。

実際は、異年齢の人が学べる場所でありながら、私が「大人の学校」と感じるのは、社会の中で十分な大人となった今、どんな生き方があるのかということを背中で教えてくれる「質の高い生きた教材」があまりにも強烈で鮮明だからだと思います。

もうすぐ団塊の世代が定年退職の時期を迎えます。

その後の人生の過ごし方はいろいろだと思いますが、その世代の方の参画がもっと増えれば、ヒューレック研究会もさらにパワーアップしそうです。そして、団塊世代の棚橋正光会長の「熱さ」で、さらにヒューレック研究会が「異能・異年齢」集団として社会貢献活動の輝きが増すことと思います。

そのような場に出会えてよかったと改めて感謝した一日でした。

何か感じることがあったらぽちっとお願いします。



ヒューレックな人たち(一)もあります。⇒こちら
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世界バレー(女子)

2006-11-18 23:30:08 | ちょっと感動
木曜日に終わった女子バレーに続き男子バレーが始まりました。

女子バレーは6位に終わり、本当に世界の壁は厚いですね・・・・

私が小学生の頃は、江上、三屋を中心に日本がメダルを首から掛ける時代でした。その頃は、イタリアやキューバ、ブラジルなどが上位にランクされる時代ではなかったのに、今ではフィジカル面で優れた国々が「力」で日本を圧倒するようになりました。

小柄だった日本チームも、180cmを超える大型選手が中心になり、センター攻撃などは数年前に比べれば本当に多彩で安定したプレーを見せてくれるようになりましたし、ウイングのスパイカーも決して大きくないけど素晴らしくキレのあるスパイクを打つ選手が何人もいます。

でも「大砲」と呼ばれる選手は、他の国と比べるといないと言ってもいいかもしれません。

限られたリソースを活かす世界最小セッターの竹下選手は、世界バレーのMVPとなりました。メダルを取っている国ではないのに快挙ですよ!

しかし、攻撃陣は個人賞に程遠く、日本がメダルを取るには、一人ひとりがもっと得点力を上げれるようになるか、怪我に強い大砲と呼べるスーパースターの台頭が待たれます。

バレーボールは怪我が多いスポーツだと思います。
足首・膝・腰・肩・・・・・

選手にテーピングをしたりマッサージやストレッチに手を貸す見覚えある姿、バルセロナ五輪で代表選手として活躍した元ユニチカの中村和美マネージャーですね。

彼女は私の大学時代の同級生の妹なんです。今は富山大学を休学しながら、チームに参画しています。中田・大林・益子などが華々しくテレビに映る一方で、彼女はもっと選手に近いところを選んでバレーと関わっていることを何だかうれしく感じます。

柳本監督は、現役時代、全日本では天才セッターと呼ばれた故:猫田勝敏氏の控え選手でした。しかし、監督として世界と戦う名将になりました。そして、猫田氏と人間的に重なる部分の多い、今大会でMVPにもなった竹下選手を中心に本当に良くまとまったチームを作りました。

日本のお家芸であった女子バレーが初めてシドニー五輪の出場権を逸したそのゲームに、竹下・高橋・杉山などの姿がありました。忘れもしない、クロアチアとの試合でした。それはサッカーで言うところの「ドーハの悲劇」並みの事件でした。

バレーを辞めようと思った彼女たちが、紆余曲折を経て、自分を磨き今もコートに立っています。

柳本監督・竹下キャプテンを中心に良くまとまったチームがなかなか勝てないのは本当にもどかしいことですが、勝ちにこだわり、怪我を抱えながらもひたむきなプレイで私たちを感動させてくれていて、ファンとしては充分です。

今の全日本女子チームはこの長丁場をよく闘ったのではないかと思います。まだまだ力を出せばすごいことになる若い選手も多いですし、ベテランは体を大事にして、北京に向けて頑張ってほしいです。

筋書きのないスポーツのゲームを見ている時は、勝利を念じることだけで、他の何もかも忘れることができ、すっかり気分もリフレッシュできます。

男子の試合も楽しみにしています。

バレーは他のスポーツと違う観戦の楽しみがあるもの・・・
じゃない??何か感じることがあればぽちっとお願いします。



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偶然の幸運

2006-11-01 12:18:29 | ちょっと感動
最近、ブログの方は、比較的マメに書いているのですが、なぜかというと実はワタクシ、有給消化期間でもあり転職活動期間だったんです。

転職って、はるさん、2月にしたばかりでしょっ(呆)

そうですよ・・・・

だから、辞めるって決めるの大変だったんですから。

で、辞めるって決めてからも大変だったんですから。

いかんせん、新卒で入社したのはまだ「バブル末期」でしたから、何ら苦労をしませんでしたから、今回の転職活動では本当に自分の「打たれ弱さ」を実感しました。

振り返りますと・・・

7月の末から人材紹介会社(エージェント)を回り始め、8月末に退職の意思を伝えました。9月は睡眠障害と闘いながら、エージェントを回り、応募を繰り返しました。

9月は、腰痛に見舞われ、ひったくり事故にあったりした頃、書類選考で惨敗し続け、本当に引きこもりたい気分でした。

でも、自分で決めたことでしたから、とにかくゆっくりでもいいので自分で前に進むしかないと自分をなだめる日々でした。

職務経歴書は応募先の企業にあわせて14社書き直しました。自分ができること、してきたことの棚卸しは何度もしました。

結婚して転居をして、一旦、正社員としての勤務から離れると、職務経歴上、正社員としてやり直すのはやはり困難を伴います。そして、35歳を過ぎると、転職は人脈だと聞いていましたので、10月末まで在籍していた前の会社は人脈により「紹介」ですんなり入社してしまいました。

で、8ヶ月間で退職するわけですから、完全な「キャリアジプシー」ですよ・・・。

絶望的転職活動の幕開け・・・

でも、はるさん、自分で決めたことですから、「落とし前」は自分でつけてくださいよ・・・

それを、何とか覆して、企業側から「会いたい!」と思ってもらえる職務経歴書に書き直していくか、あるエージェントの男性のキャリアコンサルタント(ちょっと凄腕系)に徹底して書き直しを命じられ、そのエージェントから応募した企業で初めて内定をいただきました。

1つ内定が出た後、心身が疲弊していたため、「もう、その会社でいいんじゃないか?」と易きに流れそうになったのですが、別のエージェントのまだ若い女性キャリアコンサルタントの方から「その会社は、おすすめできない」と言われ、後日、彼女からある会社の紹介を受け応募をしました。

「おすすめできない理由」は私もわかっていて、彼女とは意見は一致していました。そして何よりも「自分らしくない」と思っていたので、待遇面にかなり魅力を感じましたが、内定後の次のステップには二の足を踏んでいました。

次も決まらない中で、いただいた内定を手放すことには不安がいっぱいでした。

でも、ちょっと待って・・・
どうせ行かないんだったら、不要にキープしておくのって不誠実だよね。

ご辞退申し上げました。
理由:「よく考えてみて、自分らしくないと感じました」

だったら応募するなって、怒られソ・・・・

しかし、凄腕コンサルタントは意外にもさわやかに快諾でした。
「可能性を追求することは悪いことではありませんので」と。

あぁー、もぉー、長期戦覚悟よーーー(絶叫)

で、結局、後から紹介された企業というのは、扱っている主力商品に私が愛着を持っていて、また完全ではないまでも、私が積み重ねていたものが要件的にそれなりに合致し、採用を急いでいたこともあり、応募から10日ほどで入社が決まってしまいました。

手放すことで得られた幸運・・・

その幸運がもたらされたのは、若き女性キャリアコンサルタントの方がその会社の求人案件にタイムリーに反応してすぐに連絡してくれたからです。

針の先で刺すように、私の判断の隙間に入り込んできた瞬間を、今でも鮮明に覚えています。

幸運との出会いは偶然・・・

でも、気づかなくて見逃すことだってあるかもしれない・・・

彼女は、若いのですが、私の仕事の足場である「コールセンター」の業務に明るく、誠実で聡明でそして業務に忠実で、また私のこれまでの仕事を最も理解したコンサルタントだったと思います。

本当に一緒に頑張ってくれましたね・・・
本当にお世話になりました。

人材を介した「ビジネス」ではありますが、私は他のエージェントのコンサルタントとは違う彼女の何かに何度も胸を打たれる思いがしました。

今回の転職活動では、本当にたくさんのことを学び、感じ、自分と戦い、自分を生かし、人の情けに触れ、ようやく終焉を迎えようとしています。

苦しいことの方が多かったのですが、交流分析で学んだことを実践することを心がけてきたことで、交流分析もすこし深く理解できるようになったかもしれません。

登録エージェント7社:応募企業14社うち内定:3社、1次通過後辞退:2社、書類選考NG:9社・・・・

決して、誇れるような結果ではありません。しかし、ありがたいことに辞退した会社から再オファーもありました。

人材ビジネスで、取引されるのは、様々な経歴・スキル、いろんな理由や感情を抱えた「人間」です。いろんな泣き笑いがあってしかるべきです。

コンサルタントの皆様も、売上目標を持たされている訳ですからいろんな思いも渦巻くでしょう・・・・

最終的に待遇面では、伸び悩んだ感はあるのですが、何とか頑張れそうな感じでもあります。

でも、自分と未来は変えられることを確信し、自分を誉めてあげます。
私は、そろそろOKかもしれません・・・

それにしても激しい人ね、あなたって(苦笑)
さあ、今度こそ、頑張りましょう!と応援してくださる方は今日もぽちっとお願いします。



通信販売の企画室にてお客様の声を生かす、まさに消費生活アドバイザーとしての喜び・・(涙)

明日から、新しい生活が始まります!
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音楽を味わう

2006-10-29 12:31:46 | ちょっと感動
昨日は、昼から11月に企画しているある小さなイベントの打ち合わせの為、六本木に向かい、終わった後、溜池山王までゆるゆる歩き、サントリーホールに向かいました。

サントリーホール?

役割として「飛んだり跳ねたり担当」(笑)の私にはあまりご縁のなかったところですが、東京交響楽団の定期公演をゆったりと堪能して参りました。

行けなくなってしまったので、お譲りいただいたチケットの座席を見て驚愕!

S席:7000円!?

どんな席なんですか?そのようなたしなみのない私には見当がつきません・・・

一緒に行ったMさんは音楽のわかる女性だったのですが、「すごい!」と感激のお席での鑑賞でした。

あー、ありがたいことです・・・・

梯剛之という名を見て、最初はピンと来なかった私ですが、彼が盲目のピアニストとしてTBSの「情熱大陸」という私の大好きな番組で何年か前に紹介されていたことをすぐに思い出しました。

いくら私がクラッシックに明るくないとは言え、シビレましたよ・・・

鍵盤上を指がどんな速さで動いているのか、学生時代に必須で伴奏音楽という教科があり、なぜか徹夜で、しかもジャージでダウンジャケットを着込み、ピアノを練習していた私には、皆目見当がつきません・・・

しかし、盲目がゆえ、指揮者が見えない中で、管弦楽団とコラボレーションする訳で、そのピーンと張り詰めた中で繰り出される渾身のピアノの音色と、彼と共に音楽を愛する楽団の皆様の思いと素晴らしい技術に私は心を動かされてしまいました。

席が素晴らしく良かったこともあり、右側面から見ると、若き指揮者の個性的な動き、うねるように動く管弦楽奏者の皆さんのえもいわれぬ一体感などの全景を観賞できて、単なる音楽鑑賞にとどまらず、私なりの味わいを深くしたのだと思います。

初心者なりの感動を大切にし、あまり縁がないと思っていた芸術世界に出会えたことに感謝したいと思います。

今年は、「ライブ」に触れる機会が昨年以上に多くて、ジャンルや形態はあまりこだわらずに、こういう時間はもっと増やしていきたいと思っています。

ん、自分なりの感じ方を大切にしよう!

それは、はるさんよかったねぇ~。そうやって自分を豊かにするがよい!
と、応援して下さる方は今日もぽちっとお願いします。


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惜しみない教え

2006-10-22 21:53:19 | ちょっと感動
交流分析の学びをきっかけに、先生が「父と同じ世代」というケースが増えてきました。

私が交流分析を教わる金井省吾先生もそうだし、先日受講してきた交流分析講座でもそうだし、先日もヒューレック研究会の創造力開発についての講座をご指導いただいた田子島一郎先生も金井先生と同級生。

私は新卒(バブル終期)以来、サービス業「ひとすじ」です。若い産業では、役員の中に一部銀行出身の方には「父と同じ世代」の方はいたかもしれません。

しかし、仕事で直接指導されたこともなく、実家を離れ、親戚などともほとんど関わりがなく、私にはその世代の方々は遠い存在でした。

父の世代というのは、高度経済成長期をぐいぐい牽引し、団塊の世代をバシバシ引っ張られてきた世代で、今の豊かな日本を築き上げてきた世代には間違いないのですが、私は、先生方の定年前の活躍を残念ながら知っている訳ではありません。

知っているのは、志高く、そして自分の重ねてきた経験や知恵を惜しみなく、分け与えてくださる先生方の「今の姿」だけです。

その姿は、若々しく、健康を維持する努力を怠らず、今もなお青春謳歌モード♪

そして、私の先生方の話は、もう爆発的に愉快で爽快なんです・・・。

お酒が入るとさらに倍増、溢れる知性から投げ出される変化球に、私は翻弄され、何度となく腸捻転を起こしそうになりました(笑)

この秋、旧制高校の寮歌には、今もなお愛好家が多いと知り、「一高寮歌」を歌う経験をしました。おかげさまで私は、新橋のお父さんの中にまぎれても一緒に「一高寮歌」が歌えるんですぅ。

ちょっと控えめに微妙な自慢・・・

私の母校の前身も旧制高校でしたので「寮歌」がありました。学科をあげての飲み会(新歓・追コン)では、寮歌を歌いましたが、私はいつも「クチパク」でした。

その誇り高く美しい歌詞とメロディを、思い出そうと試みるも、未だ私の中では再現できないことを、とても残念に思います。

「一高寮歌」を教わった戸塚先生は陸軍士官学校出身の戦中派でした。モダンで、若々しく、高らかな歌声には本当に魅了されました。

いまだ雑誌の中から抜け出せない「ちょい悪オヤジ」が、何だかしょぼく見えてきましたよ・・・(悲)

変わりゆく時代の中で、古き良きものを守り、新しさに対応しながら磨きぬかれた彼らの価値観や美学のようなものが、私がこれから大切にしていきたい価値観や新しい人生の目標を再考するきっかけとなりました。

世代を超えて譲り受けることができることをありがたく感じています。

男前はお豆腐だけじゃないよ~。男前な戦中(後)派に教わるはるさんが羨ましい!という方、またご本人も「いやいや~」とご謙遜なさらずに、クリックお願いします。


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男気のある豆腐

2006-10-20 19:02:38 | ちょっと感動
だいたい、私はあまり自分の内面に向かい合うのは得意ではありません。
なので内面ワークが続くと、いとも容易に疲れます・・・

最近、とてもうれしいことがありましたので、聞いてほしいなぁと思って。
近所のスーパーで待望のあの豆腐が売られることになったのです。

男前豆腐・・・・

三和豆友食品株式会社が製造しているお豆腐でございます。

もともと「おたま豆腐」という名称で売られている、その会社のお豆腐は買っていたのですが、ついに他のアイテムも近所で買えることになるなんて、すごいうれしいです!

ご存知の方も多数いらっしゃるかと思うのですが、このお豆腐、普通の充填豆腐と何もかもが違うのですよ。

春先に「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」を初めて見た時は度肝を抜きました。

ジョニーは300円で量が多くて1人暮らしの私には少し食べにくいのですが、個人的には「湯豆腐野郎」を電子レンジでチンとして、ポン酢か、塩で食べる時がワタクシの至福のひと時なのです。

あぁ~、庶民的喜び・・・(涙)

豆腐メーカー3代目社長の本業を守りながらも大胆でユニーク、そして男気溢れる事業継承にもちょっと感動します。

メーカーのホームページは、見ることができませんでした。
ちょっと関心のある方は→こちらからどうぞ

書店で立ち読みした本も、横浜銀蝿がブレイクした時代に育った私には何だかガツンと来ました。

私が恋焦がれる「男気溢れるお豆腐」でした。

「お豆腐ワールドが広がったわぁ」という方はぷちっとクリックお願いします。



風に吹かれて豆腐屋ジョニー―実録男前豆腐店ストーリー

講談社

このアイテムの詳細を見る
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グラミン銀行

2006-10-15 12:09:53 | ちょっと感動
ブログで扱う記事はテーマ性を持ちたいと思っており、あまり時事ネタは書かないつもりでいました。

でも書きたいと思う衝動に駆られました。

ユヌス総裁が竹細工を作る女性たちに、ポケットマネーで無担保・無利子で融資を始めたことがきっかけになり、広がりを見せたマイクロクレジットというグラミン銀行の金融モデル。1970年代に南アジア発、で中東・アフリカに広がり、その他の金融サービスに発展しました。わかりやすいこんなお話も⇒こちらをどうぞ!

今年のノーベル平和賞は、ユヌス総裁とグラミン銀行に贈られました。

慈善や援助に頼らず、経済的な自立を望む人に無担保で少額の資金を貸し付けるグラミン銀行では貸し倒れの懸念に反し、98%の資金の回収率だそうです。

日本では、上場している消費者金融会社でさえ、借り手に、生命保険に加入させて貸し倒れのリスクに備え、利息制限法と出資法に守られた貸し出しの際の高い制限利率を当面保持し、金融機関を保護しようという政治家がいる現状とは、うーん、大きな違いがありますね・・・

借りたお金が返せずに、強烈な取立てを苦にし、命を絶ってしまう悲惨な事件や、巧みで詐欺的な手法に巻き込まれ、身に覚えのないお金まで払ってしまう人が後を絶たない日本です。

物質的な豊かさに慣れてしまった日本ですが、貸し手の意識も、借り手の意識も当然バングラデシュとは異なって仕方ないとあきらめる訳にもいかず、消費者団体や行政が金融消費者を地道に啓発・教育する、志の高い司法家が貸し手の金融業者や行政に働きかけをしていくなどの仕掛けはありますが、借りた本人のエネルギーは低空飛行のような・・・

それはさておき、あと自分はさておき、女性は本来すごい力を持っています。

子供を産み育てていかなければならない母としての強さ、家庭を守り、もちろん豊かになりたいという願い、生活の中で、昨日よりもよいものを常に何か作りたいという思いと創造性に溢れ、そして何よりも若く、美しくありたいと思う気持ちは男性より上回っているはずです。

飢えと闘う国・・・・
生命をこの世に創造した女性がそう簡単に死ねるはずがないし、死なせたいはずがない。

生きたい、生かしたい。

まだまだもっとたくさんの力に溢れています。

その思い・願いを叶えるには経済的な自立・自律は大切なファクターです。

ユヌス総裁は6ドルのお金を貸すことを自分から選び、相手を信頼し、何よりも自立を期待する心を一貫し、借りる側の女性の「明日を変えたい」という意志、夢、希望も、双方の「返済できるか?」という一抹の不安など一掃するものであったと思います。必ず戻ってくる資金・・・・

発展途中の国の、このような力に溢れた姿には、日本が戦後急速に発展を遂げたスピードと比べれば少し緩やかなスピードかもしれないけれど、ずっと続く発展を遂げていく力を感じます。もちろん「構造上の問題」から未だ貧困から抜け出せない国や地域だって残されているとは思いますが。

今は手工業、軽工業で少量生産しかできていない状況かもしれません。でも息切れしそうな中で、別の使命を持った日本から見れば、戦後ある程度豊かな中で育った私たちには新鮮で、すごいエネルギーに溢れています。

個人的には、フェアトレードのような形で、いいなと思うものを買い求めたりはしてきましたが、心のどこかで、先進国に暮らす1人として「支援」しているという気持ちがぬぐえませんでした。

しかし、今、手元にある彼女たちが作ったものを見直すと、その商品ひとつひとつから強いエネルギーを感じ、そういうものが私をひきつけ、また勇気付けられていることに気づきます。

核兵器を振りかざし、経済支援を乞う国がある一方で、同じアジアの国からこのような金融モデルがさらに広がりを見せていることに感動しました。

「ノーベル賞はグラミン銀行を成功に導いたすべての女性のものだ」

胸を打つ言葉ですね。

女性は強く美しく、そして優しく・・・・。

そんなことを感じています。

一緒に同じことでも、別のことでも何か感じることがあったら、ぽちっとひと押しお願いします。

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一人で抱えているお悩みをアクションラーニングで解決!

2012年の6月からアクションラーニングのコーチとして活動しています。アクションラーニングとは⇒コチラ
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