映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

キャロル

2016年03月01日 | 洋画(16年)
 『キャロル』を吉祥寺プラザで見ました。

(1)本作の主演のケイト・ブランシェットがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされているというので映画館に行ってみました。

 本作(注1)の冒頭の時点は1952年。まず地下鉄の走る音に続いて駅で停車する音が聞こえた後、ジャックトレント・ローランド)が「レキシントン街/59丁目駅」を出て外の街路を歩き、スタンドで新聞を買い、それを手に持ちながら、ホテル(注2)に入っていきます。
 バーに少し立ち寄った後、電話をかけにラウンジの方に行く途中で、ジャックは、二人の女性が熱心に話しているのを見かけます。
 ジャックはそのうちの一人を知っていたので、「テレーズ、君か。驚いたな」と声をかけます。
 テレーズルーニー・マーラ)は立ち上がって、「ジャック、こちらはキャロル」と、同じテーブルに座っていたもう一人の女性(ケイト・ブランシェット)を紹介します。
 ジャックは、キャロルと握手した後、「テッドとここで落ち合った後、フィルのパーティーに行くけど、君は?」とテレーズに尋ねます。
 テレーズが、「そのつもりだったけど」と言ってキャロルの顔を見ると、キャロルは「行けばいいわ。私も予定があるから」と言います。
 テレーズは「本当?」と訝しがりますが、キャロルが「もちろん」と答えるので、テレーズは「じゃあ、車に乗せてもらえる?」とジャックに尋ねます。
 ジャックは、「かまわないよ」と答え、さらに「テッドがこちらに向かっているか確かめてくる」と言って、席を立ちます(注3)。

 場面は変わって、タクシーの中に座るテレーズ。彼女は、雨の中を歩く女性を見かけますが、そこから、彼女が働くデパートの売り場でキャロルを見かけた時のことを思い出します。

 次の場面では、ベルの音で起きたテレーズが、窓から下を見ると、自転車に乗ったリチャードジェイク・レイシー)が「朝なのにとても綺麗だ」と下から叫びます。

 こうして、テレーズは、リチャードの自転車に乗って勤め先のデパートに行き、おもちゃを売る売り場で働きます。
 クリスマスを控えているため、売り場は子供連れの客が大勢来ていますが、そんな中に、テレーズはキャロルを見出すのです。



 さあ、これから二人の関係はどのように展開していくのでしょうか、………?

 本作では、1950年代のニューヨークを舞台にして、二人の女性の同性愛を巡る話が描かれています。同性愛物というとキワモノ扱いされてしまいますが、本作は、そんなことよりなにより、主演のケイト・ブランシェットの美しさと演技の素晴らしさに約2時間浸りきってしまいます。

(2)女性同士の愛を描いたものとしては、最近では、例えば、『マルガリータで乾杯を!』(ライラとハサム)、『彼は秘密の女ともだち』(クレールとローラ)、それに『アデル、ブルーは熱い色』(アデルとエマ)が思いつきます。
 ただ、この中で、『彼は秘密の女ともだち』の場合、クレールとローラは幼友達であって、深い友情に支えられている関係だとしても、同性愛の段階にまで行っているとは思えません(それぞれ異性と結婚しました)。
 また、『マルガリータで乾杯を!』の場合、主人公のライラ(脳性麻痺の障害者)は、確かにハサムと性的な関係を持ち同棲生活を営むとはいえ、男子学生とも性的関係を持つバイセクシャルでもあります。

 本作と状況が類似するのは『アデル、ブルーは熱い色』かもしれません。
 なにしろ、本作で、テレーズがデパートの売り場でキャロットを見出したように、同作においても、街を歩いているローラをアデルが見出します。
 それに、両作とも、女性的役割の立場にあるように見える方(テレーズとアデル)が、男性的役割の立場にあるように見える方(キャロットとエマ)よりも、関係に積極的な感じがしますし、また両作とも、後者の方から関係の清算が切りだされます(注4)。

 それでも、本作では、別居中の夫・ハージカイル・チャンドラー)がキャロルに元の鞘に戻るようにしつこく迫りますし(注5)、またテレーズにも、リチャードが強く結婚を迫ったり、またニューヨーク・タイムズの記者のダニージョン・マガロ)もテレーズにキスをしたりして、二人の女性の周りの男性が何人も描かれます。他方、『アデル、ブルーは熱い色』では、無論男性は登場するとはいえ、それほど重要な役割をはたすわけではないように思います。

 それに何よりも、『アデル、ブルーは熱い色』はアデルとエマの性的行為を美しく画面に映し出すことにかなりのウエイトを置いているのに対し、本作でもそういったシーンは描かれているものの、むしろキャロットとテレーズのそれぞれが醸し出す雰囲気の方を見る者に伝えようとしているように思えました。

 特に、毛皮を着込んだ豪奢なキャロルが歩く姿はとても美しく見応えがあって、同性愛を巡る様々な人間との煩わしい関係など、見る者にとってそのウエイトがずっと小さくなってしまう感じです。



 と言っても、キャロルの相手役のテレーズを演じたルーニー・マーラが魅力的ではないということではありません。とても可愛らしい女優(注6)で、ただ、役柄が随分と地味であり(注7)、それになによりキャロルを演じたケイト・ブランシェットが凄すぎるために、いささか影が薄くなってしまうのも仕方がないことでしょう。



(3)渡まち子氏は、「何より、ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラの二人の実力派女優が素晴らしく、まなざしひとつ、指先の動きひとつで繊細な感情を表し、見事である」として80点をつけています。



(注1)監督は、『アイム・ノット・ゼア』(2007年)のトッド・ヘインズ
原作は、パトリシア・ハイスミス著『キャロル』(河出文庫:未読 )。
 なお、原作の原題の「The Price of Salt」(今では「Carol」に変わっているようですが)について、劇場用パンフレット掲載の「Staff Profile」の「原作 パトリシア・ハイスミス」の項で「よろこびの代償」とされているところ、例えば、この記事によれば、「Salt」は聖書のマタイ伝に出てくる「地の塩」に関係しているようで(あるいは、この記事によれば、旧約聖書に出てくる「ロトの妻」の話)、にもかかわらず単に「よろこび」と訳してしまえるのかどうか疑問に思われます。

 本作に出演する俳優の内、最近では、ケイト・ブランシェットは『ミケランジェロ・プロジェクト』、ルーニー・マーラは『her 世界でひとつの彼女』、サラ・ポールソンは『それでも夜は明ける』、カイル・チャンドラーは『ウルフ・オブ・ウォールストリート』で、それぞれ見ました。

(注2)Ritz Tower Hotel。

(注3)ここらあたりのシーンは、本作のラストでもう一度繰り返して映し出され、さらにその後のことが描き出されます〔ホテルにジャックが現れたのは、「ディナーに来ない?」とのキャロルの誘いにテレーズが沈黙で答えた後のこと。テレーズは、ジャックらと一緒に車に乗ってフィルのパーティーに行きますが、コミュニケーションの輪に入り込めないまま会場を後にして、街路を歩きます。そしてホテル(Plaza Hotel)に入って、男らと談笑しているキャロルを見つけるのです。……〕。

(注4)ここで「女性的役割の立場にあるように見える」「男性的役割の立場にあるように見える」と言っても、強いて言えばといった程度の話に過ぎず、それにもともと「女性的」「男性的」という言葉遣いも、ジェンダー的な意味合いに過ぎません。

(注5)その際に、ハージ側の弁護士が持ち出してくるのが「道徳的条項(morality clause)」とされています。
 それがどういう内容を指しているのかよくわかりませんが、キャロルが過去にアビーリンディのgodmotherともされています:サラ・ポールソン)と関係があったことや、現在テレーズと関係を持っていることを不道徳的な行為として、キャロルがリンディの母親として不適切であることを申し立てて、父親に単独の養育権を認めるよう申請しているものと思われます。

 ちなみに、イギリスでは同性愛は犯罪行為であり、『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』で描かれたアラン・チューリングは、本作が設定するのと同じ時点(1952年)に有罪の判決を受けています。

(注6)キャロルはテレーズに、「My angel, flung out of space」と囁きますが、ルーニー・マーラはそんな形容がよく当てはまる女優ではないかと思いました。

(注7)テレーズは、デパートの売り子のアルバイトをしていますが、写真を撮ることに熱心で、ただ、撮影して現像した写真を発表することはせずに、流しの下の戸棚にしまっておいています。
 なお、テレーズは、ビリー・ホリデイの「Easy Living」のメロディをピアノで演奏したり、そのレコードをキャロルにプレゼントしたりしますが、ビリー・ホリデイが「彼女がレズビアンとの関係を重ね、「ミスター・ホリデイ」の異名を取ったのもこの時期(「カフェ・ソサエティ」に出演していた頃)であった」などと書かれている(Wikipediaのこの記事)ことからすると、意味深長です(「Easy Living」の歌詞はこちらで)。



★★★★☆☆



象のロケット:キャロル