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日本の悲劇

2013年09月18日 | 邦画(13年)
 『日本の悲劇』を渋谷のユーロスペースで見ました。

(1)80歳を超える仲代達矢の主演映画だというので映画館に出向きました。

 映画は、病院を退院して家に戻ってきた父親・不二男仲代達矢)とそれに同行した息子・義男北村一輝)が、ダイニングキッチンに置かれている椅子に座る場面から始まります。
 まず、どこに不二男が座るのかで揉めて、その後義男が彼の衣類を洗濯機にかけようとすると、「下着以外は必要ない」と不二男は言い出し、さらに義男が居間で布団を敷き出すと、彼は「俺は寝ないから、そんなことをする必要はない」と強く言い張ります。
 義男はそう言う父親に怪訝な思いをしながらも、それを無視して作業を続けます。
 その後、義男の話からすると、不二男は肺がんであるにもかかわらず、治療を断って勝手に退院してきたとのこと。不二男は自分で、「このままだと、もってみつき(三月)」、さらには、「1週間か10日、長くてもひとつき(一月)、それ以上はもういい」などとも言います。
 さらに不二男が、せっかく注文した寿司を食べないので、とうとう義男はキレてしまいます。
 「俺はあんたの年金で食っている身、こんな寿司など食えた身分じゃない。けど、切り詰めて1日1,500円、ひとつき6万で暮らしている。けれど今日は母さんの命日だから、寿司をとったんだ」などとしゃべります。
 こうして映画は進んでいきますが、父親の不二男はいったい何を企んでいるのでしょうか、それに対して息子の義男はどのように対処するのでしょうか、………?

 画面に登場するのは、もっぱら父親とその息子の2人だけ〔回想シーンで、妻(大森暁美)や息子の嫁(寺島しのぶ)が登場しますが、それでも4人です〕。また舞台も、小さな家の居間とダイニングキッチン、それにそれらの間の廊下だけというシンプルさです(息子が何度か家の外に出ますが、それはすべて音で表現されます:なお、音楽は使われておりません)。
 さらに、仲代達矢は新劇の重鎮ですから、全体としてコテコテの新劇調になりかねないところ、本作は取り扱っている問題の大きさによるのでしょうか、新劇臭さはあまり感じられませんでした。
 なにしろ、この息子は、勤務していた会社でリストラに遭い、精神的に落ち込んで精神病院に入り(その間に、妻子は気仙沼の実家に帰ってしまいます)、退院して父母のいる家に戻ったと思ったら、母親が倒れてその面倒を4年間見て、その挙句東日本大震災で気仙沼にいた妻子を失い(捜索したものの見つかりませんでした)、さらには父親の肺がんという具合です。

 ひどく重苦しいテーマを扱っており、またそれがモノクロの画面で強調されるのですが(一部はカラー)、小林政広監督の演出が巧みなためでしょうか、俳優陣の演技の凄さによるのでしょうか、こうした作品にありがちな嫌味を感じずに見ることが出来ました。

 主演の仲代達矢は、『春との旅』にもまして圧倒的な存在感を示していて感動します。特に、彼の顔が画面いっぱいに大写しになることが多いのですが、そんな大写しに耐えることができる顔の持ち主は、今の日本にはそんなに多くはないのではないでしょうか?



 また、共演の北村一輝は、最近では『真夏の方程式』に出演しているのを見ましたが、それほど出番がなかったために印象が薄かったところ、この映画ではなかなかの演技力の持ち主であることがわかりました(注1)。



(2)本作の物語は、2010年7月に足立区で実際に起きた事件(概要はWikipediaに掲載)によっているようですから(注2)、現実にありうることなのでしょうが、不二男のように一つの部屋の中に釘を打ち付けて完全に閉じこもってしまった場合、例えばトイレの問題をどうするのかなどを考えると、そんなに簡単にいかないのではと思われます(注3)。
 また、義男は、部屋に閉じこもってしまった父親に対し、戸を開けるように何度も懇願しますが、本当にそう思っているなら、警察などの手を借りて戸をこじ開けることもできるのではないでしょうか(注4)?
 さらに、義男は、父親が勝手に病院を退院してしまったと言っていますが、仮に「余命3カ月」(本人の言。義男は「半年ももたない」と言っています)で手の施しようがなければ、大概の病院では医師から退院を勧告されるのではないでしょうか?
 それに、義男は、リストラされたあと自傷行為をするなど精神的に落ち込んでしまい、妻に内緒で「長野の方の精神科の病院に入った」と言っていますが、患者が自ら進んで精神病院に入院するなどといったことは、あまり考えられないことではないでしょうか?

 このように、この家族に襲いかかる様々な事件について、そのリアルさという点では難があるものの(注5)、本作が中心的に描き出そうとしている父親と息子との関係からすれば、それらは背景的なものといえ、そんなことにこだわっても余り意味がないように思われます。
 そして、息子が様々の出来事に遭遇していて大変であることはよくわかっていながらも、しかしそんな中でも頑張って生き抜いてもらいたいと願う父親の気持ちの切実さは、大変リアルなものがあると感じられました。
 やっぱり父親は、息子が一人前になること、独り立ちすることを待ち望んでいるのであり、それには息子自身が積極的に難事に立ち向かっていかなくてはならないと、それまでの経験からわかっているのです。でも、すぐにそれができるわけでもなく、時間がかかるというのであれば、それまでは出来るだけのことをしようと考えるのではないでしょうか?それで、「俺の返事がなくなっても、戸を破って入るんじゃない。その日から数えて、半年。いや1年でもいい。お前の仕事が見つかるまで、ここは閉めきったままにしておけ」と不二男は義男に言うのだと思います。
 先の短いことを自覚している父親の切羽詰まった気持ちが巧みに描かれている作品だと思ったところです。

(3)佐藤忠男氏は、「ここで不幸の条件とされていることは、今の日本では大いにありうることばかりである。小さな一家族の中の出来事だが、これを「日本の悲劇」と呼ぶのは決して大げさではない、と、見ていて思えてくる」などと述べています。




(注1)説明的な台詞が多く、かなり新劇調になってしまうのは、義男に狂言回し的な役割が与えられているために仕方がないと思います。

(注2)劇場用パンフレットの「かいせつ」に「東京都荒川区で起こった事件」とあるのは、「足立区」の誤りでしょう。

(注3)即身仏は、様々な修行を積んだ上のこととされており、強制的に閉じ込められてしまったのなら別ですが、一般人が自ら進んで、食事を取らずに餓死してミイラになるというのは、非常に困難なことではないかと思われるところです。
 不二男の場合、余命3カ月ということで寝たきり状態ということであれば、それもあるいは可能なのかもしれません。でも、画面から見る限り、外見上は健常者然としています。

(注4)実際には、6万円の年金を受け取るよりも生活保護を受ける方が多くの金額を手にすることができるでしょう(ただ、生活保護を受けるのを潔しとしない人も大勢いますし、いろいろ面倒なことも多く、また簡単には認められないようです。それに、義男は、これまでも父親の年金で暮らしてきましたから、それで生活することに慣れてしまっているのかもしれません)。
 あるいは、父親の死後、今生活している持ち家を売却することによって(6万円の生活費の中には家賃は入っていませんでした!)、まとまったお金を手にすることはできるのではないでしょうか?

(注5)不二男は、戸をこじ開けるようなことをすれば手元にあるノミで喉を突くと脅かします。彼は大工職人で一本気なのでしょう、あるいは本当に自殺するかもしれません。でも、そんなことをしたら、彼の企みは潰えてしまいます(その時点で年金は支給停止になるでしょうから)。ここは、それは脅かしにすぎないとも考えられるのではないでしょうか?



★★★☆☆



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