映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

アメイジング・グレイス

2011年04月17日 | 洋画(11年)
 『アメイジング・グレイス』を銀座テアトルシネマで見てきました。

(1)自粛ムードが広がっているせいか、あるいは春休みで映画館がお子様向けの作品で占められているからなのか、どうもこれはという映画が見当たらないので、マアこれなら無難かもしれないと映画館に行ってきました。
 それに、クマネズミが携わっているプサルタリー合奏の際にも(クマネズミの担当はギター伴奏)、この曲を演奏することがありますので、元から関心がなくもなかったという事情もありますが。

 実際に見てみますと、無難なことは無難な運びの作品ながら(何しろ、文部科学省選定かつ東京都推奨の歴史実話物なのですから!)、今一の感じがしてしまいました。というのも、
 主人公のウィルバーフォースヨアン・グリフィズ)は、資産家の家に生まれて政治家となっているところ、奴隷貿易の廃止に向けて必死の努力を傾けるのです。
 ですが、なぜ彼がそこまで奴隷廃止に情熱を捧げるのか、そこのところが全く描かれていないので、いきなり国会における論戦場面(注1)となると、酷く唐突な印象を見る者に与えます。

 こんな印象を受けるのは、イギリス本国は、アメリカのように自分のところで奴隷を使っているわけではなく、アフリカとプランテーションのあるジャマイカなどとの間で行われている奴隷貿易に従事しているにすぎないことにもよります。すなわち、ウィルバーフォースらが動き回る範囲には、奴隷は全く見当たらないのです。
 一度は、奴隷貿易に従事する船がイギリスの港で停泊している折に、彼らは、その船内を見学しますが、もとより奴隷の姿はなく、単に関係者からその悲惨な有様を聞き出すだけに終わっています。
 そうなると、いったいどうしてウィルバーフォースらは、奴隷貿易廃止という考え、それも絶対そうしなければならないとする強固な考えを持つようになったのかが、観客には十分に理解できないことになってしまいます。
 むろん、現時点で考えれば、奴隷制度などあってはならないことだと誰しも考えますが、当時(18世紀末)は逆に、それは当然のことと一般に思われていたわけです。その時に、この制度が根本的に誤っているとの考え方を持つに至るのは、特に富裕層に属する者にとり、随分と大変なことではないかと思われます。
 ウィルバーフォースの小さい時からの伝記的な事績を描くことが、どうしても必要になってくるのではないでしょうか?

 同じことは、彼の友人で若くして首相となるウィリアム・ピット(いわゆる小ピット:ベネディクト・カンバーバッチ)についても、言えると思います。特に、ピットの場合は、貴族の家柄ですから、奴隷廃止という考え方を持つのは、ウィルバーフォース以上に大変なことではないかと思われます。



 ですが、突然、ピットの方が音頭を取って、ウィルバーフォースの周りに同じ意見の持ち主を集めるのであって、その後は彼らが中心となって奴隷貿易廃止に向けて動き出すのです。
 いったいどうやってピットは、そうした考えを持つに至ったのでしょうか?

 この映画の中心的な話題がスムースな感じで描かれていない上に、周辺的な事柄も唐突なところがあるようです。
 例えば、ウィルバーフォースの結婚です。友人の下院議員夫妻がうまくセッティングして、彼を女性に引き合わせるのですが、彼は政治方面に関心が傾いていてあまり女性に関心がなさそうに描かれているな、と思っていたら、突然に結婚式の場面となります。もっとロマンティックなシーンがあってもしかるべきではないでしょうか?



 また、ウィルバーフォースは、突然身をよじるほどの痛みに苛なまれ、それを鎮めるためには鎮痛薬を飲まなくてはならないほどなのです。これがこの男の死病になるのではと予想していたら、突然倒れてしまったのは首相のピットの方で、奴隷貿易廃止をウィルバーフォースに託してあっけなく死んでしまいます(46歳)。
 ウィルバーフォースは70過ぎまで生きているのですから、何回も描かれる苦痛のシーンの意味は何なのか、と思わざるを得ません。

 もしかしたらこれらの事柄は、イギリス本国においては周知の事実であって、何もそこまで映画で描かずとも十分観客は分かることなのかもしれません。
 ですが、外国にいる我々にとっては、奴隷制廃止と言えばアメリカの南北戦争くらいしか思い浮かばないのですから、もう少し説明があってしかるべきでは、と思ってしまいます。

 さらに問題点を挙げるとしたら、映画の真ん中あたりで、元々の字幕で「present」と現れ、暫くすると「2years after」という字幕が現れます(後者は少々違っているかもしれません)。
 いったい「present(現在)」とはどの時点を指すのでしょうか?「2years after (2年後)」として描き出される映像は、「現在」の時点から予想される単なる想像のものなのでしょうか?でも、いったい誰が何を想像するというのでしょうか(「○年後」という字幕はよく見かけるものですが、「現在」という字幕には初めてお目にかかりました!)?

 あるいは、この映画は、劇場用パンフレットで作曲家の池辺晋一郎氏が述べているように、「音楽映画」として捉える必要があるのかもしれません。
 確かに、映画の最初の方では、カードゲーム場でウィルバーフォースが「アメイジング・グレイス」を歌いあげます。
 ただ、この歌詞を作ったジョン・ニュートンは、最初と最後に出てはきますが、そして奴隷貿易に従事したことを悔いて聖職者になり、この歌詞をも書いたと説明されてはいますが、一つのエピソードにすぎないような位置づけとなっていて、これまた観客にはしっくりこない感じがします(何より、一説にはアメリカで作られたとされる曲〔作曲者不明〕の方を知っていますが、教会で讃美歌として歌われる歌詞の方は何も知らないのですから!)。



 とはいえ、ラストで、バッグパイプの大楽隊がこの曲をじっくりと演奏しますが(ウィルバーフォースとピットが眠るウェストミンスター寺院前の広場にて)、それを聞けただけでも満足すべきなのでしょう(メロディー自体は奴隷制と無関係にせよ)。

(2)この映画で中心的に取り上げられている奴隷制というと、最近見た映画では、『アレクサンドリア』に奴隷が登場しました。ですが、そこでの奴隷達は、奴隷の印として首に輪っかを付けられているだけで、行動にそれほど制約はなさそうに見えます(主人公のヒュパティアは、ごく簡単に奴隷のダオスの首輪を外して自由民にしてしまいます)。
 また、エジプトのピラミッドを造ったのは、従前は、10万人を超える奴隷だったとされてきましたが、最近では、彼らには給料が支払われていたとする説が一般的になりつつあるようです〔wiki〕。

 この映画を見ながら、本来的に奴隷制は、その維持管理に相当の手間暇(コスト)がかかりすぎるシステムであり、こんな非効率的なシステムが古代において果たして本当に実行されていたのか、もしかしたら十分な火器が行き渡った近代においてしか成立し得ないものなのではないか、などというつまらない考えに耽ってしまいました。
 映画における説明では、アフリカから西インド諸島に黒人を運搬する際に随分と高い割合で死んでしまい、海に投げ捨てられたとのことです。おそらく、到着後も劣悪の環境下に置かれたのでしょうから、その損耗度はかなり高かったに違いありません。
 ですから、十分な供給体制を設ける必要があると思われますが、古代においてはセイゼイが戦争によって捕獲するくらいでしょう。それでは、マルクス主義歴史観の出発段階である「古代奴隷制」が想定しているようなこと、一国の経済を基幹的に奴隷が支えるというシステムを本来的に維持することは困難だったのではと考えられるところです(一国が恒常的に戦争をし続け、一定程度の奴隷を絶えず確保し続けることは、大層難しいのではないかと考えられます)。
 オマケに、仮に奴隷の確保が十分に出来たとしても、彼らの逃亡を防ぎ、かつ労働意欲を駆り立てるために様々な措置をとらねばならず、そのコストはバカにならなかったのではないでしょうか?
 人権が完全に無視された使い捨ての悲惨な状況下にある奴隷というのは、一定の限られた時期に、北アメリカとか西インド諸島のプランテーションでしか見られなかったものだ、とはいえないでしょうか?

 なお、この映画の舞台は、フランス革命の時期と重なっていて、そのため革命を目の当たりにしてイギリスに戻ってきたウィルバーフォースの仲間が、革命のさなかで大きく唱えられた「自由」の大切さに感銘し、奴隷貿易を廃止すべきことをさらに一層強く主張することになります。
 ただ、フランス革命は、同時にロベスピエールという独裁者を生み出してもいるわけで、こうした描き方では随分と皮相な感じがするところです(注2)。



(注1)イギリス議会(庶民院)の場面の有様を見て、さすが民主主義の本場だけに日本の議会とは違うという感じを持つ人が多いようですが、そこはそれぞれのお国柄というべきで、比較しても無意味でしょう。
 とはいえ、単調な演説と怒号とヤジしか飛び交っていない日本の議会に、ウイットのひとかけらでも見出せるのであれば、『SP 革命篇』で見られるようなとんでもない事態を招くことはないのかもしれませんが!

(注2)最近刊行された遅塚忠躬著『フランス革命を生きた「テロリスト」―ルカルパンティエの生涯』(NHK出版)の「付論1 ルソー、ロベスピエール、テロルとフランス革命」では、「フランス革命がなぜ独裁とテロルに帰着しなければならなかったのか」という問題が、8つの論点から簡潔にわかりやすく論じられています。
 なお、『ゴダール・ソシアリスム』に関する記事の注5も参照して下さい。




★★☆☆☆





象のロケット:アメイジング・グレイス


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4 コメント

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Unknown (ふじき78)
2011-08-06 09:09:35
こんちは。

映画の冒頭でけっこうクドクド神の道に進むか、政治家として進むか悩むくだりが出るので、あそこが奴隷制度にまい進する理由でいいんじゃないでしょうか。

神の僕として正しい事をしなければならない。それが辛い道であっても。日本では神様よりお金ですが、そもそもみんながキリストを信教していて王権でさえ、神から与えられている国の人間が作って、そういう人間を中心に見せようというのだから、それで共通認識が成り立っている気がします。

総理が主人公にこの問題を進めたのは成功失敗は別として党として議会の場をさらう、人気政策になるからあたりで。
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政治的情熱 (クマネズミ)
2011-08-07 05:48:23
お早うございます。
TB&コメントをありがとうございます。
ただ、クマネズミは、この映画は若者が見るには結構にしても、大人の鑑賞には堪えないのでは、と思ってしまいました。
例えば、リーンカーン大統領の奴隷解放宣言にしても、Wikipediaの彼に関する項目を見ると、「リンカーンは本来奴隷解放論者ではなく、実際には連邦軍によって制圧された南部連合支配地域の奴隷が解放されただけであって、奴隷制が認められていた北部領域では奴隷の解放は行われなかった」のであり、「宣言は南部州における奴隷の反乱・逃亡・ボイコットの効果を狙い、実施されたものであった」などと述べられており、決してきれい事ではなかったようです。
ところが、この映画におけるウィルバーフォースについては、リンカーンよりも奴隷制度からモットと遠い位置にいながら、なぜかその制度廃止に情熱を持っています。
この映画が政治を扱っているというのであれば、より当時の政治的な現実にまで降りた描写が必要なのでは、と思ったところです(特に、極東の地での観客にとっては)。
とはいえ、元々「奴隷貿易廃止法成立200周年」を記念して製作された映画(それに文部省選定)に、そんなことまで期待することはどだい無理な話ですが!
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美談的情熱 (ふじき78)
2011-08-09 22:37:27
こんちは。

一点、思うのは現実が綺麗ごとでなかったとしても、映画は現実に忠実に描かなければいけないという訳でもないと思うので、あからさまに気を削ぐような嘘でなければ美談でも構わないのではないでしょうか。神様に心頭する真面目バカ政治家と言うのは多くの買い手がいるヨーロッパではそんなにずれてない気がするし。極東の地の観客向けに映画を変える必要は感じないですし。
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極東の若者へ (クマネズミ)
2011-08-10 05:39:16
お早うございます。
おっしゃるように、まさに「現実が綺麗ごとでなかったとしても、映画は現実に忠実に描かなければいけないという訳でもないと思うので、あからさまに気を削ぐような嘘でなければ美談でも構わない」とクマネズミも思います。
ですが、そうだからこそ、「大人の鑑賞には堪えないのでは、と思っ」た次第です。
なお、「奴隷貿易廃止法成立200周年」を記念する映画ですから、全世界に向けてイギリスをPRしようとするものと思われ、それも文部省選定ですから若者に向けてということなのでしょうね。
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