『わたしは、ダニエル・ブレイク』を新宿武蔵野館で見ました。
(1)本作(注1)が昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得した作品ということで(注2)、映画館に行きました。
本作(注3)の舞台は、現代のニューカッスル。
本作の冒頭では、主人公のダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)と、雇用支援手当(ESA)の審査官との会話が音声で流れます(注)。
以下は、そのやり取りのあらまし。
「他人の助けがなくても、50m以上歩けますか?」(女性の声)
「はい」(ダニエル)
「腕を持ち上げて、上着の上のポケットに物を入れることができますか?」
「52ページに書いたとおりだ」
「頭の上に腕を持ち上げて、帽子をかぶることができますか?」
「話したように、手足は悪くないんだ。カルテを持っているだろ。悪いのは心臓なんだが」
「電話器のボタンを押せますか?」
「指も悪くない。心臓から離れるばかりだ」
「自分のことをほかの人に伝えられますか?」
「心臓が悪いのは伝わらない」(注4)
次いでダニエルは、住んでいるアパートの外通路を歩いていて、自分の部屋の近くにゴミ袋が置きっ放しになっているのを見つけます。
その時、隣の部屋から、チャイナという渾名の若い黒人(ケマ・シカズウェ)が現れたので、ダニエルは「生ゴミをここに置くなと言ったろ!」と怒ります。
すると、チャイナは、「ご免」と言いつつも、「大きな荷物が届く。とても重要な品物だから、受け取っておいてくれないか?」と頼んだ上で、ゴミを手に提げて行ってしまいます。
さらに、病院の場面。
検査技師が、超音波検査器でダニエルの心臓の具合を診ます。
別の部屋でダニエルが、「仕事にいつ戻れるんですか?」と尋ねると、心臓専門看護師は、「良くはなってきているものの、まだムリですね。薬は今まで通り。リハビリも続けないと。そして、よく休むことです。ダメなら手術です」と答えます。
それに対し、ダニエルは、「俺は夜型なんだ。死んだ女房の看病で、その癖がついた」などとつぶやきます。
こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれから、どんな物語が待ち構えているのでしょうか、………?
本作の主人公は、心臓発作を起こして仕事を医師から止められた59歳の大工。それで政府から手当を支給されていたところ、その継続を審査する際の主人公の態度がまずかったこともあり、支給が停止されてしまいます。そこで別の手当を申請しようとしますが、複雑な手続きに音を上げます。そんな時に、職業安定所の事務所で問題を引き起こしたシングルマザーと知り合いになって、……という物語。本作では、社会福祉を巡るいろいろな問題が描き出されていて興味深いところ、それだけでなく、主人公とシングルマザーとその子供たち、そして主人公と隣人との交流の様子も描かれており、そちらの方もなかなか面白いなと思いました。
(2)本作は、大工で59歳のダニエルが主人公。
彼は、隣に住むチャイナと仲良くなったり(注5)、さらには、JSA(求職者手当)の申請のために職業安定所(Jobcentre Plus)に行った際に、そこで問題〔補注〕を引き起こしたシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)と知り合いになり(注6)、そこから彼女やその子供たちとも交流したりしますが(注7)、そんなところが本作ではなかなかうまく描き出されてもいて、演じる俳優たちの人柄の良さがにじみ出ている感じがします。
また、本作では、イギリスの福祉関係機関が手当受給者等に接する対応の仕方に、様々な問題があることが描かれています。
例えば、ダニエルは、ESAの支給が受けられなくなって、今度はJSA(求職者手当)を申請することになるのですが、その手当に関する様々の書類が電子化されていて(注8)、PCに触ったことがないダニエルは四苦八苦する羽目になります。これはなんとかうまく救済する必要があるように思われます(注9)。
でも、この作品でよくわからないのは、例えば、次のような点です(注10)。
主人公・ダニエルの心臓が悪いのは事実としても、それを治療するのは病院等の医療機関の役割であって、ESA等の支給に係る福祉関係機関が治療に当たるわけではないでしょう。
現に、ダニエルは、病院で医師の診断を受け、処方箋を出してもらったりしているわけですから、自分の心臓病については、専らそちらに任せれば良いはずです〔イギリスでは、ほとんど医療費がかからないのですし(注11)〕。
ですがダニエルは、上記(1)で見るように、ESAの方でも、しつこいように自分の方から心臓病の話を持ち出します。
それに対して、ESAの継続が可能かどうか審査する審査官の方は、心臓病の話は一切無視して、自分に与えられている領域(就労可能な状況なのかどうかの判定)内の質問をし続けます。
確かに、担当医の観点からしたら、ダニエルは就労不可なのでしょう。
そして、ダニエルにしたら、医者が就労不可と言っているのだから、医者でもない者(注12)が更に審査する必要などないのだ、と言いたくなってしまうのでしょう。
ですが、イギリスの制度設計の考え方を推測すると、ESAの支給継続の審査にあたり、就労可能かどうかの判断は、担当医とは別の観点から行うこととされているのではないか、と思われます(担当医の書いたカルテは審査官の手元にあるのですから)。
劇場用パンフレット掲載の「STORY」には、審査官が「まるでブラックジョークのような不条理な質問」をすると書かれていますが(注13)、もしかしたら、逆にかなり意味のある質問をしていたのではないでしょうか?
というのも、よくはわからないのですが、この審査官は、ダニエルが、何にせよとにかく仕事をする能力を持っているのかどうかを判定しようとしているように思われるからですが。
それに、元々ダニエルは、仕事をしたいという姿勢をあちこちで表明しています(注14)。
ですから、審査官に接する態度がまずかったこともあるとはいえ、ダニエルが、「就労可能」と判断されて(注15)、ESAの支給が打ち切られてしまうのも、ある意味で仕方がないようにも思われるところです(注16)。
ただ、ここらあたりのことは、イギリスの福祉制度の詳細がわからないと、確実なことは言えないでしょう(注17)。
それでも、本作を見ただけで、ダニエルに対する審査官の対応が酷くおかしいと簡単に言い切ることは出来ないのでは、と思えるのですが。
そして、求職者手当(求職者手当)の申請などの面でも、様々な問題があるように本作では描かれています。ですが、そこらあたりも、イギリスの事情を詳しく調査すれば、別の見方があるいはできるのかもしれません(注18)。
下記の(3)で触れる前田有一氏が、「英国労働党首はメイ首相に「この映画を見ろ」と、議会で言ってのけたという。私も同様に、あらゆるなりすまし保守、世間知らずの自己責任論者、新自由主義者の総理大臣に「この映画を10億回見ろ」と言っておきたい。見終わるまで彼らが復帰しなけりゃ、世の中少しは良くなるだろう」と言っています。
ここまで言うのであったら、前田氏は、イギリスの福祉関係の制度等について、さぞかし詳細に調べ十分に理解した上でのことなのでしょうね、と不遜にもクマネズミは思ってしまいました(注19)。
まあそれはともかくとして、こうした問題については、いきなり熱く語るのではなく、一体どんな事情にあるのかを冷静になって調べた上で、一つ一つ判断していくべきではないかと思ったところです。
(3)渡まち子氏は、「ケン・ローチに二度目のカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)をもたらした本作は、これまでのキャリアの延長線上にありながら、頂点ともいえる、底辺で生きる人々への力強い応援歌だった」として75点を付けています。
前田有一氏は、「逆境においても自らの足で立とうとする誇りある人間を、いかに福祉行政の現場が見下し、打ち砕いているか。世界中でいま起きている、まさにリアルタイムなレポートである」として90点を付けています。
村山匡一郎氏は、「市民のための役所が規則を振りかざして市民の要望を拒むという矛盾。この世界共通の官僚主義的な弊害から、ダニエルとケイティは仲良くなるが、2人の現実は厳しい。そんな2人の絶望と希望がローチ監督のリアルな演出で現実味を帯びて描き出される」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
藤原帰一氏は、「ストレートな社会正義の追求から出発したケン・ローチは、イギリス社会の底辺に暮らす人々の中にユーモアを発見した人でもありました。ところがこの作品では、ユーモアを奪ってしまう。「わたしは、ダニエル・ブレイク」というこの題名は、自尊心を奪われた男の叫びにほかならない。つらい映画でした」と述べています。
(注)監督はケン・ローチ。
脚本はポール・ラヴァティ。
原題は「I,Daniel Blake」。
(注2)ただ、ケン・ローチ監督の作品は、どうも肌が合わない感じがして、殆ど見ておりません。
なお、カンヌ国際映画祭でのグランプリは、最近見た『たかが世界の終わり』。
(注3)ダニエルは、心臓発作を引き起こし医師から仕事を止められたために、ESA(Employment and Support Allowance:雇用支援手当)を支給されてきましたが、さらにその継続が可能かどうか審査するために、審査官が、ダニエルに様々な質問をしています。
なお、ESAは、年金受給年齢(原則65歳)未満の者が疾病や障害によって就労できなくなった場合に支給されるもので、SSP(法定疾病手当)とかSMP(法定産休手当)、そしてJSA(Jobseeker’s Allowance:求職者手当)といったものを受給している場合には、資格がありません。
なお、ESAを受給してから13週までの間に、受給者の状況が審査され、就労可能な状態だと判定されれば、ESAは受給できなくなり、JSAの申請が必要となります。
本作でのダニエルの状況は、この13週目の振り分けに該当しているのではないでしょうか?
また、13週までの支給金額は、25歳以上の場合71.7ポンド(週)とされていますから、1カ月ではおよそ4万円あたりではないかと思われます(ここらあたりのことは、2013年のこの記事によります)。
(注4)もう少々続けると、
「もう一回、悪態をついたら審査を止めますよ。…我慢ができなくなって、すべてを投げ捨ててしまったことはありますか?」
「ないけど」
「目覚まし時計をセットしたり出来ますか?」
「なんと!はい」
「ペットを飼っていますか?」
「そんなことが書式に?」
「あなたが動きやすいかどうか知りたいので」
「ペットなど飼っていないが、いったいあなたは、何の資格を持っているというのだ?」
「FSAの審査を行うために労働年金省が指名した医療専門家です」
「私は、心臓発作に襲われて、足場から落ちたんだ。早く現場に戻りたい。他のことはいいから、心臓のことを尋ねてくれ」。
(注5)チャイナは、通常の職場の時給が安すぎるため(3.79ポンド=日本円で500円位)、中国の知人と連絡を取り合って、中国で生産されているナイキのスポーツシューズを自分の方にかなり安く横流ししてもらって、市価の半分くらいの値段で売り捌き、大きな収益を得ようとしています。ダニエルは、そんなチャイナにPCを教えてもらったりします。
(注6)ケイティは、事情があって、ロンドンからニューカッスルに来たばかり。道に迷ってしまい、約束の時間に遅れて事務所に到着したために、手当が受け取れなくなってしまいます。それで、なんとかしてくれと職員に頼み込むのですが、埒が明きません。それを見ていたダニエルが、ケイティに加勢するものの、逆に2人とも事務所の外に追い出されてしまいます。
(注7)ダニエルは、ケイティが住むことになった家をリフォームするために何度も通ったり、木を彫って作った魚の飾り物を持っていったりします。また、家に引っ込んでいたダニエルのもとに、ケイティの娘・デイジーが食べ物を持って尋ねてきたりもします。
(注8)例えば、JSAの給付を受けている場合、職業安定所の事務所に求職活動の結果等を書面で報告することになっていますが、この書面が電子化されているようです。
(注9)日本で言えば、例えば、安い料金で行政書士に電子書類を作成してもらえるよう依頼することなどが考えられないのでしょうか?
(注10)そして、そういうことを描き出すケン・ローチ監督の基本的な姿勢にも、疑問を感じてしまいます。
同監督は、劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事(インタビュアーは石津文子氏)の中で、「ダニエルとケイティが直面する問題は英国だけではなく、多くの国で起きています。細かい違いはあっても、どこの国でも問題の根幹は同じ。官僚主義です」と述べています。
そして、「問題の解決方法は存在するのでしょうか」との質問に対し、「あります。共同でものを所有し、決断も共同でする。独占しようとしないこと。過剰な利益を追求せず、誰もが協力しあい、貢献し、歓びを得られるような仕組みを作り、大企業とは違う論理で、経済をまわしていくこと。それは、社会主義と呼ばれるものです。ここで言う社会主義は、旧ソ連のものとは違います。あくまで民主主義の上で成立する社会主義なんです」と述べています。
でも、そうした社会主義の国が、いくら旧ソ連のものと違っているとはいえ、やっぱり「官僚主義」の総本山となってしまい、本作で描かれているような「官僚主義」の弊害が、監督自身が理想とする国においては、目も当てられないくらい跋扈することになるのは、火を見るよりも明らかなように思えます。
なによりも、下線部分のような「仕組み」を作る際に不可欠となる膨大な規則・ルールの作成・制定・遵守といったところで、今以上の役人を国は抱え込まなくてはならなくなることでしょう!
(注11)イギリスの医療保険制度については、「すべての国民に予防医療、リハビリも含めた包括的保健医療を原則無料で 提供するもの」であり、「財源は 80%以上が租税となっており、他に国民保険からの拠出金が 18%強、患者負担が 1% 強となってい」て、特に、「患者負担については、先述したように原則無料である。かかりつけ医の診断を経た上で、病 院を紹介されたのであれば、その病院での診療は、たとえ検査や手術などを受けたとしも無料 となる。ただし、薬剤費として処方 1 件につき 7.65 ポンド(2013 年 2 月で約 1,120 円)の一 部負担がある。しかし、60 歳以上、16 歳未満、低所得者世帯などはその負担が免除されてお り、免除件数は全体の 85%にのぼっている」とされています(この記事のP.39)。
(注12)加えてダニエルは、審査官に対して「あなた方は、アメリカの会社で働いていると耳にした」と言います。
(注13)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、ケン・ローチ監督は、「ダニエルは、非常にばかげた質問をされる」と言っています。
(注14)勿論、ダニエルは、大工として働きたいと言っているのでしょうが。
(注15)よくはわかりませんが、担当医の方では、ダニエルが大工としての仕事を継続することは難しいがために就労不可と言っているのに対し(何しろ、大工は高いところに登ったりもするのですから、心臓が悪い人には不適でしょう)、審査官の方では、ダニエルのように、手足を不自由なく自分の意志に従って動かすことができるのであれば、大工でなくとも、何らかの仕事をすることが可能であると判断したのではないでしょうか(上記「注7」で見たように、何しろダニエルは、ケイティの家のリフォームをやってのけたのですから!)?
(注16)さらに言えば、ESA支給継続審査で就労可能と区分されて、ESAの支給が打ち切りになっても、JSA(求職者手当)の方で救済されるからそれでいいではないか、と考えられているのかもしれません。
尤も、そちらの方も、フルタイムの教育を受けていないこと、能力的には就労可能であるが 就労できていない状態であること、求職活動を行っていること、週16 時間以上働いてい ないことなど、様々な条件がついていて、複雑なシステムになっているようですが。
(注17)最後の方で、EPAの審査(支給打ち切り)に対する不服申立てをすることになった時、弁護士がダニエルに「きっと勝てる」と言うのですから、審査官のやり方に何か問題があるのかもしれません。
ただ、日本の方ではどうなっているのか調べようとしても、素人では簡単にはいかないのであり、まして本作で描かれているのはイギリスの制度なのですから、おいそれとは手が出ません。
〔イギリスの社会保障制度の現状については、劇場用パンフレットに、専門家による記事が掲載され然るべきでしょう。ネットで調べてみても、日本語の資料は調査時点が古いものばかりで、専門家の研究もなかなか現時点まで追いついていない感じがします。なお、英語の関係資料をネットで見ることは出来ますが、背景等がよくわからないので、それを理解するのは難しいものがあります〕
ちなみに、ダニエルを「一人親方」の自営業者とみなすと、日本では、国民健康保険に入らなくてはなりませんが、この記事を見ると、どうやら、病気やケガによる休業中の生活保障は受けられないようです(会社員の場合には、健康保険から「傷病手当」の支給が受けられますが)。
総じて言えば、それぞれの国ではそれぞれの考え方とか事情があって、制度が作られているものと思われます。
(注18)例えば、こうしたシステムが作られたのは、財政緊縮嫁の中でいかに効率性を高めて諸手当の支給を行わなくてはならないのか、を検討していった中でのことなのかもしれません。そのシステムが生み出す様々の問題点を解消するには、財政的支援の拡大が、あるいは必要なのでしょう。でも、それと裏腹にある増税策に対し、イギリス国民は果たして賛成するのでしょうか?
(注19)本作のラストでは、「本映画を通じて得られる収益を、貧困に苦しむ人々を支援する団体に、有料入場者1名につき50円寄付いたします」との字幕が流れます。無論、収益の使い道は配給会社の自由でしょう。でも、そうだとしても、本作を見に映画館にやって来た者はすべて本作のすべてを肯定的に受け入れているとみなすような書きぶりには、違和感を覚えてしまいます。それに、本作にかかる「チャリティ・プロジェクト」のHPには、「ケン・ローチ監督がこの作品に込めたメッセージ「誰もが享受すべき生きるために最低限の尊厳」や「人を思いやる気持ち」に賛同」と記載されていますが、果たして本作のメッセージとはそんなつまらないものなのでしょうか?第一、映画に込められているメッセージとは何なのでしょう?それに、仮に、メーセージがそうだとしても、その内容とチャリティとの関係が不明ではないでしょうか?
〔補注〕ケイティは子供の養育のために満足に働けないでしょうから(ロンドンにいた時はホームレス用の施設で暮らしていました)、あるいは、日本の生活保護に相当するシステム(所得補助:Income. Support)を利用しているのかもしれません(尤も、この資料のP.283によれば、それを廃止して新たなシステムに移行する法案が成立しているとのこと←ですが、このイギリス政府のHPの記事を見ると、現在も継続しているように思われます)。
この資料によれば、その給付は「ジョブセンター プラス」(職業安定所)が行っているとされていますから、ダニエルが自分のJSAの申請でその事務所に行った時に、ケイティの騒動を目撃したのでしょう。
なお、この資料によれば、住宅給付(賃貸住宅居住者には賃料相当額が支給)があるようですから、ニューカッスルでケイティが住むことになった部屋も、その制度によっているのでしょう。また、受け取る金額は、この記事の記載によれば、ケイティの場合、週73.10ポンド〔だいたい月4万円←ダニエルの受け取る手当とほぼ同額でしょうか:さらに家族加算(もしかしたら、児童手当)がされるようですが〕。
★★★☆☆☆
象のロケット:わたしは、ダニエル・ブレイク
(1)本作(注1)が昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得した作品ということで(注2)、映画館に行きました。
本作(注3)の舞台は、現代のニューカッスル。
本作の冒頭では、主人公のダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)と、雇用支援手当(ESA)の審査官との会話が音声で流れます(注)。
以下は、そのやり取りのあらまし。
「他人の助けがなくても、50m以上歩けますか?」(女性の声)
「はい」(ダニエル)
「腕を持ち上げて、上着の上のポケットに物を入れることができますか?」
「52ページに書いたとおりだ」
「頭の上に腕を持ち上げて、帽子をかぶることができますか?」
「話したように、手足は悪くないんだ。カルテを持っているだろ。悪いのは心臓なんだが」
「電話器のボタンを押せますか?」
「指も悪くない。心臓から離れるばかりだ」
「自分のことをほかの人に伝えられますか?」
「心臓が悪いのは伝わらない」(注4)
次いでダニエルは、住んでいるアパートの外通路を歩いていて、自分の部屋の近くにゴミ袋が置きっ放しになっているのを見つけます。
その時、隣の部屋から、チャイナという渾名の若い黒人(ケマ・シカズウェ)が現れたので、ダニエルは「生ゴミをここに置くなと言ったろ!」と怒ります。
すると、チャイナは、「ご免」と言いつつも、「大きな荷物が届く。とても重要な品物だから、受け取っておいてくれないか?」と頼んだ上で、ゴミを手に提げて行ってしまいます。
さらに、病院の場面。
検査技師が、超音波検査器でダニエルの心臓の具合を診ます。
別の部屋でダニエルが、「仕事にいつ戻れるんですか?」と尋ねると、心臓専門看護師は、「良くはなってきているものの、まだムリですね。薬は今まで通り。リハビリも続けないと。そして、よく休むことです。ダメなら手術です」と答えます。
それに対し、ダニエルは、「俺は夜型なんだ。死んだ女房の看病で、その癖がついた」などとつぶやきます。
こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれから、どんな物語が待ち構えているのでしょうか、………?
本作の主人公は、心臓発作を起こして仕事を医師から止められた59歳の大工。それで政府から手当を支給されていたところ、その継続を審査する際の主人公の態度がまずかったこともあり、支給が停止されてしまいます。そこで別の手当を申請しようとしますが、複雑な手続きに音を上げます。そんな時に、職業安定所の事務所で問題を引き起こしたシングルマザーと知り合いになって、……という物語。本作では、社会福祉を巡るいろいろな問題が描き出されていて興味深いところ、それだけでなく、主人公とシングルマザーとその子供たち、そして主人公と隣人との交流の様子も描かれており、そちらの方もなかなか面白いなと思いました。
(2)本作は、大工で59歳のダニエルが主人公。
彼は、隣に住むチャイナと仲良くなったり(注5)、さらには、JSA(求職者手当)の申請のために職業安定所(Jobcentre Plus)に行った際に、そこで問題〔補注〕を引き起こしたシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)と知り合いになり(注6)、そこから彼女やその子供たちとも交流したりしますが(注7)、そんなところが本作ではなかなかうまく描き出されてもいて、演じる俳優たちの人柄の良さがにじみ出ている感じがします。
また、本作では、イギリスの福祉関係機関が手当受給者等に接する対応の仕方に、様々な問題があることが描かれています。
例えば、ダニエルは、ESAの支給が受けられなくなって、今度はJSA(求職者手当)を申請することになるのですが、その手当に関する様々の書類が電子化されていて(注8)、PCに触ったことがないダニエルは四苦八苦する羽目になります。これはなんとかうまく救済する必要があるように思われます(注9)。
でも、この作品でよくわからないのは、例えば、次のような点です(注10)。
主人公・ダニエルの心臓が悪いのは事実としても、それを治療するのは病院等の医療機関の役割であって、ESA等の支給に係る福祉関係機関が治療に当たるわけではないでしょう。
現に、ダニエルは、病院で医師の診断を受け、処方箋を出してもらったりしているわけですから、自分の心臓病については、専らそちらに任せれば良いはずです〔イギリスでは、ほとんど医療費がかからないのですし(注11)〕。
ですがダニエルは、上記(1)で見るように、ESAの方でも、しつこいように自分の方から心臓病の話を持ち出します。
それに対して、ESAの継続が可能かどうか審査する審査官の方は、心臓病の話は一切無視して、自分に与えられている領域(就労可能な状況なのかどうかの判定)内の質問をし続けます。
確かに、担当医の観点からしたら、ダニエルは就労不可なのでしょう。
そして、ダニエルにしたら、医者が就労不可と言っているのだから、医者でもない者(注12)が更に審査する必要などないのだ、と言いたくなってしまうのでしょう。
ですが、イギリスの制度設計の考え方を推測すると、ESAの支給継続の審査にあたり、就労可能かどうかの判断は、担当医とは別の観点から行うこととされているのではないか、と思われます(担当医の書いたカルテは審査官の手元にあるのですから)。
劇場用パンフレット掲載の「STORY」には、審査官が「まるでブラックジョークのような不条理な質問」をすると書かれていますが(注13)、もしかしたら、逆にかなり意味のある質問をしていたのではないでしょうか?
というのも、よくはわからないのですが、この審査官は、ダニエルが、何にせよとにかく仕事をする能力を持っているのかどうかを判定しようとしているように思われるからですが。
それに、元々ダニエルは、仕事をしたいという姿勢をあちこちで表明しています(注14)。
ですから、審査官に接する態度がまずかったこともあるとはいえ、ダニエルが、「就労可能」と判断されて(注15)、ESAの支給が打ち切られてしまうのも、ある意味で仕方がないようにも思われるところです(注16)。
ただ、ここらあたりのことは、イギリスの福祉制度の詳細がわからないと、確実なことは言えないでしょう(注17)。
それでも、本作を見ただけで、ダニエルに対する審査官の対応が酷くおかしいと簡単に言い切ることは出来ないのでは、と思えるのですが。
そして、求職者手当(求職者手当)の申請などの面でも、様々な問題があるように本作では描かれています。ですが、そこらあたりも、イギリスの事情を詳しく調査すれば、別の見方があるいはできるのかもしれません(注18)。
下記の(3)で触れる前田有一氏が、「英国労働党首はメイ首相に「この映画を見ろ」と、議会で言ってのけたという。私も同様に、あらゆるなりすまし保守、世間知らずの自己責任論者、新自由主義者の総理大臣に「この映画を10億回見ろ」と言っておきたい。見終わるまで彼らが復帰しなけりゃ、世の中少しは良くなるだろう」と言っています。
ここまで言うのであったら、前田氏は、イギリスの福祉関係の制度等について、さぞかし詳細に調べ十分に理解した上でのことなのでしょうね、と不遜にもクマネズミは思ってしまいました(注19)。
まあそれはともかくとして、こうした問題については、いきなり熱く語るのではなく、一体どんな事情にあるのかを冷静になって調べた上で、一つ一つ判断していくべきではないかと思ったところです。
(3)渡まち子氏は、「ケン・ローチに二度目のカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)をもたらした本作は、これまでのキャリアの延長線上にありながら、頂点ともいえる、底辺で生きる人々への力強い応援歌だった」として75点を付けています。
前田有一氏は、「逆境においても自らの足で立とうとする誇りある人間を、いかに福祉行政の現場が見下し、打ち砕いているか。世界中でいま起きている、まさにリアルタイムなレポートである」として90点を付けています。
村山匡一郎氏は、「市民のための役所が規則を振りかざして市民の要望を拒むという矛盾。この世界共通の官僚主義的な弊害から、ダニエルとケイティは仲良くなるが、2人の現実は厳しい。そんな2人の絶望と希望がローチ監督のリアルな演出で現実味を帯びて描き出される」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
藤原帰一氏は、「ストレートな社会正義の追求から出発したケン・ローチは、イギリス社会の底辺に暮らす人々の中にユーモアを発見した人でもありました。ところがこの作品では、ユーモアを奪ってしまう。「わたしは、ダニエル・ブレイク」というこの題名は、自尊心を奪われた男の叫びにほかならない。つらい映画でした」と述べています。
(注)監督はケン・ローチ。
脚本はポール・ラヴァティ。
原題は「I,Daniel Blake」。
(注2)ただ、ケン・ローチ監督の作品は、どうも肌が合わない感じがして、殆ど見ておりません。
なお、カンヌ国際映画祭でのグランプリは、最近見た『たかが世界の終わり』。
(注3)ダニエルは、心臓発作を引き起こし医師から仕事を止められたために、ESA(Employment and Support Allowance:雇用支援手当)を支給されてきましたが、さらにその継続が可能かどうか審査するために、審査官が、ダニエルに様々な質問をしています。
なお、ESAは、年金受給年齢(原則65歳)未満の者が疾病や障害によって就労できなくなった場合に支給されるもので、SSP(法定疾病手当)とかSMP(法定産休手当)、そしてJSA(Jobseeker’s Allowance:求職者手当)といったものを受給している場合には、資格がありません。
なお、ESAを受給してから13週までの間に、受給者の状況が審査され、就労可能な状態だと判定されれば、ESAは受給できなくなり、JSAの申請が必要となります。
本作でのダニエルの状況は、この13週目の振り分けに該当しているのではないでしょうか?
また、13週までの支給金額は、25歳以上の場合71.7ポンド(週)とされていますから、1カ月ではおよそ4万円あたりではないかと思われます(ここらあたりのことは、2013年のこの記事によります)。
(注4)もう少々続けると、
「もう一回、悪態をついたら審査を止めますよ。…我慢ができなくなって、すべてを投げ捨ててしまったことはありますか?」
「ないけど」
「目覚まし時計をセットしたり出来ますか?」
「なんと!はい」
「ペットを飼っていますか?」
「そんなことが書式に?」
「あなたが動きやすいかどうか知りたいので」
「ペットなど飼っていないが、いったいあなたは、何の資格を持っているというのだ?」
「FSAの審査を行うために労働年金省が指名した医療専門家です」
「私は、心臓発作に襲われて、足場から落ちたんだ。早く現場に戻りたい。他のことはいいから、心臓のことを尋ねてくれ」。
(注5)チャイナは、通常の職場の時給が安すぎるため(3.79ポンド=日本円で500円位)、中国の知人と連絡を取り合って、中国で生産されているナイキのスポーツシューズを自分の方にかなり安く横流ししてもらって、市価の半分くらいの値段で売り捌き、大きな収益を得ようとしています。ダニエルは、そんなチャイナにPCを教えてもらったりします。
(注6)ケイティは、事情があって、ロンドンからニューカッスルに来たばかり。道に迷ってしまい、約束の時間に遅れて事務所に到着したために、手当が受け取れなくなってしまいます。それで、なんとかしてくれと職員に頼み込むのですが、埒が明きません。それを見ていたダニエルが、ケイティに加勢するものの、逆に2人とも事務所の外に追い出されてしまいます。
(注7)ダニエルは、ケイティが住むことになった家をリフォームするために何度も通ったり、木を彫って作った魚の飾り物を持っていったりします。また、家に引っ込んでいたダニエルのもとに、ケイティの娘・デイジーが食べ物を持って尋ねてきたりもします。
(注8)例えば、JSAの給付を受けている場合、職業安定所の事務所に求職活動の結果等を書面で報告することになっていますが、この書面が電子化されているようです。
(注9)日本で言えば、例えば、安い料金で行政書士に電子書類を作成してもらえるよう依頼することなどが考えられないのでしょうか?
(注10)そして、そういうことを描き出すケン・ローチ監督の基本的な姿勢にも、疑問を感じてしまいます。
同監督は、劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事(インタビュアーは石津文子氏)の中で、「ダニエルとケイティが直面する問題は英国だけではなく、多くの国で起きています。細かい違いはあっても、どこの国でも問題の根幹は同じ。官僚主義です」と述べています。
そして、「問題の解決方法は存在するのでしょうか」との質問に対し、「あります。共同でものを所有し、決断も共同でする。独占しようとしないこと。過剰な利益を追求せず、誰もが協力しあい、貢献し、歓びを得られるような仕組みを作り、大企業とは違う論理で、経済をまわしていくこと。それは、社会主義と呼ばれるものです。ここで言う社会主義は、旧ソ連のものとは違います。あくまで民主主義の上で成立する社会主義なんです」と述べています。
でも、そうした社会主義の国が、いくら旧ソ連のものと違っているとはいえ、やっぱり「官僚主義」の総本山となってしまい、本作で描かれているような「官僚主義」の弊害が、監督自身が理想とする国においては、目も当てられないくらい跋扈することになるのは、火を見るよりも明らかなように思えます。
なによりも、下線部分のような「仕組み」を作る際に不可欠となる膨大な規則・ルールの作成・制定・遵守といったところで、今以上の役人を国は抱え込まなくてはならなくなることでしょう!
(注11)イギリスの医療保険制度については、「すべての国民に予防医療、リハビリも含めた包括的保健医療を原則無料で 提供するもの」であり、「財源は 80%以上が租税となっており、他に国民保険からの拠出金が 18%強、患者負担が 1% 強となってい」て、特に、「患者負担については、先述したように原則無料である。かかりつけ医の診断を経た上で、病 院を紹介されたのであれば、その病院での診療は、たとえ検査や手術などを受けたとしも無料 となる。ただし、薬剤費として処方 1 件につき 7.65 ポンド(2013 年 2 月で約 1,120 円)の一 部負担がある。しかし、60 歳以上、16 歳未満、低所得者世帯などはその負担が免除されてお り、免除件数は全体の 85%にのぼっている」とされています(この記事のP.39)。
(注12)加えてダニエルは、審査官に対して「あなた方は、アメリカの会社で働いていると耳にした」と言います。
(注13)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、ケン・ローチ監督は、「ダニエルは、非常にばかげた質問をされる」と言っています。
(注14)勿論、ダニエルは、大工として働きたいと言っているのでしょうが。
(注15)よくはわかりませんが、担当医の方では、ダニエルが大工としての仕事を継続することは難しいがために就労不可と言っているのに対し(何しろ、大工は高いところに登ったりもするのですから、心臓が悪い人には不適でしょう)、審査官の方では、ダニエルのように、手足を不自由なく自分の意志に従って動かすことができるのであれば、大工でなくとも、何らかの仕事をすることが可能であると判断したのではないでしょうか(上記「注7」で見たように、何しろダニエルは、ケイティの家のリフォームをやってのけたのですから!)?
(注16)さらに言えば、ESA支給継続審査で就労可能と区分されて、ESAの支給が打ち切りになっても、JSA(求職者手当)の方で救済されるからそれでいいではないか、と考えられているのかもしれません。
尤も、そちらの方も、フルタイムの教育を受けていないこと、能力的には就労可能であるが 就労できていない状態であること、求職活動を行っていること、週16 時間以上働いてい ないことなど、様々な条件がついていて、複雑なシステムになっているようですが。
(注17)最後の方で、EPAの審査(支給打ち切り)に対する不服申立てをすることになった時、弁護士がダニエルに「きっと勝てる」と言うのですから、審査官のやり方に何か問題があるのかもしれません。
ただ、日本の方ではどうなっているのか調べようとしても、素人では簡単にはいかないのであり、まして本作で描かれているのはイギリスの制度なのですから、おいそれとは手が出ません。
〔イギリスの社会保障制度の現状については、劇場用パンフレットに、専門家による記事が掲載され然るべきでしょう。ネットで調べてみても、日本語の資料は調査時点が古いものばかりで、専門家の研究もなかなか現時点まで追いついていない感じがします。なお、英語の関係資料をネットで見ることは出来ますが、背景等がよくわからないので、それを理解するのは難しいものがあります〕
ちなみに、ダニエルを「一人親方」の自営業者とみなすと、日本では、国民健康保険に入らなくてはなりませんが、この記事を見ると、どうやら、病気やケガによる休業中の生活保障は受けられないようです(会社員の場合には、健康保険から「傷病手当」の支給が受けられますが)。
総じて言えば、それぞれの国ではそれぞれの考え方とか事情があって、制度が作られているものと思われます。
(注18)例えば、こうしたシステムが作られたのは、財政緊縮嫁の中でいかに効率性を高めて諸手当の支給を行わなくてはならないのか、を検討していった中でのことなのかもしれません。そのシステムが生み出す様々の問題点を解消するには、財政的支援の拡大が、あるいは必要なのでしょう。でも、それと裏腹にある増税策に対し、イギリス国民は果たして賛成するのでしょうか?
(注19)本作のラストでは、「本映画を通じて得られる収益を、貧困に苦しむ人々を支援する団体に、有料入場者1名につき50円寄付いたします」との字幕が流れます。無論、収益の使い道は配給会社の自由でしょう。でも、そうだとしても、本作を見に映画館にやって来た者はすべて本作のすべてを肯定的に受け入れているとみなすような書きぶりには、違和感を覚えてしまいます。それに、本作にかかる「チャリティ・プロジェクト」のHPには、「ケン・ローチ監督がこの作品に込めたメッセージ「誰もが享受すべき生きるために最低限の尊厳」や「人を思いやる気持ち」に賛同」と記載されていますが、果たして本作のメッセージとはそんなつまらないものなのでしょうか?第一、映画に込められているメッセージとは何なのでしょう?それに、仮に、メーセージがそうだとしても、その内容とチャリティとの関係が不明ではないでしょうか?
〔補注〕ケイティは子供の養育のために満足に働けないでしょうから(ロンドンにいた時はホームレス用の施設で暮らしていました)、あるいは、日本の生活保護に相当するシステム(所得補助:Income. Support)を利用しているのかもしれません(尤も、この資料のP.283によれば、それを廃止して新たなシステムに移行する法案が成立しているとのこと←ですが、このイギリス政府のHPの記事を見ると、現在も継続しているように思われます)。
この資料によれば、その給付は「ジョブセンター プラス」(職業安定所)が行っているとされていますから、ダニエルが自分のJSAの申請でその事務所に行った時に、ケイティの騒動を目撃したのでしょう。
なお、この資料によれば、住宅給付(賃貸住宅居住者には賃料相当額が支給)があるようですから、ニューカッスルでケイティが住むことになった部屋も、その制度によっているのでしょう。また、受け取る金額は、この記事の記載によれば、ケイティの場合、週73.10ポンド〔だいたい月4万円←ダニエルの受け取る手当とほぼ同額でしょうか:さらに家族加算(もしかしたら、児童手当)がされるようですが〕。
★★★☆☆☆
象のロケット:わたしは、ダニエル・ブレイク
貴ブログを読んで考えたこととして、ケン・ローチがこの映画でいちばん力を入れたのは、冒頭のやり取りかもしれません。すなわち、官側は「<なんらかの形で>働けるなら、働いて<税を納めて、社会貢献して>ほしい」、ダニエル側は「<大工という、自分が望む形で働けないなら、それは>働けないということだ」と、個人と社会システムが折り合えていないこと、
そして、それは社会システム側が悪いのだ、と。
< >の部分を省くと、映画のようなやり取りになるのでしょう。
おっしゃる通りだと思います。
まさに本作は、「個人と社会システムが折り合えていない」が、「それは社会システム側が悪いのだ」と訴えているのだと思います。
しかしながら、それではどうすればいいとケン・ローチ監督は言うのでしょうか(拙エントリの「注10」で申し上げましたように、同監督の言う「社会主義」では解決策にならないでしょう)?
より具体的に言えば、国の予算状況が大層厳しい時に、「社会システム」の改定を行ってESAの支出を増大させたりすることができるのでしょうか、ケン・ローチ監督は、さらに言えばイギリス国民は、そのための財源対策としての増税に賛成するのでしょうか?
本作については、疑問に思える点がいろいろ出てきてしまいます。
なお、ESAの審査にあたり、「官側」は、何もダニエルから税金を取ろうとまで考えていないのではないでしょうか?ダニエルが頑張って働きに出ても、「大工」以外の職種では、おそらく所得税の課税最低限以下の収入しか稼げないでしょうから(イギリスには付加価値税がありますが、それは働きに出なくとも、物を買えば支払う必要があるでしょう)。むしろ、「官側」が狙っているのは、システムの効率化を推進し、ESAなど福祉関係予算を抑制することではないかと思われます。
ESA支給継続審査のことなど、色々とお調べになっていらっしゃるのですね。素晴らしいですね。
為政者としては、効率化や省力化を目的にするのは仕方がないことだと思います。
が、「仕事は単にお金を稼ぐ手段」と割り切れるかどうか、ここがもはや守る人(妻)を失ったダニエルには譲れない部分だったのではないでしょうか。
何故なら、ケイティはなりふり構わず例の仕事に就いた訳だし。…いや、これはまた別の視点が必要ですね。審査が下りるのを待てないということは、ケイティの例の仕事への転身の一因となっているような気もしますし。
「「仕事は単にお金を稼ぐ手段」と割り切れるかどうか、ここがもはや守る人(妻)を失ったダニエルには譲れない部分だったのではないか」との点ですが、官側としては、これから先ずっと「大工」をやめろと言っているわけではないように思います。寝たきりではなく手足などを正常に動かせるのであれば、心臓病が治癒するまでのつなぎの期間くらいは、心臓病であっても可能な仕事に就いてもらえないか、ということではないでしょうか?なにしろ、手当に「雇用支援」(Employment and Support)とか「求職者」(Jobseeker)といった言葉が付いてついているのですから、あくまでも仕事あっての手当ではないかと思います。
その場合の仕事ですが、いくらなんでもケイティが就いた「例の仕事」などは、官側は仕事として認めないでしょう。多分、職業安定所に求人の登録がされているものである必要があるのではないかと思います(日本の失業手当でも、そのようになっているでしょう)。
なお、ケイティが「例の仕事」に転身したのは、「審査が下りるのを待てない」こともあるでしょうが、基本的には受け取る手当の金額が少ないことによるものと思われます。それを解決するには、ケイティは、今の生活全体を大幅に変えていかなくてはならないのではないでしょうか?
の態度は大きく様変わりしたと言われています。保守党政権は、受給者を
・給付制度の悪用者(不正に受給、不当に高い給付を受給)か、
・給付制度により働かずに生活できるがゆえに、結果として働く機会を奪われた者
と見做しており、
・長期の失業や貧困は努力不足によるものであり、努力した人々が彼らの給付生活を支えるのは公正なあり方ではない
と主張しています。
しかし、これは必ずしも正しい見方ではなく、
・実際にの給付受給者の多くは低賃金のために就労の報酬のみでは生活を維持できない人々であり、
・こうした層が直面する低賃金や就業機会の乏しさ、あるいは低所得層向けに貸与される民間住宅の賃貸料の高騰に起因する給付の高額化)といった問題も、彼らの努力が及びうる範囲を超えている
と言われています。
保守党政権による制度改革が、給付受給者に寄り添いながら本質的問題への対応を考慮するものではなく、ひたすら受給者の削減を目指していることが、当初より懸念されています。本作は、こうした時代背景から生まれてきたものと思われます。
日本はもともと社会主義的性格が強かったと言われていますが、昨今はアメリカの影響が強く、市場原理主義の波に洗われつつあります。均質文化が災いしているのか、市場原理主義がもっともらしいとなると、全ての点のおいて社会主義より優れていると日本人は錯覚しがちです。しかしながら、資本主義発祥の地であるイギリスで今なお、ローチ監督のように労働者の視点で社会性や人間性を訴え続ける人がいることを見落としてはなりません。市場原理主義は経済的に効率的ではありますが、社会的にも人間的にも、決してベストのシステムではないと思っています。小さな政府が良いとか、富の再配分はできるだけ少ないほうが良いというアメリカが振りかざす常識は、一度、疑ってかかって方が良いと、個人的には思っています。
おっしゃるように、本作は、保守党政権に依る制度改革を批判する側に立って制作されたものでしょう。なにしろ、本作を制作した監督は、社会主義を標榜しているくらいですから!
ですが、そうした政治闘争にかかわらない日本人が本作を見る場合には、そこに描き出されているものが正確に現状を表しているかどうかを、まずもってきちんと判断する必要があるのではないでしょうか?そうしたことをせずに、本作と類似するものが日本でもいくらか見受けられるからなどと言って、簡単にこの映画を持ち上げてみても、表面的に過ぎて何も始まらないように思います。
それに、「資本主義発祥の地であるイギリス」で『資本論』を書いたマルクスの待ち望んだ社会主義革命を成し遂げたソ連が、既に崩壊してしまったことを見落としてはならないように思います。確かに、「市場原理主義は経済的に効率的ではありますが、社会的にも人間的にも、決してベストのシステムではない」のでしょう。でも、だからといって、ケン・ローチ監督の推奨する「社会主義」(旧ソ連のものとは違うとしていますが、どこがどう違うのかは明らかではありません)が、「社会的にも人間的にも、決してベストのシステムではない」ことも言を俟たないでしょう(むしろ、「官僚主義」の泥沼に陥ってしまった旧ソ連とか旧東欧の例を見れば、西側のシステムより劣ることは明らかではないでしょうか)。
なお、「市場原理主義」は決してアメリカ専売のものではなく、例えば、よく知られているように、大阪には世界に先駆けて先物市場があり(堂島米会所)、投機取引が行われていました。
また、「小さな政府が良いとか、富の再配分はできるだけ少ないほうが良いというアメリカが振りかざす常識」と述べておられます。ですが、それはアメリカの「常識」というよりも、共和党の根っこにある理念的な考え方に過ぎないように思います。26日に、トランプ政権は、基本的にそうした方向の税制改革案を発表しましたが、最近まで政権についていた民主党の方は強い反発を表明していて、現実にそうした方向にアメリカが進むことになるのかどうか疑問視されているところです。
さらに、日本は、「昨今はアメリカの影響が強く、市場原理主義の波に洗われつつあります」と述べておられますが、むしろまだまだ「社会主義的性格が強」いままではないでしょうか?特に、この先、社会保障システムを抜本的に改革し、給付レベルをかなり引き下げなければ、早晩、その財政が破綻するのではないかと言われているくらいです。
ですから、イギリスの社会保障システムの現状について、この映画のように、一方的なイデオロギーに立ってしゃにむに批判するのではなく、日本としては、イギリスの保守党が社会保障システムにどのようにメスを振るってきているのかを、冷静に・客観的に分析することの方が重要ではないかと思っています。
信憑性の視点から映画を評価することは大切ですね。本作は、調査や政府の内部情報等に基いて製作されており、病気にも関わらずジョブセンターの出頭した倒れた男性の話を含め、ほとんどが実際にあった話の組み合わせで構成されています。最大のフィクションは、ダニエル、ケイティといったキャラクターを作り上げ、観客が彼らに感情移入しやすいようにエピソードを組み合わせていることです。ですので、所詮、作り事との視点で見ることも出来ますが、自身の経験から、実直だが要領が悪く、制度をうまく利用できない人が少なからず事実であることがわかっていますので、監督のアプローチは芸術的な修辞ではあるが、欺きではないと捉えています。本作が秀逸なのは、政府の対応が不十分な為、慈善団体によるフードバンクのみならず、靴の違法販売による自助努力、犯罪組織による弱者救済が描きこまれていることです。官民一体となって暴力団排除に立ち向かう日本とは異なるこの有り様は、政府の無能さを示すのに効果的な表現です。私は彼のこの素晴らしい視点を、社会主義者だからというレッテル貼りで排除したくはありません。ちょっと大げさですが、「市場原理主義は経済的に効率的だが、社会的にも人間的にも、決してベストのシステムではない。小さな政府が良いとか、富の再配分はできるだけ少ないほうが良いという常識は、一度、疑ってかかって方が良い。」というのは、このように自分を一旦、体制の外に置いて物事を見る為です。
ローチ監督が社会主義者であることが意味を持つとしたら、それは彼が社会を見つめる眼差です。体制の中にいる者には、正しくないことに気づきにくい。例えば、財政難ならば受給者を非人間的に扱って良いのかという問題ですが、体制の中にいる者は、「やむを得ない」とやり過ごしてしまいがちです。そしてこの種の問題は、内部の者が指摘したところで黙殺、圧殺されるのが落ちで、外部から執拗に指摘されなければ改まらないということです。企業の事例ですが、電通は過去に過労死事件を起こし、最高裁で安全配慮義務違反が認定され、損害賠償までしていますが、再び高橋まつりさんの過労死事件を引き起こしだけではなく、まつりさんの個人的な理由による自殺として処理しようとしました。労災認定、遺族による被害者の実名を公表しての記者会見、厚労省による強制捜査、東京地検の略式不相当の判断とプレッシャーが相次ぐ中、電通は公判でようやく事実を認めました。組織とはかくも、自分の非を認めたがらないものです。幸い政府は不正を責める側に回りましたが、労働者のセーフティ・ネットである政府が敵に回ったらと考えると恐ろしいものがあります。ご指摘のようにこの映画を観て日本の状況を批判するのは当たらないと思いますが、財政難の日本がイギリス政府と同じ轍を踏みかねないよう留意しなければなりません。社会的弱者には何の罪もありません。むしろ、財政難を招いた罪は少子高齢化を招いた国民一人ひとりの意識にあることを肝に銘じるべきでしょう。
イギリスとの結びつきということで言えば、マルクスよりエンゲルスの方が強いのではないかと思います。彼は産業革命発祥の地、マンチェスターで暮らし、その実態にショックを受けました。都市の貧困の中で暮らす人々の生活の中に入り込み、取材と調査を進め、都市の人口やその状態の詳細などを考察した報告を執筆、1845年に「イギリスにおける労働者階級の状態」として出版され、労働者階級に関する歴史的な文献としてマルクスは極めて高い評価を与えられています。ご指摘のように、旧ソビエト連邦の崩壊以降、資本主義vs共産主義(社会主義)のイデオロギー対決の軍配は資本主義に上がったする識者が少なくありませんが、これを資本主義が万能であると勘違いしている人が多いのは不思議なことです。規模と経済と独占、外部不経済、公共財、情報の非対称性など、市場原理では解決できない問題があるのは経済学の常識ですし、また、社会主義=ソ連でもありません。例えば、社会民主主義は、自由競争市場経済や資本主義経済が生み出す労働者の貧困、失業などの問題を議会や政府の管理と介入により軽減・解決し、実質・実態としての政治的・経済的・社会的な公正や機会平等、人権保護、環境保護、国際協調と国際社会との共生を追求するもので、欧州で生まれ、現在の欧州各国で与党や有力な野党となっており、暴力革命やプロレタリア独裁のような過激な方法を肯定する共産主義とは一線を画する、穏健な改良主義です。ですので、例え、日本に社会主義的な部分が残っていたとしても、それは恥じることではないと思われます(アメリカ同様、赤狩りが行われた日本では、偏見も残っているかもしれないが)。
イギリスの労働政策は厚労省系のシンクタンクなどが日頃から評価していますが、必ずしもポジティブな評価ではないとの認識です。しかし、映画に求めるのはそうした評価ではなく、ある程度の信憑性を踏まえた上で共感できるか、どうかではないかと思います。「海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜」でベルリン映画祭の銀熊賞を受賞したジャンフランコ・ロッシ監督は、「数字の裏に「人」がいることを感じれば「何かをしなければいけない」という気持ちになる」と語っていますが、理屈もさることながら、映画では人を感じることがとても重要なのではないかと思います。もちろん、社会的弱者や高橋まつりさんのような方々に対して思いを馳せることの興味のない方は、その限りではありませんが・・・。
余談になりますが、紛争地域から物理的に離れているせいもあるかと思いますが、2015年の難民認定ははわすか27人、これまで認定されたシリア難民は6人と、異常に低いことは認識しておいた方が良いのではないかと思います。この問題について、心情的には共感するが、物理的に受け入れることができないのか、そもそも心情的に共感できないのか、きちんと説明できる人は意外に少ないような気がします。
ですが、クマネズミが拙ブログでいろいろ指摘いたしましたのは、前回や今回のコメントで「通りすがり」さんがおっしゃっているような理念的・抽象的なレベルの話ではなく、イギリスの社会保障制度の具体的な点に関するもののつもりです。
従って、「(本作は)ほとんどが実際にあった話の組み合わせで構成されています」とか「監督のアプローチは芸術的な修辞ではあるが、欺きではないと捉えています」とか、いくら「通りすがり」さんがおっしゃられても、クマネズミにとっては何の意味もありません。
制度の細かな実態について、ここはこういうことだからクマネズミの理解の仕方が間違っているとの具体的な指摘をお願いしたいところです。
前回と今回のコメントにおいて「通りすがり」さんが長々とお書きになっていることについては、クマネズミとは、基本的に見解の相違があって、前回ご返事したもの以上に議論しても何の意味もないと考えております。
従って、今回のコメントも何の意味もありません。
もし、「通りすがり」さんの方で、こういうレベルで議論を続けたいということであれば、他の場所でどうかご自分のお考えをお好きなだけ開陳していただきたいと思います(例えば、「楽天売れ筋お買い物ランキング」にそうした記事を掲載されたらと思います)。
つまらないことですが、自分のブログ以外のブログのコメント欄を使うに当たっては、それなりのエチケットがあるように思われます。
コメントを付けたブログに実際に書かれている具体的な点について思ったことをコメントするのであれば、その内容をできるだけ簡潔にわかりやすく書くべきではないでしょうか?
そして、それ以外の自分の見解に属することは、そうしたコメント欄に書き込むべきではないと考えます。
まして、前回とか今回のコメントのように、直接関係しないことを長々とお書きになるとは、いったいどういうおつもりなのでしょう!
それに、今時ほとんど見向きもされない「イギリスにおける労働者階級の状態」といったエンゲルスの著作についての薀蓄とか「余談」といったものをコメント欄に書き込むとは、考えられないことだと思います(「2015年の難民認定ははわすか27人」などということは、本エントリと何の関係もない点です)。
再度こうしたコメントが続くようであれば、申し訳ありませんが、ブロックさせていただきたいと思います。あしからず。
・ブログに実際に書かれている具体的な点について思ったことをコメントするのであれば、簡潔にわかりやすく書くべき。
・それ以外の自分の見解に属することは、コメント欄に書き込むべきではない
・今時ほとんど見向きもされないエンゲルスの著作についての薀蓄とか「余談」をコメント欄に書き込むとは、考えられない
・再度こうしたコメントが続くようであれば、ブロックする
をよく理解しました。非常に知見の広い方とお見受けした、ついつい、思ったことををコメントさせて戴いただけで、議論するつもりもございませんので、運営方針に合わないコメントとして削除頂いても結構です。大変、失礼致しました。
本作についてのクマネズミのエントリを読んでもらえれば簡単におわかりのように、クマネズミは、イギリスの社会保障制度の仕組みについてよくわからないけれど、アクセスできる資料で調べてみた範囲ではこういうことではないか、でもそれははっきりしない、と申し上げているのです。
そこで、クマネズミが疑問に思える点を、皆さんから具体的に教えてもらいたいと願っているのです。
本作のような映画について、具体的な点を解明せずに情緒的・理念的・抽象的にああだこうだと無駄話をしてみても、何一つ始まらないように思います。なにしろ、ケン・ローチ監督の方で、極めて具体的なエピソードを描き出しているのですから、観客の方も心して見る必要があるものと思います。無論、同監督のこれまでの姿勢を評価している場合には、本作の制作方向を見て「良し」と思うのでしょうが、そうでないクマネズミのような観客までも、そんなことをしても何の意味もありません。
なお、クマネズミは、コメント欄には、ブログのエントリが取り扱っている映画それ自体に対するコメンテーターの感想を記載するべきではなく(それは、「通りすがり」さんが「楽天売れ筋お買い物ランキング」に掲載されておられるように、ご自分のブログ等に記載すれば良いはずです)、当該エントリが具体的に述べていることについてのコメントを記載すべきではないかと考えております。クマネズミの考えでは、「通りすがり」さんの、前々回と前回のコメントは、コメント欄に記載すべきものを大きく逸脱していると考えます。