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「「橋」ものがたり」展

2011年09月01日 | 美術(11年)
 「「橋」ものがたり」展を三井記念美術館で見てきました。

 随分長い期間開催していると頭にあったものですから(7月4日が初日)、早い時期に出かけて鑑賞したまま放っておいたら、9月4日までとわかり、慌てて取りまとめてみた次第です(注1)。

 この展覧会の正式なタイトルは、「日本橋架橋百年記念 特別展 日本美術にみる「橋」ものがたり-天橋立から日本橋まで-」と大層長たらしいものですが、要するに“日本美術を通して見る日本の橋”ということなのでしょう。

 そうなれば、おのずと思い起こされるのが保田與重郎の「日本の橋」(1936年)と題するエッセイでしょう。
 この展覧会も、明示されてはいませんがそれを踏まえていることは、同エッセイの末尾近くで言及されている「裁断橋」の「青銅擬寶珠」が展示されていることからもわかります。

 ところで、保田與重郎は、同エッセイで、日本の橋の特徴として次のような点を挙げています〔保田與重郎文庫1『改版 日本の橋』(新学社、2001年)によります〕。

・「日本の橋は道の延長であった。極めて静かに心細く、道のはてに、水の上を超え、流れの上を渡るのである」(P.36)。
・「日本の橋は材料を以て築かれたものでなく、組み立てられたものであった」(P.37)。
・「日本の橋は概して名もなく、その上悲しく哀つぽい」(〃)。
・「日本人の古い橋は、ありがたくも自然の延長と思われる。飛び石を利用した橋、蔦葛の橋。さういふ橋こそ日本人の心と心との相聞を歌を象徴した」(P.38)。

 西洋の橋については、それほど明確に述べていませんが、次のような箇所があります。
・「橋が感慨深い強度な人工の嘆きに彩られてゐる」(P.27)。
・「羅馬人の発見した橋は道の延長とは云へない」(P.28)。
・「羅馬人の橋はまことに殿堂を平面化した建築の延長であった」(P.29)。
・「まことに羅馬人は、むしろ築造橋の延長としての道をもつていた」(P.31)。

 このブログの昨年11月18日の「セーヌと隅田」と題した記事では、セーヌ川に架かる橋を描いた絵画と、隅田川に架かる橋を描いた絵画とを見比べていますが、華奢な木造の橋とがっしりした石造りの橋の違いなどから、何となくそうした違いは頷けるところです。

 ですが、むしろ今回の展覧会において、保田の指摘する日本の橋の特色が、展示されている絵画等にうかがえるのではと思われます。
 そこで展示されているものをいくつか見てみたいところ、展示されている順に従って平板に並べてみても仕方ありませんから、ここでは、小山田了三著『橋』(注2)に従いつつ、もう少し橋を構造的・歴史的に捉えてみることといたしましょう。

 まず同書では、「自然の「飛石」や「丸木橋」が、人工の橋の起源になったであろう」とされています(P.4)。ついで、飛鳥時代には簡単な「桁橋」、すなわち「橋脚として浅瀬に杭を2本ずつ打ち、これに横木をしばりつけ、その上に加工した丸太や板を並べてゆく尤も簡単な構造の桁橋」が生まれていたようです(P.22)。
 これがうかがわれるのは、次の図〔「伊勢物語八橋図屏風」(部分):江戸時代〕でしょう。



 さらに同書では、「8世紀頃には浮橋は日常生活の中によく見かけられた存在であった」とされています(P.47)。
その「浮橋」とは、「水上に舟や筏を並べてこれを繋ぎ、その上に板を敷いて橋としたもので、舟橋や筏橋とも呼ばれていた」とのことですから、次の図〔「佐野渡図屏風」(部分):狩野興以筆、江戸時代〕のようなものでしょう。




 同書で舟橋に次いで挙げられているのは、「つりばし(釣橋・吊橋)」、すなわち、「柱または礎石を用いず、谷や深い川の両岸に支えを作り、これに強くしなやかで弾力のある綱(藤蔓)などで編んだ網を空中に架け渡したもの」です(P.62)。

 これについては、下図〔「諸国名橋奇覧「飛越の堺つりはし」」:北斎画〕が有名のようです。



 また、同書では「肘木橋」、すなわち「木材を重ね合わせた腕木を谷の両岸から突き出させ、その上に長い橋桁・橋床を載せ、両者を連絡してつくった橋」が挙げられています(P.79)。
 この形式のものとしては甲州の猿橋が有名ですが、今回の展覧会では、下図〔「諸国名橋奇覧「足利行道山くものかけはし」」:北斎画〕のものにその構造の特色がうかがわれるところです(注3)。



 また、記事冒頭に掲げました図〔「諸国名橋奇覧「すほうの国きんたいはし」」:北斎画〕に描かれている岩国の錦帯橋も、肘木工法が応用されているとのことです(P.94)。

 なお、以上の例示からも、保田與重郎が日本の橋の特色として掲げた点はうかがわれるところ、あるいは、橋板の上に土を敷き詰めているようにみえる下図〔「東海道五十三次之内「掛川」:広重画〕の土橋は、彼が述べている“道の延長としての橋”そのものに思えるところです。




 むろん、この展覧会は美術展ですから、こんな風に見ていくのは邪道かもしれないものの、偶には違った観点に立つのも面白いのではないかと思いました。


(注1) 以下で掲載する作品のうち、北斎の「諸国名橋奇覧「飛越の堺つりはし」」を除くものは、会期の後半では見ることが出来ません。

(注2)本書は、法政大学出版局から出されている「ものと人間の文化史」シリーズの66巻目(1991年)であり、昭和63年度の日本文芸大賞受賞作でもあります。
 ただ、橋の歴史を橋の種類毎に記述しているものの、同書においては、江戸時代の橋についての言及が殆どなされていないのは大層不思議な気がします。
 あるいは、今回の展覧会からうかがわれるように、江戸時代の橋の大部分は「桁橋」であって、12世紀末頃には「木造桁橋の形はほぼ完成し」てしまったようですから(P.19)、技術的な興味は最早持たれないのかもしれません。でも、江戸を中心として諸国の橋がこれだけ沢山描かれているというのに何も触れられていないというのも、「文化史」という以上、随分と片手落ちではないかと思えるところです(Wikipediaの「」によれば、日本の場合、江戸時代末期まで架橋技術は余り発達しなかったようですから仕方ないのでしょうが、同書の半分以上は「アーチ型石橋」に充てられています)。

(注3)このあと同書では、「石橋」についての記述がありますが、今回の展覧会で「石橋」が取り上げられているのは、昭和の「日本橋」についてのものだけのため、ここでは触れません。






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