
同じ原作者の映画『女の子ものがたり』が大変良かったこともあり、また菅野美穂の8年ぶりの主演映画ということもあって、『パーマネント野ばら』をヒューマントラストシネマ・有楽町で見てきました。
(1)余り先入観を持たないように映画を見ようとしたために、映画が始まるまでは、“パーマネント”の意味するところがよく分からないでいたところ、開始早々、これは「パーマ 野ばら」あるいは「美容室 野ばら」なのだとわかった次第です!
それはさておき、主人公のなおこ(菅野美穂)は、離婚して一人娘を連れて高知の田舎町に舞い戻り、母親(夏木マリ)の経営する美容室の手伝いをしています。
そこに来るお客さんの様子を見ただけで、『川の底からこんにちは』の女性従業員のことが連想され、あるいはひょっとしたらその映画と同じ雰囲気なのかもしれないと思い始めます。
なにしろ、彼女たちは、昼間からこの美容室にたむろしてして、町の男たちを肴にあることないこと大声でだべっているのですから!
それに、母親の今の旦那(宇崎竜童)は、別の女性のところに入り浸りで、なおこが戻ってくるよう頼みに行っても、「男の人生は真夜中のスナックや」という屁理屈を言って戻ろうとはしません。
また、なおこの友達のみっちゃん(小池栄子)は、フィリピンパブを経営していますが、その夫が酷いダメ男で、店の従業員と浮気するは、どんどん金を使うはで、いつも大わらわです。
また、そのお父さんは、薪として売るべく、チェーンソーで電柱を切断して(昔は実益から、今はわけも分からずに)、町中停電してしまいます。
さらに、これもなおこの友達のともちゃん(池脇千鶴)も、いろいろなダメ男から暴力を受けてきたので、これまでとは違った殴らない男を選んだと思ったら、ギャンブル狂で、負けが込んだ途端に行方不明となってしまいます。
〔『女の子ものがたり』に登場する親友3人娘が思い出されるところです!〕
ですが、『川の底からこんにちは』と似ているのもそんなところで、なおこが現在付き合っている高校教師のカシマ(江口洋介)が登場してくると、様相は一変してしまいます。
このカシマは、まるで授業を受け持っていないかのように、いつでもなおこのもとに現れるのです。そして、優しくなおこの話を聞いてくれます。
ただ、近くの温泉場の旅館になおこと行っても、夜中に知らないうちにいなくなってしまったりします。なおこが、余りの寂しさにカシマに電話をするのですが、なにか普通の電話の雰囲気とは違います。
と思っていると、なおこの高校時代の回想シーンで、カシマの遺影が飾られた葬式の光景が描き出され、どうやらカシマは海で遭難したようなのです。
とすると、現在のなおこの恋人のカシマとは?……。
ですが、こんななおこのことを、町中の人はやさしく受け入れているようです。ナンノカンノ言いながら、町の女は誰も、「そばに好きな男がいたら、人生毎日正月」の精神で男を許してしまうのです。
過去の男に執着していながらも、現実には小さな娘を育てている女性という極めて難しい役柄を、さすがに菅野美穂はうまく演じていますし、小池栄子も、最近のどの映画にもまして力いっぱい「みっちゃん」の役を演じています。また、殴られたり騙されたりしながらも男に感謝してしまうという女性を演じる池脇千鶴も素晴らしいものがあります。
漫画の持っている素晴らしく詩的なところが、映画の性質上仕方がないのでしょうが、幾分説明的になってしまっているきらいがあるとはいえ、こうした配役陣に支えられて、感動的な作品に仕上がっているものと思いました。
(2)この映画の原作は、映画『女の子ものがたり』の原作漫画を描いた西原理恵子が描いた漫画です(新潮文庫)。
ただ、前回の場合、原作にはない漫画家(深津絵里)が登場したりしますが、今回作品は、原作漫画からそんなに大きく逸脱していません。
とはいえ、みっちゃんは、原作では、「私のことなんか誰もみてくれてないし、ほめてもくれへん」と自分で言ってしまうほどブスなのですが、それを映画では小池栄子が扮しているのですから、大違いといえば大違いでしょう。
ともちゃんの旦那についても、原作では単に「山の中の一軒家でのたれ死んだ」とされていて(どうやら“薬”をやっていたようです)、映画のように、賭け麻雀狂で、借金に追われて山に逃げ込んで云々とは描かれてはいません。
一番大きな違いは、映画に登場する高校教師のカシマについてです。漫画では、要所要所に登場しますが、いつも夜の場面で、さらには「私の好きな人」とだけあって、どこまでも漠然としか描かれてはいません。名前も職業も明示されませんし、それも「おっちゃん彼氏」とみっちゃんから言われるように初老の男性なのです。
そして、漫画のラストでは、海岸で「好きな人」と会っている最中に現れたみっちゃんに、「わたしくるってる?」と言うところからすると、なおこのつきあっている初老の男性は、なおこの妄想の中にしかいないのでしょう。
これに対して、みっちゃんは、「そんあやったら、この街の女はみんな狂うとる」と答え、さらにはなおこの母親も、「女は年いくとどれもこれも立派な妖怪やわっ」などと言っているところから、街中でそういうなおこを優しく受け入れていることがよくわかります。

こうして、漫画は漫画で、映画とは別の一つの美しい詩的世界を作り上げているものと思います。
(3)映画評論家はまずまずの評点を与えています。
渡まち子氏は、「自分につくささやかな嘘は、皆が共有するオープンな秘密。そんな設定が納得できる小さなコミュニティの揺るぎない優しさが心にしみるのである。菅野美穂の独特の浮遊感がいいが、原作者の出身地である高知県でロケしたという、港町の風情も魅力的だった」として65点を、
福本次郎氏は、「出てくる男たちは甲斐性なしの人間ばかり。こんなクズどもは放っておいたほうがよいと思えるのに、それでも彼女たちは見捨てない。愛されるよりも愛することを選び、情けない男のために尽くすことが習い性になった女たちの 「いつも恋していたい」という言い訳がいとおしい」などとして50点を、
それぞれつけています。
★★★★☆
象のロケット:パーマネント野ばら
(1)余り先入観を持たないように映画を見ようとしたために、映画が始まるまでは、“パーマネント”の意味するところがよく分からないでいたところ、開始早々、これは「パーマ 野ばら」あるいは「美容室 野ばら」なのだとわかった次第です!
それはさておき、主人公のなおこ(菅野美穂)は、離婚して一人娘を連れて高知の田舎町に舞い戻り、母親(夏木マリ)の経営する美容室の手伝いをしています。
そこに来るお客さんの様子を見ただけで、『川の底からこんにちは』の女性従業員のことが連想され、あるいはひょっとしたらその映画と同じ雰囲気なのかもしれないと思い始めます。
なにしろ、彼女たちは、昼間からこの美容室にたむろしてして、町の男たちを肴にあることないこと大声でだべっているのですから!
それに、母親の今の旦那(宇崎竜童)は、別の女性のところに入り浸りで、なおこが戻ってくるよう頼みに行っても、「男の人生は真夜中のスナックや」という屁理屈を言って戻ろうとはしません。
また、なおこの友達のみっちゃん(小池栄子)は、フィリピンパブを経営していますが、その夫が酷いダメ男で、店の従業員と浮気するは、どんどん金を使うはで、いつも大わらわです。
また、そのお父さんは、薪として売るべく、チェーンソーで電柱を切断して(昔は実益から、今はわけも分からずに)、町中停電してしまいます。
さらに、これもなおこの友達のともちゃん(池脇千鶴)も、いろいろなダメ男から暴力を受けてきたので、これまでとは違った殴らない男を選んだと思ったら、ギャンブル狂で、負けが込んだ途端に行方不明となってしまいます。
〔『女の子ものがたり』に登場する親友3人娘が思い出されるところです!〕
ですが、『川の底からこんにちは』と似ているのもそんなところで、なおこが現在付き合っている高校教師のカシマ(江口洋介)が登場してくると、様相は一変してしまいます。
このカシマは、まるで授業を受け持っていないかのように、いつでもなおこのもとに現れるのです。そして、優しくなおこの話を聞いてくれます。
ただ、近くの温泉場の旅館になおこと行っても、夜中に知らないうちにいなくなってしまったりします。なおこが、余りの寂しさにカシマに電話をするのですが、なにか普通の電話の雰囲気とは違います。
と思っていると、なおこの高校時代の回想シーンで、カシマの遺影が飾られた葬式の光景が描き出され、どうやらカシマは海で遭難したようなのです。
とすると、現在のなおこの恋人のカシマとは?……。
ですが、こんななおこのことを、町中の人はやさしく受け入れているようです。ナンノカンノ言いながら、町の女は誰も、「そばに好きな男がいたら、人生毎日正月」の精神で男を許してしまうのです。
過去の男に執着していながらも、現実には小さな娘を育てている女性という極めて難しい役柄を、さすがに菅野美穂はうまく演じていますし、小池栄子も、最近のどの映画にもまして力いっぱい「みっちゃん」の役を演じています。また、殴られたり騙されたりしながらも男に感謝してしまうという女性を演じる池脇千鶴も素晴らしいものがあります。
漫画の持っている素晴らしく詩的なところが、映画の性質上仕方がないのでしょうが、幾分説明的になってしまっているきらいがあるとはいえ、こうした配役陣に支えられて、感動的な作品に仕上がっているものと思いました。
(2)この映画の原作は、映画『女の子ものがたり』の原作漫画を描いた西原理恵子が描いた漫画です(新潮文庫)。
ただ、前回の場合、原作にはない漫画家(深津絵里)が登場したりしますが、今回作品は、原作漫画からそんなに大きく逸脱していません。
とはいえ、みっちゃんは、原作では、「私のことなんか誰もみてくれてないし、ほめてもくれへん」と自分で言ってしまうほどブスなのですが、それを映画では小池栄子が扮しているのですから、大違いといえば大違いでしょう。
ともちゃんの旦那についても、原作では単に「山の中の一軒家でのたれ死んだ」とされていて(どうやら“薬”をやっていたようです)、映画のように、賭け麻雀狂で、借金に追われて山に逃げ込んで云々とは描かれてはいません。
一番大きな違いは、映画に登場する高校教師のカシマについてです。漫画では、要所要所に登場しますが、いつも夜の場面で、さらには「私の好きな人」とだけあって、どこまでも漠然としか描かれてはいません。名前も職業も明示されませんし、それも「おっちゃん彼氏」とみっちゃんから言われるように初老の男性なのです。
そして、漫画のラストでは、海岸で「好きな人」と会っている最中に現れたみっちゃんに、「わたしくるってる?」と言うところからすると、なおこのつきあっている初老の男性は、なおこの妄想の中にしかいないのでしょう。
これに対して、みっちゃんは、「そんあやったら、この街の女はみんな狂うとる」と答え、さらにはなおこの母親も、「女は年いくとどれもこれも立派な妖怪やわっ」などと言っているところから、街中でそういうなおこを優しく受け入れていることがよくわかります。

こうして、漫画は漫画で、映画とは別の一つの美しい詩的世界を作り上げているものと思います。
(3)映画評論家はまずまずの評点を与えています。
渡まち子氏は、「自分につくささやかな嘘は、皆が共有するオープンな秘密。そんな設定が納得できる小さなコミュニティの揺るぎない優しさが心にしみるのである。菅野美穂の独特の浮遊感がいいが、原作者の出身地である高知県でロケしたという、港町の風情も魅力的だった」として65点を、
福本次郎氏は、「出てくる男たちは甲斐性なしの人間ばかり。こんなクズどもは放っておいたほうがよいと思えるのに、それでも彼女たちは見捨てない。愛されるよりも愛することを選び、情けない男のために尽くすことが習い性になった女たちの 「いつも恋していたい」という言い訳がいとおしい」などとして50点を、
それぞれつけています。
★★★★☆
象のロケット:パーマネント野ばら
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