「戦場でワルツを」を銀座のシネスイッチで見ました。
昨年3月のことになりますが、パレスチナ問題関係でドキュメンタリー映画『パレスチナ1948 NAKBA』を見たこともあり、この映画を予告編で知ってから、ぜひ見たいものだと思っていました。
実際に見てみると、戦争の理不尽さ、悲惨さなどは、独特の色調ともあいまって、このようなアニメ映画でも十分伝わるものだな、むしろアニメの方がよく理解されるのかもしれない、と思いました。
こうした点は、他の映画レヴューでも様々に書き綴られていることでしょうから、以下では二つの点だけに絞って書いてみます。
イ)この映画は、前者がドキュメンタリー映画であるのに対してアニメですから表現方法は違っています。とはいえ、いずれもイスラエルを起点に制作されている点が共通していて、その持つ意味合いは大きなものがあるのではと思います。
前者の『パレスチナ1948 NAKBA』は、日本人の手になるもので、その映画の中では、彼が青年時代に滞在したことのあるキブツで見かけた廃墟が、パレスチナ人の村のわずかな名残であって、その村の元住人を探索していくうちに、こうした破壊行為が1948年の第1次中東戦争の最中にイスラエル全土にわたり行われ、70万人以上といわれる難民が発生し、さらには虐殺行為もなされた、という事実が次第に判明していくことになります〔この戦争は、パレスチナ人の虐殺・追放・難民化をもたらしたことから、パレスチナ側では「大破局・大惨事」を意味する「ナクバ」といわれています〕。
ですが、映画では、ナクバによって難民となったパレスチナ人のみならず、その中で引き起こされた虐殺事件の経緯を知るユダヤ人の元軍人や、こうしたことを調査しているユダヤ人歴史家などが登場して証言します。
このように、イスラエルといっても決して頑強な一枚岩ではなく、内側には少数かもしれませんが異見を持つ人々が存在し、常時臨戦態勢にある国家でありながら、その人たちの行動が厳しく規制されているわけでもなさそうに思え、これは非常に興味深いことだなと思いました。
(以上については、ブログ「はじぱり!」の昨年3月25日の記事についてのコメントの「1」を参照)
今回の映画においても、イスラエル人である監督の友人が、20年以上も昔の出来事にかかわる恐ろしい夢に悩まされ、そのことを監督に打ち明けることから、当時の事柄に関して監督自身の記憶喪失も明らかにされます。そして、失われた過去にいったい何があったのかと監督が関係者に尋ね回って証言を集め記録して作り上げたのがこの映画だというわけです。
その失われた記憶の核心にあるのが、イスラエルのレバノン侵攻(1982年6月)に伴って引き起こされた虐殺事件であり、映画においては、イスラエル軍は直接手を下さなかったものの、レバノンのファランヘ党(キリスト教マロン派の政党で、民兵組織を持つ)によるパレスチナ難民虐殺に間接的ながら加担してしまったこと、そして監督はその事件の現場を見ることができる位置にいたことなどが明らかにされます。
この虐殺事件それ自体も実に大変なことですが、私には、こうした映画が、パレスチナ人ではなくイスラエル人によって制作されたということが、上記の映画で見られる光景(イスラエル人による様々の証言)と合わせて、酷く興味深いことだと思いました。
ロ)もう一つ特徴的な点は、記憶のフラッシュバックを巡ることがらです。
すなわち、この映画は、監督の友人が、24年前の出来事に関連するフラッシュバック的な悪夢(その時に殺した26匹の獰猛な犬に追いかけられるという夢)に悩まされ、そのことを監督に打ち明けることから始まりますが、これは、まさにPTSD(「心的外傷後ストレス障害」)の特徴的な症状を示していると思われます。
(以下は、HP「古樹紀之房間」に掲載されている論考「映画と記憶―『銀座の恋の物語』を巡って」を参考にしました)
すなわち、日本でも使われている米国精神医学会が定める診断基準によれば、次の3つのグループに分類される症状のすべてにつき、それが「1ヶ月以上にわたって持続し、それにより主観的苦痛や生活機能・社会機能に明らかな支障が認められたとき」に、PTSDと診断されます。
a.再体験症状‥‥出来事に関する不快で苦痛な記憶が、フラッシュバックや夢の形で繰り返しよみがえる。
b.回避症状‥‥出来事に関して考えたり話したり、感情がわき起こるのを、極力避けようとしたり、思い出させる場所や物を避けようとする。
c.覚醒昂進症状‥‥睡眠障害、いらいらして怒りっぽくなる、物事に集中できないなど、精神的緊張が高まった状態。
これらの症状の中でも、aの「再体験症状」が特徴的です。すなわち、戦闘とか性的暴力などのトラウマティックな記憶は、コントロールがきかずに勝手にその人の意識に侵入してきます。この場合、フィルムをまわすように事件が再現されて、患者はそれを止めることができないとされています。
こうした厳しい症状が、繰り返しその人の意思に反して生じるために、それを軽減すべくbの「回避症状」が現れ、また常に緊張状態にあってリラックスできないために、cの睡眠障害などの症状を示すことにもなると考えらるようです。
こうしたPTSDは、池田小学校無差別殺傷事件(2001年)とか佐世保小学校殺傷事件(2004年)、JR福知山線の脱線事故(2005年)などの際に随分と問題になりました。
この映画の冒頭に登場する監督の友人は、まさに自分が殺した犬に追いかけられるのですから、上記のaの「再体験症状」を示しているといえるでしょう。そして、監督とその友人とを一体とみなせば、監督の記憶から24年前の虐殺事件が消滅していることは、bの「回避症状」に該当しているといえるかもしれません!
ハ)この映画に対して評論家は次のように述べています。
小梶勝男氏は、「アニメの絵に力がある。日本ともハリウッドとも違う独特の絵画的な絵は、陰影の濃さが主人公の心象をリアルに表現する」とし、さらに「ドキュメンタリーをこのように見せるのは「あざとい」ともいえるが、私は「真実」を伝えるための最良の手法として評価したい」として91点もの高得点を与えています。
岡本太陽氏は、「これは監督にとって事実を知ると同時に、彼自身の心を癒すドキュメンタリー映画でもあり、"記憶を取り戻す事=自分自身を許す"、がフォルマン氏にとって一種のセラピーになっているのだ」として90点を与えています。
渡まち子氏は、「記憶を道案内役に、斬新な形で戦争の愚行を描いたこの見事な作品は、アニメーションやドキュメンタリーといったジャンルの枠を越え、映画史に確かな足跡を残すと確信している」として85点を与えています。
福本次郎氏も、「これはアリ監督の自己再発見の旅であると同時に、ホロコーストの被害者として徹底的にナチスを断罪しておきながら、パレスチナの人民を大虐殺する正当性を主張するイスラエルというユダヤ人国家の抱えるジレンマを告発する行為でもある」として60点を付けています。
全体的に、監督の記憶回復の方を重視しているようですが、上記ロで申し上げたように、私には、むしろ冒頭のフラッシュバックの方を重視したい感じがするところです。
象のロケット:戦場でワルツを
昨年3月のことになりますが、パレスチナ問題関係でドキュメンタリー映画『パレスチナ1948 NAKBA』を見たこともあり、この映画を予告編で知ってから、ぜひ見たいものだと思っていました。
実際に見てみると、戦争の理不尽さ、悲惨さなどは、独特の色調ともあいまって、このようなアニメ映画でも十分伝わるものだな、むしろアニメの方がよく理解されるのかもしれない、と思いました。
こうした点は、他の映画レヴューでも様々に書き綴られていることでしょうから、以下では二つの点だけに絞って書いてみます。
イ)この映画は、前者がドキュメンタリー映画であるのに対してアニメですから表現方法は違っています。とはいえ、いずれもイスラエルを起点に制作されている点が共通していて、その持つ意味合いは大きなものがあるのではと思います。
前者の『パレスチナ1948 NAKBA』は、日本人の手になるもので、その映画の中では、彼が青年時代に滞在したことのあるキブツで見かけた廃墟が、パレスチナ人の村のわずかな名残であって、その村の元住人を探索していくうちに、こうした破壊行為が1948年の第1次中東戦争の最中にイスラエル全土にわたり行われ、70万人以上といわれる難民が発生し、さらには虐殺行為もなされた、という事実が次第に判明していくことになります〔この戦争は、パレスチナ人の虐殺・追放・難民化をもたらしたことから、パレスチナ側では「大破局・大惨事」を意味する「ナクバ」といわれています〕。
ですが、映画では、ナクバによって難民となったパレスチナ人のみならず、その中で引き起こされた虐殺事件の経緯を知るユダヤ人の元軍人や、こうしたことを調査しているユダヤ人歴史家などが登場して証言します。
このように、イスラエルといっても決して頑強な一枚岩ではなく、内側には少数かもしれませんが異見を持つ人々が存在し、常時臨戦態勢にある国家でありながら、その人たちの行動が厳しく規制されているわけでもなさそうに思え、これは非常に興味深いことだなと思いました。
(以上については、ブログ「はじぱり!」の昨年3月25日の記事についてのコメントの「1」を参照)
今回の映画においても、イスラエル人である監督の友人が、20年以上も昔の出来事にかかわる恐ろしい夢に悩まされ、そのことを監督に打ち明けることから、当時の事柄に関して監督自身の記憶喪失も明らかにされます。そして、失われた過去にいったい何があったのかと監督が関係者に尋ね回って証言を集め記録して作り上げたのがこの映画だというわけです。
その失われた記憶の核心にあるのが、イスラエルのレバノン侵攻(1982年6月)に伴って引き起こされた虐殺事件であり、映画においては、イスラエル軍は直接手を下さなかったものの、レバノンのファランヘ党(キリスト教マロン派の政党で、民兵組織を持つ)によるパレスチナ難民虐殺に間接的ながら加担してしまったこと、そして監督はその事件の現場を見ることができる位置にいたことなどが明らかにされます。
この虐殺事件それ自体も実に大変なことですが、私には、こうした映画が、パレスチナ人ではなくイスラエル人によって制作されたということが、上記の映画で見られる光景(イスラエル人による様々の証言)と合わせて、酷く興味深いことだと思いました。
ロ)もう一つ特徴的な点は、記憶のフラッシュバックを巡ることがらです。
すなわち、この映画は、監督の友人が、24年前の出来事に関連するフラッシュバック的な悪夢(その時に殺した26匹の獰猛な犬に追いかけられるという夢)に悩まされ、そのことを監督に打ち明けることから始まりますが、これは、まさにPTSD(「心的外傷後ストレス障害」)の特徴的な症状を示していると思われます。
(以下は、HP「古樹紀之房間」に掲載されている論考「映画と記憶―『銀座の恋の物語』を巡って」を参考にしました)
すなわち、日本でも使われている米国精神医学会が定める診断基準によれば、次の3つのグループに分類される症状のすべてにつき、それが「1ヶ月以上にわたって持続し、それにより主観的苦痛や生活機能・社会機能に明らかな支障が認められたとき」に、PTSDと診断されます。
a.再体験症状‥‥出来事に関する不快で苦痛な記憶が、フラッシュバックや夢の形で繰り返しよみがえる。
b.回避症状‥‥出来事に関して考えたり話したり、感情がわき起こるのを、極力避けようとしたり、思い出させる場所や物を避けようとする。
c.覚醒昂進症状‥‥睡眠障害、いらいらして怒りっぽくなる、物事に集中できないなど、精神的緊張が高まった状態。
これらの症状の中でも、aの「再体験症状」が特徴的です。すなわち、戦闘とか性的暴力などのトラウマティックな記憶は、コントロールがきかずに勝手にその人の意識に侵入してきます。この場合、フィルムをまわすように事件が再現されて、患者はそれを止めることができないとされています。
こうした厳しい症状が、繰り返しその人の意思に反して生じるために、それを軽減すべくbの「回避症状」が現れ、また常に緊張状態にあってリラックスできないために、cの睡眠障害などの症状を示すことにもなると考えらるようです。
こうしたPTSDは、池田小学校無差別殺傷事件(2001年)とか佐世保小学校殺傷事件(2004年)、JR福知山線の脱線事故(2005年)などの際に随分と問題になりました。
この映画の冒頭に登場する監督の友人は、まさに自分が殺した犬に追いかけられるのですから、上記のaの「再体験症状」を示しているといえるでしょう。そして、監督とその友人とを一体とみなせば、監督の記憶から24年前の虐殺事件が消滅していることは、bの「回避症状」に該当しているといえるかもしれません!
ハ)この映画に対して評論家は次のように述べています。
小梶勝男氏は、「アニメの絵に力がある。日本ともハリウッドとも違う独特の絵画的な絵は、陰影の濃さが主人公の心象をリアルに表現する」とし、さらに「ドキュメンタリーをこのように見せるのは「あざとい」ともいえるが、私は「真実」を伝えるための最良の手法として評価したい」として91点もの高得点を与えています。
岡本太陽氏は、「これは監督にとって事実を知ると同時に、彼自身の心を癒すドキュメンタリー映画でもあり、"記憶を取り戻す事=自分自身を許す"、がフォルマン氏にとって一種のセラピーになっているのだ」として90点を与えています。
渡まち子氏は、「記憶を道案内役に、斬新な形で戦争の愚行を描いたこの見事な作品は、アニメーションやドキュメンタリーといったジャンルの枠を越え、映画史に確かな足跡を残すと確信している」として85点を与えています。
福本次郎氏も、「これはアリ監督の自己再発見の旅であると同時に、ホロコーストの被害者として徹底的にナチスを断罪しておきながら、パレスチナの人民を大虐殺する正当性を主張するイスラエルというユダヤ人国家の抱えるジレンマを告発する行為でもある」として60点を付けています。
全体的に、監督の記憶回復の方を重視しているようですが、上記ロで申し上げたように、私には、むしろ冒頭のフラッシュバックの方を重視したい感じがするところです。
象のロケット:戦場でワルツを
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