映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

愛の勝利を

2011年06月19日 | 洋画(11年)
 『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』をシネマート新宿で見ました。

(1)この映画は、表題から、ムッソリーニと一緒に終戦直後に銃殺された愛人のことを描いた作品ではないか、と思っていましたが、実際に見てみると、主人公の女性は、第2次大戦が始まる前にすでに死亡していたようです。
 「劇場用パンフレット」からすると、ムッソリーニはかなりの漁色家で、描かれている女性はその内の一人のようです(現在のイタリア首相のベルルスコーニ氏は、ムッソリーニと風貌も似ており、その衣鉢を継いでいるのかもしれません?)。

 映画は、社会主義活動家のムッソリーニが、トリノで警官隊に追われたのを助けた若き女性イーダジョヴァンナ・メッツォジョルノ)が主人公。その後2人はミラノで再会して激しい恋に落ちます。



 当初ムッソリーニは、左派系新聞の編集長をやっていましたが、第1次大戦で負傷したことで英雄扱いされてからは、次第に政治の世界の中心的な存在となります。
 そうなると、私生活で襟を正す必要があるのでしょう、正妻をそばに置き、イーダ(及び生まれた子供)を遠ざけるようになります。
 逆にイーダの方も意地を張るようになって、なんとかムッソリーニに近づこうとします。
 ですが、彼は、はじめはイーダをその妹の家に隔離し、それでも難しいことが分かると、ついに彼女を精神病院に幽閉してしまいます。
 彼女は、実際には精神病患者ではありませんから、なんとかしてそこを抜け出ようとしますが、取り巻く壁は大層厚く、10年以上も閉じ込められた挙句、とうとう1937年に亡くなってしまいます。

 この映画はいろいろ興味深い点があると思われます。
イ)ファシズムの元祖ともいうべきムッソリーニですが、最初はマルクス主義者として社会主義革命を目指していたことは知りませんでした(そういえば、ナチス〔Nazis〕とは国家社会主義ドイツ労働者党でした!)。

ロ)イタリアでは、修道院に精神病院が併設されていたようですが、イーダが隔離されたサン・クレメンテの精神病院は、ヴェニスのサン・マルコ広場から船で簡単にいける島に設けられていた施設で、元は修道院だったようです(現在は、五つ星ホテル)。
(なお、イタリアの精神病院の事情については、『ボローニャの夕暮れ』でも触れました)。



ハ)ムッソリーニが「未来派」の展覧会に行く光景が描かれています。

 なお、未来派には属しませんでしたが、同時代のデ・キリコに関するパリの展覧会についてのBlack Dog氏の記事がここで見られ、クマネズミもDowland名でコメントを送っているところです。ちなみに、下記の画像は、構図がデ・キリコの「街の神秘と憂鬱」(1914年)と類似しているのではないでしょうか?





ニ)ムッソリーニは独裁者として何度も演説をしますが、その場面では当時のニュース映画の映像がそのまま使われています。
 なお、この映画でムッソリーニの役を演じている俳優フィリッポ・ティーミは、顔つきが実際のムッソリーニとはまるで違い、当初は、ニュース映画で見られる実際のムッソリーニとの連続性が感じられませんでしたが、次第に、逆にそのことが、この映画の緊張感を一層高めているのではと感じてきました。

ホ)加えて、この俳優フィリッポ・ティーミは、イーダとムッソリーニの子供の青春時代をも演じています。周りから囃し立てられて、ムッソリーニの物真似をするうちに、自身の精神に変調をきたしてしまうという大層難しい役柄です。



ヘ)精神病院での娯楽として野外映画会が催された折に、チャップリンの『キッド(The Kid)』(1921年)が上映され(一部は映画の中に取り込まれて映し出されます)、この映画を見ていたイーダは、ズッと会えずにいる自分の息子のことに思いが馳せ涙を流しますが、非常に感動的な場面と言えるでしょう。
 この場面に限らず、イーダを演じるジョヴァンナ・メッツォジョルノは、この映画で持てる力を思う存分発揮しており、目に焼き付きます。




 映画では、独裁者ムッソリーニが登場するために、際物的な感じを受けますが、実際に見てみると、むしろ理不尽な扱いを受けたイーダの激しい戦いぶりが終始描かれていて、それもなかなか凝った映像がいくつか作り込まれていたり、また当時のニュース映画も巧みに織り込まれてもいたりするので、際物として葬り去るのは惜しい気がし、正当に評価すべきではないかと思っています。

(2)上で述べたように、映画では、あの独特の風貌をしたムッソリーニが、独特の顔つきと姿勢でバルコニーから国民に向かって演説をする姿が、当時のニュース映画を使って映し出されます。



 これは、ヒトラーの演説風景(ニュルンベルグにおける党大会におけるものなど)彷彿とさせます。



 他方で、三国同盟の片割れであった大日本帝国においては、彼らに匹敵する人物と言えば東条英機首相でしょうが、その演説風景としてすぐさま思い浮かぶのは、明治神宮外苑競技場における出陣学徒壮行会(1943年10月)におけるもの(訓示)くらいでしょう。ただそれも、書かれたものを読み上げながらですから、とてもムッソリーニやヒトラーに太刀打ちなどできるはずもありません。




(3)渡まち子氏は、「黎明期の映画作品をコラージュしながらその裏側に大衆の心理や反ファシズムの思想を込めたマルコ・ベロッキオ監督の演出には冴えが見られる。イーダの愛の深さと孤独な姿を、壮麗な雪景色や鮮烈な未来派のアートを背景に描くなど、随所にアーティスティックなこだわりも。歴史から抹殺された悲劇の女性を演じるジョヴァンナ・メッツォジョルノが圧倒的に素晴らしい」として65点をつけています。
 他方で、福本次郎氏は、「当時の空気を濃密に封じ込めた映像は圧倒的な迫力を生む。さらに過剰なまでに説明的な音楽が平和とは程遠い激動の時代を表現しようとする。その一方で薄暗い夜や室内のシーンが多く、ほとんどのカットで俳優の顔に照明が当たらないため表情が読み取りづらいのはどうしたことか」と40点しか付けていません。
 福本次郎氏は、後者の点について、さらに「暗過ぎて見づらいようでは本末転倒ではないか」と述べていますが、まさにそのようなライティングだからこそ、この映画の異様な雰囲気が醸し出されているのでは、と思えるところです。


★★★★☆




象のロケット:愛の勝利を


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