映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

レスラー

2009年07月08日 | 洋画(09年)
 「レスラー」を渋谷のシネマライズで見ました。

 私自身プロレス自体に全然興味を持ちませんから、パスしようと思っていたのですが、“つぶあんこ”氏の評価が「★★★★★+★★(プロレス好きなら更に+★★★)」と途方もなく高いために(75点の評価は前田氏ならば当然でしょう!)、見てみる気になりました。

 実際に映画を見ると、それほどの時間が経たないところで、この映画のストーリーの全体はキチンと見通せます。
ですから、「映画は虚構の中にしか居場所がない男の不器用な生き方を通じて、人生の悲哀をしみじみと描く」(福本次郎氏)とか、「自らの生き様を貫き通す中年レスラーの悲哀が感動を呼ぶ」(渡りまちこ氏)、「愚直なほど不器用で潔く、それでいて豊かなランディの人生」(山口拓朗氏)といったありきたりの批評に直ぐに繋がってしまいます。

 むろんそうした批評も当たっていないわけではありませんが、そんな筋立てを追うよりも、むしろ、56歳のミッキー・ロークの途方もない演技、控室におけるプロレスラー同士の会話、薬物使用の実態などのそれこそ「デティール」が実に素晴らしい出来映えに仕上がっていることを楽しむべき作品ではないかと思いました。

 なお、この映画については、先頃プロレスラーの三沢氏が試合中に亡くなったことに絡ませて議論する向きもあるところ、経済評論家の山崎元氏は、そのブログで概要次のようなことを述べています。

 「レスラー」が、主題として、自分の「職」が人間にとってのアイデンティティとして大切であること描いた映画なのだと受け止めると、少し危ない。というのも、最新号の「経済セミナー」に玄田有史氏と湯浅誠氏の対談が載っているが、この中で湯浅氏は「日本社会は働くことが人々のアイデンティティーになり過ぎている」と言っているがその指摘は正しいからだ。さらに、失業の際の喪失感が異様に大きく、仕事を失うと自分を失ったように思うことが多い、というのもその通りだろう。さらには、働いていない人間には価値がないのだと考える、第三者及び、それ以上に本人の先入観が問題なのだ。世間も、失業者・無業者に厳しい。こうした社会的な価値観は解毒する必要がある、云々。

 こうした見解にさぞかしズキンと来る人も多いと思われますし、そういえば、映画「剣岳」も、日本人が感動する“「職」に対する誠に真摯な姿勢”(そして、その背後の「アイデンティティー」)を描き出した作品だ、とも受け取れるところです!


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