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「レスラー」を観て仕事の意義を考えた

 映画「レスラー」(監督ダーレン・アロノフスキー、主演ミッキー・ローク)を観た。映画を観るのにいちいちきっかけが必要な訳ではないが、先般のプロレスラー三沢光晴氏の事故死が心に引っ掛かっていたことは否めない。私は現在のプロレスのファンではないが、三沢選手の死は何とも残念だった。
 三沢選手の死については、その後も波紋を呼んでいて、プロレスラーの安全対策などが検討されている。この件について一言だけ言って置きたいのは、三沢選手に技(バック・ドロップ)を掛けた相手には一分の責任もないということだ。このことだけは、分かってやって欲しい。
 プロレスの技は、掛ける側・掛けられる側の相互の信頼と了解に基づいて行われるものであって、本当に相手を痛めつけることを目的に仕掛けられるものではない。三沢選手は受けの達人であった。バックドロップは、大きな技だが、近年ではありふれた技だ。三沢選手なら、過去に数百回以上受けているのではないか。相手選手に責任は全くない。相手選手は、後悔を感じているだろうし、精神的にショックを受けているかも知れない。彼を責めてはいけないし、まして捜査やヒアリングの対象になどして欲しくはない。今、生きている人たちこそが大切だ。

 プロレスラー同士が、お互いの身体をいたわり合い、仲間として尊重し合いながら、肉体的に厳しい仕事をしていることは、映画「レスラー」でも丁寧に描かれている(以下の拙文には「ネタバレ」の要素がありますが、映画は、これ以外には展開のしようのないストーリーなので、これから観るに人もたぶん大きな問題はないでしょう)。
 映画としての「レスラー」は素晴らしかった。特に、中年レスラーの身体と動きをリアルに作り上げたミッキー・ロークの役作りと、シーンの無駄が一切無い引き締まった脚本の二点に感心した。
 盛りを過ぎた中年プロレスラーの肉体を迫力も汚さも含めてそっくり作って隠さず見せたミッキー・ロークの執念には本当に感服した。あの身体を作るためには、当然、薬も使ったのだろう。単に「役作り」にとどまらない「薬造り」の肉体にちがいない。闘うシーンも本人で、それなりの形になっている。これは、命懸けの熱演だ。
 近年のハリウッド映画には、余計なサブ・ストーリーがあったり、意味もなく老人・子供・犬やファッションなどが登場したりして、しかも、画質を落とさずにDVDに録画できないようにということか、120分を超える内容の割に冗長なものが多いが、この映画には無駄なシーンが全くない。かといって、説明不足も一切無い。ラストもあの後に映像があると余計だ。
 時間があれば、もう一度観てみたい。

 さて、この「レスラー」だが、1980年代に全盛期を迎え、今やスーパー・マーケットでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続けてきた中年レスラーが、心臓発作を起こして倒れて、バイパス手術を受け、医者にプロレスを止められるが、全盛期の有名カードの再戦興行に命懸けで臨む、というストーリーだ。娘や恋人的女性が絡む場面もあるし、「ナインハーフ」的な「技」を披露するシーンもあるのだが、「プロレスに生きる男」が話の本筋だ。
 だが、この映画の最後のシーンを観ながら考えたのは、このランディ・ロビンソンという役名のレスラーにとって、自分の「仕事」がどれだけ大切なのかということだった。自分の仕事はレスラーであり、ファンのためにもリングに立って試合をするという決意は美しいが、この映画の設定では、彼は激しいプロレスの試合をして、しかも自分の大技を繰り出したりすると、命を落とすかも知れないのだ。
 それでも彼は再戦興行のリングに立ち、コーナー・ポストの最上段から飛ぶのだが、これは何故か。そして正しいのか、と考えると分からなくなってくる。
 彼にとって、自分が最も輝く場がプロレスだとして、これをやりたいことは分かる。しかし、スーパー・マーケットの惣菜売り場で、「元人気プロレスラー」として、命の危険なく、そして卑屈にもならずに生きることにも勇気が要る。それができれば、ある意味ではこれ以上ないくらいに立派で男らしい。
 でも、彼は、その境遇に耐えることが出来なかった。照れもあれば、刺激にも弱い、人間味のある人物だ。そして、必然的に昔のカードの「リマッチ」のリングに向かう。これは、プロレスラーとしての自分のアイデンティティに対して純粋で、仕事に対して情熱的な美しい行為なのか。あるいは、我慢の出来ない短慮の愚行なのか。

 最新号の「経済セミナー」(2009年、6・7月号)の巻頭に、玄田有史氏と湯浅誠氏の対談が載っている。
 この中で湯浅氏は「働くことと人格の強固すぎる結びつき」とその危険性を指摘されている。働いていない人間には価値がないのだと考える、第三者及び、それ以上に本人の先入観が問題なのだ。
 湯浅氏は「新自由主義が壊れてもこの問題は残ります。日本社会の岩盤に関わる問題で、本当の問題はここにあるのだろうと思います」と語っている。この指摘は鋭いし、正しいと思う。

 「レスラー」が、主題として、自分の「職」が人間にとってのアイデンティティとして大切であること描いた映画なのだと受け止めると、少し危ない。
 ストーリーを反芻しつつ考えてみると、主役のランディの場合、一つには他人との結びつきの場所として、もう一つには自分の存在を最大限にアピールできる場所として、プロレスが大切なのだ。彼はファンが大切だった。再戦のリングに上がって、ファン以外に自分を引退させる権利のある者はいないと述べてから、命懸けの試合を開始した。
 人間は、自分が見て欲しいと思う自分を基本的に同意して見てくれる他者を必要としており、それが「レスラー」のランディにはプロレス会場のファンだったということなので彼が職業を持っていることに拘っているわけではないが、この職業を失った時に精神に埋めがたい空白が出来るようにも見えるから、彼にはやはり危うさがある。
 ランディの場合は、その後に希望があるとしても、家族は全壊に近い崩壊状態だった。家族がいないことの空白感は大きかっただろう。
 ただ、一方で、一般論として、家族のため「だけ」がアイデンティティでもあるような人物というものは単純にツマラナイ。
 それにしても、ミッキー・ロークではなく、ランディというレスラーが実在しているように感じる。「レスラー」は実にいい映画だった。

 玄田・湯浅対談に話を戻すと、湯浅氏の「日本社会は働くことが人々のアイデンティティーになり過ぎている」という指摘は正しい。失業の際の喪失感が異様に大きいし、仕事を失うと自分を失ったように思うことが多いというのもその通りだろう。付け加えると、世間も、失業者・無業者に厳しい。こうした社会的な価値観は解毒する必要がある。
 働くことは大切なことかも知れないが、本人は好きで働いているのだから殊更に立派なことではないし、働かずに食えるなら、それはそれで大したものであって、他人がとやかく言うべきものではない。

 他方、湯浅氏は、生活保護と最低賃金について「最低賃金と生活保護基準を同じレベルの問題として考える必要がある」と仰っているが、これはもう一つピンと来ない。「失業しても生活できる人は、劣悪な非正規労働にはいかないはずだ」とも言っておられるが、これは「そんなもの」なのだろうか。
 生活保護がどうあるべきかにもよるが、低賃金の労働であっても生活保護に加えて追加的な収入が欲しいと思う人は働くインセンティブがあるだろう。生活保護が「働いて収入があれば、その分給付を減らす」というような働くインセンティブを失わせる構造になっているとすれば、先ずそこを修正する必要があるだろう。たとえば「負の所得税」(あるいはベーシック・インカム)的な働くインセンティブを損なわない所得再分配の仕組みが必要だ。
 賃金の水準はそれぞれのビジネスに於ける労働の需給から決まるべきものであって、生活保護で保証しようとする水準よりも高くても低くてもいい。働いているのに生活保護よりも低報酬では人間の尊厳が損なわれていると思うなら、それは、仕事が人間の存在意義だという悪しき社会的価値観に別の形で囚われてるように見える。
 契約の遵守は重要であり、この点で企業を甘やかす必要はないが、解雇をやりにくくしたり、最低賃金を上げたりというようなことを企業に強いると、労働者の機会がかえって狭まるように思われる。基本的に企業を闘争の対象にするのは間違いなのだ。同様の意味で、労働組合との連帯という戦略はいただけない。労働組合は、当面多少の影響力が有効に使えるとしても、根本的には無くても済むようにするべきものだろう。
 湯浅氏の主張をまだ十分読んだことがないので、彼の意見をここで批判するつもりはないが、この対談を読むと、彼は敵方に対するレッテルとして「新自由主義」という言葉を何度か使っている。自由な経済取引をむやみに敵視すると、かえって労働者のメリットが損なわれるのではないか。
 セーフティーネットは企業と関係なく、個人個人を対象として政府と社会が作るべきものだろう。

 最後にもう一度話を戻すと「あなたは自分の『仕事』以外にどんなアイデンティティがあるのか?」という問いはとても重い。しかし、このことを十分考えないと、いい人生もいい社会も作れないにちがいない。
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コメント
 
 
 
アイデンティティ (ナイケン)
2009-06-29 01:44:26
前回のエントリーとあわせとても興味深く拝読しました。
日本ではたしかに「働かざる者くうべからず」の風潮が強くそれが大きなプレッシャーになっていると感じます。最近の問題である、うつ病の増加もそのような背景の影響が大きいと思います。
おっしゃるように、働くことが「本人が能動的にやりたいからやっている」のだから大して偉くないというような世の中の価値観にしなければいけませんね。(藤沢さんんもレスラーの主人公もそれが大きい生きる動機ではと推測します。)
働いている働いていないという事は人間の価値からみれば趣味があるかないかくらいのことにしなければ本来いけないと感じます。「労働原理主義」が日本には戦後定着した感があります。
生きている人はみな素晴らしいという価値観を日本は再認識すべきですね。そういう意味では日本人はラテン気質の良い面を取り入れるべきではないでしょうか。(あくまでも良い面のみ。。)
これからも様々な価値観、考え方の提言を期待しています。
 
 
 
働かない人がいても良いと思います。 (たかフレイバー)
2009-06-29 02:09:23
戦後と違い、これだけ多くのインフラが整備され、人間に代わって機械(またはコンピュータ)が多くの仕事をしている時代でが、むしろ国民全員に仕事が与えられることの方が不自然だと思います。
「働かざる者、食うべからず」の時代は終わったと思います。
仕事をしなくても誰もが最低限(但し贅沢の無い範囲で)の生活はできるような仕組みにするべきだと思います。
仕事はしたい人、または贅沢をしたい人だけすれば良いと思います。

自らの収入の為に詐欺や犯罪を犯す輩よりは、仕事をしない人の方がよっぽど世の中のためです。
 
 
 
Unknown (yukio)
2009-06-29 02:42:09
我々40代にとっては、彼はデニーロに続くべく魅力的な男優さんでしたね。。。

「ランブルフィッシュ」「エンゼルハート」等々。。。

80年代に「礎」を築いたローク氏が、「猫パンチ」で失笑を買い、

映画界から姿を消してしまったのは、残念でなりません。


でも、そんな彼が肉体と演技を「造り上げた」という作品には非常に興味があります。


80年代に全盛期を迎えた落ちぶれ。。。って

ローク氏も、納得の配役なのでしょうね。




上映期間は過ぎてしまったようなので、DVD化を心待ちにします。。。



 
 
 
他人と関わってこそ人間 (佐藤健)
2009-06-29 04:54:23
3日前、顔見知りの女性に思い切ってデートを申し込みましたが、断られました。私はイヤイヤ仕事をしてきたこともあって、きっと男としての魅力がイマイチ乏しいんだろうなという気がしました。

さて、働くことはお金を稼いで家族を養うほかに、他人の役に立ついう生きがいに通じる側面があります。その点は現金収入のない主婦業でも何かのボランティアでも同じです。(報酬の高低・有無が人間の尊厳と比例しているとばかり考えるのは本当につまらないことです。そう言う私も時々考えますが。)
また、寿命を迎えるまでなるべく働いた方が実は肉体的にも精神的にも健康に良いのではないでしょうか。
生きがいや健康に直結するならば、財産の多少に関わらず、仕事に対して生涯真剣に向き合わざるを得ないです。

現実に生じている失業の多くは、必ずしも本人だけが悪くて発生するとは限りませんから、一律に厳しく当たるのはいけないとしても、大抵そのままでは家計は立ち行かなくなる状態のはずです。(以前の)待遇や職種に拘りすぎて家計をいつまでも危険に晒すのは決して感心出来ません。
事件のニュースで「○△さん80歳無職が…」などとテレビ局が報道するのには呆れます(なんでそんなに職業の肩書きにこだわるのか?)。ただ定年退職後であっても、長い人生には他人から仕事と思われる程の活動があるのが結局幸せな状態だと思います。
例え小さな仕事でも自分の喜びと周囲の人への貢献をコツコツ積み重ねるように過ごしてゆけば、それほどアイデンティティーを確認する必要はないと思うのですが、お気楽過ぎましょうか。

より前向きに頑張って働き、よって逞しくも面白くもなり、機会があったらまた私を振った女性にデートを申し込んでみたいものです。
 
 
 
映画から学ぶこと (石川)
2009-06-29 08:33:24
シンデレラマン(ロン・ハワード/監督)がオマージュになっているのでしょう。シンデレラマンの方は、大恐慌時の落ち目のボクサーがチャンピオンに挑戦するという話です。こちらもオススメします。

仕事を失うと落ち込むというのは、大人としての成熟度が低いことを表しています。日本史では、封建社会で安定した江戸時代、血筋がないゆえに出世できない武士や浪人たちはドラマだけの話ではないと思います。彼等は、大人として成熟することで、自己喪失を克服していました。一番有名で、最近では国際的にも評価が高まりつつある「芭蕉」が実例でしょう。彼は、武士で、愛人である友人(男)が上流階級で出世の道だったのが、友人の死によって断たれてしまう。武士を捨てて、始めのうちは、玉川上水だったとおもいますが土木工をしつつ俳諧で商人階級に支持されながら昇りつめていきます。話は少しだけそれますが、出世できないという点では、現代女性にあてはまり。日本社会に女性による文化への貢献はとても高い。また、成熟した人も多いといえるかもしれませんね。
 
 
 
改善活動というのは (naka)
2009-06-29 12:03:28
話が本筋からずれてしまうかも知れませんが、2点ほど。。。

1.
改善活動は、ある意味、従業員を不要にするために行っている作業です。効率化も同じ意味だと思います。一昔ならば改善・効率化により余った人材を会社内とかで、どうにかしてきたのでしょう(別事業を立ち上げ、そこに充てるとか)けど、今はばっさり切られて終わりというケースも増えてきました。いろいろな圧力が有ります。

そう思うと、「効率が落ちていない」「生産量が落ちていない」限り、むしろ仕事に就けない人達が溢れている事は、効率化・改善が進んできた証拠として、本来は喜ぶべき事象かも知れません。



2.
レスラーなどは、ある意味、一握りの存在になる/ならないに挑戦している・出来る人と、現代の一般人の状況を同じように考えて良いのかよく分かりません(山崎さんはそこを論点としていない事は承知で書いていますが、ちょっと気になったので。要は揚げ足取りです(汗))。私は別の事のような気がしています。一握りしか存在出来ない世界では、当然競争が激しいでしょうし、その競争に勝てば、それこそお金や名誉などがついて来て、また普通ではあり得ない達成感を感じる事が出来るでしょう。(もちろん個人差はあるでしょうけど。)

でも一般の人の場合は、その一握りのみがつかめる「競争」が必要なのかというと、不要の気がします。というより、むしろ邪魔かも知れません。皆が頑張って、かつ上手く立ち回れば、皆トップ・プロレスラーとして活躍出来る、という幻想を(結果的に)押しつけたのが、小泉内閣だったと思っています。

が、少なくとも仕事しなくても生きていける環境があれば、レスラーのような一握りの存在に挑戦する事も、比較的容易になるのは確かです。特に無職になってしまった時には。
 
 
 
「仕事」がアイデンティティで何が悪いのか (かくせいⅢ)
2009-06-29 15:59:21
>「あなたは自分の『仕事』以外にどんなアイデンティティがあるのか?」

仕事以外にアイデンティティが無いと答える人は、いい人生が造れないのだろうか。

そんなことはあるまい。東山魁夷氏もピカソも、バーンステインもチャップリンも、多分自分のアイデンティティは仕事だというのではなかろうか。

私たちは、人生と言う作品を創るアーティストで、何が悪いのだろう。仕事は、生きる為の嫌々やる苦役と思う人がいても良いだろう。しかし、仕事が生きがいと言う人、そう言うアーティストがいて何がいけないのか分からない。

物は機械が作るのだから、消費するのが自分の役割と思う人はそうすればいい。しかし、創ることに楽しみを覚えて没頭する人生も、またすばらしい。

そう遠くない先に、飢餓の時代が来ると言う人も多い。その時代になると、「アリ」の価値観に戻るだろう。それまでのつかの間の「キリギリス」の価値観が主流をしめることも悪いことではない。所詮、永続するような価値観等、生きる術に関してはないのだから。

しかし、仕事がわが誇りと思う人は、私はすばらしいと思う。
 
 
 
私もそう思います。 (Kiwiぽん(BI研究所))
2009-06-29 19:52:27
昨日、派遣村の閉村式・シンポジウムに参加してきました。
>生活保護と最低賃金について「最低賃金と生活保護基準を同じレベルの問題として考える必要がある」と仰っているが、これはもう一つピンと来ない。
私もそう思います。

旧来型の左翼系の人(湯浅さんはそこまでではないのですが)は昔からの労VS使のフレームでしか物事を考えられない。
ここに大きな問題があると思います。
(だから私はBIに移ったのです)
 
 
 
Unknown (sleep)
2009-06-29 21:08:10
山崎さんこんばんは
いつも楽しく読ませて頂いております
http://www.cyzo.com/2009/06/post_1712.html
上は前田日明さんの三沢さんについてのインタビューです。よかったらご覧ください。
 
 
 
金のある無職が良い。 (無職の男)
2009-06-29 21:53:23
「働くことは生きがい」か、それとも「食うために働く」かは、「循環論」であり、永遠に結論は出ない。

ややステロタイプであるが、「鉄道員(浅田次郎)」の生き方と、「強欲資本主義の主役たち」に代表させて考えてみたい。

「鉄道員」はベストセラーとなり高倉健で映画化され、多くの日本人の共感と涙を誘った。
「強欲資本主義者」は早期リタイアを目指す生き方と巨額の報酬は、日本の鉄道員モドキたちの度肝を抜いた。

お前はどうかと、二者択一を迫られたら、次の世があれば、「強欲資本主義者」を選んでみたい。

「鉄道員モドキ?」一筋の生き方をし、こころならずもリタイアさせられた無職の男としては、「王様とこじき」の結果になるかもしれないが、、、。
 
 
 
「無職」はいじめですね (62才無職男性)
2009-06-29 22:50:41
毎月5冊の本と10冊程度の文庫新書を読んで過ごしている。図書館の本は現役時代に立ち寄れなかったためどうも馴染めず買ってしまい家族に叱られる。運動も自転車なら週100km程度は走る。「仕事」をしていないが焦燥感や無所属感は無い。しかし新聞沙汰になると「62才無職男性」と書かれることになるを知らされました。どうにも余計なお世話です。これから700万人の大集団が6*才無職に向け行進してきます。大らかにお金を使わせる気遣いを世間から期待したいですね。
 
 
 
日本人の労働観 (神父C)
2009-06-29 23:07:32
いつも興味深く読ませて頂いてます。

「働かざるもの食うべからず」という言葉が日本人に対して持っている強い説得力にはかなりのものがあります。

僕はこの言葉に初めて触れたのは、小学校の頃、一休さんの漫画伝記の中で一休さんの師匠が(自分自身にですが)言っていた場面でした。禅宗における修行と生活の合一から出た言葉ですが、暫く先の江戸時代あたりからこの感覚が広く一般に浸透したようです。

労働を続ける事で人格が陶冶されるという考え方はそれなりに日本独自のもののように感じます。当然その逆の命題もしかりという訳なのでしょう。禅宗にすべてを帰するには無理があるとしても、資本主義に対するプロテスタンティズムくらいの影響はあったかも知れません。とにかく根がむやみに深い気がします。

「働かざるもの~」が現代の社会に上手く適合していないのはもちろんなのですが、日本人にとっては道徳観や人生観を組み立てる公理のような存在になっているとすると、なかなかホイッと他の思考方法に入れ替えるのは難しそうです。最近は同様に崩れてきているとはいえ、海外ではこの辺りの機能は大部分「信仰」が負担してくれるのでややこしくないのですが・・・。



 
 
 
かくせいⅢさんに賛成。 (コアファイター)
2009-06-29 23:22:31
アイデンティティは仕事だけでも良いのでは?と思いませんか?
一つでもあれば充実した人生を送る事が出来ると思います。
その先に何か見つけられるかもしれません。
他に何かアイデンティティを持っていても、仕事同様、無くなる時がいずれはあるでしょう。
でも、ワタシは働くのは好きではないですけどね。
 
 
 
山田太一/男たちの旅路 (Beaver)
2009-06-30 02:03:56
いつもブログ楽しく読ませてもらってます。
このエントリーを読んで、30年くらい前に見た山田太一脚本の表記ドラマ(確かNHK-音楽はブレイクする前のゴダイゴでした。)を思い出しました。
毎回読み切りに近い形でドラマが進みますが、そのうちの1回が老人問題をテーマににしたものでした。お年寄りを大切にしようというときに、「お年寄りの知恵はやっぱりすごい」「お年寄りだってxxできる」というのは変なのではないか?人間、今何もできなくても、他人の世話になるだけの存在でも、昔やってきたことで尊敬されてもいいんじゃないか、というのがテーマだった記憶があります。
仕事が生きがいでもいいと思います。(私は多分そうです。)でも、仕事を生きがいにできない人を軽蔑する社会はおかしいようにも思います。
考えてみれば、自分が熱中する対象が飯のタネになるかどうかは、偶然の要素が強いと思います。先日のエントリーの藤沢秀行さんの例で言えば、彼の熱中する(依存症の)対象が囲碁というお金になる対象(職業として成立する)であったことは彼の幸運だったと思います。指し将棋の天才は大金持ちになれますが、詰将棋(創作)の天才は、それでは生活できません。
最近、山崎さんがよく話題にされるベーシックインカムのアイデアに、私も強くひかれています。
 
 
 
かくせいⅢさんに反対。 (coreboostar)
2009-06-30 02:17:54
>仕事以外にアイデンティティが無いと答える人は、いい人生が造れないのだろうか。

・定年後にバーン・アウトして奥さんに離婚を突き付けられ惨めな晩年を迎えるのは「仕事以外にアイデンティティが無い人」が多いようです。

・部下・後輩にもワーカ・ホリックを強要し、職場の雰囲気の悪化・離職率の向上といった組織にマイナスの貢献をするのも「仕事以外にアイデンティティが無い人」が多いようです.

結局「仕事以外にアイデンティティが無い人」の多くは人間としてバランスを欠いていて、仕事が嫌いで逃げ回るような人とあまり変わらない害悪を周囲の人に垂れ流している気がします。

>「アリ」の価値観に戻るだろう。それまでのつかの間の「キリギリス」の価値観が・・・

「アリの価値観」って・・・
昭和時代に沢山働いた中高年の方ですか?
失礼ながらあまりにも時代遅れで
かくせいⅢさんが組織に貢献できることは
もはや「老害除去のための早期退職」
かもしれませんね。

>永続するような価値観等、生きる術に関してはない

そうですね。古代ギリシアでは労働の価値はかかなり低かったですしね。
 
 
 
仕事とアイデンティティ (山崎元)
2009-06-30 03:35:13
皆様

長~いエントリーを正確に読んでいただいて、どうもありがとうございます。

詳しくはまた別のエントリーで書いてもいいかと思っていますが、仕事とアイデンティティについて、一言(あくまでも一つの意見です)申し上げたいと思います。

私は、仕事がアイデンティティであっても、アイデンティティを持っているだけ立派であり、十分尊敬に値すると思っています。

そもそもアイデンティティを持ち得ていない人だって少なくないのではないでしょうか。仕事を通じて世間と十分に関わることは、誰にでも出来ることではありません。

自分について振り返るとしても、狭い社会では「○○○ちゃんのパパ」とか「新宿区のオジサン」とか「×××の知り合い」とか、幾つか「軽い」アイデンティティらしいものが無いわけではありませんが、広い世間から「お前のアイデンティティは何?」と訊かれると、おそらく仕事に関連するもの(これもかなり「散らかって」いますが)以外に語るべきものを多くは持っていません。

ただ、自分の希望としても、他人への評価としても、仕事以外のアイデンティティを持っている人は、(1)余裕があるし、(2)それ自体として格好がいい、と思います。こうした人は、失業のような不運にも強いし、他人に多面的に貢献できる人でもあるでしょう。

このエントリーで私が言っているつもりなのは、「AがダメでBだ」という構造の話ではなくて、「できれば、AもBもあるといい」という構造の話です。

ところで、Beaverさんは、詰め将棋を例に挙げておられますが、これは鋭い!実は、私も、詰め将棋の話を書こうと思っていました。

「仕事ではなくても真剣な対象でアイデンティティの根拠にもなりうる趣味」という意味で、詰め将棋は適切な例示だと思います。

村上龍さんの「無趣味のすすめ」は、趣味は安全圏で行われるもので真剣に取り組む対象ではなくなりがちであり、これを仕事のレベルに引き上げて世の中と関わらないと、それは趣味自体としても不十分なものになるのではないか、というような話だったと理解していますが、「詰め将棋」という趣味はこの説に対する一つの反例になりうると思います(雑誌「詰め将棋パラダイス」をしばらく購読してみると必ず分かります)。

とはいえ、多くの人が、詰め将棋作家に於ける詰め将棋のような対象に恵まれるとも限りません。詰め将棋作家は、それでは食べられませんが、お互いを評価する確固たるコミュニティーを持っているという意味で、幸運な人たちです。

このエントリーで、何はともあれ私が言いたいのは、「働かざる者食うべからず」という「働く方が偉い」という価値観を解毒する必要があるということ、ほぼそれ一点です。
 
 
 
アイデンティティー? (通行人)
2009-06-30 10:29:03
そろそろ「アイデンティティーなどという言葉が無かった時代には、そんな事で悩む必要はなかった。昔は良かった。」くらいの事を言い出す「文化人」が出てきそうな悪寒。「文化人」はやることなすことマッチポンプばかり。
 
 
 
親の教え (かくせいⅢ)
2009-06-30 11:45:13
会社を投資対象としか見ない方々には、その昔NHKでやっていた「プロジェクトX」の世界があることも理解できないのだろう。

ただ、問題は現在の日本経済の状況では、作業は与えられるが仕事を与えられない傾向にあるように見える。中国台頭以前は、工場労働でも作業だけではなくて、改善などの活動で仕事的な労働に転換できていたが、グローバルな競争の中で、その余裕さえ失うような労働市場になっていると思う。

しかし、付加価値の高い仕事をベースにした起業が、もっともっと日本中でなされるなら、仕事をアイデンティティにできる人も増えるだろうにと思うのだが、実体は廃業が起業を上回っているらしい。

「働くもの食うべからず」は社会が生産性の低い時代の不文律だが、その中には、「一人が生きるには色んな人の労働のお陰で生かされているのだから、お礼に人様の役に立つようなことをするんだよ」と言う意味も含まれていると、両親には常に言われた。

だから、働かずに暮らす人が店主の言うように「大したものだ」とも思えない。寄生することを「大したものだ」と称えるのなら、全国民がそうなったらどんな社会になるかは自明だろう。精々「運が良かったね」で終わりにするべき話だと思う。「人様のために役立つことをするのはよいこと」を解毒し過ぎたら、ロクでも無い社会が出来るだろう。

額に汗しない人は生きる資格が無いとは思わない。しかし、コツコツ勤しむ人が、もう少し恵まれる経済構造になるべきだとは思うが、民主党の経済政策も真逆の企業悪者論だから、絶望的な気になります・・・です。
 
 
 
Unknown (ny)
2009-06-30 15:36:21
少し前になりますが、俺たちを働かせろー!と廃業したホテルに立てこもっていた人たちが居ましたね。
あれは給料が良かったのか、職場に愛着があったのか、理由は良く分かりませんが、あそこまで強烈に労働意欲を示す理由は、やはりアイデンティティの崩壊を防ぐという部分もあったのかなと思います。
資本家は上手に、なおかつ法令は遵守しつつ、労働者を上手く働かせるすべを良く考えるべきですね。

ちなみに湯浅氏はなんとも微妙な気がします。味方である労働組合に懐柔されているという人もいれば、数少ない味方だから正社員の解雇緩和を言い出せないとか、いろんな見方があります。あまり争うのが好きな人ではないのかもしれません。
 
 
 
「スリラー」を観て仕事の意義を考え直した (mistral)
2009-06-30 19:34:27
仕事一筋というより才能を開花させて第一線で活躍している人(現在進行形)、「生きるのに精一杯だった」と本人は言うが実に尊敬できる仕事をしている人を見てきたし、逆に社蓄人生が長すぎて「坂の上の雲の向こうの坂の下のドブ」に落ちた人もかなり見てきたのですが、それでもやはりかくせいⅢさんに基本的に賛成、です。
強いて言えば、かくせいⅢさんの気持ちを自己に課しつつ、他の人については強いることをしない、という姿勢でいきたいなと思っています。

仕事がそれほどお金にもならず国全体で盛り上がることもないかもしれません。リスク分散として「趣味」のようなポートフォリオをつくっておくことは懸命だと思います。でも、現実はそんなに安易なのかな?と思ったりもします。家族を養うためにワーキングプアで、趣味だのポートフォリオどころじゃない、のが私たちかな、と思っています。意外と覚悟はできています。
それでも、「友愛」はかなりちょっと、だけど、私の目の前に現れた才能ある人たちとの「ご縁」を大切にしたいなあ、とは思っています。

タイトルは、マイケルは仕事に生きて、シアワセだったかなあ、というようなことで。自分とは対照的ですけど。
 
 
 
かくせいⅢさん、mistralさんに賛成 (佐藤健)
2009-06-30 22:10:36
coreboostarさんの挙げた事例
>・定年後にバーン・アウトして奥さんに離婚を突き付けられ惨めな晩年を迎えるのは「仕事以外にアイデンティティが無い人」が多いようです。

>・部下・後輩にもワーカ・ホリックを強要し、職場の雰囲気の悪化・離職率の向上といった組織にマイナスの貢献をするのも「仕事以外にアイデンティティが無い人」が多いようです.

も確かに困ったもので、そのとおりかも知れません。
ただ、私も上司に仕事を過剰に強要されたと感じる経験がありますが、その上司は仕事人間というより、別の欲があったような気がします。職場の悪化の原因はいろいろです。
現在保有する財産の多少や賃金の有無に関係なく(場合によっては持ち出しになっても)カラダを使って、アタマを使って仕事を通じて末永く他人と関わリ続けるのが、健康で幸せな人生だと思います。偉いという言葉は合わないかも知れませんが、小さなことでも他人の役に立っていれば、それは有難いことです。
もし有り余る財産を受け継ぎさえすれは、専ら物やサービスを購入する側に立ち、子育てと自分の趣味だけの人生を選択するものでしょうか。親としていい手本になり得ますでしょうか。
 
 
 
そんなに厳しい社会なのか? (タロ)
2009-07-01 03:51:40
「失業者・無業者に厳しい」とあったけど、実のところ私は実感がありません。
このくらい当然ではないだろうかと思うし、日本社会以外が甘いのではないかとも感じます。

社会が継続していく為には、よほどの地下資源にでも恵まれない限り、誰かが働く必要があるでしょう。
「国民全体が無業者です」というのは成立しないですから、社会の成立要件を満たすことに貢献している人に尊敬の念を示し、かつ、無業者に労働のインセンティブを与えるのは良いことだと思います。

そういった前提に立つと、資産があってそれで食っていける人間は別として、そうでない人間に関しては「やれるなら働きなさいよ」という視線を向ける必要があるように思います。

働かないと本来食っていけないが、出来るのに一生懸命やらないっていう部分に関しては、言い方を変えれば怠け者で、社会のコストを増やすだけですから、これが人格と結び付けられてしまうのも仕方ないことかと思います。

同じような人間が会社にいれば、同僚からどんな目で見られるかということです。

現在のような経済状況で、「一生懸命やってはいるが、なかなかうまくいかない」というのであれば、世間の目の厳しさというのも和らぐでしょう。

湯浅氏については、年末年始に話題を集めた派遣村で知りましたが、手持ちの金が無いことを理由に当村に集まった人達の一部には、飲酒や喫煙、パチンコに興じ、やるべき貯蓄を怠ったであろう人達もいたようです。
「であるから救う必要なし」というワケではないですが、実際、失業者の中で厳しい視線を浴びせられているのは「やるべきことをやったのか?」と疑問をもたれるような人達であって、失業者・無業者全体がその対象ではないような気もします。

こうした点は区別して、失業者や無業者に対して厳しい目を向けるべきなのか、人格とどう結び付けるべきなのか考えるべきかと思います。
 
 
 
山崎さん (xtc4241)
2009-07-01 17:27:22
こんにちは(いま7月1日pm5:15頃です)

今回のエントリー、僕にとって、広すぎるというか、
深すぎて、コメントを出し渋ってました。

①受身の天才「三沢光晴」のこと。
 そうですね。信頼がなければ、名勝負は生まれない。

②「レスラー」によって復活した”すけこまし”ミッキー・ロークのこと。
今週見に行く予定なので、詳しくは書けない。
(でも、死語というべき「すけこまし」が出てきたのは、ロークならではでしょう)

③レスラーのような自分にとっての「生き甲斐」をもっているか。

60分3本勝負!
シビアな問いに対する答えは「レスラー」をみてからですね。

 
 
 
Unknown (元官僚志望)
2009-07-01 20:42:33
>「失業者・無業者に厳しい」とあったけど、実のところ私は実感がありません。
このくらい当然ではないだろうかと思うし、日本社会以外が甘いのではないかとも感じます。

日本は労働に価値が置かれ過ぎ「労働をしていないのは異常」とでもいうような制度になっています。この結果、失業男子はホームレスに転落、のたれ死にという痛ましい結果になっています。

他の先進国では労働に(日本ほどの)価値がないため「労働をしていないのありうることだ」という制度になっています。失業→ホームレス→合掌という転落コースにはなっていません。

つまり、日本は途上国に近い面もあるのです。

また、労働に価値が置かれ過ぎてるが故に
搾取率が異常に高い非正規雇用(偽装請負など)を受け入れてしまったり、サービス残業や名ばかり管理職が横行しています。

欧米の庶民はそれらを受け入れずに平穏に
暮らしています。「労働一神教」(勝間さんの造語?)の解体こそが日本国民の幸せに繋がる思います。高度成長期には誰でも(子会社・関連会社も含めて)社長へのチャンスがあり、昇進・昇給といった面でもやりがいがあったのでしょう。しかし、人口減少・経済低成長時代では昇進・昇給といった面でのやりがいも乏しいでしょうし、成熟社会において仕事で自己実現できるのはエリート層くらいです(ほとんどの者はアイデンティティと結びつけらるような仕事には就けない)。

>同じような人間が会社にいれば、同僚からどんな目で見られるか

会社レベルですと、無能・怠惰な者は減給・解雇すればいいです。しかし、国レベルではそういう訳にはいきません。同じ日本国民であるならば(死刑囚以外)はどんなに無能・怠惰でもあっても人としての尊厳を保持できる生活をおくらせねばなりません(そのような制度の構築をしなければなりません)。ノブレス・オブリージュのある者の多くはそのように考えると思います。
 
 
 
少し違う方向から (ドイツ特派員)
2009-07-01 22:36:56
「仕事への過剰なアイデンティティー依存」というのは、最近の一部経営者などの発言に顕著ですね。「仕事でこそ自分が磨かれる」と言ってみたり、「人生の哲学」を語ってみたり...。いや、全てを否定することも無いとは思いつつ、言ってしまえば仕事でのみ成功した人が、その他のことに首突っ込んであれこれ説教するのはどういうことだ?と思ってします。

「無職・失業で何が悪い?」というのは裏返せば、「ビジネスで成功したくらいで何が偉い?」ということでもあるんじゃないでしょうか?山崎さんが言っている「解毒」というのは、その方向からも為されなければならないと考えています。作家が文章のことを書くのはいい、ただ人生全体のことを知ったかぶりで書かれても、「大きなお世話だ」ということではないかな?と。まあ役に立つことは取り入れますが。

それに関連すれば、「戦略的に生きろ」だの「目標のない人生は駄目」だのというのも戯言で、少なくとも、「自分が存在したことで他の誰も不幸にしなかった」というだけで充分な価値ある人生だと思いたいですね。只々日々の仕事を誠実に行なって一生を終える人が殆どであれば、それで誰に迷惑を掛けず過ごせばそれは「あっぱれな人生」だと思っています。もし誰かが幸せになればもう過ぎたる人生だと言っていいんでしょう。
 
 
 
価値観は社会に深く根ざす (タロ)
2009-07-02 00:06:34
Unknownさんの仰ることも、また一つの価値観なのでしょうね。

ただ、
>つまり、日本は途上国に近い面もあるのです。
>欧米の庶民はそれらを受け入れずに平穏に暮らしています。
というのは、ちょっと違和感を覚えましたが・・・。

僕が見る限りでは、郊外の低所得者の暮らす地域の欧州の若者は、一種、命の危険を感じる程度の治安の悪さを感じさせるに十分ですし、不満があったからといっても日本ではクルマを燃やしたりもしない。
彼らの雰囲気とは違うけど、途上国でよく見かける「昼間から酒を飲んでマージャン等やってる」という大人に近いものを感じるという点では、欧州(旧教系の国に多いかな?)の方が途上国に近い印象を受けます。

まあ「労働一神教」というのは言い得て妙でもあり、そして一面のみの真理でもあるのでしょう。
おそらく「宗教にモラルの源泉を求めない人たちで構成された先進国」という意味では日本は大国では唯一の存在ではあると思いますが、この日本人特有のモラルの一面が労働への真面目さだと考えると、「労働一神教」を打破するには日本人の根本の何かを打ち砕かないと難しいのでしょうね。

日本人の何がそうさせているのかは分かりませんが、特徴として
・何でも取り込む融通無碍な部分(真言宗の寺に墓を持つ人がクリスマスを祝った後に神社に初詣し、帰りにインド料理を喰うとか)。
・犯罪発生率の低さに見られる、良い治安
・他国から見ると異常だと感じるほどの「品質」へのこだわり

などが挙げられると思いますが、おそらく「労働一神教」なるものを打破しようとすると、このような部分も同時に失われるのではないかなあとも思います。

「日本人特有のモラルは維持しつつも、労働の部分だけ都合良く変える」なんてことは魔法に近いでしょうし。

となると、一神教を変えようとすると
・電車の時刻表やコンビニ店員のお釣りの額が信頼できる
・何の心配もなく夜道を歩き、設置した自販機が壊されているかどうか心配しなくていい
・Tシャツの縫製が2週間で崩れることを受け入れる必要が無い
なんて部分も同時に失う覚悟が必要なのかも知れません(もちろん、良いところを残しつつ変わることも可能かも知れませんが)。

中韓を旅すれば儒教の、欧州を旅すればキリスト教の影響が社会の根底にあることを否定できないと思いますが、日本社会にはそれに当たる部分が体系化された宗教(もしくは儒教は倫理体系というべきか)ではなかったため、どこにどう手をつけていいのか難しい部分もあります。

こと価値観の問題となると社会の根幹に深く根ざす場合が多いでしょうから、この点に気をつけたほうがいいような気がしますね。
 
 
 
「レスラー」は小学一年生もOKですか? (横からすみません)
2009-07-02 22:34:30
横からすみません。

「レスラー」を小学一年生の息子と見に行こうかと思っているのですが、どんなもんでしょう?プロレスファンは子供が多いので、子供と見ても良い映画と予想しているのですが。

先日良い映画と評判の、「スラムドッグミリオネア」を一人で見に行ったのですが、子供の目玉を焼くと暴力シーンが酷すぎて我慢できず途中で出てきてしまいました。PG13の「スラムドッグ」があれであれば、特にレーティングされていない「レスラー」の程度はどれぐらいかと。親切な人、教えてください。
 
 
 
「レスラー」と子供 (山崎元)
2009-07-03 01:02:25
横からすみません様

こんにちは。カキコミありがとうございます。

「レスラー」の大きな筋書きは子供でも分かると思います。

しかし、悩ましいのは、一つには、ランディが思いを寄せる女性がクラブでストリップショーをしている女性で、それなりの裸のシーンがあることと、ランディ=ミッキー・ロークが行きずりの女性とトイレに入って、往年の得意技(!)である「(激しい)立ちバック」を熱演するカットがあります。これらを、どうやり過ごすか、或いは説明するかが問題になります。

普通の子供と普通の親の場合、お子さんが小一なら、8-9割はちょっと厳しいかな、というのが私の評定です。

男はこんなもんだ、ということが不自然でなく理解されているお子さん或いは、説明できる親子関係ならいいのかも知れませんが、平均的な親子にはご一緒の鑑賞を勧めません。

些か真面目すぎるかも知れませんが、これが私の正直な回答です。
 
 
 
男と女で違うのでは (らう)
2009-07-05 09:38:49
皆さんとちょっと違う方向からの感想を持ちましたので書き込みさせてもらいます。以下、ピントが合っていない気もしますがご容赦ください。

仕事(社会との関係)が自分のアイデンティティになっているのは男性に多いのではないでしょうか。女性は仕事より恋愛(異性との関係)が存在証明になっているように感じます。

少年漫画ではスポーツ(子供の仕事?)が、少女漫画では恋愛が、数十年来のテーマだったことはそれを象徴していないでしょうか。

男は仕事を頑張っていれば(地位と金と尊敬を集めれば)恋愛はついてくる(だから大事なのは仕事である)というのは昔からずっと(ホリエモンまで)信奉されている論理ですし、逆に女性達は「人生における最大価値は(社会から評価されることではなく異性から)愛されること」と思っていたふしがあります。

ところが今世紀になる頃から女性は変わりました。女性漫画における恋愛集中度は下がっており、女達は恋愛だけの女性漫画より仕事や闘いに重きを置いた青年漫画や少年漫画を読むようになったのです。

つまり、女性は「恋愛なしに生きる(恋愛に存在証明を求めない)」方向に向かい始めている。しかし男性は依然として仕事=自分。「仕事なしにアイデンティティを築こう」とする人はまだ少数派のように思います。

仕事こそ人生最大の楽しみという意見に反対はしませんが、自分のプライドを仕事でしか支えられない男性はどこか脆いのではないかと危惧します。

そもそも今後どんどん高齢化が進むわけで、長く働く(高齢者がいつまでも働く)ことは周囲の迷惑になる可能性もあります。

仕事以外で存在証明を得る場所を作る必要性を感じております。
 
 
 
山崎さん (xtc4241)
2009-07-06 12:48:02
こんにちは(いま6日12:35頃です)

7月4日土曜日に見に行きました。

そして、仕事以外に生きがいをもてるか?
という問いを「レスラー」から見てみました。

主人公のランディは、実の娘からも絶縁され、妻にと思っていた人からも拒否された。
そういう反応がくるってこともわかっていたでしょう。

そんなシチュエーションだったから、
自分としては納得して、復帰したんだと思いました。
それに、心臓がおかしくなり始めても、自分の必殺技をやめようとしなかった。
それは、自分の意志であるとともに、なるようにしかならないという他力に身をゆだねたといえる。
それは、それで、とっても素敵な人生だったのではないかと思います。
仕事ではあったけれど、仕事を超えた存在になっていたプロレス・・・ある意味、しあわせだったのでは。
いい映画でした。
 
 
 
「レスラー」は弟と見に行きます (横からすみません)
2009-07-06 22:29:29
山崎様;

 コメントありがとうございます。(まさかご本人からレスいただけるとは。恐縮です)
 助かりました。おかげさまで途中で席をたつことにならずに済みました。私は子供と往年の得意技を面白がってみることはできそうにありません。子供が成人したとしても、そういうシーンがあると分かっていれば、一緒に見に行けそうにありません。
 この映画は弟と見に行きます。今から楽しみです。
 
 
 
山崎さんありがとうございます (クラウン)
2009-07-19 16:49:53
ちょっと場違いかもしれませんがこの場を借りて山崎さんにお礼させて下さい。最近職場から整理解雇されました。十分なパッケージも出たのでゆっくり次の職場を探そうと思っているところですが、このテーマにある通り、日本的(?)雇用概念のもと生きてきたので、やはり無職状態はやや落ち着かない気分でした。そんな時、山崎さんの「転職哲学」を読み(前から持ってましたが、読み直しました)かなり気持ちが楽になりました。ありがとうございます。他のサイトでも山崎さんのコメントは客観的で非常に参考になります。今後も御活躍祈念致します。
 
 
 
10/4にレスラー見ました (横からすみません)
2009-10-14 21:07:43
山崎様;

 古い話題で恐縮です。10/4にレスラー見ました。私の住む町ではこのタイミングでやっと公開です。
 弟とレスラーを見るつもりで彼の住む町に行きました。映画館で切符を買う直前に、ロッキー5みたいな映画なら見る気はないと一蹴され、そうじゃないんだと説明したものの説得しきれず、代わりに96時間を見ることになりました。こちらは白人ジャッキー・チェン映画で、見ないほうが良い映画でした。(弟にはそんなことは言いませんが)
 それから2ヵ月後、私の町にレスラーがやってきました。待った甲斐がありました。面白かったです。トレーラーハウスのお隣さんの子供に、古臭いプロレステレビゲームに付き合ってもらうシーンは泣けました。家庭人としての駄目っぷり、家庭崩壊ぶりは山城新伍が思い出されました。
 トレーラーハウスの家賃滞納する彼が、バイパス手術を受けて病院に通えるのは、レスラー保険のおかげなんでしょうね。余計なことですが気になりました。
 また面白い映画があったら紹介してくださいね。
 
 
 
それは大事なことなのか (喫茶店・カフェの経営)
2010-08-14 09:44:37
分かっているか、分かっていないか?
それが大事なことなのでしょうか?

ちょっと論点が違い気がします。
 
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