映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

エルネスト

2017年10月25日 | 邦画(17年)
 『エルネスト』をイオンシネマ板橋で見ました。

(1)オダギリジョーの主演作というので映画館(注1)に行ってきました。

 本作(注2)の冒頭では、「もし我々を空想家というのなら、もし理想主義者というのなら、我々は何千回でも答えよう、そのとおりだと」とのチェ・ゲバラの言葉(注3)が字幕で映し出されます。
 そして、フィデル・カストロの革命政権がキューバで樹立された時のニュース画像が流れます(1959年1月)。

 次いで、日本の外務省中南米課。時点は、1959年7月。
 課員が電話で話しています。
 「キューバのどういう人?」「もう、乗ったんだって?」「そっちで止めてほしかった」「広島に着くのは何時?」。
 その課員は、上司に、「大阪分室からの連絡です」「強行されてしまいました」「もう列車の中だそうです」と報告します。

 大阪から広島へ向かう列車の中(注4)。
 在日のキューバ大使が、弁当を買ってきて、キューバ使節団の団長のチェ・ゲバラホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ)に渡し、「ベントーです、ゲバラ少佐」と言います。
 ゲバラが「役人が来るのか?」と尋ねると、キューバ大使は「はい」と答え、それに対し、ゲバラは「日本政府は米国に気兼ねして、広島行きを認めない」、「しかし、私は、行きたいところへ行く」と言います。
 ゲバラは、持ってきたカメラを、荷物棚の上に置きます。

 広島県庁での記者会見。
 広報担当が、「突然決まったのですが、キューバの使節団が来ました」「親善目的で、駐日大使が同行しています」「団長は、キューバ人の少佐です」と発表すると(注5)、記者の方からは「少佐じゃあ、大した話は出ないのでは」と失望の声が。

 中国新聞の記者の永山絢斗)が、平和記念公園や原爆資料館を訪れるゲバラたちを取材します。
 原爆死没者慰霊碑に献花して敬礼をしたゲバラが、県庁職員・矢口田中幸太朗)に何事か言ったのを見て、森が矢口に「碑文について聞いていたのでは?」と尋ねると、矢口は「なぜ主語がないのかと尋ねた」と答えます。
 森は、ゲバラに「日本を訪れた目的は?」と尋ねると、ゲバラは「新しいキューバについて説明し、日本と経済交流をしたいと考えている」と答えます。森は、さらにゲバラの軍服姿を見て「新政権は軍人が主体なのか?」と尋ねると、ゲバラは「そうではない。軍服は、革命運動に加わるようになってから着るようになった」と答えます。
 原爆資料館では、ゲバラは、「君らは、アメリカにこんなにひどい目に合わされて、どうして怒らないのだ?」と周囲に尋ねたりします。
 最後に、森がゲバラに対し「ボンボアージュ」と言うと、ゲバラは「ありがとう」と答えます(注6)。

 こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれからどのような物語が展開するのでしょうか、………?

 本作は、医者になるべくキューバの大学に留学したボリビアの日系2世が、フィデル・カストロやチェ・ゲバラの影響を強く受けたのでしょう、ゲバラとともに故国に戻って革命組織に参加するという実話に基づいた物語です。いまどきどうしてゲバラなのかという感じになりますが、主演のオダギリジョーは41歳ながらも、25歳で倒れた青年を実に清々しく演じていて感心しました。

(2)本作の主人公フレディオダギリジョー)は、実在のフレディ・マエムラ・ウルタードに基づいて描かれているとのことですが、本作では、キューバのハバナにある大学へ仲間とともに入学するところから登場します(1962年4月)。



 そして、本作では、キューバ時代のフレディに焦点が当てられています。
 特に、身ごもったルイサジゼル・ロミンチャル)との関係では、フレディの高潔な人柄が上手く描かれていると思いました(注7)。



 ただ、どういう経緯によって、フレディが、自国のボリビアではなくキューバの大学に入ることになったのかよくわからないまま物語は進行します。
 おそらく、ボリビアは、当時、革命政権下にありましたから(注8)、キューバと国交があったのでしょう。それで、フレディらは、ボリビアの大学ではなくレベルの高いキューバの大学に留学したのではないかと思われます。

 その後、フレディは、ボリビアでバリエントスらの軍部がクーデタを起こし革命政府を倒して政権を把握したことを知って(1964年)、医者になる志を投げうって、革命グループに参加することを決意します。

 ただ、ここでも、政権を奪取した軍部の横暴が酷いとする情報がボリビアから送られてきたりはするものの、どうしてそんな決断に至ったのか、よくわからない感じが残ります。
 おそらくは、映画によれば、フレディは、フィデル・カストロロベルト・エスピノーザ・セバスコ)やチェ・ゲバラと言葉をかわす機会を持ち(注9)、その影響を強く受けたことがその背景にあるように思われます。



 でもそれは背景であり、当時のボリビアがどういう状況にあって、いきなり軍隊組織の革命グループにフレディが参加することにどのような意味があったのか、などといった点の方が重要ではないでしょうか?

 それでも、ボリビアでの状況がほんの少しですが本作では描かれます(注10)。
 少年時代のフレディが、貧しい家に自転車に乗ってやってきて、母親にバナナをプレゼントし、さらに、家の中にいた男の子に、「この薬がいいんだ」と言いながら薬を手渡します。
 男の子が、母親に「前は飴をくれた」と言うと、母親は「次に来た時には、洪水で家が流されてるかもしれないよ」とフレディに言います。
 フレディは、男の子の脈を取って「脈が早いね」と診断し、さらに「僕は医者になるんだ」と言って、その家を離れます。
 推測になりますが、フレディは比較的裕福な家で育ち(注11)、ボリビアの貧弱な医療事情を肌で感じて、若い時分から医者になることを志していたようです(注12)。

 ですがこれだけでは、ボリビアに疎い者からすると、いろいろと事情がよくわからない感じが残ってしまいます(注13)。

 まあ、本作のタイトルが「エルネスト」となっているわけで、エルネスト・チェ・ゲバラと(注14)、そのチェ・ゲバラ自身によって、フレディがエルネストという革命グループ内での呼び名が与えられたことを中心的に本作は描き出したかったように思え(注15)、そうであれば、ボリビアのことが疎かになってしまったのも仕方のないところでしょう(注16)。

 なお、本作の主人公がボリビアで射殺されたのは25歳とされ、他方で、オダギリジョーは41歳ですから随分の年齢差があるとはいえ、にもかかわらず、オダギリジョーは随分とみずみずしくフレディを演じていて、そんな年齢差を観客に少しも意識させないのには驚きました。

(3)渡まち子氏は、「全編スペイン語のせりふで静かな熱演を見せるオダギリジョーは素晴らしいし、チェ・ゲバラが日本の広島の原爆慰霊碑に献花した秘話も、とても効果的に描かれていて心に残る」として65点を付けています。
 山根貞男氏は、「阪本監督が工夫した構成により、50年前の青春と今も生々しい核の問題が結び付き、感銘を誘う。これは現在形の映画なのである」と述べています。
 毎日新聞の勝田友巳氏は、「フレディが日系人というだけで日本との関わりは薄く、またゲバラのような大活躍を期待したら肩すかしを食うだろう。しかし熱い時代を誠実に生きた青年の肖像は、寄る辺なき現代だからこそ輝きそう」と述べています。



(注1)てっきり新宿のTOHOシネマズで上映しているものと思っていましたら、公開2週間ほどで打ち切りとなってしまい、仕方なく、東武練馬駅そばのイオン板橋の中にある映画館に行ってきました。
 この映画館は我が家から遠いものの、それを利用する場合には3時間まで駐車料金が無料ということがわかったので、車で行ってきました。
 なお、東武練馬駅が練馬区ではなく板橋区にあるというのも少々おかしな感じがしたところです。

(注2)監督・脚本は、『団地』の阪本順治。
 原案は、マリー前村=ウルタード他著『チェ・ゲバラと共に戦ったある日系二世の生涯~革命に生きた侍~』(キノブックス)。

 なお、出演者の内、最近では、オダギリジョーは『湯を沸かすほどの熱い愛』、永山絢斗は『藁の楯』で、それぞれ見ました。

(注3)この記事によれば、「もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう「その通りだ」と」。

(注4)この記事の「日本来訪」によれば、「全日空機で岩国空港に飛んだ」とのこと(あわせて、「夜行列車で広島に向かった」という説もあるが、「しかし、この説を裏付ける証拠はオマール・フェルナンデスの主張以外にはない」とも述べられています)。

(注5)チェ・ゲバラはアルゼンチン人ですが、キューバ革命後、キューバ国籍を与えられています。

(注6)本作ではさらに、チェ・ゲバラは広島原爆病院に行って、一人の女性患者と会うシーンとか、ホテルを一人で抜け出して、平和記念公園に戻って、慰霊碑に花を捧げている日本人の姿を写真に撮ったりするシーが描かれています(こちら)。
 なお、チェ・ゲバラの広島訪問に関しては、この記事が参考になります。

(注7)フレディと一緒にキューバの大学に留学した仲間の一人のベラスコエンリケ・ブエノ・ロドリゲス)がルイサと付き合っていたのですが、彼はルイサと別れ別の女学生と付き合っていて、「今は勉強に集中したい」「生まれる赤ん坊が誰の子かわからない」などと言い逃れをして、責任をとろうとしませんでした。
 これを知ったフレディは、お金のないルイサの窮状を救うために、助手に応募して、受け取った給与をルイサに渡したりします。といっても、フレディは、そうしたルイサにつけこもうとは決してしませんでした。

(注8)この記事の「歴史」によれば、1960年に 第2次パス・エステンソーロ政権が成立しています〔民族革命運動党(MNR)による革命で、パス・エステンソーロは、1952年から1956年まで大統領職にありました〕。

(注9)例えば、チェ・ゲバラが演説した後に、フレディが「あなたの絶対的な自信はどこから?」と尋ねると、チェ・ゲバラは「いつも怒っている。でもそれは憎しみからではない」などと答えます。
 また、フィデル・カストロが、フレディたちの大学にやってきた時に、フレディが「勉強以外に僕達のやるべきことは?」と尋ねると、カストロは「バスケットかな」と答え、後で一緒にバスケットをすることになります。その後で、カストロは、再度フレディに、「やるべきことを他人に聞くな。いつか君の心が教えてくれる」と言います。

(注10)この他、兵隊が農民から収穫物を取り上げる場面をフレディが思い出すシーンもありますが、ごく短いシーンなのでどういうシチュエーションなのか詳細がよくわからない感じです。

(注11)この記事によれば、フレディは、鹿児島県出身の移民一世とボリビア人女性との間に生まれています。中南米に移住した日本人は、各地で大変苦労したようですが、あるいは、フレディの父親は、ボリビアに移住して成功したのかもしれません。

(注12)本作によれば、ボリビアの革命組織に参加したフレディは政府軍に捕まりますが、政府軍の兵士の一人がこの時の少年でした。ですがその兵士が、「こいつは裕福な生まれで、俺たちを支配していた」などと告発したために、上官は彼にフレディの射殺を命じます。

(注13)『チェ 39歳別れの手紙』についての拙エントリで申し上げましたが、「同じような少人数で出発しながら、なぜキューバ革命は成功しボリビアの革命が失敗したのか」という観点から、ボリビアの当時の実状といったものの把握が随分と重要ではないかと考えるところです。

(注14)何しろ、本作の冒頭では、チェ・ゲバラの日本訪問の様子が描かれるのですから。

(注15)まるで3人のパブロ(パブロ・カザルス、パブロ・ピカソ、パブロ・ネルーダ)のように。

(注16)それにしても、なぜ今、こうした映画を制作するのか、その狙いがよくわからない感じがします。
 まあ、本作が、今の日本の青年には見かけない純粋な心を持った人物を描き出したいというのであれば、それはそれでわかりますが、フレディがチェ・ゲバラと一緒になってボリビアの革命グループに参加して軍事的行動をとった点を重視するのであれば、当時のボリビアには他にどのような選択肢がありえて、フレディのとった行動がどこまで是認されるものなのか、かなり検討すべきではないかと思われます(例え、彼の遺骨がキューバにあるチェ・ゲバラ霊廟に安置されているとしても)。



★★★☆☆☆



象のロケット:エルネスト