インド映画『きっと、うまくいく』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。
(1)インドで興収が歴代ナンバーワンを記録した大変面白い映画だと聞いて、是非見たいなと思っていたところ、なかなか時間が上手く合わなかったのですが、公開3ヶ月以上たって、ようやく映画館で見ることが出来ました。
舞台は、インドで超難関大学のICE工科大学。
その大学の寮で、ファルハーンとラージューとランチョーが同室になります。
ただ、ファルハーンとラージューは落ちこぼれ組(注1)で、学期末試験は毎度やっとビリの方でクリアします。他方、ランチョーはずば抜けて優秀でいつも首席を占めていますが、決して真面目に勉強するわけでもなく、様々な騒動を引き起こします(それで、原題は「3 idiots」)。
あるとき、ランチョーは、真面目を地で行くもののどうしても2番にしかなれないチャトゥルに悪戯を仕掛け、大勢の前で笑いものにしてしまいます(注2)。怒ったチャトゥルは、賭けをしようと言い出します。すなわち、10年後に大学の施設(給水塔)で再会し、その時どちらが成功しているかを比べて、誰が真の1番なのかを明らかにしよう、というわけです。
その10年後、チャトゥルは、ファルハーンとラージューを電話で呼び出しますが、ランチョーは来ません。いったいランチョーはどうなってしまったのでしょうか、……?
本作は、いつものインド映画のように歌と踊りが沢山入った作品ながら、置かれている境遇や性格がまるで異なる3人(注3)が大学で引き起こす様々の騒動が実に愉快に描き出されており、さらにはランチョーのラブストーリーまでも絡んできて(注4)、誠に楽しく大変素晴らしい映画だなと思いました。
主役のランチョーを演じるアーミル・カーンは、実際には制作時に43歳くらいだったでしょうが、実に若々しい演技でとてもそんな歳には見えません!
(2)本作はコメディ作品にもかかわらず、「死」があちこちで顔を出します。
例えば、ラージューは、学長の家に3人で悪戯をした際に捕まって、下手人はランチョーだと申し出れば退学を取り消すと言われ、窮地に立たされた挙句、学長室の窓から飛び降りて自殺を図ります。
そのラージューの酷く貧しい実家では、父親が重い病にかかって寝たきりとなっています(ラージューが、なんとか大学を卒業してエンジニアとして大企業に高給で雇われることを、一家で願っているのです)。
また、ランチョーのライバルとも目されたジョイ・ロボが、期末試験用の器械の制作がうまくいかず、提出期限の延長を願い出たにもかかわらず認められなかったことから、前途を悲観して寮の部屋で首をつって自殺してしまいます(注5)。
さらに、これは仮病ですからここで挙げるのは少しためらわれますが、ファルハーンは、映画の冒頭、杳として行方がわからなかったランチョーが現れるとの連絡を、飛び立ったばかりの飛行機の中でチャトゥルから受け取ると、突然床に倒れこみ気絶してしまいます。飛行機は、やむなく離陸したばかりの飛行場に戻ります。
でも、本作は、もちろん、そんなところで話を終わりとはしません。
病院に運び込まれたラージューは、重体で意識不明の状態が続いていたものの、ランチョーら友人たちの強い励ましで回復し、今度は自信を持って人に接するようになっていきます(注6)。
また、ラージューの父親は、いったん危篤状態となりますが、ことは急げとばかり、遅い救急車を当てにせずに、ランチョーがその父親を背中に背負ってオートバイに乗って病院に駆け付けたところ、一命をとりとめます。
自殺したジョイ・ロボが途中まで制作していた「モニターカメラが取り付けられたクアドロコプター」は、ランチョーが完成させ学内を飛び回ります(注7)。
ファルハーンは、飛行機から降ろされて空港施設に運び込まれると、なんと元気に立ち上がり、呆気にとられる周囲を空港に残したまま、待ち合わせ場所の大学に直行するのです。
さらに、主役のランチョーが絡む「遠隔操作による出産」のエピソードが、これらに関連して出色の出来栄えといえるでしょう(注8)。
こうした様々なエピソードに見られる共通点を探し出せば、かなり強引ではありますが、“死からの蘇生”ということになるのではないでしょうか?
そして、こんなにも鮮やかな“死からの蘇生”の話を次から次へと見せられるものですから、観客の方は、見終わったあとに実に爽やかな感じに囚われてしまうのではないでしょうか?
(3)渡まち子氏は、「往年のインド映画の泥臭さを知るものには、随分と洗練されたものだと感無量だ。だが、笑い、涙、サスペンスにアクション、そして歌と踊りといった娯楽要素を、これでもか!とばかりに詰め込むインド映画のサービス精神は今も昔も変わらない。退屈とは無縁の170分間、間違いなくハッピーになれる」として70点を付けています。
また、沢木耕太郎氏は、「確かにこの「きっと、うまくいく」はインド映画らしくないインド映画だった。しかし、その最後に、束(つか)の間であれ、世界を美しいものと感じさせてくれるという点においては、多くのすぐれたインド映画とまったく変わりないものだったのだ」と述べています。
(注1)といっても、学長に言わせると「10万人が受験して合格するのは200人」という超難関大学に入学しているのですから、極め付きの優秀な学生のなかでの“落ちこぼれ”に過ぎないのですが。
(注2)チャトゥルが大臣や学長を前にして行う演説の原稿を、ランチョーは、例えば「奇跡」を「強姦」に、「入金」を「乳頭」といった具合に密かに改竄してしまい(字幕から)、そうとは知らぬチャトゥルが例によって原稿を丸暗記して演説したからたまりません、聴衆は笑い転げるものの、大臣は怒って退去してしまいます。
なお、チャトゥルはウガンダで育ったためヒンディー語が不得手で、そのために演説で喋った内容をよく把握できていなかったのでしょう(その原稿は、図書館の司書に予め作ってもらっていました)。
(注3)大雑把には、ランチョーは上流、ファルハーンは中流、ラージューは下層の出身というように設定されています。
また例えば、ランチョーは、ファルハーンとラージューの成績が悪いわけについて、自分は機械が好きでたまらないのに、ファルハーンは動物写真の方に関心が向かっているからだし、ラージェーは臆病で将来を心配してばかりいるからだ、と言ったりします。
(注4)ランチョーが恋する相手・ピア(カリーナ・カプール)が、激しく対立する“ウィルス学長”の娘なのですから、恋が成就するまでがなかなか大変です。
(注5)劇場用パンフレットに掲載されているヴィカース・スワループ氏のエッセイには、インドでは「近年、学生の自殺率が驚くほど増加しており、2010年には毎日平均20人もの学生が自ら命を絶ったといわれています」と述べられています。
なお、映画のラストの方では、学長自身の息子(作家志望にもかかわらず、学長によって無理やりエンジニアを志望させられたとのこと)が自殺していることが、娘のピアによって明かされます。
(注6)就職の面接に際しても、ラージューは、面接官に阿ることなく自分の見解を述べたために、却って面接官に気に入られてしまい、無事に大きな企業にエンジニアとして就職することができました。
(注7)出来上がったクアドロコプターを飛ばしてジョイ・ロボの部屋をのぞいたところ、彼の自殺体を画面に発見するのです!
(注8)大雨の日に、学長の結婚している長女が産気づきます。ところが、大雨で道路に水が溢れ、救急車がやって来ません。そこに通りかかったのが、3人組。
姉を大学寮のホールまで運び込んで、ランチョーは、病院にいた妹ピア(医者なのです)とネットで連絡をとり、画像を送りながらアドバイスを受けます。
ランチョーは、途中で停電になると、車のバッテリーをかき集めて、なんとか電力を確保しますし、難産になると、掃除機を改造して子供を吸い出す器械をこしらえたりして、なんとか子供を取り上げます。
でも、生まれた子供は、なかなか息をしません。下手をすると死んでしまいかねません。そこで、ランチョーは、魔法の言葉「Aal izz well(きっと、うまくいく)」を口にします。すると、子供が息をし出すではありませんか!
なお、ランチョーの活躍ぶりを見ていた学長は、彼を嫌悪して退学を通告していたものの、それを取り消して、さらにはとびきり優秀な学生に与えるとしていた「宇宙でも使えるペン」をランチョーに与えます。
★★★★☆
(1)インドで興収が歴代ナンバーワンを記録した大変面白い映画だと聞いて、是非見たいなと思っていたところ、なかなか時間が上手く合わなかったのですが、公開3ヶ月以上たって、ようやく映画館で見ることが出来ました。
舞台は、インドで超難関大学のICE工科大学。
その大学の寮で、ファルハーンとラージューとランチョーが同室になります。
ただ、ファルハーンとラージューは落ちこぼれ組(注1)で、学期末試験は毎度やっとビリの方でクリアします。他方、ランチョーはずば抜けて優秀でいつも首席を占めていますが、決して真面目に勉強するわけでもなく、様々な騒動を引き起こします(それで、原題は「3 idiots」)。
あるとき、ランチョーは、真面目を地で行くもののどうしても2番にしかなれないチャトゥルに悪戯を仕掛け、大勢の前で笑いものにしてしまいます(注2)。怒ったチャトゥルは、賭けをしようと言い出します。すなわち、10年後に大学の施設(給水塔)で再会し、その時どちらが成功しているかを比べて、誰が真の1番なのかを明らかにしよう、というわけです。
その10年後、チャトゥルは、ファルハーンとラージューを電話で呼び出しますが、ランチョーは来ません。いったいランチョーはどうなってしまったのでしょうか、……?
本作は、いつものインド映画のように歌と踊りが沢山入った作品ながら、置かれている境遇や性格がまるで異なる3人(注3)が大学で引き起こす様々の騒動が実に愉快に描き出されており、さらにはランチョーのラブストーリーまでも絡んできて(注4)、誠に楽しく大変素晴らしい映画だなと思いました。
主役のランチョーを演じるアーミル・カーンは、実際には制作時に43歳くらいだったでしょうが、実に若々しい演技でとてもそんな歳には見えません!
(2)本作はコメディ作品にもかかわらず、「死」があちこちで顔を出します。
例えば、ラージューは、学長の家に3人で悪戯をした際に捕まって、下手人はランチョーだと申し出れば退学を取り消すと言われ、窮地に立たされた挙句、学長室の窓から飛び降りて自殺を図ります。
そのラージューの酷く貧しい実家では、父親が重い病にかかって寝たきりとなっています(ラージューが、なんとか大学を卒業してエンジニアとして大企業に高給で雇われることを、一家で願っているのです)。
また、ランチョーのライバルとも目されたジョイ・ロボが、期末試験用の器械の制作がうまくいかず、提出期限の延長を願い出たにもかかわらず認められなかったことから、前途を悲観して寮の部屋で首をつって自殺してしまいます(注5)。
さらに、これは仮病ですからここで挙げるのは少しためらわれますが、ファルハーンは、映画の冒頭、杳として行方がわからなかったランチョーが現れるとの連絡を、飛び立ったばかりの飛行機の中でチャトゥルから受け取ると、突然床に倒れこみ気絶してしまいます。飛行機は、やむなく離陸したばかりの飛行場に戻ります。
でも、本作は、もちろん、そんなところで話を終わりとはしません。
病院に運び込まれたラージューは、重体で意識不明の状態が続いていたものの、ランチョーら友人たちの強い励ましで回復し、今度は自信を持って人に接するようになっていきます(注6)。
また、ラージューの父親は、いったん危篤状態となりますが、ことは急げとばかり、遅い救急車を当てにせずに、ランチョーがその父親を背中に背負ってオートバイに乗って病院に駆け付けたところ、一命をとりとめます。
自殺したジョイ・ロボが途中まで制作していた「モニターカメラが取り付けられたクアドロコプター」は、ランチョーが完成させ学内を飛び回ります(注7)。
ファルハーンは、飛行機から降ろされて空港施設に運び込まれると、なんと元気に立ち上がり、呆気にとられる周囲を空港に残したまま、待ち合わせ場所の大学に直行するのです。
さらに、主役のランチョーが絡む「遠隔操作による出産」のエピソードが、これらに関連して出色の出来栄えといえるでしょう(注8)。
こうした様々なエピソードに見られる共通点を探し出せば、かなり強引ではありますが、“死からの蘇生”ということになるのではないでしょうか?
そして、こんなにも鮮やかな“死からの蘇生”の話を次から次へと見せられるものですから、観客の方は、見終わったあとに実に爽やかな感じに囚われてしまうのではないでしょうか?
(3)渡まち子氏は、「往年のインド映画の泥臭さを知るものには、随分と洗練されたものだと感無量だ。だが、笑い、涙、サスペンスにアクション、そして歌と踊りといった娯楽要素を、これでもか!とばかりに詰め込むインド映画のサービス精神は今も昔も変わらない。退屈とは無縁の170分間、間違いなくハッピーになれる」として70点を付けています。
また、沢木耕太郎氏は、「確かにこの「きっと、うまくいく」はインド映画らしくないインド映画だった。しかし、その最後に、束(つか)の間であれ、世界を美しいものと感じさせてくれるという点においては、多くのすぐれたインド映画とまったく変わりないものだったのだ」と述べています。
(注1)といっても、学長に言わせると「10万人が受験して合格するのは200人」という超難関大学に入学しているのですから、極め付きの優秀な学生のなかでの“落ちこぼれ”に過ぎないのですが。
(注2)チャトゥルが大臣や学長を前にして行う演説の原稿を、ランチョーは、例えば「奇跡」を「強姦」に、「入金」を「乳頭」といった具合に密かに改竄してしまい(字幕から)、そうとは知らぬチャトゥルが例によって原稿を丸暗記して演説したからたまりません、聴衆は笑い転げるものの、大臣は怒って退去してしまいます。
なお、チャトゥルはウガンダで育ったためヒンディー語が不得手で、そのために演説で喋った内容をよく把握できていなかったのでしょう(その原稿は、図書館の司書に予め作ってもらっていました)。
(注3)大雑把には、ランチョーは上流、ファルハーンは中流、ラージューは下層の出身というように設定されています。
また例えば、ランチョーは、ファルハーンとラージューの成績が悪いわけについて、自分は機械が好きでたまらないのに、ファルハーンは動物写真の方に関心が向かっているからだし、ラージェーは臆病で将来を心配してばかりいるからだ、と言ったりします。
(注4)ランチョーが恋する相手・ピア(カリーナ・カプール)が、激しく対立する“ウィルス学長”の娘なのですから、恋が成就するまでがなかなか大変です。
(注5)劇場用パンフレットに掲載されているヴィカース・スワループ氏のエッセイには、インドでは「近年、学生の自殺率が驚くほど増加しており、2010年には毎日平均20人もの学生が自ら命を絶ったといわれています」と述べられています。
なお、映画のラストの方では、学長自身の息子(作家志望にもかかわらず、学長によって無理やりエンジニアを志望させられたとのこと)が自殺していることが、娘のピアによって明かされます。
(注6)就職の面接に際しても、ラージューは、面接官に阿ることなく自分の見解を述べたために、却って面接官に気に入られてしまい、無事に大きな企業にエンジニアとして就職することができました。
(注7)出来上がったクアドロコプターを飛ばしてジョイ・ロボの部屋をのぞいたところ、彼の自殺体を画面に発見するのです!
(注8)大雨の日に、学長の結婚している長女が産気づきます。ところが、大雨で道路に水が溢れ、救急車がやって来ません。そこに通りかかったのが、3人組。
姉を大学寮のホールまで運び込んで、ランチョーは、病院にいた妹ピア(医者なのです)とネットで連絡をとり、画像を送りながらアドバイスを受けます。
ランチョーは、途中で停電になると、車のバッテリーをかき集めて、なんとか電力を確保しますし、難産になると、掃除機を改造して子供を吸い出す器械をこしらえたりして、なんとか子供を取り上げます。
でも、生まれた子供は、なかなか息をしません。下手をすると死んでしまいかねません。そこで、ランチョーは、魔法の言葉「Aal izz well(きっと、うまくいく)」を口にします。すると、子供が息をし出すではありませんか!
なお、ランチョーの活躍ぶりを見ていた学長は、彼を嫌悪して退学を通告していたものの、それを取り消して、さらにはとびきり優秀な学生に与えるとしていた「宇宙でも使えるペン」をランチョーに与えます。
★★★★☆