『モンガに散る』をシネマート六本木で見てきました。
六本木にある映画館のうち、TOHOシネマズ六本木ヒルズの方には何度も行きましたが、こちらの映画館は初めてです。
(1)映画は、極道に生きようとする若者5人組を中心に据えているとはいえ、日本の“やくざ物”とはまったく違って、モンガという台北の商業的な中心地で青春を精一杯生き抜いていこうとする若者の姿を濃密に描いている作品といった方がいいでしょう。
映画を見てまず気が付くのは、映画の前半と後半とでトーンがかなり違っている点です。
すなわち、前半は、主人公のモスキート(マーク・チャオ)が、ドラゴンが率いる4人組に入って、ついには極道に生きようと決意を固めるまでが、羨ましいほどの明るさで描かれます。
なにしろ、この5人組(「義兄弟」の契りを結びます)はまだ高校生なのです。といっても、学校へは殆ど行かずに、いつも5人は固まって、バイクを乗り回したり、風を切って通りを歩き喧嘩をしたりの毎日。
特に、この喧嘩の描き方が素晴らしく、狭い路地で始まった素手による殴り合いが、瞬く間にモンガ中に広がってしまいますが、それを垂直に空中から俯瞰して映し出すと、まるで皆が讃岐の阿波踊りでも踊っているような、あるいは桜の花びらが舞っているような感じに見えます。きっと、ナイフなどの道具は使わず素手だけで殴り合いをすると、いつまでも決着がつかず、こんな広がりを見せてしまうのでしょう!
これに対して後半は、5人組が山に籠って武術(銃は使わずに、蹴りや小刀や長刀を使うもの)を身につけた上で、山を降りでモンガのただ中で極道として生きる様が描かれます。
弾けるような若さが強調された前半と違い、後半では、5人組は、早速大人の厳しい社会のただ中に放り込まれて、他のグループとの対立ばかりか、お互同士で対立することとなり、ついには、卑怯者しか使わないとされている銃が使われ、死に直面することになります。
後半は、むしろ暗さが強調された重厚なシーンの連続となります。
この前半と後半のトーンの違いを決定づけているのは、五人組が高校生活を離れて極道で生きる決意をしたことも勿論ですが、それのみならず、背後にある大陸と台湾との関係の変化です。
というのも、この映画が設定している年代が、前半については1986年ですが、後半が1987年であり、その間の1年が重大なのです。すなわち、1987年には、悪名高い戒厳令(中国共産党の侵入を防ぐという目的で布かれる)が解除されて、大陸との往来ができるようになり、同時に、台湾に大陸極道が進出してきます。
それまでの台湾は、高砂族などの原住民、おもに清の時代に大陸からやってきた本省人(漢民族)、それに国民党を支える外省人の3つの民族で構成されてきました。モンガを牛耳ってきたゲタ親分(マー・ルーロン)らの極道は、このうちの本省人でしょう。
そこに、圧倒的な力と冷酷な思考を持つ外省人が乗り出してきたのですから、モンガの旧勢力はひとたまりもありません。
折悪しく、5人組が極道で生きていこうと決意した年は、そうした激しい動きが始まったときであり、その中に丸ごと投げ出された彼らのうち、いったい誰が生き延びていくことができるのでしょうか、……。
なお、こうした前半と後半のコントラストといった構造的な面からこの作品を見ると、上でも触れましたが、五人組が籠もって修行した山と、その下に広がるモンガの遠景との対比が印象的です。
また、男と女という関係もあるでしょう。
随分と薄められてはいますが、モスキートの母親と大陸極道の幹部ウルフ(監督のニウ・チェンザーが演じています)との関係や、ゲタ親分とその情婦との関係。
ですが、なんといっても印象的なのは、モスキートと顔に大きな痣のある娼婦(クー・ジャーヤン)との関係でしょう。
周囲の部屋からベッドインのきしむ音が聞こえてくるのに対して、2人が小型ラジオからイヤホーンの片方ずつを耳にはさんで音楽を聴いて紛らすというシーンは、極道になったにもかかわらず、モスキートに純粋さが依然として残っていることを象徴しているようです(注1)。なにしろ、モスキートは、その娼婦を買いながらも、一線を越えようとはしないのですから。
あるいは、この純粋さが、この映画のラストシーンの複線の一つになっているとも考えられます。
ただ、この作品をそんな構造面からばかり捉えていると、足元を掬くわれます。
例えば、この映画のもう一人の主人公たるモンク(イーサン・ルアン)は、きわめて複雑な性格を持った随分と魅力的な人物として描き出されていて、2元的な対立軸から大きくはみ出しています。
すなわち、
・頭脳優秀で学校の成績も抜群とされるものの、極道の世界に飛び込んでしまいます。
・その能力を見込まれて、ゲタ親分に預けられて育てられますが、あるとき、ゲタ親分が自分の父親の右手を切り落として親分の地位を奪ったことを知ってしまいます。
・「義兄弟」の契りに積極的に加わり、五人組を人一倍愛しながらも(ドラゴンに対しては特に)、ラストの方では彼らを大きく裏切ってしまったような感があります(注2)。
全体としては、モンクは、旧来の伝統にしがみつこうとする本省人極道の中にあって、大層合理的な思考を身に着けていたことから、大陸極道の懐に入ってなんとかモンガの窮地を救おうとし、それが仲間に理解されなかったために(事情を前もって打ち明けるわけにはいかなかったために)悲劇を迎えてしまった、とも思われるのです。
言ってみれば、中間者的な存在といえるでしょうか。
このモンクを演じたイーサン・ルアンは、劇場用パンフレットに掲載されたインタビュー記事の中で、モンクの「ドラゴンへの想いについて」は「答えをずっと出せないまま」であったし、結局「わからない」というのがその答えだ、などと述べていますが、それにしてもその演技は圧倒的で、特にその目つきには、深く吸い込まれてしまう凄さを感じました。
この作品に問題がないわけではないでしょう。
例えば、映画の始まりには、モスキートが転校生としてクラスに入ったり、他の高校生たちから苛められたりするシーンがあります。ただ、演じている俳優の実年齢と10歳以上も乖離しているのですから、いくらなんでも高校生には見えず、事情が分かるまで時間がかかってしまいます。
ですが、そんなことは映画の全体からすればごく些細な点でしょう。
(注1)そういえば、映画『クロッシング』では、警察官(リチャード・ギア)が、通い詰めていた娼婦に一緒になろうと言ったところ、あっさりと振られてしまう場面がありました。ごく若いモスキートと定年退職する老いた警察官との立場の違いと言えばそうかもしれませんが、侘しい限りです。
(注2)実際には、モンクが、ドラゴンらを逃がそうと手を打っていたこと(映画の中では明示されてはいませんが)が、モスキートらには裏切り行為に見えたのでしょう。
(2)映画は台湾で制作された作品ですが、昨年のちょうど同じころに同じ台湾の映画『海角七号』を見て感動しましたから、因縁めいたものを感じてしまいます。
それに、『海角七号』で町議会のホン議長をコミカルに演じていたマー・ルーロンが、この映画ではモンクを育てたゲタ親分を演じているのも、随分と親しみを感じさせます。
ただ、『海角七号』では、日本との関係が随分と強調されていたところ、本作品では余りそういった面は見られません。
といっても、モスキートが桜を見に日本に行きたいと言ったりしますし、またゲタ親分の「ゲタ」は「下駄」を指しているようなのです(注3)。
この他、台湾関係の映画といえば、邦画『トロッコ』が専ら台湾を舞台にして、素晴らしいその自然や人情を描いていましたし、モット遡れば、『非情城市』(1989年)が、上で触れた戒厳令が敷かれる一つの切っ掛けとなった「二・二八事件」を描いています。
(注3)さらに、劇場用パンフレットの「プロダクション・ノート」によれば、ニウ・チェンザー監督は、「ゲタ親分を、“日本の統治時代に日本人の精神性を教え込まれ、結果として日本人の心を持った台湾人”として描いた」と言っています。
(3)渡まち子氏は、「まぶしい青春時代と失意に満ちた大人の世界。友情と裏切り。この映画の個性は鮮やかな対比にある。ラストシーンの悲しい美しさは近年でも屈指の素晴らしさだ」、「若い俳優たちは皆素晴らしいが、特に、主人公が憧れる頭脳派のモンクを演じるイーサン・ルアンが秀逸。モスキートに複雑な感情と意外な関係を持つ大陸ヤクザを、自ら演じるチェンザー監督の存在も印象に残る。80年代を代表する音楽で、甘いバラードでヒットを飛ばしたエア・サプライの楽曲を、ハイスピードカメラで活写する激しいアクションシーンに重ねるセンスも素晴らしい。台湾映画は、どこかこじんまりとしたアート系の作品というイメージだったが、それを見事に払しょくしてくれたのが嬉しい驚きだ。スピード感とアクション、スケールを感じる青春映画の秀作である」として85点の高得点を与えています。
★★★★☆
象のロケット:モンガに散る
六本木にある映画館のうち、TOHOシネマズ六本木ヒルズの方には何度も行きましたが、こちらの映画館は初めてです。
(1)映画は、極道に生きようとする若者5人組を中心に据えているとはいえ、日本の“やくざ物”とはまったく違って、モンガという台北の商業的な中心地で青春を精一杯生き抜いていこうとする若者の姿を濃密に描いている作品といった方がいいでしょう。
映画を見てまず気が付くのは、映画の前半と後半とでトーンがかなり違っている点です。
すなわち、前半は、主人公のモスキート(マーク・チャオ)が、ドラゴンが率いる4人組に入って、ついには極道に生きようと決意を固めるまでが、羨ましいほどの明るさで描かれます。
なにしろ、この5人組(「義兄弟」の契りを結びます)はまだ高校生なのです。といっても、学校へは殆ど行かずに、いつも5人は固まって、バイクを乗り回したり、風を切って通りを歩き喧嘩をしたりの毎日。
特に、この喧嘩の描き方が素晴らしく、狭い路地で始まった素手による殴り合いが、瞬く間にモンガ中に広がってしまいますが、それを垂直に空中から俯瞰して映し出すと、まるで皆が讃岐の阿波踊りでも踊っているような、あるいは桜の花びらが舞っているような感じに見えます。きっと、ナイフなどの道具は使わず素手だけで殴り合いをすると、いつまでも決着がつかず、こんな広がりを見せてしまうのでしょう!
これに対して後半は、5人組が山に籠って武術(銃は使わずに、蹴りや小刀や長刀を使うもの)を身につけた上で、山を降りでモンガのただ中で極道として生きる様が描かれます。
弾けるような若さが強調された前半と違い、後半では、5人組は、早速大人の厳しい社会のただ中に放り込まれて、他のグループとの対立ばかりか、お互同士で対立することとなり、ついには、卑怯者しか使わないとされている銃が使われ、死に直面することになります。
後半は、むしろ暗さが強調された重厚なシーンの連続となります。
この前半と後半のトーンの違いを決定づけているのは、五人組が高校生活を離れて極道で生きる決意をしたことも勿論ですが、それのみならず、背後にある大陸と台湾との関係の変化です。
というのも、この映画が設定している年代が、前半については1986年ですが、後半が1987年であり、その間の1年が重大なのです。すなわち、1987年には、悪名高い戒厳令(中国共産党の侵入を防ぐという目的で布かれる)が解除されて、大陸との往来ができるようになり、同時に、台湾に大陸極道が進出してきます。
それまでの台湾は、高砂族などの原住民、おもに清の時代に大陸からやってきた本省人(漢民族)、それに国民党を支える外省人の3つの民族で構成されてきました。モンガを牛耳ってきたゲタ親分(マー・ルーロン)らの極道は、このうちの本省人でしょう。
そこに、圧倒的な力と冷酷な思考を持つ外省人が乗り出してきたのですから、モンガの旧勢力はひとたまりもありません。
折悪しく、5人組が極道で生きていこうと決意した年は、そうした激しい動きが始まったときであり、その中に丸ごと投げ出された彼らのうち、いったい誰が生き延びていくことができるのでしょうか、……。
なお、こうした前半と後半のコントラストといった構造的な面からこの作品を見ると、上でも触れましたが、五人組が籠もって修行した山と、その下に広がるモンガの遠景との対比が印象的です。
また、男と女という関係もあるでしょう。
随分と薄められてはいますが、モスキートの母親と大陸極道の幹部ウルフ(監督のニウ・チェンザーが演じています)との関係や、ゲタ親分とその情婦との関係。
ですが、なんといっても印象的なのは、モスキートと顔に大きな痣のある娼婦(クー・ジャーヤン)との関係でしょう。
周囲の部屋からベッドインのきしむ音が聞こえてくるのに対して、2人が小型ラジオからイヤホーンの片方ずつを耳にはさんで音楽を聴いて紛らすというシーンは、極道になったにもかかわらず、モスキートに純粋さが依然として残っていることを象徴しているようです(注1)。なにしろ、モスキートは、その娼婦を買いながらも、一線を越えようとはしないのですから。
あるいは、この純粋さが、この映画のラストシーンの複線の一つになっているとも考えられます。
ただ、この作品をそんな構造面からばかり捉えていると、足元を掬くわれます。
例えば、この映画のもう一人の主人公たるモンク(イーサン・ルアン)は、きわめて複雑な性格を持った随分と魅力的な人物として描き出されていて、2元的な対立軸から大きくはみ出しています。
すなわち、
・頭脳優秀で学校の成績も抜群とされるものの、極道の世界に飛び込んでしまいます。
・その能力を見込まれて、ゲタ親分に預けられて育てられますが、あるとき、ゲタ親分が自分の父親の右手を切り落として親分の地位を奪ったことを知ってしまいます。
・「義兄弟」の契りに積極的に加わり、五人組を人一倍愛しながらも(ドラゴンに対しては特に)、ラストの方では彼らを大きく裏切ってしまったような感があります(注2)。
全体としては、モンクは、旧来の伝統にしがみつこうとする本省人極道の中にあって、大層合理的な思考を身に着けていたことから、大陸極道の懐に入ってなんとかモンガの窮地を救おうとし、それが仲間に理解されなかったために(事情を前もって打ち明けるわけにはいかなかったために)悲劇を迎えてしまった、とも思われるのです。
言ってみれば、中間者的な存在といえるでしょうか。
このモンクを演じたイーサン・ルアンは、劇場用パンフレットに掲載されたインタビュー記事の中で、モンクの「ドラゴンへの想いについて」は「答えをずっと出せないまま」であったし、結局「わからない」というのがその答えだ、などと述べていますが、それにしてもその演技は圧倒的で、特にその目つきには、深く吸い込まれてしまう凄さを感じました。
この作品に問題がないわけではないでしょう。
例えば、映画の始まりには、モスキートが転校生としてクラスに入ったり、他の高校生たちから苛められたりするシーンがあります。ただ、演じている俳優の実年齢と10歳以上も乖離しているのですから、いくらなんでも高校生には見えず、事情が分かるまで時間がかかってしまいます。
ですが、そんなことは映画の全体からすればごく些細な点でしょう。
(注1)そういえば、映画『クロッシング』では、警察官(リチャード・ギア)が、通い詰めていた娼婦に一緒になろうと言ったところ、あっさりと振られてしまう場面がありました。ごく若いモスキートと定年退職する老いた警察官との立場の違いと言えばそうかもしれませんが、侘しい限りです。
(注2)実際には、モンクが、ドラゴンらを逃がそうと手を打っていたこと(映画の中では明示されてはいませんが)が、モスキートらには裏切り行為に見えたのでしょう。
(2)映画は台湾で制作された作品ですが、昨年のちょうど同じころに同じ台湾の映画『海角七号』を見て感動しましたから、因縁めいたものを感じてしまいます。
それに、『海角七号』で町議会のホン議長をコミカルに演じていたマー・ルーロンが、この映画ではモンクを育てたゲタ親分を演じているのも、随分と親しみを感じさせます。
ただ、『海角七号』では、日本との関係が随分と強調されていたところ、本作品では余りそういった面は見られません。
といっても、モスキートが桜を見に日本に行きたいと言ったりしますし、またゲタ親分の「ゲタ」は「下駄」を指しているようなのです(注3)。
この他、台湾関係の映画といえば、邦画『トロッコ』が専ら台湾を舞台にして、素晴らしいその自然や人情を描いていましたし、モット遡れば、『非情城市』(1989年)が、上で触れた戒厳令が敷かれる一つの切っ掛けとなった「二・二八事件」を描いています。
(注3)さらに、劇場用パンフレットの「プロダクション・ノート」によれば、ニウ・チェンザー監督は、「ゲタ親分を、“日本の統治時代に日本人の精神性を教え込まれ、結果として日本人の心を持った台湾人”として描いた」と言っています。
(3)渡まち子氏は、「まぶしい青春時代と失意に満ちた大人の世界。友情と裏切り。この映画の個性は鮮やかな対比にある。ラストシーンの悲しい美しさは近年でも屈指の素晴らしさだ」、「若い俳優たちは皆素晴らしいが、特に、主人公が憧れる頭脳派のモンクを演じるイーサン・ルアンが秀逸。モスキートに複雑な感情と意外な関係を持つ大陸ヤクザを、自ら演じるチェンザー監督の存在も印象に残る。80年代を代表する音楽で、甘いバラードでヒットを飛ばしたエア・サプライの楽曲を、ハイスピードカメラで活写する激しいアクションシーンに重ねるセンスも素晴らしい。台湾映画は、どこかこじんまりとしたアート系の作品というイメージだったが、それを見事に払しょくしてくれたのが嬉しい驚きだ。スピード感とアクション、スケールを感じる青春映画の秀作である」として85点の高得点を与えています。
★★★★☆
象のロケット:モンガに散る