映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ドガ展

2011年01月19日 | 美術(11年)
 昨年末まで横浜美術館で開催されていた「ドガ展」ですが、このところ日本で数多く開催され食傷気味の印象派関係の展覧会の一つにすぎないのではないかと思え、あまり行く気はなかったところ、ドガの名前に触れる機会が、展覧会以外にも予期した以上に多かったこともあって、ちょっとだけ覗いてきました。
 やや時間が経過してしまいましたが、折角ですので簡単に触れておきましょう。

 例えば、最近、たまたまDVDでフランス映画『夏時間の庭』(2008年)を見たら(このブログの昨年11月20日の記事の(2)で触れましたが)、主人公の大叔父の遺産の中に、ドガの壊れた石膏彫刻があり(子供の時分に遊んでいて壊してしまったもので、小さな袋に詰められていました)、そんな物は価値がないだろうと家族達が言っていたにもかかわらず、寄贈先のオルセー美術館の修復担当者が見事に元通りにしていました。



 今回の「ドガ展」においても、ドガの類似の彫刻はいくつも展示されていました。


『右脚で立つアラベスク、左腕を前へ』

 また、少しさかのぼりますが、このブログの昨年2月20日の記事「ジャポニスム」のなかでも、ドガに触れたことがあります。
 すなわち、その記事で取り上げたブリヂストン美術館のHPでは、「ドガやモネら印象派の画家たちは、浮世絵などから日本的な要素を学んで取り入れ」たとして、次のような例示がなされています。
・「人物や事物を画面の端で断ち切って、スナップ写真のような瞬間性や偶然性を表したり、左右のどちらかに主要なモティーフが片寄っていたり、一部が極端にクローズアップされたり」すること。
・「俯瞰的に上から覗き込むような構図や、「枝垂れモティーフ」のように枝先の部分だけを描いて、画面の外に柳の存在を暗示させるという手法」。

 今回の「ドガ展」でも、そうした例示に対応するドガの絵はすぐに見つかります。
 前者については、例えば下記の絵では右端が断ち切られています。


『アマチュア騎士のレース―出走前』

 後者については、例えば下記の有名な『エトワール』は、まさに「俯瞰的に上から覗き込むような構図」といえるでしょう。



 さらに、ポール・ヴァレリーの『ドガ ダンス デッサン』(清水徹訳、筑摩書房、2006.12)も手元にあります。

 例えば、次のような箇所を引用してみましょうか。
 「ドガは生涯にわたって「裸体」をあらゆる面から考察し、信じられぬほど多数の姿勢を取らせた……、人体のしかじかの瞬間を、このうえなく明確に、そしてまた可能なかぎりの普遍性をもって定着させる描線の唯一無二のシステムを追求しつづけた。外見上の優美や詩情は彼のめざすところではない」(P.85)。
 下記の作品は、そんなドガの特徴がよく表れているのではと思います。


『浴後(身体を拭く裸婦)』

 なお、この作品については、没後のアトリエから、よく似た姿勢をとった下記の写真が発見され、これをもとに制作されたのではないかとされているようです。




 とはいえ、クマネズミのお気に入りの絵はこれです。何とっても、これほどまともにギターを演奏している姿を描いている作品には、滅多にお目にかかれませんから!


『ロレンソ・バガンとオーギュスト・ガス』

 
 とまれ、マネとかゴッホに飽きたら、今度はドガというところでしょうか?