映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

おとうと

2010年02月13日 | 邦画(10年)
 『おとうと』を渋谷シネパレスで見ました。

 このところDVDは別として、映画館では吉永小百合の映画を敬遠していたのですが、山田洋次監督久々の現代劇であり、そろそろ見頃ではないか、それに私が丁度弟のポジションにいることでもあるし、ということで見に行ったところです。

 実際のところ、この映画における吉永小百合は、控え目で堅実な演技を見せていてマズマズでした〔鳥肌が立つような良妻賢母型のセリフだけは言わないでくれと願っていたところ、そんなシーンはありませんでした〕。彼女は、おそらくは実年齢よりも10歳程度若い設定の役を演じているものと思われますが、何の違和感もないというのは凄いことです。

 また、吉永小百合の弟役の笑福亭鶴瓶は、主演男優賞を獲得した『ディア・ドクター』以上に迫真の演技を披露していて、なかなかやるなと唸らせます。
 その他、吉永小百合の娘役の蒼井優も大層魅力的でした。
 したがって、総じて出演者には問題ないと思われます。

 ただ、ストーリーとか映像の面ではいくつか問題があるのでは、と思いました。
 特に、このお話の設定は現時点と推測されるものの〔なにしろ、ホスピスが設けられているのですから!〕、正直のところ、この映画からは高度成長あたりの日本の姿しか読み取れませんでした(ヤヤ言い過ぎですが)。
 というのも、吉永の娘である蒼井優が最初の結婚(相手は医者)でうまくいかなくなるきっかけが、親族にできの悪い叔父(鶴瓶)がいることが露見したためであったり、その2度目の結婚相手(加瀬亮)が職人(大工)であったり、というのは、現時点からするといかにも図式的で、作り物めいています。
 なにより、吉永が、早くに夫を亡くし、女手一つで娘を育ててきたという設定も、シングルマザーといえば今風ですが、未亡人とその娘と言えば昔風のことになってしまいます〔夫の母親が残されていたために、再婚するのが難しかったのでしょうが、そうした設定も、余り現代的ではないように思われます〕。
 また、吉永たちが生活している家の造りが、まるで小津安二郎風で、今時こんな家はあまり見かけないのではと思われます〔ガラス戸の外に縁側があり、そこから庭に出ると物干しが設けられていて、夏の時期には風鈴が鳴っているとは!また、旧式の小さなTVがタンスの上に置かれていたりします〕。

 ですから、映画の後半では、鶴瓶が行き倒れになって、結局は「ホスピス」に担ぎ込まれる場面となるところ、突然現代的問題に直面させられるようで、唐突でなにかそぐわない感じ(無理矢理接合されたような感じ)がしてしまいます。
 特に、ホスピスの所長(小日向文世)やその娘(石田ゆり子)が、いろいろ「ホスピス」の仕組みなどについて説明しますが、映画の流れがそこで断ち切れてしまい、何だこの映画は結局は「ホスピス」のPR映画なのか、とも思えてきてしまいます(注)。
 それに、人は必ず死ぬものであり、それも若ければ不条理を感じさせるとはいえ、鶴瓶くらいの年齢の者が死ぬことについてそれほど長々と映像で描かれても、という感じもになります。

 この作品は、日本の家族を描き続けてきた山田洋次監督の集大成的なものとされますが、その家族が今や大きく変質しつつある、という方を見ないで、旧来の枠組みの中で家族を描き出そうとしているのでは、と思われました。

 ただ、評論家たちの評価は大体高そうです。
 福本次郎氏は、「物語は、そんな姉と弟の腐れ縁を人情味あふれるタッチで描く。親ならばたいてい先に死ぬが、姉はほぼ同時に年をとる。幼いころから弟の素行を知っている、血縁の濃い姉という立場の微妙な距離感と戸惑いを吉永小百合が上品に演じ、彼女が口にする言葉の美しさが映画に品を与えている」として、80点もの高得点を与えています。
 前田有一氏も、「奇手に逃げず、昔ながらの定番の技術のみで、堂々と見せる風格ある映画という意味で」、「これこそ横綱相撲だなという感じを受ける」として75点を付けています。
 渡まち子氏は、「映画冒頭に山田洋次監督自らの作品の映像を巧みに使って、戦後の日本の価値観の変遷を一気に説明するパートが印象的。山田監督のテーマは、一貫して家族とは何かを問うものだが、彼のフィルモグラフィーを見れば、日本人が失くしてしまった大切なもののリストが出来てしまいそうでやるせない」などとして60点を与えています。

 ちなみに、山田洋次監督の前作『母べえ』に対する評点は、福本氏が50点、前田氏が30点ですから、見違えるように高くなったと言えます。
 ただ、渡氏については、前作が65点ですから、理由は分かりませんが、むしろ評価が下がったと言えるかもしれません。

(注)こう述べたからといって、当然のことながら、ホスピス自体を批判するわけではありません。劇場用パンフレットには、この映画の「みどりのいえ」のモデルとなった山谷のホスピス「きぼうのいえ」について、参考文献が記載してあります。
 一つは、「きぼうのいえ」施設長である山本雅基氏が書いた『山谷でホスピスやってます』 (じっぴコンパクト新書)で、もう一つは同じ施設をルポルタージュした中村智志著『大いなる看取り』(新潮文庫)。前者には、山田洋次監督の序文が掲載されており、また後者には、山田監督に対する著者のインタビューが載っています。
 それに、この映画には「きぼうのいえ」入居者が4人も出演しており、またそこでパストラル・ハープを演奏しているキャロルさんも映画に登場します。
 これらはそれ自体はどれもとても素晴らしいことだと思います。
 ただ、失われつつあるホノボノとした日本の良き姿といった感じのものをここまで描いてきた映画の中に、こうした「きぼうのいえ」的なものを入れ込もうとすれば、それは唐突な印象しか与えず、ですから映画の中でこの「ホスピス」の仕組みといったものを観客に向かって説明せざるを得なくなって、物語の流れがそこで断ち切られてしまっているのではないか、と思いました。


★★★☆☆

象のロケット:おとうと