孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ケニア  難民帰還をめぐる問題

2008-07-16 21:23:20 | 国際情勢

(ケニアの難民キャンプのひとつ 4月末撮影 “flickr”より By mclynch
http://www.flickr.com/photos/pastormike55/2450753898/)

【植民地時代の遺品の返還】
****ケニア国立博物館が再オープン、大統領が植民地時代の遺品の返還求める****
【7月16日 AFP】ケニアのキバキ大統領は14日、改装が終わったケニア国立博物館の開館式に出席し、「植民地時代に盗まれた工芸品を返還してほしい」と世界に呼びかけた。
前年末の大統領選挙の結果をめぐり暴力行為が多発し、観光業が大打撃を受けたケニアは現在、観光業の再生に全力を挙げている。大統領は、「だからこそ、特に植民地時代に国外に持ち出された、わが国の歴史・文化遺産である数々の工芸品を取り戻すためにあらゆる手を尽くさなければならない」と熱弁を振るった。
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ケニアに限らず、世界各地の歴史・文化遺産について、現地よりは欧米の博物館の方が貴重な資料を多量に保有しているということはよくあることです。
その多くは植民地時代の収奪の結果でもあります。

収奪された側にすれば、“奪われたのは遺産だけか?”ということになります。
実際、奪われたのは“奴隷”というかたちでの生命そのものであったり、経済の発展や教育の機会という社会全般の基礎であったりした訳ですから、その問いかけは十分に根拠のあるものです。

ただ、問われる側からすれば、何世代も前の話を今更むしかえされても・・・という素朴な感情もありますが、“現在の惨状の原因は本当に過去の収奪だろうか?それを隠れ蓑に自助努力を怠ってきた自分達にあるのでは?”という苛立ちも生じます。

いずれにも理のあるところですが、お互いが相手を罵りあうことではますます溝を深めるだけです。
本来は、お互いが相手の心情・立場を考慮して、自己の主張については一定に配慮する・・・といった節度があれば前進もするのでしょうが、現実にはそのような“節度”など誰も見向きもしない、政治の場では単なる“弱腰”“日和見”と見なされるだけのため、世界中のあちこちで対立の火が噴きます。

【大統領選挙後の混乱】
ところで、冒頭記事にもあるようにケニアでは昨年末に行われた大統領選で、当初大きくリードされていた2期目を目指すキバキ大統領が開票終盤で急に票を伸ばし、事実上の一騎打ちを演じた野党連合「オレンジ民主運動」のオディンガ氏を23万表差で破って当選したと発表されました。
この結果をめぐって、不正があったと主張する野党陣営と大統領側で対立が激化、部族間の抗争に発展しました。
全土で2ヶ月に及ぶ混乱が続きましたが、前国連事務総長のアナン氏の仲介もあって、2月末にようやく与野党指導者が連立政権樹立で合意、キバキ大統領のもとでオディンガ氏が首相に就任する形で決着しました。
この混乱で、少なくとも1500人が死亡、30万人の避難民が発生したと言われています。

【難民帰還】
アフリカの優等生と見られていたケニアでの混乱は、アフリカの現状を見せ付ける衝撃的な事件でしたが、上記のような決着により、私自身も国際社会の関心も急速にケニアから離れていきました。
わずかに、“政府はこの日、避難民8000人の帰還を目指す第1次再定住計画「オペレーション・リターン・ホーム」を発表した。「すべての国内避難民の再定住、そして民族や出身地の区別なく財産や土地を所有し、居住し、労働する権利を、政府は約束する」と、声明はうたっている。リフトバレー州の難民キャンプからは、数百人が警察と軍に護衛されて故郷に向かったが、いまだにくすぶり続ける民族抗争を恐れて帰還を拒む者も多くみられた。”【5月6日 AFP】といった報道で、難民帰還も始まったことを知る程度でした。

国外難民については、上記記事に、“隣国ウガンダの国境付近にいるケニア難民らも、故郷に戻ることを拒否している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、そうした難民1800人をウガンダ中部のマシンディ地区にあるキリャンドンゴキャンプに移送する作業を開始した。ここのキャンプでは、住居および農地用として一家族あたり5000平方メートルの区画が割り当てられるという。ある難民は「みんな、キリャンドンゴに来られてとっても喜んでるよ。子どもたちは学校に通えるし、生活を一からやり直せるんだから」と語っている”とあります。

しかし、国内難民の帰還作業の進展ははかばかしくないようです。
下記は6月28日ナイロビ発の記事です。

*****見放されるケニアの国内避難民****
ケニアで多くの国内避難民(IDP)が追い詰められている。
政府はこれまでの国内避難民支援の政策(『Operation Rudi Nyumbani』)を終了すると発表。国内の難民キャンプを閉鎖し、避難民に対して1、2週間のうちに帰還するよう促している。
 ナイロビの『IDPs Advocacy and Policy Centre』のPrisca Kamungi氏は「実際に故郷に戻り再定住できる避難民は僅かである。彼らの多くはキャンプを追い出された後も、市外地の劣悪な状況でテント生活を強いられるだけだ」と、怒りを露にした。
 国連によるとケニアにおけるピーク時の避難民の数は35万人から50万人とも言われている。現在、同国全土に設置された300ヶ所の国内避難民キャンプでは30万人を越える人々が身を寄せているという。【7月5日 IPS】
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ケニア政府が帰還政策を急ぐ背景として、上記記事は“ケニア政府は和平合意を経て国際社会に国内の『正常化』をアピールしたい意図がある。”としています。

【混乱した難民帰還 ルワンダ】
日本でも、災害時の避難住民対策について“いつまで、どのような規模で続けるか”問題になることがあります。
外国からの干渉を警戒するミャンマー軍政はサイクロン被害者の救済も充分に行わないまま、被災者のための一時避難場所となっている修道院や学校から、軍および軍主導の大衆組織USDA(連邦団結発展協会)が多くの避難民を追い出していると報道されています。

一般に、災害でも紛争でも難民の帰還は難しい問題です。
かつて、ルワンダではツチ族・フツ族の対立から起きた悲惨なジェノサイドのとき、難民キャンプに政権を追われたフツ族武装勢力が入り込み、難民援助を流用して資金源とし、難民キャンプからルワンダ新政府側・ツチ族への攻撃を繰り返す事態が起こりました。

このため、ルワンダ新政府は難民キャンプの閉鎖を迫りましたが、キャンプでは一定に援助物資が手に入ること、帰還した場合の報復への恐怖、キャンプを支配する武装勢力の妨害・脅迫(武装勢力は難民帰還が進むと自分達が取り残され目だってしまうことを恐れていたとか)・・・そのような事情で難民の帰還が進まず、国内最大キャンプ“キベホ”では、ついに暴動となって数千人の犠牲者が出る悲劇を生みました。

当時、緒方貞子氏がつとめる国連難民高等弁務官が管轄するザイールなどの海外難民キャンプでも同様の事情で帰還が進展せず、閉鎖を迫るルワンダ政府とキャンプを維持する国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が厳しく対立しました。
日本を含む各国からのPKO部隊は、難民キャンプに流入した旧政府軍や民兵組織の難民キャンプからの隔離を任務とせず、そのままに放置して撤収してしまったため、難民キャンプの治安は、難民受入国と難民キャンプでの人道支援活動を担当したUNHCRの任務となったという事情もあります。

このあたりの事情についてUNHCR側は次のように説明しています。
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内戦に敗れたフツ族旧政府軍の兵士たちは報復を恐れ、一般市民を率いて隣国ザイールに逃れました。ここで難民キャンプ内に混じっていた武装グループがキャンプを支配する状況が生まれました。各国の協力で難民を救済する緊急援助は動き始めましたが、援助が武装グループに渡ったり、フツ族の旧政府軍兵士や民兵たちが密かに所持していた武器によって難民キャンプを支配するという大きなジレンマに直面しました。国連軍の派遣はなされなかったため兵士と難民を分離することはできず、道義的な問題を理由に「国境なき医師団」など有力なNGOまでが撤退を表明しました。しかし、現場に援助を必要とする何10万人もの難民がいる以上、緒方さんはそれでも現場での援助活動を続けました。【日本UNHCR協会ホームページ】
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“すでに国内治安が改善しており、また、キャンプは反政府勢力の温床となっている”と、難民キャンプ閉鎖を迫ったルワンダ政府側はまた別の見方を持っています。

ルワンダの話が長くなってしまいましたが、難民キャンプからの住民帰還というのは難しい課題です。
こうした場に集まるNGOだけでなく、各国が責任を持って国連等の活動をサポートする必要があります。





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