孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

パラオ  中国の圧力に抗して台湾との関係を維持 日本統治を懐かしむ人も

2018-08-21 22:37:21 | 国際情勢

(パラオの新首都マルキョク 
“現在のパラオの首都マルキョクは、2006年10月1日に旧首都のコロールから遷都されています。というのもパラオは歴史上、スペイン、ドイツ、日本、アメリカに統治をされており、その時代の首都がコロールであったことから、首都をマルキョクに移転することで、心も場所も新たにスタートを切ったと言えます。”【compathy Magazine】)

避けられない時代の趨勢
台湾への圧力を強める中国の外交攻勢にあって、またひとつ台湾との国交を断絶し、中国との関係に乗り換える国が。台湾の蔡英文総統が歴訪したばかりの中米のエルサルバドルです。

蔡英文総統は19,20日に外交関係のある南米パラグアイと中米ベリーズを訪問したばかりです。

****エルサルバドル、台湾と断交 中国とは国交樹立****
中米のエルサルバドルは21日、台湾との国交を断絶することを発表した。過去3カ月で台湾と国交を絶つ国はこれで3カ国目。

中国の王毅(ワンイー)外相は同日、北京でエルサルバドルのカスタネダ外相と会談し、公式の外交関係を樹立する共同宣言に署名した。

この数日前、台湾の蔡英文(ツァイインウェン)総統は外交関係のある中南米の国々を訪問していた。

現時点で台湾と国交のある国は17カ国。今年5月にはアフリカのブルキナファソと中米のドミニカ共和国が台湾との国交を断絶した。

台湾外交部(外務省に相当)は同日、台北で緊急の記者会見を開き、現状に対する「遺憾の意」を表明。

エルサルバドルの方針転換は、大規模インフラ計画の支援や与党への選挙協力といった度重なる要請に台湾側が応じなかったことが影響しているとの見方を示唆した。

エルサルバドルのサンチェスセレン大統領は20日にテレビで演説。台湾と断交し中国と国交を結ぶ今回の決定について「正しい方向への一歩であり、国際法や国際関係の原則、避けられない時代の趨勢(すうせい)に合致したものだ」と強調した。【8月21日 CNN】
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中国の王毅国務委員兼外相は、中国と国交を樹立する国が相次いでいることについて「『一つの中国』原則が国際的大義に合致していることの証明だ」と主張しています。【8月21日 共同より】

現在の経済的・政治的力関係を考えれば、“避けられない時代の趨勢”であることは事実でしょう。
台湾としても、カネでつなぎとめていても仕方がないところで(そういう方法で中国と力比べしても勝ち目はありません)、“去る者は追わず”というところでしょう。

そうは言っても、国交を有する国がどんどん減っていくのはつらいところです。外交的にも大問題です。

パラオ「わが政府の原則と民主的な理想は(中国本土よりも)台湾とマッチしている」】
そんな“避けられない時代の趨勢”にあって、「わが政府の原則と民主的な理想は(中国本土よりも)台湾とマッチしている」として、中国の圧力を受けながらも台湾との関係を維持している国があるそうです。

太平洋諸国のパラオです。

****中国からの観光客激減&投資プロジェクト中止も、この国は毅然****
2018年8月20日、観察者網は、台湾との国交を維持しているために中国本土からの観光客が激減しているパラオの状況を伝えた。

記事は「パラオを訪れる中国本土客は昨年末より激減し、投資プロジェクトも続々と中止となり、現地の観光業に著しい損失を与えた。その理由はまさに、同国がいまだに中国本土の外交関係を結んでいないからだ」と指摘した。

その上で、英ロイターの19日付報道を引用。「パラオ最大の都市コロールの商業エリアでは、観光客が『撤退』した形跡がくっきりと表れている。客が1人も入っていないレストランをいたるところで見かけ、海や陸には空っぽのバスや遊覧船が行儀よく並んでいる。パラオ観光局の統計によると、昨年同国を訪れた外国人観光客12万2000人のうち、中国本土からの客が約5万5000人だったそうだ」と伝えている。

また、現地では中国本土の投資家による投資ブームが起き、ホテル、企業、海岸の不動産物件の開発ラッシュが起きていたが、今ではその大部分が中止を余儀なくされているという。

同国のトミー・レメンゲサウ大統領は7日にロイターのインタビューを受けた際「中国本土はわれわれが台湾との友好外交関係を断ち切り、一つの中国を支持するよう望んでいる。しかし、わが国はそれを選ばない。中国本土からの投資を歓迎するが、わが政府の原則と民主的な理想は(中国本土よりも)台湾とマッチしているのは明らかだ」と語っている。

また、中国本土の観光客が激減していることについては「徐々に適応しつつある。重点を高級路線に置き、環境に損害を与える大規模な観光開発を止めるなど戦略を変える」とし、致命的なダメージにはならないとの考え方を示した。【8月21日 レコードチャイナ】
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「わが政府の原則と民主的な理想は(中国本土よりも)台湾とマッチしている」云々は、民主主義や人権に関する理想・価値観が「建前」として軽視され、むき出しのエゴを追求することが「〇〇第一」と称して是認されれることが多い最近にあっては泣かせます。(もちろん、パラオにもいろんな事情はあるのでしょうが)

中国の”旅行禁止令” 日米に助けを求める
中国からの観光客が激減しているのは、中国の「旅行禁止令」が背景にあるとか。
ただ、中国のことですから、明文化されたものではなく、当局の指導によるものでしょう。どこまで徹底されているかはよくわかりません。

パラオは価値観を共有する日米に助けを求めているとか。

****中国が「旅行禁止令」?パラオが日米に助け求める―仏メディア****
2018年7月27日、環球時報は「中国の『旅行禁止令』を受けたパラオ、日米に助けを求める」と題し、仏AFP通信の26日付の報道について伝えた。

記事によると、「中国は台湾との外交関係を理由に国民のパラオ訪問を禁じている」とされており、パラオのレメンゲサウ大統領は観光業を支援するためのサポートを日米に求めたという。

中国人観光客の減少を指摘する同大統領は台湾がパラオ便の増便による支援を承諾したことを明かしたほか、韓国とEU諸国にも協力を求める考えを示したそうだ。

記事は、「16年はパラオの外国人観光客全体の47%を中国人が占め、台湾からの観光客は10%だった」との情報を伝えるほか、中国のある旅行予約サイトでは現在もパラオ商品を取り扱っている点を指摘している。【7月27日 レコードチャイナ】
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日本統治を懐かしむ人たちの存在から考えるべきこと
人口2万人ほどのミニ国家パラオですが、国家の経済を支える観光と環境保護の両立にも取り組んでいます。

****パラオ  環境保護誓約求め 外国人は入国時に署名 制度半年、8万人拒否なし****
「自然に消える以外の痕跡は残しません」--。外国人観光客による環境破壊が深刻な太平洋の島国パラオが、入国時に環境保護の誓約を求める制度「パラオ・プレッジ(誓約)」を始めた。

開始半年で8万人以上が署名し、拒否した人はいない。観光と環境保護の両立は難しいが、専門家は「他の地域でも参考になる取り組みだ」と注目している。(後略)【7月23日 毎日】
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戦前は日本統治下にあり、戦没者も多く、2015年には天皇・皇后が国際親善と戦没者慰霊のため訪問されたパラオですが、現地では日本とのつながりを懐かしむ声も少なくないとか。

****大日本帝国時代は本当にいい時代だった」 パラオの人はなぜ今も親日なのか****
大日本帝国を懐かしむ人たち
毎年8月になると戦争関連の書籍、報道、番組、記事が増える。基本的に全面的に肯定する人はいないものの、先の戦争の評価は人それぞれである。「日本のやったことはすべて悪い」という立場もあれば、「仕方が無かった面もある」「良かった点もある」という立場もある。

前者は後者を「歴史修正主義」などと批判し、後者は前者を「自虐史観」と批判する。これもまた毎年のように繰り返される光景だ。(中略)

概してメジャーなメディアでは「日本は悪いことをした」というトーンの論調が主流だが、その視点からは抜け落ちてしまう人たちも存在する。
大日本帝国が支配していた時代を懐かしむ人たちだ。

「日本は良いこともやった」と当の日本人が主張した場合、批判を浴びがちだが、実際に大日本帝国の支配を受けながらも今でも好意的に語る現地の人たちの存在は、ある種の論者には不都合な存在なのかもしれない。

たとえばパラオ諸島を含む南洋の島々には、今でも大日本帝国の統治下を知る人たちが存在している。
彼らはその前にはドイツの支配下にあり、戦後はアメリカの強い影響下にあった。その経験を踏まえてもなお、大日本帝国時代を懐かしむ声は決して少なくない。
 
たとえば、現地の老婦人、カズエさんはこう語る(名前は日本風だが、パラオ人。当時はこういう人が多かった)。

「日本時代は楽しい時代だったのよ。私は本当に感謝してますよ。私が生まれたのは日本時代の真っ盛りでしたからねえ。昔は楽な生活だったのよ。食べ物にも困らないしね。日本の時代は本当にいい時代だったのよ」

なぜなのか。
数多くの現地の人たちの証言を集めた『日本を愛した植民地』(荒井利子・著)に収められた肉声を中心に紹介しながら、同書をもとにその理由を見ていこう(上の老婦人のコメントも含め、以下、引用はすべて同書より)。

ドイツの恐怖支配
パラオ諸島を含むミクロネシアに一早く目を付けたのはスペインだった。彼らの目的はキリスト教の布教。スペイン政府は現地に学校を建てて、西洋の価値観を広めようとした。
 
そこに狙いをつけたのがドイツだ。スペインとの奪い合いの末、いろいろな経緯を経たうえで、武力と財力によってドイツは19世紀末にはミクロネシア全域を領土とする。
 
このドイツ時代の支配は、簡単にいえば強国が植民地に対して行なう悪い支配の典型のようなものだった。最初こそ教育にも力を入れたものの現地で鉱石が発見されるや、現地人に労働を強い、従わない者には鞭打ちなど厳しい刑を与えた。(中略)

第1次大戦後、ミクロネシアは日本の委任統治領となる。これは植民地ほどの権限は持たず、物質面や精神面で現地住民が幸福な生活を送れるようにし、いずれ独立国家としてやっていけるように支援する政策にすべきだ、ということが戦勝国の間で決められた。こうした決定に日本は不満もあったものの、結果的には従っている。
 
こうして大日本帝国はミクロネシアを統治することとなる。その大方針として、「島民の福祉の増進」が掲げられた。もちろん、当時のこの種の統治なので、一種の同化政策が進められたのは事実で、現在の視点から見れば問題もあるだろう。
 
ただ、ドイツ時代と比べると島民の受け止め方ははるかに好意的だった。(中略)

差別はつけない
日本政府はパラオにさまざまな投資をし、インフラを整備した。もちろんそうした行為は無償のものではなく、多分に計算もあっただろう。この地域に拠点を持つことは、軍事的にも意味を持つ。

それでもなお島民たちの心をつかめたのは、移住してきた日本人たちの振る舞いも大きかったようだ。たとえば、学校では島民と日本人、両方の子供が机を並べて学べるようになっていた。
 
当時、父親が小学校の校長をつとめていたという日本人男性はこう語っている。

「親父からは、島民の子どもたちと私たち日本人と差別はつけないようにと、非常に厳しく注意されました。だからうちのお袋は、僕も僕の友達も同じように扱っていました」

スペインの時代も、ドイツの時代も、島民を家の中に招き入れるようなことはなかったが、日本人はそれをした。(中略)

こうした証言を「支配者側の言い分だ」と疑う向きもいるかもしれないので、当時小学校に通っていた男性(ガロンさん)の証言も紹介しておこう。

「先生たちには、日本の子どももヤップの子どもも、同じように扱いたいということがありました。どっちも日本人にしたいという感じがあった。
 
朝礼では、日本に向かってお辞儀しました。カレンダーには紀元節、天長節、お正月とかちゃんと書いてあった。その日が来ると、日本の日の丸の旗を掲げて式をしました。

それが終わると、パン2個ずつ子どもたちに配って村に帰した。紅白の丸い小さなパンだった。日本人と同じように扱ってくれていた」(中略)

ミクロネシアの人たちは、この後、日本の戦争に巻き込まれ、結果として多くの島が甚大な被害を受けている。
 
そんな日本の統治から離れたにもかかわらず、戦後手に入れた自由をかならずしも肯定的に語らない島民は少なくない。(後略)【8月18日 デイリー新潮】
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上記は真実の一面でしょう。

ただ、パラオの親日感情を形成したのは「(同化政策はあるにしても)日本人と同じように扱ってくれていた」という寛容の精神であり、「日本は良いこともやった」ということを強調する人々が、現代社会にあっては往々にしてヘイトスピーチ的な偏狭な排外思想と重複しがちな点は考える必要があるでしょう。

パラオのような日本統治を懐かしむ人も少ないない地域(台湾なども一定にそうした面があるようですが)がある一方で、韓国や中国のように日本統治・日本の侵略行為を根深く恨む地域もあります。

両者の違いを生んだものは何だったかのか?
朝鮮・中国における日本支配の何が問題だったのか?

その点を上記のパラオの話からはくみ取る必要があるように考えます。

パラオ語の単語の約25%が日本統治時代の日本語が由来の単語
パラオについては、同国アンガウル州では憲法に同国の公用語であるパラオ語と英語に加えて、日本語を公用語とすることが書かれているの・・・というよく知られた話があります。

もっとも、アンガウル州の人口は600人で、実際に日本語が日常的に使われている訳ではなく、日本との関わりがあったことを示す象徴として定められているとも。【2017年8月22日 Searchinaより】

もっと興味深いのは、“歴史的経緯から、パラオ語における日本語からの借用語は非常に多い。パラオ語の単語の約25%が日本統治時代の日本語が由来の単語であるとされる”【ウィキペディア】ということ。

日本語がほとんどそのままパラオ語として使われている事例として、弁護士、弁当、大丈夫、安全、電気、電話、経済、政治、大統領、選挙・・・といった言葉が挙げられています。

なかには、Chazi daiziob(おいしい 「味 大丈夫」から)とかTsitsibando(ブラジャー 「乳バンド」から)といった、「本当かね・・・」というものも。

Tskarenaos(ビールを飲む 「疲れ 治す」から)に至っては、「冗談だろ・・・」とも思いますが、どうなんでしょうか。

「ウソだろ」と思う方は、日本からの観光客を求めているようなので、実際に行って確かめてください。
いわゆる“南海の楽園”で、素晴らしいところのようです。(私はビーチリゾートはあまり好みではないので・・・)

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