
(27日、クアラルンプール近郊セランゴール州で起きたマレー系とインド系の衝突で焼かれた車を撤去する警察官=AP【12月1日 朝日】)
【マレー系優遇策の“ブミプトラ政策”は国家運営の基本 しかし、そのままでは維持できない面も】
多民族国家マレーシアにあっては、周知のように今年5月に行われた総選挙で、92歳のマハティール元首相(当時)が野党連合を率いて、広く華人・インド人などの支持も集めて政権奪取に成功しました。
“多民族国家”とはいっても、7割ほどがマレー系で、その多数派マレー系住民は経済的には少数派華人などに劣後しているという状況で、マレー系住民を支援するため起業、公務員採用、教育など多方面で優遇する“ブミプトラ”政策がとられてきました。
****ブミプトラ(土地の子)政策****
マレー系住民に対する経済、教育、就職面などの優遇政策。1969年にマレー系と中華系との間で約200人の死者が出た衝突を受け、裕福な中華系に対するマレー系の反感を緩和しようと政府が始めた。
公務員の採用や大学入学でマレー系の優先枠を設けたり、マレー系企業を公共事業の入札などで優遇したりする内容で、中華系やインド系などから不満が出ている。【12月1日 朝日】
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単に、華人・インド系からの不満だけでなく、一定に中産階層が育ったマレー系住民のなかにあっても、こうした変則的な規制を嫌う人々も現れています。
また、そもそも論として、いつまでも民族的な優遇政策を続けていては、マレー系住民の自立をかえって阻害するという見方もあります。
しかし一方で、こうした権利を既得権益と考えるマレー系住民に、政策の存続を求める声が多々あることは容易に想像できます。
いつも指摘するように、民族間を融和を図りながら一段の成長を目指すマレーシアにとって、このマレー系優遇政策である“ブミプトラ政策”をどうしていくのかが最も基本的な問題ですが、ことが民族間の微妙なバランスにかかわるだけに、その扱いは非常に難しいものがあります。
****優遇策をなくせば国家が成り立たなくなる****
マレーシアは、歴史的、地理的な理由から多民族、多宗教、多文化の国家であり、70%近くがマレー人、中国系は25%、インド系は数%(筆者注:7%程度)という民族構成になっている。
この民族間のバランスを取るのは容易なことでないが、マレー人とイスラムが優遇されている。マレーシアの公認宗教はイスラムであり、公用語はマレー語である。
優遇措置の具体的な例は、企業の設立や納税、公務員の採用、国立大学への入学など枚挙にいとまがないくらいだ。盗賊も、多民族からなる場合は、マレー人が分け前を多く取るという。もちろん笑い話だが、マレーシアの状況を象徴している。
そんなひどい扱いを、中国系やインド系がよく受け入れているなと思われるかもしれないが、両方とも少数でありながら独立以前から経済界を牛耳っており、また、教育などの面でも競争力が強かった。
だからマレー人は多数民族でありながら優遇策が必要であり、それをなくせばマレーシアという国家が成り立たなくなると認識されているのである。
しかし、従来の「ブミプトラ政治」はもはやそのままでは維持できなくなりつつある。今回の選挙でも、BNからブミプトラが離れていく傾向が表れてきた。
マハティールは新政権の首相として「ブミプトラ政治」についてどのような方針で臨むか注目されている。【6月5日 美根 慶樹氏 東洋経済ONLINE】
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【ブミプトラ政策を推進・定着させた張本人のマハティール首相 是正の必要性も認識】
マハティール首相はかつて長期政権(1981年〜2003年に在職)を担っていた時代、このブミプトラ政策を推進・定着させた張本人でもあります。
ただ、マレー系保護が結果的にはマレー系住民の力を弱めてしまう・・・との問題意識もあって、政策の修正を模索もしていました。
****ワワサン2020****
ワワサン2020(Wawasan 2020)は1991年に発表されたマレーシアの長期開発計画。年率7%の経済成長により2020年までにマレーシアを先進国にすることを目標としている。日本語では2020年ビジョンと表記する場合もある。
1969年に5月13日事件が起こり、マレーシアの開発政策は自由放任政策から開発主義に転換した。暴動が発生した原因は民族間の経済格差だとされ、1971年から1990年までブミプトラの経済的地位向上を目指すブミプトラ政策が実施された。
この政策はマハティール政権に引き継がれ、1999年時点で政策目標は達成されなかったもののマレー人の経済的地位は改善された。
だが、ブミプトラ以外の国民の中ではブミプトラ優先政策に対する不満が高まっていた。1991年2月28日、マレーシア政府・財界協議会の発足に際してマハティール首相が「マレーシアの前途」と題して講演を行い、今後30年間でマレーシアを全面的に発展した先進国とする必要があると語った。この講演の内容が、後にワワサン2020と称されるようになり、ブミプトラ政策に代わる新たな開発政策となった。
小野沢純はワワサン2020の主なねらいとして、以前のブミプトラを中心とした政策を修正して民族問わず全てのマレーシア国民が豊かな生活をできるようにすること、マレーシアの経済構造をさらに高度化させることをあげている。
ブミプトラ政策により、華人などブミプトラ以外の民族の中では放置できないほどの不満が生じていた。
また、マレー人の経済力は強化されたもののブミプトラ政策による影響が大きく、マレー人が自立して発展するまでには至っていなかった。
加えて、ブミプトラ政策によりマレー人の中で格差が発生し、経済不振となった1980年代から政策の恩恵を受けられないマレー人が反マハティール派を形成した。小野沢によれば、その結果として1987年に統一マレー国民組織から反マハティール派が分裂して46年精神党(英語版)を結党した。
マハティール首相は、マレーシアを国民の統一と社会のまとまり、経済、社会正義、政治的安定、政府のシステム、生活の質、社会的・精神的価値観、国民としての誇りと自信などの点において全面的に発展した先進国とする必要があると語り、またこれは実現可能な目標だと主張した。【ウィキペディア】
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また、マハティール氏は退任後の著書で、「マレー人には勤勉さが足りない」などと、ブミプトラ政策を変える必要性についても言及しています。
【政局における現実対応では、“守旧派”の面も】
しかし、一方で極めて現実的な政治家でもあるマハティール氏は、政策変更に対する多数派マレー系住民の不満も熟知しており、それを無視することはありません。
また、政策への対応は、現実の政局との絡みで決まる面もあります。
退任後、ナジブ前首相との対立が鮮明化すると、ナジブ氏の取ろうとしたブミプトラ政策変更を激しく批判して、政策の維持を主張する“守旧派”の立場を示してもいます。
****退任後は守旧派の党長老 ****
もともと、ナジブ・ラザク現首相とマハティール氏の関係は悪くなかった。むしろマハティール氏は、ナジブ氏の首相就任を早めるのに一役買っていた。(中略)
2009年に発足した第1次ナジブ政権は、前年の選挙で都市中間層、とりわけ中国系市民の与党離れが顕著だったことを踏まえ、ブミプトラ政策の思い切った見直しと抑圧的な法制度の改革に乗り出した。
するとマハティール氏は、ブミプトラ政策や治安維持関連法規の改廃に反対の意思を表明した。
2013年の第13回総選挙で与党連合が議席回復に失敗すると、「ナジブはアブドラに劣る」と述べて政権批判を強める。2014年の8月には、もはや政府を信頼していないと述べるに至ったが、その理由として具体的にあげたのは、人権抑圧的な法律として悪名の高かった国内治安法をナジブ政権が廃止したことだった。
つまり首相退任後のマハティール氏は、守旧派の党長老として、従来の政策や統治手法を改革しようとする動きに反対し、現職の首相と対立してきたのである。
1980年代前半に副首相を務めたヒサ・ヒタム氏は、マハティール氏のこうした行動を、皮肉を込めて「首相退任後症候群」と呼んでいる。【4月 中村 正志氏 IDE-JETRO】
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【5月総選挙では人種差別の撤廃に関する国際条約批准を公約するも、野党反対で“不可能”の認識】
しかし、5月の総選挙にあっては、汚職体質を激しく批判して対峙するナジブ政権との違いを鮮明にし、華人・インド系の支持を広く集めるという現実的理由もあって、マハティール氏は多民族の融和を維持する政策を導入すると政権公約で約束しました。「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(ICERD)」に批准することも9月に国連で表明しています。
もちろんこうした主張は、自分が推し進めてきたブミプトラ政策への根源的疑問・修正必要性の認識もあってのことでしょう。
ただ、ではマレー系優遇策であるブミプトラ政策をどうするのか・・・という現実問題に直面すると、なかなかストレートには進まない面もあるようです。
****人種差別撤廃条約:マレー人優遇撤廃となるか?****
先月24日、マレーシアのP. Waytha Moorthy国家統一・社会福祉担当首相府大臣が、基本的人権に関する国際条約のうち6つを批准する予定と発表した。
今年5月の総選挙でマハティール首相率いる希望同盟(Pakatan HarapanまたはPH)が公約した通りなのだが、批准予定の中には「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(ICERD)」が含まれ、これがかなりの物議を呼んでいる。
ご存知の通り、マレーシアには「ブミプトラ政策」と呼ばれるマレー人優遇政策がある。
連邦憲法第153条で定められており、マレー人並びにサバ州及びサラワク州の先住民の特別な地位や正当な利益を守り、公務職、奨学金、教育上の特権などを保障している。例えば、マレーシア・マラ工科大学やマラ・ジュニア理科カレッジなど有名大学への優先入学、マレー人だけの奨学金、住宅割引、マレー人だけで編成された軍の部隊、などである。
不公平だという声はもちろんある。しかし連邦憲法第153条は、「マレー人でない者(華人、インド人等)へ生地主義に基づいて国籍を与える代わりに、マレー人の特別な地位を定めるとしており、同第8条では、これが憲法の定める「法の下の平等」や「法の平等な保護を受ける権利」には反しないとしているのである。
こうした国の基本政策とICERDの齟齬を懸念する方面、特にイスラム系の宗教団体やNGOからは、すでにICERDの批准に反対する抗議がなされ、専門家からも、批准には憲法第153条を改正する必要があり、国民も巻き込んだ議論や国民投票が必要だという声が上がっている。
これに対し、Datuk Saifuddin Abdullah外務大臣は、ICERDに関する議論は時間をかけて慎重に行われ、6つの基本的権利に関する条約の中でも一番最後に批准されることになるだろうとし、政府の優先する条約は、強制失踪防止条約(ICPPED)と拷問等禁止条約(UNCAT)だとした。
同時に政府には、連邦憲法第3条(イスラム教の位置付け)、第152条(公用語としてのマレー語)、第153条(ブミプトラ政策)を修正・変更する意図はない、と明言したのだ。
なかなか一筋縄では行かないであろう条約批准だが、とりあえずは批准しやすいものから片付けていくというところであろう。
若いマレー人の中には、ブミプトラ政策自体が差別であり、ICERD批准のタイミングに合わせて撤廃されるべきだという声もある。
50年以上も続いた慣習に風穴を開けられるだろうか。老練政治家のマハティール首相にとっても難しいだろう。あとは、次の世代に任せるか。マレーシアの国の根幹に関わる問題だけに、今後の展開が注目される。【11月8日 白新田 十久子氏 ASIA RISK】
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マハティール氏自身が、批准には憲法改正が必要であり、ほぼ不可能だ・・・との認識を示しています。
****マハティール政権、国連条約の批准難航 民族融和の象徴 ****
マレーシアのマハティール政権がめざしてきた国連の人種差別撤廃条約の批准が難しくなっている。同条約の批准は新政権の多民族融和政策の象徴となるはずだったが、マレー系優遇の維持を訴える野党だけでなく与党内からも異論が出て行き詰まりつつある。
華人政党も加わる与党連合にとって民族問題はアキレスけんになりかねず、マハティール首相は難しいかじ取りを迫られる。
マハティール氏は18日、国連条約の批准にはマレー人の特別な地位を保証した憲法の改正が必要になるとの認識を示したうえで「与党議員が造反する可能性があるなか、(憲法改正に必要な)3分の2の確保はほぼ不可能だ」と地元メディアに語った。
マレーシアは1957年の独立以来、政権を保持してきた与党連合・国民戦線下で、国連の人種差別撤廃条約を批准してこなかった。
多数派のマレー系住民を優遇する「ブミプトラ(土地の子)政策」が、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策の採用を求める国連条約と相いれなかったためだ。マハティール氏自身も国民戦線下で最初の政権を担った81年から03年にかけて、ブミプトラ政策を推進した。
ただ、マハティール氏が率いる希望連盟は5月の総選挙で政権を奪取するため、多民族の融和を維持する政策を導入すると政権公約で約束した。マハティール氏は9月の国連総会の演説でも、「人権保護に関連した国連の主要な条約を全て批准することを約束する」と表明していた。
ところが、政府がその後、実際に人種差別撤廃条約の批准を進める方針を発表すると、反対論が噴出。現地報道によると、有力野党の統一マレー国民組織(UMNO)や全マレーシア・イスラム党(PAS)からだけでなく、与党の幹部からも懸念する声が出た。こうした懸念を踏まえ、マハティール氏は18日、早期の条約批准は難しいとの認識を表明した。
マハティール政権はこれまで主要閣僚の財務相に華人のリム・グアンエン氏を起用するなど、出身民族にとらわれない実力主義の人事を打ち出してきた。ただ、マハティール氏自身は今もブミプトラ政策に一定の意義を認めているとされる。
今後、旧政権と同様にマレー系優遇に回帰していけば、華人系やインド系国民からの支持を失うリスクがある。
一方で、国民の7割弱を占めるマレー系の支持基盤も重視せざるをえず、新政権は多民族国家特有の民族融和という難題に直面している。(後略)【11月19日 日経】
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【野党は批准反対で民族対立激化 一方で、政権内部の対アンワル氏や華人・インド系勢力との関係にも配慮が必要】
老練な現実政治家マハティール首相をもってしても、非常に扱いが難しい問題です。
マハティール氏自身がブミプトラ政策のかつての推進者である一方で、是正の必要も認識している、しかしまた、現実政局にあっては政策維持を強く主張することもある・・・と多様な側面を持つだけに、その判断が注目されます。
マレー系住民を支持基盤とする野党(旧与党支持勢力)は、この問題を利用してマハティール政権を追い込む構えです。
****民族対立、マレーシア緊張 差別撤廃条約巡りマレー系反発****
多民族国家のマレーシアで、国連の人種差別撤廃条約の批准をめぐり、マレー系住民と他の民族との緊張が高まっている。批准によってマレー系への優遇を定めた「ブミプトラ政策」が廃止され、恩恵を他民族に奪われるとして、野党が民族間の対立をあおっているためだ。
政府は批准見送りを発表したが、8日にはマレー系による大規模な抗議集会が予定されている。
きっかけは、中華系やインド系の強い支持を得て政権交代を果たしたマハティール首相が9月に国連で演説し、同条約を批准する意向を明らかにしたことだった。10月には、マハティール氏の側近が来年の第1四半期にも批准すると発言したとも報じられた。
同条約は人種や民族などによる差別を禁じる内容で、ブミプトラ政策との矛盾が指摘されている。このため、マレー系でイスラム色の強い最大野党の統一マレー国民組織(UMNO)は猛反発し、政権批判を展開してきた。
人口の7割近くを占めるマレー系の反発に、政府は11月23日、条約の批准を取りやめると発表した。だが25~26日にはクアラルンプール近郊のセランゴール州でマレー系とインド系の衝突が発生。20台以上の車が放火され、30人以上が逮捕される事態になっている。
マレーシアでは1969年にマレー系と中華系の対立感情が高まって暴動が発生した。しかし、その後はブミプトラ政策の実施などもあり、民族間の大規模な衝突は起きていなかった。
今回の緊張の背景には、マハティール氏が政権交代後、長年にわたってマレー系が独占してきた財務相や司法長官などの要職に、支持層のインド系や中華系を任命したことがある。マレー系はこうした動きに不満を募らせており、世論調査による政権支持率も、中華系やインド系が6割以上を保つなか、マレー系は5割以下に低迷している。(後略)【12月1日 朝日】
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一方、政権の禅譲が予定されているアンワル元副首相はリベラルな立場で、ブミプトラ政策変更に積極的とされています。
その政権禅譲をめぐってアンワル氏との関係がこじれると、ブミプトラ政策への対応や条約批准が対立軸となる可能性もあります。
マハティール政権と野党という関係、政権内部におけるマハティール氏とアンワル氏や華人・インド系支持者との関係・・・という二つの面で微妙なかじ取りが必要とされます。
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