孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

エチオピアとジンバブエで政治指導者を巻き込む爆弾テロ 背景に政変への不満層か?

2018-06-24 22:12:33 | アフリカ

(手りゅう弾が爆発したエチオピアの首都アディスアベバのマスカル広場で事態の対処に当たる警察官ら(2018年6月23日撮影)。【6月24日 AFP】)

エチオピア:最大民族オロモ人からの首相起用で、民族間の緊張緩和を期待
昨日(6月23日)、アフリカ・エチオピアでアビー首相が出席する集会で手りゅう弾が爆発するテロが起きています。

*****エチオピア首相の集会で手りゅう弾爆発、1人死亡 154人負傷*****
エチオピアの首都アディスアベバのマスカル広場で23日、アビー・アハメド首相が演説した直後に手りゅう弾が爆発し、保健相によると1人が死亡、154人が負傷した。
 
現場のAFP記者によると首相就任後初めて首都で大規模な集会に参加したアビー氏が演説を終えた直後に爆発が起きた。パニックになった大勢の支持者が逃げまどう事態となった。
 
アビー首相は事件後に国営テレビで爆発は集会の妨害を狙って複数の集団が画策したものだと述べたが、集団を名指しすることはなかった。アミル・アマン保健相はツイッターで死者1人、負傷者154人と発表したが、詳細は明らかにしなかった。
 
集会の主催者セイヨム・テショメ氏は、(中略)「負傷者は爆発よりもその場から逃げ出そうとした人々が押し合って倒れたことによる」と述べた。
 
ステージには100人以上が殺到し、警察に対してものを投げ付け「ウォヤネは降りろ」「ウォヤネは泥棒だ」などと叫んで与党に抗議した。ウォヤネとは与党エチオピア人民革命民主戦線を侮辱する呼び方。
 
アビー首相はハイレマリアム・デサレン元首相の後任として4月に就任した。デサレン氏は2015年に始まった同国の2つの有力民族が主導する反政府運動が激化したことを受け、今年2月に辞任した。反政府運動では数百人の死者が出ている。

■対立するエリトリアの駐日大使も事件を非難
議会の全議席を与党EPRDFおよび与党系議員が占めているエチオピアでこれほど大きな政治集会が行われたのは珍しい。

会場にはアビー首相への支持をうたったTシャツを着ている人たちがいた一方、オロモ解放戦線といった非合法組織の旗を公然と掲げる人もいた。通常このような行為をすれば逮捕される。
 
アビー首相が立ち去った後、群衆がステージにあったエチオピア国旗を取り去り、EPRDFの対抗勢力の間で人気のある古い国旗を掲げ「私たちが欲しい旗はこれだ」とシュプレヒコールを上げた。
 
与党EPRDF内部でアビー首相がどの程度支持されているのか定かではないが、アビー首相はこれまで国内の政治勢力のバランスに大きな変化をもたらす行動を起こしてきた。アビー首相の改革を受けて一部の反政府勢力は政権との和解に動いた。
 
反政府勢力「ギンボット7」は22日、アビー首相の改革を理由に挙げてエチオピア国内での武力による攻撃を停止すると発表した。ギンボット7の幹部アンダルガチュー・ツェゲ氏は今年5月に釈放されていた。
 
米国やジブチなどエチオピアの同盟国は今回の事件を非難した。さらにエチオピアと対立しているエリトリアのエスティファノス・アフォワキ駐日大使も「エリトリアは、本日アディスアベバの平和のための集会で発生した、暴力を煽ろうとする試みを強く非難する。このようなことはエチオピアの歴史で初めてのことだ」とツイッターに書き込み、驚きをもって受け止められた。【6月24日 AFP】AFPBB News
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エチオピアでの現代史を超簡単になぞると、1975年に軍事クーデターで帝政廃止、その後冷戦期にはソ連の衛星国として、メンギスツ大統領のもとでエチオピア労働者党による一党独裁制が敷かれました。

1991年に、エリトリア独立運動の混乱でメンギスツ政権が崩壊、このときの反政府勢力を中核につくられたのが、現在の与党「エチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF)」です。

EPRDF政権では長くメレス首相が最高権力者の座にありましたが、2012年8月、メレス首相の死去を受け、ハイレマリアム・デサレンが首相に就任しました。

エチオピアの民族構成については、下記のように。

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国民の大多数は黒人とアラブ人の混血のエチオピア人種が大多数を占め、80以上の異なった民族集団が存在する多民族国家である。最大の勢力はオロモ人では34.4%を占め、次にアムハラ人が27.0%となっている。(中略)

かつてエチオピア帝国を建国したのはアムハラ人であり、以後もアムハラ人がエチオピアの政府の中枢を握ってきたが、1991年のメンギスツ・ハイレ・マリアム軍事政権の崩壊によって政権はメンギスツ政権を打倒したエチオピア人民革命民主戦線の中核をなすティグレ人(構成比6.08%)の手に渡った。

とはいえ公用語はアムハラ語であり、アムハラ文化は他民族にも現在でも影響を与えている。

また、新政権は民族ごとに州を新設し、各民族語による教育を認めたため、最大民族であるオロモ人の勢いが強くなっている。”【ウィキペディア】
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上記説明を見ただけで民族間の争いが容易に想像されますが、今年2月には大規模な避難民の発生が報じられていました。

****エチオピア、民族衝突で100万人避難 国連まとめ****
国連人道問題調整事務所は6日までに、エチオピアでオロモ人とソマリの衝突で家を追われた住民がおよそ100万人に上るとの報告書をまとめた。
 
エチオピアでは2017年を通じて、人口が最大のオロモ人とソマリ人がそれぞれ住む州を隔てる境界地帯で両民族間の戦闘が散発的に発生。特に9月には衝突がエスカレートし、政府の推計で数百人が死亡したほか、大勢が避難した。
 
AFPが入手したOCHAの報告書によると、国際移住機関が同年11月に実施した調査で、この紛争に関連した避難が以前に知られていたよりも広い範囲に及んでいることが判明。
 
避難民は同年だけで70万人に達し、全体では約100万人と、エチオピアで近年発生したものとしては最大規模であることが分かった。
 
エチオピアでは民族ごとに州が再編されており、オロモ人とソマリ人はそれぞれ主にオロミア州、ソマリ州に暮らす。しかし、隣接する両州の境界付近の土地や資源の管理権をめぐって長年争ってきた。
 
昨年対立が急に悪化した原因は不明だが、双方が残虐行為をしたと非難し合い、それぞれの州にいる相手側民族の住民が避難を余儀なくされている。【2月6日 AFP】
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上記の民族対立に加え、最大民族オロモ人の間では少数民族ティグレ人らに政権を掌握され、疎外されてきたとの不満が根強く、最大州であるおロモ人の南部オロミア州で政治犯釈放を求めるストなどが続くなど混乱が深刻化。

2月、ハイレマリアム首相が辞意表明したのに続き、非常事態を宣言。

3月には、最大民族オロモ人のアビー・アハメド氏が新首相に就任することで、民族間の緊張を緩和する対応がなされました。

****<エチオピア>新首相にアハメド氏 最大民族オロモ人起用*****
エチオピアからの報道によると同国の与党連合は28日までに、アビー・アハメド元科学技術相(42)を新首相に選ぶことを決めた。

政府に抗議行動を続けてきた最大民族オロモ人であるアハメド氏が指導者となることで、民族間の緊張緩和が期待される。
 
エチオピアでは、少数民族ティグレ人が政治・経済を掌握しており、疎外されてきたオロモ人らの不満が噴出していた。長引く混乱を受け2月にハイレマリアム首相が辞意表明したのに続き、非常事態を宣言していた。
 
同国の人口は約1億人とアフリカ大陸でナイジェリアに次いで2番目に多く、2000年代半ばから10%前後の経済成長を維持。

一方で、反体制派の弾圧で多数の死傷者が出たほか、活動家らの逮捕も相次ぎ、地域大国の不安定化に対する懸念が広がっていた。【3月29日 毎日】
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大胆・急速な改革を進める「ボルト首相」】
アビー・アハメド新首相は、これまで紛争の火種にもなってきたエリトリアとの関係を国境線を容認することで修復する大胆な施策を実施。

****エチオピア、隣国との国境線容認 エリトリアと関係修復へ****
エチオピア政府は5日、隣国エリトリアとの間で1998〜2000年に紛争に発展した国境地帯の領有権を巡る争いについて、00年の和平合意後に取り決めた国境線を受け入れると発表した。ロイター通信が報じた。

国際仲裁裁判所が設けた委員会は02年に国境線を画定。03年、双方が領有権を主張するバドメ村をエリトリア領と認めた。

エチオピアが反発し国境付近で両国軍のにらみ合いが続いてきたが、今年4月に就任したエチオピアのアビー・アハメド首相が就任式で、関係修復を目指すと表明した。【6月6日 共同】
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新首相の大胆・急速な改革は国内にも及んでいます。

****<エチオピア>急進改革 新首相、大胆に政策転換****
事実上の一党強権支配への反発から抗議デモが相次いできた東アフリカのエチオピアで、4月に就任したアビー・アハメド首相(42)が大胆な政策転換に着手している。

長年の懸案だった隣国との緊張緩和に乗り出すと同時に国営航空会社などに外資の出資を認める方針を表明。予想を上回る急進改革に注目が集まっている。
 
エチオピア政府は今月5日、隣国エリトリアとの国境地帯の領有権争いについて、2002年に仲裁裁判所(オランダ・ハーグ)の国境画定委員会が定めた境界線を受け入れると発表した。(中略)

アビー首相は6日、エリトリアとの紛争終結と経済関係の強化は「地域の安定と発展に不可欠だ」と述べた。
 
首相はさらに、ナイル川上流でのエチオピアのダム建設を巡って水資源の争いを繰り広げてきたエジプトを訪れ、10日にシシ大統領と会談。問題解決に取り組むことで一致した。
 
エチオピアはアフリカで2番目に多い約1億人の人口を抱え、00年代半ばから年10%前後の高い経済成長率を維持してきた。

一方で少数民族ティグレ人が主体の政権に対し最大民族オロモ人などが反発。反体制派への弾圧が国際的にも批判を浴び、国内での抗議デモが頻発する中で、与党連合がオロモ人初の首相として担ぎ出したのが前科学技術相のアビー氏だった。
 
経済改革にも着手したアビー氏は、外資参入を拒み独占状態だった国営エチオピア航空や国営通信会社エチオテレコムなどの株式を国内外の投資家に一部売却する方針を表明した。
 
就任後2カ月で、国内外の課題解決に矢継ぎ早に取り組む首相の姿勢は強い印象を与え、短距離走の元最速王者になぞらえて「ボルト首相」と呼ぶ声も出ている。

だが、エチオピア政治に詳しいエラスムス大(オランダ)のモハメド・サリ教授は毎日新聞の取材に「改革は与党連合内で等しく支持を得ているわけではない。

特にティグレ人の政党の民営化に対する批判は与党連合の深刻な亀裂を示しており、今後は抵抗が強まることが予想される」と先行きの楽観を戒める。【6月16日 毎日】
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どこの国でも“改革”には既得権益層などの“抵抗勢力”が存在します。
最速「ボルト首相」ということになれば、抵抗も半端ないもにもなるでしょう。

今回の集会襲撃事件の真相はまだわかりませんが、常識的に考えれば、新首相の進める国内外での急速な改革への抵抗では・・・・とも推測されます。

ジンバブエ:ムガベ後初の大統領選挙に向けた政治状況で爆弾テロ
エチオピア・アジスアベバで手りゅう弾が爆発した23日、同じアフリカのジンバブエでも大統領を狙った爆発が起きています。

****ジンバブエの与党集会で爆発 15人負傷 大統領暗殺未遂か*****
ジンバブエ第2の都市ブラワヨで23日、エマーソン・ムナンガグワ大統領が出席した与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線の選挙集会で爆発があり、副大統領2人や党幹部を含む15人が負傷した。同大統領は無事避難した。
 
集会はブラワヨのホワイトシティ・スタジアムで行われていた。同国のデービッド・パリレニャトワ保健・育児相は、負傷者は15人のうち3人は深刻な容体で、手足を失った人もいるとしている。
 
現場のAFP特派員は「人々が四方八方に走り出した。その後、大統領の車列が猛スピードで現場を離れた。突然、現場一帯に兵士や治安部隊員が現れた」と語った。ソーシャルメディアで拡散した動画には、演壇の階段を降りようとする同大統領の周りで爆発が起こり、煙が立ち上る様子が映っている。
 
ムナンガグワ大統領は国営メディアに自身から「数インチ」のところで物体が爆発したと述べて自分を狙った攻撃だったとの見方を示すとともに、ケンボ・モハディ、コンスタンチノ・チウェンガ両副大統領が負傷したと述べた。
 
ジンバブエで37年間にわたり実権を握ってきたロバート・ムガベ大統領が昨年11月に辞任した後としては初の大統領選、議会選、地方議会選を来月30日に控える中、ムナンガグワ大統領は、ジンバブエは「平和だ」と強調した。

ブラワヨはZANU-PFと対立する勢力の地盤となってきた都市で、ムナンガグワ大統領が同市で集会を行うのは初めてだった。【6月24日 AFP】
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周知のように、ジンバブエでは昨年11月、“ようやく”高齢独裁者のムガベ氏が権力の座から降ろされました。

政変に際し、ムガベ氏個人に対しては何らかの保証を与えることが約束されたと思われます。

****ジンバブエ政府、ムガベ前大統領に家具付き公邸と高級車支給へ****
先月辞任したジンバブエのロバート・ムガベ前大統領(93)に対し、政府出資の退職制度の一環として家具付きの公邸や、メルセデス・ベンツSクラスか同等の乗用車など3台のほか、プライベートな渡航の費用も支給されることが分かった。国営メディアが28日、報じた。
 
政府系日刊紙ヘラルドによると、ムガベ氏はさらに護衛6人を含む補佐少なくとも20人を雇うことが認められ、費用は国庫から支払われるという。
 
エマーソン・ムナンガグワ新大統領によって27日に明らかにされたこの寛大な措置は、同国の退任した大統領らが対象となり、ムガベ氏はその最初の受益者となる。また具体的な金額は公表されていないが、ジンバブエの憲法は前大統領は現職の給与と同等の年金を受け取る権利があると定めている。

現地の独立系メディアは先月、ムガベ氏は辞任を受け入れる取引条件の一つとして、退職金1000万ドル(約11億3000万円)が支給されることを認められたと報じたが、政府はこれを否定している。
 
ムガベ氏は今後、首都ハラレ市内に家具付きの公邸を与えられ、光熱費や交際費は政府が負担するという。また、メルセデス・ベンツSクラスか同等の乗用車、オフロード仕様のステーションワゴン、ピックアップバンの計3台も支給され、5年おきに買い替えが認められるほか、ガソリン代も支給されるという。

さらに、ムガベ氏とグレース夫人には今後、外交旅券が発給される予定。【2017年12月29日 AFP】
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もっとも、贅沢ぶりと権力への野心で目立っていたグレース夫人に対しては捜査の手も伸びています。

****失脚したムガベ前大統領の夫人、象牙密輸で捜査 ジンバブエ****
アフリカ南部ジンバブエで昨年退陣するまで37年間にわたり独裁体制を敷いていたロバート・ムガベ前大統領の妻、グレース夫人が、象牙を海外の闇市場へ密輸出した疑いで警察の捜査対象となっていることが分かった。国営紙サンデー・メールが25日、報じた。(中略)
 
グレース夫人はかつてムガベ氏の後継大統領の最有力候補として名前が挙がるほど権勢を誇り、ぜいたくな生活スタイルから「グッチ・グレース」の異名をとった。(後略)【3月26日 AFP】
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高齢のムガベ氏個人は高級車・家具付き公邸・多額の年金なども与えられて大きな不満もないかもしれませんが、当然ながら、権力交代に伴って既得権益を失う者も多々おり、新体制への不満もあるでしょう。

こちらも真相はまだわかりませんが、そうした政変に伴う不満が背景にあるのでは・・・とも想像されます。

なお、7月30日にムガベ後初の大統領選挙が行われますが、ムガベ前大統領の最大の政敵だった最大野党、民主変革運動(MDC)議長のモーガン・ツァンギライ元首相は2月14日、大腸がんのため隣国南アフリカの病院で死去しています。
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