前回登場した山本剛は歌伴も抜群に上手いピアニストです。
その山本剛トリオがバックを務めた、安田南の最もジャズらしいアルバムです。
「SUNNY」 FRASCO FS-7002
1. SUNNY
2. I’M BEGINNING TO THE LIGHT
3. LOVE
4. 赤とんぼ ~ FLY ME TO THE MOON
5. YOU ARE MY SUNSHINE
6. I’M IN THE MOOD FOR LOVE
7. DAY BY DAY
8. BEI MIR BIST DO SCHON
9. IT’S BEEN A LONG LONG TIME
安田南(vo) 山本剛(p) 岡田勉(b) 小原哲太郎(ds) 録音 1975年9月1,2日
各地のライブ・ハウスでは、彼女がアルバムを発表する前から絶大な人気だったそうです。
そういう実力を備えた歌手が作ったレコード、彼女の十八番が詰まっでいて、独特な歌い回しと、山本のピアノが上手くマッチングしているアルバムです。
何といっても、それまで聴いたことが無い歌手の個性が前面に出た歌で、非常にインパクトがありました。
これまでに4枚のアルバムが制作されており、これは前年(74年2月)の「SOUTH」に続く同じメンバーによる2作目のものです。
このレコーディングに関し、当日の彼女の行動が解説書にありました。
ここからは、彼女の人間性が垣間見えます。
そして評論家小川隆夫氏の解説書も一緒に、

「South」は、1作目とあってチョッと肩に力が入っているようです。

ついでと言っては何ですが、わが家の「みなみ」も紹介します。

ここで、安田南のことをフリー百科事典から拾ってみました。
中学の時、北海道札幌から東京目黒区の区立中学校に転入する。
同級生に佐藤信(劇作家・演出家)がいた。一人で演劇部を創設するなど、活動的な生徒であった。
高校を卒業後の1961年、18歳でテレビ番組、勝ち抜きジャズボーカル部門に出演し優勝、世界一周をした実力派。
1964年頃から米軍キャンプでもステージに立つようになり、ジョージ川口とビッグ4、鈴木勲トリオなどを経てフリーに。
ジャズの枠にとらわれない奔放・個性的な歌唱スタイルで、1970年代に熱狂的な人気を集めた。
1974年から1977年まで4枚のアルバムを発表しているが、他の歌手と比べ残した音源は多くなく、「アングラの女王」の異名があった。
1971年、第三回中津川フォークジャンボリーのメインステージの安田南のライヴは、暴徒のため演奏中にステージを占拠されてぶち壊しになり、フォークジャンボリーは二度と開催されなくなった。
歌手活動以外でも、自由劇場・黒テントを中心とした舞台出演・ラジオのDJ・エッセイの執筆などにマルチな才能を発揮した。
西岡恭蔵の「プカプカ」(みなみの不演不唱)のモデルとも言われる。
また、写真家で、アルバム『Some Feeling』のジャケットを手がけた中平卓馬とは、恋愛関係にあった。
1972年には、若松孝二監督の映画『天使の恍惚』で、主要人物の「金曜日」役で出演が決まっていたが、撮影途中に突然行方をくらまして降板し、後任は横山リエがつとめた。
なお、同映画のサウンドトラックに収録されている「ウミツバメ Ver.2」は、クレジットでは横山の歌唱とされているが、演奏の山下洋輔は安田の歌声であると断言している。
音楽プロデューサーで、東京・下北沢のジャズバー『LADY JANE』オーナーの大木雄高は、安田を「ジャズのスタンダードを日本で初めて歌いこなした歌手」と評している。
親交のあった作家の瀬戸内寂聴も、歌手としての実力とともに、文才を高く評価していた。
1990年代以降、事実上引退していたが、2004年7月アルバム『Some Feeling』が27年ぶりにCDで復刻された。
映画評論家の梅本洋一が、2009年初めに安田の知人の森山大道(写真家)に、彼女の消息を聞いた所、「既に鬼籍に入っている」という返答であったという。
また、雑誌「ジャズ批評」2013年7月号の佐藤信のインタビューでも、「既に亡くなった」という旨の証言がなされているが、正確な没年月日・死因等については不明である。
上記の中に登場する若松孝二監督の映画「天使の恍惚」、
この音楽を担当した山下洋輔トリオの演奏がCD化されています。
また、先日NHKの「音楽音泉」という番組の中で、ゲストの大友良英がこれを推薦していました。

安田南の「サニー」が録音された当時、いずれも新人であった中本マリや伊藤君子の歌もよく聴いていました。
次回は中本マリを取り上げたいと思います。
その山本剛トリオがバックを務めた、安田南の最もジャズらしいアルバムです。
「SUNNY」 FRASCO FS-7002



1. SUNNY
2. I’M BEGINNING TO THE LIGHT
3. LOVE
4. 赤とんぼ ~ FLY ME TO THE MOON
5. YOU ARE MY SUNSHINE
6. I’M IN THE MOOD FOR LOVE
7. DAY BY DAY
8. BEI MIR BIST DO SCHON
9. IT’S BEEN A LONG LONG TIME
安田南(vo) 山本剛(p) 岡田勉(b) 小原哲太郎(ds) 録音 1975年9月1,2日
各地のライブ・ハウスでは、彼女がアルバムを発表する前から絶大な人気だったそうです。
そういう実力を備えた歌手が作ったレコード、彼女の十八番が詰まっでいて、独特な歌い回しと、山本のピアノが上手くマッチングしているアルバムです。
何といっても、それまで聴いたことが無い歌手の個性が前面に出た歌で、非常にインパクトがありました。
これまでに4枚のアルバムが制作されており、これは前年(74年2月)の「SOUTH」に続く同じメンバーによる2作目のものです。
このレコーディングに関し、当日の彼女の行動が解説書にありました。
ここからは、彼女の人間性が垣間見えます。
そして評論家小川隆夫氏の解説書も一緒に、


「South」は、1作目とあってチョッと肩に力が入っているようです。


ついでと言っては何ですが、わが家の「みなみ」も紹介します。

ここで、安田南のことをフリー百科事典から拾ってみました。
中学の時、北海道札幌から東京目黒区の区立中学校に転入する。
同級生に佐藤信(劇作家・演出家)がいた。一人で演劇部を創設するなど、活動的な生徒であった。
高校を卒業後の1961年、18歳でテレビ番組、勝ち抜きジャズボーカル部門に出演し優勝、世界一周をした実力派。
1964年頃から米軍キャンプでもステージに立つようになり、ジョージ川口とビッグ4、鈴木勲トリオなどを経てフリーに。
ジャズの枠にとらわれない奔放・個性的な歌唱スタイルで、1970年代に熱狂的な人気を集めた。
1974年から1977年まで4枚のアルバムを発表しているが、他の歌手と比べ残した音源は多くなく、「アングラの女王」の異名があった。
1971年、第三回中津川フォークジャンボリーのメインステージの安田南のライヴは、暴徒のため演奏中にステージを占拠されてぶち壊しになり、フォークジャンボリーは二度と開催されなくなった。
歌手活動以外でも、自由劇場・黒テントを中心とした舞台出演・ラジオのDJ・エッセイの執筆などにマルチな才能を発揮した。
西岡恭蔵の「プカプカ」(みなみの不演不唱)のモデルとも言われる。
また、写真家で、アルバム『Some Feeling』のジャケットを手がけた中平卓馬とは、恋愛関係にあった。
1972年には、若松孝二監督の映画『天使の恍惚』で、主要人物の「金曜日」役で出演が決まっていたが、撮影途中に突然行方をくらまして降板し、後任は横山リエがつとめた。
なお、同映画のサウンドトラックに収録されている「ウミツバメ Ver.2」は、クレジットでは横山の歌唱とされているが、演奏の山下洋輔は安田の歌声であると断言している。
音楽プロデューサーで、東京・下北沢のジャズバー『LADY JANE』オーナーの大木雄高は、安田を「ジャズのスタンダードを日本で初めて歌いこなした歌手」と評している。
親交のあった作家の瀬戸内寂聴も、歌手としての実力とともに、文才を高く評価していた。
1990年代以降、事実上引退していたが、2004年7月アルバム『Some Feeling』が27年ぶりにCDで復刻された。
映画評論家の梅本洋一が、2009年初めに安田の知人の森山大道(写真家)に、彼女の消息を聞いた所、「既に鬼籍に入っている」という返答であったという。
また、雑誌「ジャズ批評」2013年7月号の佐藤信のインタビューでも、「既に亡くなった」という旨の証言がなされているが、正確な没年月日・死因等については不明である。
上記の中に登場する若松孝二監督の映画「天使の恍惚」、
この音楽を担当した山下洋輔トリオの演奏がCD化されています。
また、先日NHKの「音楽音泉」という番組の中で、ゲストの大友良英がこれを推薦していました。




安田南の「サニー」が録音された当時、いずれも新人であった中本マリや伊藤君子の歌もよく聴いていました。
次回は中本マリを取り上げたいと思います。