まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

インドネシアの松下幸之助

2013年12月21日 | Weblog
なんて言い方がいいのか。

わかりませんが。

二三日前、NHKの特集で、タンジェンという実業家についてやっていて。

インドネシアの方で、大富豪、という部類に入るようで。

貧しい家の生まれで、苦労して、大金持ちになった、というストーリーは。

どこでも、ありだけど。

貧富の格差の是正や零細業者の発展、という目標を持って、ビジネスを展開しています。

という点がね、気になって。

しんぶんの記事に、何週間か前、インドネシアの通貨がリーマン直後の水準に。

とか、人件費が2割あがって、デモもあるようで、新興国のなかでは取り残され感が。

なんてのがあってね。

唐突感もあり、ほら、本の帯ですべて読んだ気になってしまう。

というね、この、感性人間たる僕の、どこぞのアンテナにひっかかってもいて。

イスラム教徒が増えている、なんて話もきいたことがあったし。

ひょっとしたら、という思いも湧いてきて。

つまり、今までの仕組みからはずれた考え方でも、ビジネスを成功させることができる。

っていうね。

これ、いまのところ、妄想ですが。

ところで、夕べも忘年会で、今週、三連ちゃん目。

実は、今晩も同級生との忘年会だったんだけど、妻が留守になる、というので。

この私めが、母親のために居残り、ということになり。

おやじ、とよばれる同級生に、メールし、かくかくしかじかで、と。

今日は、欠席なので、今年の忘年会は、三連ちゃんまでだった。

夕べの忘年会の主催会社は、日本のトップランナーで。

さすが、元気よくてね。

帰りに、ちょっと寄った、お店のママさんやタクシーの運転手さんが。

アベノミクスってのは、どこへ行っちゃったのかね、的な。

あたしらには、ぜんぜん、恩恵がなくて、という嘆き節の中。

いけいけどんどん、ってやつで。

新陳代謝が早くて、というか、長と名のつく方々が若いんだね。

逆・少子高齢化時代の、ビジネスモデルかも、だけど。

これからは、どいういう人材戦略をたてるのか、なんて人ごとながら、興味津々に眺めてもいるのですが。

そのうち、CEOはフランス人、いや、フィンランド人、なんて時代もくるのかな。

今朝は、すでにお寺の鐘は鳴ってしまい、なんだけど、この時間は。

ぼちぼち、ストーブでも買ってこようかな、という時間でね。

ところが、あとしばらくすると、お日様が部屋に満ち。

これじゃ、ストーブいらないな、の繰り返しで。

ありがたきかな、お天道様、っていう日々なんだね。

昨日から読んでいる本、ってのが、シャーマン・キーシャ、というね。

アメリカ、オレゴン州だったかな、のシャーマンの本で。

伊勢の御仁から紹介していただき、では、読んでみます、ということで。

美人のシャーマン、なんですけど、ちょっと、「アナスタシア」というロシアのシャーマンっぽい方の。

それと似てもいて。

最近読む、それ系の本ってのは、ほとんど、どこかではつながっていて。

なので、真髄は変わらないのでしょうか。

さらに言えば、それ系でなくても、名もなきかたがたの挙措言動の中にも。

同じような根っこを感じもする日々とでももうしましょうか。

この世での、感情の表現というのは、例の三つにカテゴライズされる、なんて。

ちょっと、おしゃれにカタカナで書いておきましょうか。

つまり、ばかやろう、ごめんなさい、ありがとう、ってわけです。

1500文字になっちゃったな、では、これにて。

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げいじつかは貧乏なんだ

2013年12月20日 | Weblog
と、フーテンの寅さんは言うんだね。

二三日前、電車のなかで思い浮かんだこと、ってのが。

これだったかな、と思い出し。

そう、考え、が、楕円軌道をまわり、帰ってきたわけだ。

しかし、このフレーズだけがやってきて、それで、なんだっけかな。

という塩梅です。

絵を描いたり、小説を書いたり、で生計をたてようと。

そんな方々を、げいじつか、というとすると。

軒並み、貧乏です、って言い方がデフォなんだけど。

モノを産み出すわけじゃないんだからさ、ってわけで。

この間、「馳走」さんで、そんな話になったんだったか。

僕も実は、若い頃、その、げいじつか、ってのは、かっこいいかも。

なんて考えたことがあって。

しかし、絵は下手だし、小説も、とても書けそうもないし。

なんで、そうだ、自分自信を創作しよう、なんて方向を変え。

そう、自分が芸術作品で、自分が鑑賞者ってね。

そんなことを考えたこともあったな。

そういえば、夕べ、糠漬け師匠ご主人と一杯やって。

おなごが二人、混じっていたけれど。

こいつはブログってのをやっていて、その端々に奥さんへの気遣いが。

って、おっしゃるわけだ。

かたじけなくも、よき読者をやってくださっていて。

そうかもな、と気がつきもし。

なんてことがありつつ、夕べも午前様突入なのでした。

ところで、昨日から、日経の電子版にログインしたんだけど。

PCやらタブレットやらで、日経の記事を読め、さらに。

キーワード検索やらもできるので、今まで、iPhoneでスキャンし、スクラップブックを。

evernoteで作っていたけれど、果たして、どうなりますやら。

情報、という名の、なんていうのか、まわりで起こっている、ことになっている。

広大な海へ、あえて入っていく、というね、暴挙に出た。

とも言えるけどね。

だから、なに?みたいなものでもあり。

ってことですが、本日、のらないので、このあたりで、やめにしときます。
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今朝は瞑想ができず

2013年12月19日 | Weblog
早い話が、寝坊した。

とも言えるんだけど。

3時ころ、一度目が覚め、まだ早いな、と二度寝。

というわけです。

なので、今日は、日常生活をしながらの瞑想、ってやつにトライしてみようかな。

脳の中、といえるのか、どこといえばいいのか、時折やってくる思考、があって。

時折、というか、しじゅう、というのがいいか。

夕べも、静岡の帰り、電車のなかで、ブログネタのおもしろいものがあり。

頭の中では、さまざまな方向へ、話は展開したんだけど。

なにかのはずみで、他のことに、方向転換したら、それ。

忘れちゃって、一切、覚えてません状態なんだね。

カタカムナの、なんだっけかな、相似象、って本だったか、に。

かんがえる、というのは、かむかえる、漢字で書けば、神帰る、とね。

考え、は、大きな楕円軌道を描き、一度、自分を離れると、宇宙の果てまで行って。

また帰ってくるのに、すごい時間がかかる。

なんて表現があったんだけどね。

ほとんど、無限ともいえる時間がかかって、再度訪れる、としたら。

ひと世代くらい、かんたんに、またぎ。

なんてこともありだな。

ぼくのひいおじいちゃんの、若い頃の考えが、今、やっと、もどってきた。

みたいなね。

これ、ありかも、ですね。

いつも不思議だったのは、人の好み、ってのが、どこからやってくるのか。

ということで。

持って生まれたもの、なんて言い方あるけど、どこから持ってくるのよ、ってなもんで。

話は変わるけど、落語に、「素人うなぎ」というのがあって。

江戸から明治にかけての噺でね、殿様が、町人になり。

さて、これからどうやって飯をくっていくか、というときに、きん、という板前がいたので。

彼にまかせ、うなぎ屋を開業、という噺なんだけどね。

殿様、お金を出すだけで、きんさんの腕前を見込んで、任すんだけど。

大酒飲みで、しかも、酒癖が悪くてね。

酒を飲むと、旦那に悪態をついて、いやなら、やめる、と脅す。

旦那、昔なら、無礼者め、ってわけだけど、そこは、御世がちがうんで、そうもいかず。

なんやかやと、なだめる。

この、主人と下僕が、攻守処を変え、ってところが、噺の妙味でもあり。

こんな類いは、まわりでは、よく起こっていることで。

そもそも、天は人の上に云々、とかの福沢諭吉先生も、おっしゃっているんで。

言葉の通りに振る舞えば、それは、なんの問題もないんだけど。

そこはそれ、ひそかな、プライド、というのか、ね、そんなものが、また、邪魔をし。

これも、長い間かけてはぐくまれた、人間が生きのびるための、高等テクニックなんで。

困ったものですが。

さて、お寺の鐘もなったので、今日は、この辺で。

と書いたとたんに、そうか、五感の話だった、ということも思い出し。

たんだけど、やっぱり、この辺で。
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文明開化の解説の達人

2013年12月18日 | Weblog
だ、というのが。

慶応大学を作った、福沢諭吉だそうで。

ほとんど、昨日の続きですが。

明治の初め、太陰暦から太陽暦に、改暦、ってやつがなされ。

たぶん、世の中は、テンテコ、舞っていたんだろうけど。

とくに、暦業者、この時期、暮れの挨拶で、事務所には、新年のカレンダーがあふれ。

というわけだけど、これだって、何ヶ月も前からデザインからなにから、作業は始まっていたんだろうし。

これを、発表から実施まで、23日だった、というんだから。

消費増税の駆け込み、の真逆みたいなもので。

なんてこともあったりして、当たり前だけど、改暦は、世間的には、不評だったようで。

毛唐の国になったもんだ、とか、耶蘇(キリスト教)の正月を採用した、とかね。

そこへ登場したのが、くだんの福沢諭吉先生でね。

表題のいいまわしが、なかなか、味があるでしょ。

すごいもんだね、と言いながら、どこかで、庶民のふてぶてしさ、ってのがね。

インテリ=お上、みたいな感覚もあったんだろうし。

今で言えば、だれだろう、同じ慶応大学の、竹中さんくらいかね。

って、他にも、わんさかいそうだけど。

いわゆる、グローバリストのはしり、ってわけで。

ま、それはともかく、庶民には不評なので、改暦をくさす奴は、大馬鹿野郎だ、と論陣を張った。

というのが、かの諭吉先生で、今の一万円札だったっけ。

この福沢諭吉については、この間も、娘に話したんだけど。

塾長室に、田舎から、学生のお母さんが訪ねてきた時の話で。

おかあさん、息子のことが心配で、部屋へ入るなり、さまざま、まくしたて、一時間もたったのか。

先生、って、諭吉さんだね、今日は、いいお話を伺って、ありがとうございました。

ってわけだ。

先生は、一言もしゃべらなかったんだけど、と。

コミュニケーションの極意、というか、本源、というのか、そんな例えとしては。

とても、使い勝手のいいエピソードではあるんだけどね。

僕も、子どもの頃、福沢諭吉の、天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、って言葉にね。

とてもインスパイアされて、ずっと、底のほうに鳴っていた音楽みたいだったんだけど。

それを、文明開化の、今の言葉では、グローバリズムの先兵、みたいな言い方をしちゃうと。

ちょっと、残念ではあるけれど。

ことほどさように、ものごとってのは、眺める角度によって、いかようにもなる。

ってことでね。

西郷さんなんてのは、勝海舟に言われたんだっけ、大きく打てば大きく鳴り、みたいなこと。

融通無碍、大海の水でもあり、乾いたときのコップ一杯の水でもあり、ね。

さて、今日は、なにかと、スケジュール、立て込んでいるようでもあり。

いないようでもあり。

という一日をこれから迎えるのです。




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幸せのおすそわけ

2013年12月17日 | Weblog
この間の東京行きでは。

娘とのプチ忘年会があったんだけど。

その際、妻が、娘の好きな、ひよっこ、だったか。

お菓子ね、それを二箱、ひとつは会社の同僚へ、という、さすが、女性の手回しのよさ。

で、袋にさげていったわけだ。

で、昨日、その同僚への包装紙に、感謝の言葉がちりばめられた。

写メをね、娘が送ってきて。

それを、僕のところへ転送してくれた。

もちろん、うれしいコメントを、娘にも返したらしく。

タモリの友達の輪、ではないけれど。

うれしさの連鎖、幸せの連鎖、ってのはいいもんだ。

あのお菓子が、500円なのか、1000円なのか、知らないけど、ま、そんなところで。

それで、あのイベントになるとするとね。

少なくとも、お金の多寡でなく、とは言えて。

そういえば、明治の始めなのか、河口慧海、というお坊さんがいて。

以前にも、少し、書いたかも、ですが。

「チベット旅行記」ってのを、書き遺していてね。

仏教を極めるため、というのか、今から100年以上前だからね。

道無き道を、チベットに入り、という人なんだけど。

iPhoneの文庫で、2400ページくらい、書いてあるわけだ。

その中で、チベット人の暮らしぶりなんかもあり。

いずれにしても、仏教の修行僧が多いは多いんだけど。

考え方として、モノやお金を持っている人が偉い、みたいな風潮だったようで。

もちろん、その時代の、その地域の、彼、河口慧海の切り取った一断面で。

にしても、書き方からして、価値のおきどころ、ってのが、そこの文章からすると。

そういうことのようで、ひよっこ、というお菓子から始まる、小さな物語と比してね。

そうなんだ、という感懐ではあるのです。

その頃のチベット、だから、だれだっけ、アメリカの映画俳優、ブラッドピットか。

セブンイヤー・イン・チベット、くらいの映画で。

ちょうど、現在のダライラマが即位するとか、くらいの時代だから。

慧海よりも、だいぶあとになるのか、そんな、ハリウッド製の映画もあったけれど。

慧海のチベットは、例えば、腕を脱臼すると、もう、その人は片輪になっちゃう。

加持祈祷ではなおらないんだ、という時代で、慧海が。

ちょっと、心得もあったので、さっと直しちゃうと。

薬師如来の再来、くらいの話になっちゃってね。

かって、日本列島に、海の向こうからやってきた、少彦名命(すくなひこなのみこと)がね。

例の、出雲の、大国主命をたすけて云々、という神様が。

薬師、というか、医療の神様だった、というのもね、先行する河口慧海ともいえて。

そのおかげで、慧海は、法王にまで謁見できたらしい。

今朝も、話はそれたけど。

文明の格差、というのか、見立ての、その角度のちがいではあるけれど。

さまざまな時代、地域で、随所に起こっていたんだな、という。

当たり前といえば当たり前のことを、慧海の話から感じもし。

日曜日の日経だったか、日本でも、明治期の、改暦ってやつ。

いきなり、これからは一年は365日です、それに、一日は午前と午後に分かれます、とか。

なので、お昼は、午(うま)だったんだろうね、午の前が午前、ってことで。

あるいは、一日は、24時間となります。

みたいなことが、明治5年だったか、に突然、大隈重信の肝いりで始められたそうで。

って、書いてきても、若い方は、それ、当たり前でしょ、ってなもんですが。

それまでは、一年は365日じゃなかったそうで、13ヶ月あって、と。

時の告げ方も、明け六つ、暮れ六つとか、それが、何時のことだか、知りませんが。

今の、スマホが、タブレットが、なんてことで、驚いている場合ではありませんよ。

的な、時代の変わりようだったんだろうね。

それを、「逝きし世の面影」って本で、渡辺京二さんも書いてますが。

書名からいって、なんとも、詩情にあふれ、湿っぽくもあるのですが。

それはともかく。

幸せのおすそわけ、でした。

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コインパーキング花盛り

2013年12月16日 | Weblog
そういうわけで、昨日は。

両国の横綱というところで、セミナーだったわけだ。

会場の駐車料金を調べたら、とても高いので。

高津のホテルに車をおいて、電車通勤をしたのでした。

早めについたので、会場の女性に、喫茶店でもありませんか。

とたずねると。

最近、気に入っているお店があって、昭和の匂いがするお店で。

と紹介していただいたので、早速、歩いて向かう。

ちょっと、方向がずれていたので、遠回りをして、結局、たどり着いた。

たしかに。

無造作な感じが、昭和だね、という感じのお店で。

野菜サンドイッチと珈琲をいただき。

実は、これこれこうで、と上記の駐車場の話をし。

と思ったら、コインパーキングがたくさんありますね。

の問いかけに、この何年か前から、急に増えちゃったんですよ。

というわけだ。

東京とひとくくりに言っちゃいがちだけど。

実のところ、その中でも、いろんな色合いがあるわけで、当たり前だね。

この街は、シャッター通りとは言わないかも、だけど。

世代の交代なのか、商店が新興のビジネスモデルに駆逐される前兆なのか。

手っ取り早い収入への道、ってわけで。

高収益をあげている、胴元の、なんとかパークだっけ、駐車場管理会社の。

看板が目立つ街に変貌、ということなんだね。

その後、会場のくだんの女性に、でしょ?、と。

なので、ですね、と応え。

ボブ・フィックスとの瞑想を楽しんだのでした。

主催の、浜松出身の阿部さんという方は、華原なんだっけ、とか、岡田友紀子とか。

あとだれだったか、そんな方々と同じ事務所だったようで。

方向寺の向和尚や、比叡山の管長の、名前忘れたな、そんな方とも。

瞑想会をやったりしている方で。

もともとが、伊勢の御仁からの紹介で、僕も瞑想にはまりだした。

ということなんだけど。

瞑想体験のくわしいことは、そのうち、言葉にすることができるかも、ですが。

今日のところは、書けません。

さて、では、これから、日本国の。

あるいは、国債金融マフィアの、機関誌を読むとするか。

「日本経済新聞」のことですが。

世界をどういう具合に切り取るか、という趣味の世界でもあるわけで。

実のところは、各自の好みにゆだねられている、という程度のものなんだけどね。

なので、となりのおばちゃんがこういっていた、なんていう。

床屋政談やらご近所の井戸端会議と、さしたる違いはない、ってもので。

なんてエクスキューズをいれながら、それでも、読んじゃう、ってなによ。

ってことですが。

ま、固いことは抜きにして、今日もがんばりましょう。

って、最後のフレーズは、Facebookに満ち溢れる、そんなフレーズになっちゃったね。

知らない間に洗脳されている自分がコワイ、かも。

気持ちはわかるけどね、気持ちは。






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お上りさん、です。

2013年12月15日 | Weblog
僕のキャリアの中では。

東京、というところに、住んだ事がないので。

昨日、今日は、表題のような状態です。

とはいえ、宿泊は、川崎市高津区のパールホテルなので。

ちょっと、裏通りへ行けば、静岡よりも、昭和の匂いがするんだね。

店先に果物や野菜を並べているおじちゃんや、吹きさらしの屋台で一杯ひっかけている。

おばちゃんやら。

思わず、ひきこまれそうになっちゃったけど、そこはそれ。

娘とのプチ忘年会で、お気に入りの中華屋さんが待っていたのでね。

すんでのところで、踏みとどまり。

午後、僕は、竹橋の、住友商事ビル、とか言うから。

彼ら、ああした物件を各所に持っているんだろうな、なんて考えながら。

会場へ到着し、ボブさんの話を聴いたのでした。

帰ってきてから、質問が浮かんで来てね。

今日、もう一度、お会いするから、いいけど。

夢に参加できる、っていうけど、それ、どういうことでしょうか、ってやつ。

眠りとか夢とかで、昼間のストレスとか不具合を調整する、ってのが、彼の説なんだけどね。

見ている夢の中へ、意識して入っていく、って、面白そうでね。

なんとなく、イメージは湧いてきたけどね、実現はしてませんが。

その午後、妻も同時進行で、新宿にて、お上りさん状態で。

高島屋前のイルミネーションを写メで送ってきた。

夜、中華屋さんで合流したら、疲れた、を連発し。

どうやら、人に当たったらしい。

人が多い、ってのは、そのおかげで、昭和の風情が残っている、ってことでもありね。

ま、そんなこんなで、プチ忘年会とあいなり。

娘とのしばしの逢瀬を楽しんだのでした。

彼女、ふりかえってみれば、人生の半分は、こちらの暮らしなわけで。

たくましいもんだ。

古いiPadに、子供の頃の動画入れて持参したので。

その映像との対比が、なんとも、かんとも、です。

長男坊は、今頃、夜間工事だね、という会話から。

ファイブレンジャーの、予告編を見せて、テンションを上げた話やら。

次男坊は、忘年会で朝帰りだろう、ということもあり。

妻は、結局、母親が心配だから、ということで。

小田急線なんぞを乗り継ぎ、帰宅。

母親のお泊まり保育ならず、というわけです。

さて今日は、またまた、ボブさんの瞑想セミナーで。

両国の、横綱、という大層な名前のついた場所にて、です。

東京は、人が多いけど、道ゆく方々は、みんな親切です。

ということで、本日、終了です。
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今日はルーティンワーク中止

2013年12月14日 | Weblog
これから、東京へ。

瞑想がらみの講演会?に行ってきます。

強い風が吹いているけれどね。

夜は、娘とプチ忘年会だな。

野菜のパリパリ感のある中華屋さんで。

というわけで、続きは明日です。
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これだけ失敗してきたのだから

2013年12月13日 | Weblog
この先の人生ってやつは、楽しくて仕方ない。

っておっしゃったのが。

浜松のね、「しつけの日管」という設備会社の社長の、三輪さんだったけど。

それも、彼の、メンターというのか、心の師とでもいえばいいのか。

長府製作所の社長さんからの受け売りだったそうで。

いずれにしても、その時の、三輪さんのお年が、どうだろう、80歳になんなんと、というくらいだったか。

まさに、失敗は成功の母だったか、そんな類いではあり。

さまざまな苦い水を飲んだあとには、甘露しかないかも、というような。

気分でしょうか。

実のところ、失敗ってのは、存在するのか、って議論はね。

あるんだろうけど。

そもそも、自分の気分から見て、それを失敗と名付けているだけ。

という仮説も成り立つわけでね。

しかし、長いスパンから見たら、それは、ある物事の成就のための。

道筋がね、しっかり描かれている中での一コマにすぎず。

だって、エジソンは、電球を発明するまで、200回、実験を失敗しつづけ、って。

言うんでしょ。

言葉で言えば、それは、失敗、と呼んでいるけれども、ってことで。

ところで、夕べ、小津監督の特集みたいのを、ほんの2、3分間見たんだけど。

ちょうど、岡田茉莉子か、が、原節子の、サイレントカットの場面について語っていた場面なんだけど。

その時の、原節子の、浴衣の上に着ていた丹前のたたみ方が、とても素敵で。

ってことを、出がけに妻と話したら。

ちょうど、その番組を彼女も、階下で見ていたらしく。

なんていう監督だったか、彼女の好きな、石坂じゃなく、ま、そんな監督さんも。

サイレントで語らせている、というね、その手法が好きらしいんだね。

沈黙は金、なんて言葉もあるけれど。

それじゃ、わが父親も、っていうのは、昭ちゃんは無口だったから。

俺たちが、ああだのこうだの、と質問しても、うー、おー、くらいの返答しかないことを。

後々、笑いの種にもしていたんだけど、彼、サイレントカットを意識して、なんて。

ことで、また、笑いのネタにしちゃったんだけど。

言葉、ってのは、そもそも、呪詞だ、なんていう言説も存在し、ね。

この時代は、スマホだから、映像での刷り込み、なんてのも割と手軽にできちゃうけど。

なにせ、ヒットラーの、情報宣伝相のゲッペルスから、もう、何十年とたっているわけで。

そのあたりのテクニックは、もう、進化も甚だしいんだろうから。

って、またまた、話題が変な方向へ来ちゃったね。

今、よっぴで仕事をした社員さんが、ちょっと、帰ります、って言って。

帰宅したんだけど。

無理するなよ、とちょっと、年寄り染みた言葉をかけたら、集中したいので。

しばらく夜やります、というんだね。

そりゃ、それで素晴らしいからね、頼むよ、って風情で送ったけれど。

こうした一連の出来事も、ご近所さんからは、おたくの会社は云々、という感じでね。

よく仕事をするね、と。

しかし、これも、いい具合なおつきあいができているなかでの感想でね。

これが、毎日、暗い目つきで、なにやってるかわからないような仕事だと。

あれあれ、ああいう会社を、ブラック企業というのかね、みたいな。

そんな会話も可能なわけでね、ものごと、というか世間ていうか。

なかなか、なシロモノだな、という感じもありで。

また、道がそれちゃったな、そんわけで。

サイレントカットってのは、いやいや、失敗ってのは、するにこしたことなく。

若者のみなさん、たくさん失敗しましょうね、ということで、締めましょうか。

この、若、という字ね、白川静さんによれば、髪振り乱した巫女さんが、というような字らしく。

若者、というだけで、実のところは、そんな呪詞にもなっているんだろうね、ってことを。

書き始めると、終わらなくなっちゃいますので、このへんで。

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ハーベストタイムと言うらしい

2013年12月12日 | Weblog
五木寛之の、「林住期」って本が、ブックオフで100円で売っていたので。

買って、拾い読みしたんだけどね。

その冒頭のページに。

表題の言葉があり、収穫期、にハーベストタイムとルビを振っていた。

ハーベスト、と言えば、糠漬け師匠ご主人に紹介いただいた。

軽井沢の東急ハーベストを思い出すんだけど。

それは、ひとまず置いといて。

なんとなく、響きが良くてね。

要するに、人生を四つにわけて、50歳から75歳がそうだ。

と中国の古典も参照しながら、五木寛之が言うんだね。

五木寛之が言ったから、それで、なに?ってなもんだけど。

収穫期、ってのが、どうも、このごろの自分のまわりで起こっていることをね。

つらつら眺めるに、フィットする言葉で。

この年まで生きてきてよかったね、とか、あいつは若くして死んじゃったからな、とか。

そんな感慨を、うまく表していて。

気に入っているのです。

なにせ、この年までの、いろんな経験、体験を振り返ると。

寅さんじゃないけど、恥ずかしきことのかぎりなり、みたいなことに満ち溢れていてね。

でも、それがあったので、いま、こうして、ここで。

こんな感懐をもてるんだな、というね。

そんな実感なのです。

そうそう、最近ね、秋というのは、本来、胸躍る収穫の季節で。

なので、悲愁、とか、枯れ葉ちるなんとかの歩道を肩を落として、みたいな。

ラブソングめいたものは、あれは、都会の、あるいは、閑な、貴族みたいな人間の。

中での出来事ですね、という仮説も成り立つな。

なんて、どこかの新聞のコラムに触発されて、思っていもいたので。

表題の収穫期ってのは、気に入ったのでした。

それとね、最近よく見かける。

物言いってのが、都会では、あるいは、電車のなかでは、スマホを半分以上の人が一心不乱にね。

見ていて、昔は、あんなじゃなかったのにね。

風に、今の文明、習俗に比して、昔は良かった、ってわけだけど。

ほんとかね。

というね、多少、皮肉にもなるけれど、そんな言葉も投げかけてみたいな、と。

孔子さんが、よく使っていたのが。

たしか、あれ、周王朝のころのことか、あの時代の、だれだっけ、立派な王がいて。

それに比べて、今の時代は嘆かわしいことよのう、というやつ。

どうも、インテリゲンチャってのは、そんな具合に、物事を嘆くのがデフォ。

みたいな錯覚ってのが、あるようで。

孔子さんからだとすると、2000年以上も前からの話になっちゃうわけだ。

とはいえ、論語読みの論語知らずならまだしも、論語読まずの論語しらず、の。

この僕が、かの孔子様をこんなところで使っちゃうのも、なんだけどね。

で、スマホ風景だけど、あれすら、ひとつの自然でね。

人間が自然の一部だとすれば、その人間の創り出したものも。

すべて自然なので、添加物入りの食品だって、原子力発電所だって。

自然だというわけです。

なので、まわりで起こっていることに対処するには、自分の勝手な思いから決めつけないこと。

というね、古来、この地球上で生き延びてきた先人にならい。

さて、今日も、おもしろおかしく、過ごすことにしよう。

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