というのは。
僕のLINEのプロフィール写真のことなんだけどね。
夕べ、やっぱり、四連ちゃん目に突入。
つまり、中学の同級生との忘年会があって。
そこで、写真ネタになり、だれかがこれこれ、と取り出した写真を。
表題のように、言うおなごがおりまして。
絵柄、ってのは、4~5歳なのか、僕と妹が並んで写っているもので。
妹が指差す方を、僕が見ている。
のです。
これが、セピア色で、着ているものからして、昭和の貧しい時代を表現していてね。
たぶん、わが母親が撮ってくれたんだろうけど。
なかなか、言われてみれば、いい写真なんだね。
これなんですが。
そのことを言ってくれた子が、以前にもご紹介したけれど。
家庭にめぐまれなかった子でね。
中学の時に、名字がかわり、中学を出ると、美容院に住み込みで修業し。
その頃、夕暮れ時、さみしくて仕方なく。
今でも、夕焼けを見るとその頃の感情がわいてくるんだよ。
みたいな会話を、ずっと前、一緒に信州を旅行したときにバスの車窓からの夕焼けをながめながら。
ポツリ、とね。
その彼女が、僕の写真をみて、いいね、と言ってくれる、その向こうにはね。
撮ってくれた人までも含み込んだものかもしれず。
感慨深いものを感じながら、そんなこと、言ってくれた人、いなかったな。
なんて、軽く応じたんだけどね。
そんな環境を経験した彼女なので、もちろん、今では、いいご主人との間にお子さんも。
さらには、お孫さんもいて、幸せに暮らしている。
この間は、育ての母親を自分の手元でお送りしたそうで。
人生、山あり谷あり、ではあるんですが。
もう一人の同級生は、家電屋さんを経営しているらしく。
大型店舗さえ苦戦する中、がんばっているようだけど、もうね。
お客さんがいなくなっちゃっているんだ、つまり、この世から、と。
でも、買ってくれる方は、量販店より高くても買ってくれたんで。
最後まで、フォローしないと、ってやっているんだ。
なんて言ってたな。
映画の「三丁目の夕日」に出てくる、哀愁の氷屋さん、という風情ではあるけれど。
あの、モータースに、電気冷蔵庫がやってきた日に、自転車で街を流す彼、ね。
路傍には、昔の冷蔵庫が、投げ捨てられていて、という光景ですね。
というわけで、夕べも、飲んでしまったのです。
昨日は、シャーマン・キーシャの本を読み終わり。
紹介いただいた、伊勢の御仁にも、感想など含め、お電話し。
そうだ、この間、娘のところへ行った折り、昔のビデオを。
そう、子どもたちの幼かった頃のね、iPadにつめ。
娘に渡したんだけど、それを、彼女、仕事の休憩時間に見たらしく。
その感想なぞを、妻へメールしたわけだ。
それを見せてもらいながら、流れた時間を感じもし。
しかし、そうした瞬間瞬間が、娘の中で、どんな具合に熟成していくのか、と思うと。
楽しくもあり。
わが母親の時代は、写真機だったものが、ビデオカメラ、とカタカナになり。
と時代は移っているけれど。
その底流には、なんだろう、いとおしいものを、この時間のなかに定着させたい、とでも言おうか。
そんな気持ちが流れてもいて。
それはまた、まわりで起こっていることを、どう解釈して、定着させるか、にも通じ。
すべては、いま、起こっているわけだ。
なんてことをつらつらと書きながら、本日は終了です。
僕のLINEのプロフィール写真のことなんだけどね。
夕べ、やっぱり、四連ちゃん目に突入。
つまり、中学の同級生との忘年会があって。
そこで、写真ネタになり、だれかがこれこれ、と取り出した写真を。
表題のように、言うおなごがおりまして。
絵柄、ってのは、4~5歳なのか、僕と妹が並んで写っているもので。
妹が指差す方を、僕が見ている。
のです。
これが、セピア色で、着ているものからして、昭和の貧しい時代を表現していてね。
たぶん、わが母親が撮ってくれたんだろうけど。
なかなか、言われてみれば、いい写真なんだね。
これなんですが。
そのことを言ってくれた子が、以前にもご紹介したけれど。
家庭にめぐまれなかった子でね。
中学の時に、名字がかわり、中学を出ると、美容院に住み込みで修業し。
その頃、夕暮れ時、さみしくて仕方なく。
今でも、夕焼けを見るとその頃の感情がわいてくるんだよ。
みたいな会話を、ずっと前、一緒に信州を旅行したときにバスの車窓からの夕焼けをながめながら。
ポツリ、とね。
その彼女が、僕の写真をみて、いいね、と言ってくれる、その向こうにはね。
撮ってくれた人までも含み込んだものかもしれず。
感慨深いものを感じながら、そんなこと、言ってくれた人、いなかったな。
なんて、軽く応じたんだけどね。
そんな環境を経験した彼女なので、もちろん、今では、いいご主人との間にお子さんも。
さらには、お孫さんもいて、幸せに暮らしている。
この間は、育ての母親を自分の手元でお送りしたそうで。
人生、山あり谷あり、ではあるんですが。
もう一人の同級生は、家電屋さんを経営しているらしく。
大型店舗さえ苦戦する中、がんばっているようだけど、もうね。
お客さんがいなくなっちゃっているんだ、つまり、この世から、と。
でも、買ってくれる方は、量販店より高くても買ってくれたんで。
最後まで、フォローしないと、ってやっているんだ。
なんて言ってたな。
映画の「三丁目の夕日」に出てくる、哀愁の氷屋さん、という風情ではあるけれど。
あの、モータースに、電気冷蔵庫がやってきた日に、自転車で街を流す彼、ね。
路傍には、昔の冷蔵庫が、投げ捨てられていて、という光景ですね。
というわけで、夕べも、飲んでしまったのです。
昨日は、シャーマン・キーシャの本を読み終わり。
紹介いただいた、伊勢の御仁にも、感想など含め、お電話し。
そうだ、この間、娘のところへ行った折り、昔のビデオを。
そう、子どもたちの幼かった頃のね、iPadにつめ。
娘に渡したんだけど、それを、彼女、仕事の休憩時間に見たらしく。
その感想なぞを、妻へメールしたわけだ。
それを見せてもらいながら、流れた時間を感じもし。
しかし、そうした瞬間瞬間が、娘の中で、どんな具合に熟成していくのか、と思うと。
楽しくもあり。
わが母親の時代は、写真機だったものが、ビデオカメラ、とカタカナになり。
と時代は移っているけれど。
その底流には、なんだろう、いとおしいものを、この時間のなかに定着させたい、とでも言おうか。
そんな気持ちが流れてもいて。
それはまた、まわりで起こっていることを、どう解釈して、定着させるか、にも通じ。
すべては、いま、起こっているわけだ。
なんてことをつらつらと書きながら、本日は終了です。