ってやつは、だれにでもあるんだろうけど。
この、MacBook Proのキーボードに向かう時間ってのも、そういうものになってるな。
感触と空気感というのか。
今朝は、おじおば会出発の前に、この場にいるんだけど。
今日は、「さくめ」さんへ、うなぎを食べに、ということになるかな。
うなぎといえば、昨日、車中で聴いていたのが、「うなぎの幇間」ってやつで。
たいこもちが、だんなをつりあげようと町にでて。
いい塩梅で、だんな風の人を、よいしょよいしょ、で、うなぎ屋までつりあげ。
そこで、ごちになる、って算段でね。
あることないこと、ほめそやし、うなぎを食べている間に。
当のだんな、ってのが、そのたいこもちの、さらに上をいく、詐欺師みたいなもので。
結局、たいこもちは、その場の勘定とおみやまで、払わされ。
さらには、今朝買ったばかりの5円の、新品の下駄まで履いていかれ。
ってやつなんだけど、今日の僕らは、はなから自腹ですから。
今朝のここまでの車中では、志ん生の「子別れ」で。
相棒に、地獄なんてのがあるのかね、じびた(地面の下ってわけだ)に地獄がある、ってのは、嘘だと思うんだよな。
と語りかけ。
もしほんとなら、工夫の連中が、えんま様の冠でも掘り当てそうなものだけど、きいたことないからね。
と小話をまぜね。
酒飲みの熊さんが、吉原へ繰り出す前に、駐車場へついちゃったわけだ。
駐車場では、いつもの神様のお使いがお掃除にいそしみ、ね。
昨日、彼女の相方、ちょっと、入院されていたんだけど、その彼と。
近所のおそば屋さんで、偶然、遭遇し。
相変わらず、大きな声だったから、一安心もし。
13年連続で、お伊勢さんへ行っていたんだけど、今年は行けなかった。
ま、来年、また行けばいいな、という切り替えが、若々しさの秘訣かも、と思い。
そば屋さんをあとにした、というのが、昨日のお昼時で。
ここのところ、小林秀雄の「様々なる意匠」ってのが、どうも、こちらにやってきてね。
これ、彼が、東大の三年のころに、懸賞論文で、2位になった、ってシロモノなんだけど。
その時の一位が、共産党の宮本顕治の、なんとかという論文だったらしいけど、そちらは、読んだこともないんで。
それはともかく、小林秀雄の内容は、よく覚えてないんだけど、どうにもならない一本道、ってのを。
だれしも持っていて、いいわるいにかかわらず、その道を進んでしまう、ということだったか。
進んでしまうものなんだから、という、ある種、運命論、というのか、宿命論、というのか。
うまく書けないな。
やむにやまれぬ大和魂、とうたった松蔭さんの心境とでも言えばいいのか。
これとも、ちょっと、違うけど、また、今度、読み直したら、書きますね。
ま、宮本顕治の、たぶん、啓蒙的な、インテリが時代を先導し、みたいな。
そんな文章が、一等賞になるような時代風潮に逆らったものではなかったかな。
なので、今でも、世に横行する、ハウツーものからはじまり、経営のなんたらかんたら、とか。
スピ系でも、これこれこうしなさい、風なね。
上記の志ん生の、地獄ってのはあるのかね、という小話の一発で、消えてなくなってしまうような。
たぶん、そんな、内容だったはずだ、って、読書は誤読にかぎる。
って、また、目黒のさんま、みたいになっちゃったけど。
あらあら、本日は、これにて、1500字だね、終わります。
この、MacBook Proのキーボードに向かう時間ってのも、そういうものになってるな。
感触と空気感というのか。
今朝は、おじおば会出発の前に、この場にいるんだけど。
今日は、「さくめ」さんへ、うなぎを食べに、ということになるかな。
うなぎといえば、昨日、車中で聴いていたのが、「うなぎの幇間」ってやつで。
たいこもちが、だんなをつりあげようと町にでて。
いい塩梅で、だんな風の人を、よいしょよいしょ、で、うなぎ屋までつりあげ。
そこで、ごちになる、って算段でね。
あることないこと、ほめそやし、うなぎを食べている間に。
当のだんな、ってのが、そのたいこもちの、さらに上をいく、詐欺師みたいなもので。
結局、たいこもちは、その場の勘定とおみやまで、払わされ。
さらには、今朝買ったばかりの5円の、新品の下駄まで履いていかれ。
ってやつなんだけど、今日の僕らは、はなから自腹ですから。
今朝のここまでの車中では、志ん生の「子別れ」で。
相棒に、地獄なんてのがあるのかね、じびた(地面の下ってわけだ)に地獄がある、ってのは、嘘だと思うんだよな。
と語りかけ。
もしほんとなら、工夫の連中が、えんま様の冠でも掘り当てそうなものだけど、きいたことないからね。
と小話をまぜね。
酒飲みの熊さんが、吉原へ繰り出す前に、駐車場へついちゃったわけだ。
駐車場では、いつもの神様のお使いがお掃除にいそしみ、ね。
昨日、彼女の相方、ちょっと、入院されていたんだけど、その彼と。
近所のおそば屋さんで、偶然、遭遇し。
相変わらず、大きな声だったから、一安心もし。
13年連続で、お伊勢さんへ行っていたんだけど、今年は行けなかった。
ま、来年、また行けばいいな、という切り替えが、若々しさの秘訣かも、と思い。
そば屋さんをあとにした、というのが、昨日のお昼時で。
ここのところ、小林秀雄の「様々なる意匠」ってのが、どうも、こちらにやってきてね。
これ、彼が、東大の三年のころに、懸賞論文で、2位になった、ってシロモノなんだけど。
その時の一位が、共産党の宮本顕治の、なんとかという論文だったらしいけど、そちらは、読んだこともないんで。
それはともかく、小林秀雄の内容は、よく覚えてないんだけど、どうにもならない一本道、ってのを。
だれしも持っていて、いいわるいにかかわらず、その道を進んでしまう、ということだったか。
進んでしまうものなんだから、という、ある種、運命論、というのか、宿命論、というのか。
うまく書けないな。
やむにやまれぬ大和魂、とうたった松蔭さんの心境とでも言えばいいのか。
これとも、ちょっと、違うけど、また、今度、読み直したら、書きますね。
ま、宮本顕治の、たぶん、啓蒙的な、インテリが時代を先導し、みたいな。
そんな文章が、一等賞になるような時代風潮に逆らったものではなかったかな。
なので、今でも、世に横行する、ハウツーものからはじまり、経営のなんたらかんたら、とか。
スピ系でも、これこれこうしなさい、風なね。
上記の志ん生の、地獄ってのはあるのかね、という小話の一発で、消えてなくなってしまうような。
たぶん、そんな、内容だったはずだ、って、読書は誤読にかぎる。
って、また、目黒のさんま、みたいになっちゃったけど。
あらあら、本日は、これにて、1500字だね、終わります。