早い話が、寝坊した。
とも言えるんだけど。
3時ころ、一度目が覚め、まだ早いな、と二度寝。
というわけです。
なので、今日は、日常生活をしながらの瞑想、ってやつにトライしてみようかな。
脳の中、といえるのか、どこといえばいいのか、時折やってくる思考、があって。
時折、というか、しじゅう、というのがいいか。
夕べも、静岡の帰り、電車のなかで、ブログネタのおもしろいものがあり。
頭の中では、さまざまな方向へ、話は展開したんだけど。
なにかのはずみで、他のことに、方向転換したら、それ。
忘れちゃって、一切、覚えてません状態なんだね。
カタカムナの、なんだっけかな、相似象、って本だったか、に。
かんがえる、というのは、かむかえる、漢字で書けば、神帰る、とね。
考え、は、大きな楕円軌道を描き、一度、自分を離れると、宇宙の果てまで行って。
また帰ってくるのに、すごい時間がかかる。
なんて表現があったんだけどね。
ほとんど、無限ともいえる時間がかかって、再度訪れる、としたら。
ひと世代くらい、かんたんに、またぎ。
なんてこともありだな。
ぼくのひいおじいちゃんの、若い頃の考えが、今、やっと、もどってきた。
みたいなね。
これ、ありかも、ですね。
いつも不思議だったのは、人の好み、ってのが、どこからやってくるのか。
ということで。
持って生まれたもの、なんて言い方あるけど、どこから持ってくるのよ、ってなもんで。
話は変わるけど、落語に、「素人うなぎ」というのがあって。
江戸から明治にかけての噺でね、殿様が、町人になり。
さて、これからどうやって飯をくっていくか、というときに、きん、という板前がいたので。
彼にまかせ、うなぎ屋を開業、という噺なんだけどね。
殿様、お金を出すだけで、きんさんの腕前を見込んで、任すんだけど。
大酒飲みで、しかも、酒癖が悪くてね。
酒を飲むと、旦那に悪態をついて、いやなら、やめる、と脅す。
旦那、昔なら、無礼者め、ってわけだけど、そこは、御世がちがうんで、そうもいかず。
なんやかやと、なだめる。
この、主人と下僕が、攻守処を変え、ってところが、噺の妙味でもあり。
こんな類いは、まわりでは、よく起こっていることで。
そもそも、天は人の上に云々、とかの福沢諭吉先生も、おっしゃっているんで。
言葉の通りに振る舞えば、それは、なんの問題もないんだけど。
そこはそれ、ひそかな、プライド、というのか、ね、そんなものが、また、邪魔をし。
これも、長い間かけてはぐくまれた、人間が生きのびるための、高等テクニックなんで。
困ったものですが。
さて、お寺の鐘もなったので、今日は、この辺で。
と書いたとたんに、そうか、五感の話だった、ということも思い出し。
たんだけど、やっぱり、この辺で。
とも言えるんだけど。
3時ころ、一度目が覚め、まだ早いな、と二度寝。
というわけです。
なので、今日は、日常生活をしながらの瞑想、ってやつにトライしてみようかな。
脳の中、といえるのか、どこといえばいいのか、時折やってくる思考、があって。
時折、というか、しじゅう、というのがいいか。
夕べも、静岡の帰り、電車のなかで、ブログネタのおもしろいものがあり。
頭の中では、さまざまな方向へ、話は展開したんだけど。
なにかのはずみで、他のことに、方向転換したら、それ。
忘れちゃって、一切、覚えてません状態なんだね。
カタカムナの、なんだっけかな、相似象、って本だったか、に。
かんがえる、というのは、かむかえる、漢字で書けば、神帰る、とね。
考え、は、大きな楕円軌道を描き、一度、自分を離れると、宇宙の果てまで行って。
また帰ってくるのに、すごい時間がかかる。
なんて表現があったんだけどね。
ほとんど、無限ともいえる時間がかかって、再度訪れる、としたら。
ひと世代くらい、かんたんに、またぎ。
なんてこともありだな。
ぼくのひいおじいちゃんの、若い頃の考えが、今、やっと、もどってきた。
みたいなね。
これ、ありかも、ですね。
いつも不思議だったのは、人の好み、ってのが、どこからやってくるのか。
ということで。
持って生まれたもの、なんて言い方あるけど、どこから持ってくるのよ、ってなもんで。
話は変わるけど、落語に、「素人うなぎ」というのがあって。
江戸から明治にかけての噺でね、殿様が、町人になり。
さて、これからどうやって飯をくっていくか、というときに、きん、という板前がいたので。
彼にまかせ、うなぎ屋を開業、という噺なんだけどね。
殿様、お金を出すだけで、きんさんの腕前を見込んで、任すんだけど。
大酒飲みで、しかも、酒癖が悪くてね。
酒を飲むと、旦那に悪態をついて、いやなら、やめる、と脅す。
旦那、昔なら、無礼者め、ってわけだけど、そこは、御世がちがうんで、そうもいかず。
なんやかやと、なだめる。
この、主人と下僕が、攻守処を変え、ってところが、噺の妙味でもあり。
こんな類いは、まわりでは、よく起こっていることで。
そもそも、天は人の上に云々、とかの福沢諭吉先生も、おっしゃっているんで。
言葉の通りに振る舞えば、それは、なんの問題もないんだけど。
そこはそれ、ひそかな、プライド、というのか、ね、そんなものが、また、邪魔をし。
これも、長い間かけてはぐくまれた、人間が生きのびるための、高等テクニックなんで。
困ったものですが。
さて、お寺の鐘もなったので、今日は、この辺で。
と書いたとたんに、そうか、五感の話だった、ということも思い出し。
たんだけど、やっぱり、この辺で。