今日の表題は、昨日の続き、みたいなんだけど。
実は、瞑想中、浮かんでいたのは、This is 出雲、っていう絵柄で。
三枚の写真があるんですが。
それをアップして、これが出雲です、っていうようなキャプションをつけてね。
三枚とも、ジモッティー、なんていったら失礼かも、だけど。
お三方、象徴的に写っていて、結構、気に入っているんだけどね。
そうそう、捨てるのは云々だった。
そう書いておきながら、昨日、実は、「もっちゃん」と僕が呼び習わしている。
不動産屋の大将がね、例の、土鈴をありがとうございました、と取りにきてくれて。
なので、石見銀山生活文化研究所の、登美さんの動画を一時間強、見てもらったわけだ。
で、彼の感想の中に、捨てる、って言葉と、今流行りの、なんだっけ、風に、断捨離。
ってのも出てきて。
なんだけど、僕のなかでは、捨てる、って言葉に、反応しているんだね。
ほんらい、捨てる、って概念はあるんかね、というか。
捨てていいもの、ってあるのかどうなのか、というね。
もちろん、スピ系でも、過去のトラウマなんてのは、捨てましょうね、みたいな。
言い方ってのは、一般的で。
捨てる、ってことのなかには、どうも、上から目線、というか、過去はだめだけど、今はいい。
あるいは、過去の自分はだめだけど、今は、良くなろうとしている自分がいる、みたいな。
風情が漂い。
「もっちゃん」との会話のなかでは、捨てる、ってのに、違和感を感じだわけだ。
ま、それだけのことなんだけど。
さて、下記が、This is 出雲、です。
出雲大社へ向かう駐車場脇の喫煙スペースで。
この方、佳きご縁をお結びください、とおっしゃってくれて。
しかも、神様に対する敬い方が、言葉使いから、ひしひしと伝わってきてね。
出雲の旅を暗示するような出会いだったのです。
朝まだきの出雲大社、四の鳥居前にて。
真ん中におられる警備の方の一声が、これぞ、出雲、という具合で。
右側の女史が、アスリートガールで、石見銀山での自転車乗り相方なんですが。
左?そう、当日の運転手さんで、とても真面目なおじさん、って、ぼくより、若いけど。
この方は、左の青マフラーは僕ですが、石見銀山のガイドさんで。
少し話しだしたら止まらなくなって、石見はマチュピチュともつながり、なんてことにもなり。
今度、ぜひ、ガイドをお願いしますね、と別れたんだけど。
ほんの少しの会話だったけれど、石見銀山の奥深さをかいま見れたような気がしたのです。
こうして見ると、ほとんど、鶴瓶師匠の亜流、エピゴーネンってやつだね。
「家族に乾杯」ならぬ、なんだろう、そんなわけで。
そういえば、昨日、大分出身の御仁が事務所にいらっしゃって。
73歳になる、って言うんだけど、その彼が。
高尾山だったか、老人会のバス旅行に行き、タバコ吸いながら、どこぞで話したんだろうね。
九州の方じゃないですか、って言われた、って驚いていた。
九州にいたのは、中学までで、もう何十年と旅をして、清水に定住して、30年くらいなのか。
それでも、言葉のどこかに、九州のなまりがでるんだね、というわけで。
ふるさとの なまりなつかし停車場に、とかって、啄木の歌があったよね。
そんなだから、出雲の地にて、地場の方々と会話をするだけで、This is 出雲、を感じるんだな、きっと。
なんか、最後は、なかなか、ウエットにまとまったね。
というわけで、This is 出雲、でした。
実は、瞑想中、浮かんでいたのは、This is 出雲、っていう絵柄で。
三枚の写真があるんですが。
それをアップして、これが出雲です、っていうようなキャプションをつけてね。
三枚とも、ジモッティー、なんていったら失礼かも、だけど。
お三方、象徴的に写っていて、結構、気に入っているんだけどね。
そうそう、捨てるのは云々だった。
そう書いておきながら、昨日、実は、「もっちゃん」と僕が呼び習わしている。
不動産屋の大将がね、例の、土鈴をありがとうございました、と取りにきてくれて。
なので、石見銀山生活文化研究所の、登美さんの動画を一時間強、見てもらったわけだ。
で、彼の感想の中に、捨てる、って言葉と、今流行りの、なんだっけ、風に、断捨離。
ってのも出てきて。
なんだけど、僕のなかでは、捨てる、って言葉に、反応しているんだね。
ほんらい、捨てる、って概念はあるんかね、というか。
捨てていいもの、ってあるのかどうなのか、というね。
もちろん、スピ系でも、過去のトラウマなんてのは、捨てましょうね、みたいな。
言い方ってのは、一般的で。
捨てる、ってことのなかには、どうも、上から目線、というか、過去はだめだけど、今はいい。
あるいは、過去の自分はだめだけど、今は、良くなろうとしている自分がいる、みたいな。
風情が漂い。
「もっちゃん」との会話のなかでは、捨てる、ってのに、違和感を感じだわけだ。
ま、それだけのことなんだけど。
さて、下記が、This is 出雲、です。
出雲大社へ向かう駐車場脇の喫煙スペースで。
この方、佳きご縁をお結びください、とおっしゃってくれて。
しかも、神様に対する敬い方が、言葉使いから、ひしひしと伝わってきてね。
出雲の旅を暗示するような出会いだったのです。
朝まだきの出雲大社、四の鳥居前にて。
真ん中におられる警備の方の一声が、これぞ、出雲、という具合で。
右側の女史が、アスリートガールで、石見銀山での自転車乗り相方なんですが。
左?そう、当日の運転手さんで、とても真面目なおじさん、って、ぼくより、若いけど。
この方は、左の青マフラーは僕ですが、石見銀山のガイドさんで。
少し話しだしたら止まらなくなって、石見はマチュピチュともつながり、なんてことにもなり。
今度、ぜひ、ガイドをお願いしますね、と別れたんだけど。
ほんの少しの会話だったけれど、石見銀山の奥深さをかいま見れたような気がしたのです。
こうして見ると、ほとんど、鶴瓶師匠の亜流、エピゴーネンってやつだね。
「家族に乾杯」ならぬ、なんだろう、そんなわけで。
そういえば、昨日、大分出身の御仁が事務所にいらっしゃって。
73歳になる、って言うんだけど、その彼が。
高尾山だったか、老人会のバス旅行に行き、タバコ吸いながら、どこぞで話したんだろうね。
九州の方じゃないですか、って言われた、って驚いていた。
九州にいたのは、中学までで、もう何十年と旅をして、清水に定住して、30年くらいなのか。
それでも、言葉のどこかに、九州のなまりがでるんだね、というわけで。
ふるさとの なまりなつかし停車場に、とかって、啄木の歌があったよね。
そんなだから、出雲の地にて、地場の方々と会話をするだけで、This is 出雲、を感じるんだな、きっと。
なんか、最後は、なかなか、ウエットにまとまったね。
というわけで、This is 出雲、でした。