ハロウィーンが近づいて来ました。くどいようですが ハロウィーンはわたしの誕生日です
大人になると、特に女性は「誕生日なんかきてほしくない」と思うことが多いようですが、わたしはいくつになっても嬉しい方です。
というのは、誕生日は元旦と同じで、心機一転、新しい自分になるきりかえのタイミングになるからです。
ただ、誕生日がきたからといって、ぱっと新しい自分になれるわけではないですよね。
元旦の決意が三日坊主に終わりがちなのに似ています(笑)
仕方がないか、人間だもの(笑)、なんて長年思ってきたわたしに目から鱗だったのは、ブログ友達のみどりさんの「誕生日までに自己改造計画」。
誕生日がきてから新しい自分になろうとするのではなく、誕生日にはなりたい自分になっていられるよう事前に自己改造していくというものです。
これなら実効性があるし、難しいことなら準備期間を長く取ることもできて合理的ですね。
そこで、わたしも真似っこさせて貰って、誕生日にはこんな人になっていたいという目標を設定しました。
それはズバリ…
ごきげんな人
画像の本はそんなわたしのテキスト、「ごきげん道」の本です。
どんなにストレス源がふりかかってきても、何もいいことがなくても、自分で自分のごきげんを取って、いつも心身共にいい状態でいられる人。
何でも、脳は放っておくとどんどんネガティブな方へ傾いていってしまうそうです。
それは生き延びるために必要なことなので、仕方ないのです(あの動物は天敵だから近づいてはいけないとか、前にこの草を食べたらお腹が痛くなったとか、そういうネガティブな情報ほどしっかり覚えていないと、命がいくつあっても足りません)。
ごきげん道では、これを「認知の脳」と呼んでいます。
この認知の脳が出来事にどんどんネガティブな意味づけをしていく → そのせいで不機嫌になる → 不機嫌になると自分の人間としての機能が落ちる(カッカして人の話や書類の内容が頭に入らない、周囲の人に思いやりのある態度を取るという高度な行動が取れなくなるなど)。
そこで、もう一つ、ヴァーチャルごきげん脳のようなものをイメージして、こちらでネガティブな意味づけをはがし、心を少しでもごきげんな状態にして整え、自分の機能をアップさせた上で認知の脳に適切な対処をして貰う、というプロセスを身につけるのがごきげん道です。
しかし、この本にも書いてあったように、「ごきげんは一日にしてならず」
外界の出来事に自分のごきげんを持っていかれそうになる度に、「出来事に意味はない」「自分の心のあり方は自分で決める」と考える、「好きなものやことを思い浮かべる」などして、心がほんの少しでもごきげんな側にふれたことを意識する、という地道なトレーニングを繰り返す必要があるわけです。
これを誕生日までにできるだけ心がけ、ハロウィーン当日には、「大分ごきげんな人になったね」と思えるようになりたいというのがわたしの自分改造計画です。
ただ、意思の強いみどりさんと違い、わたしの意思は日向の雪の如し。相変わらず何かある度、持っていかれまくりです
それと、現実の出来事は教科書的な事例に比べるとかなり複雑なことが多いですよね。
たとえば…
「わたしがいつもミネラルウォーターを詰めているペットボトルと明らかに知っていて捨てたでしょ!」
というような場合、「出来事に意味はない」とはなかなか考えにくいものです。
意味あるやろ、あんた、明らかに悪意で捨てたやろ! と言いたくなりますが、こういう時は、とりあえず愛用のペットボトルを捨てちゃった底意地の悪い人のことはおいといて 「ペットボトルがなくなったという出来事」に意味はないと考えるしかないでしょう。
そうなんだ、ペットボトルがなくなったというだけなんだ、とちょっと落ち着いて心を整えたら、後は認知の脳に、同じようなペットボトルを手に入れればいい、中身がミネラルウォーターならそのまま使えてなおよい、たしかそういうのがどこそこの自動販売機にあったはず、と冷静に対処して貰えばいいことになります。
いつまでもそこで、「ひど~い、サイテー」と嘆いていても、自分が損するだけなので。
最近、ある本で、「幸せとはどんな状況でもごきげんでいられること」という文章を見つけて、そうかも~と思いました。
こういう境地に達すれば、こわいものなしですよね。
さらに、「あの人といると、こっちまでごきげんになるわ」と感じて貰えたらいうことないですね。
今年の誕生日までには難しいかもしれないけれど、少しでも努力していこうと思います。