戦国時代も新しい年を迎えています。
殿の国、明騎野(あきの)は新年早々危機に見舞われています。
明騎野は小国ですが交通の要衝に位置しているので、近隣諸国は都に旗を立てるにはまず明騎野をとるべしと考えています。
特に隣の強国、安住(あずみ)は、虎視眈々と明騎野を狙っていますが、国境に聳える険しい山に阻まれ、なかなか攻め込めません。
その安住が、年明けと共に、せっせと明騎野攻めの仕度を始めたのです。
どうも、明騎野の軍師、小幡勘解由(おばたかげゆ)が安住に内通しているらしいという、ただならぬ情報が殿と家老の正木宗衛門(まさきむねえもん)にもたらされました。
勘解由は、大殿様の参謀として何度も軍功を立て、その信頼は絶大です。しかし、数ヶ月前、兵糧米の横流しがばれて、国境の小さな砦の守備に左遷されてしまいました。安住はそれに目をつけて、勘解由に接触したようです。
左遷されてくさっていた勘解由がこれに応じ、安住は彼から内部情報を得て、今が好機と戦の準備をしているのでしょう。
殿は父の大殿様にこの情報を伝えましたが、大殿様は勘解由の裏切りを認めたくないご様子です。それでいて、思い当たるところもあるらしく、結局、勘解由には本城ではなく、支城の飛水城(ひすいじょう)を殿と一緒に守らせるという中途半端な措置をとりました。大殿様はこのところ病気がちなせいか、優柔不断になっているのです。
飛水状の守備を任された殿と正木老人、勘解由らは早速軍議を開きました。
勘解由は、城の南門に軍備を集中させるべきだと進言しました。
安住から飛水城をせめるには、南門と東門の二通りの道筋が考えられるのですが、東門に通じる道はところどころひどく狭くなっていて、進軍に適しません。安住はおそらく南門に通じる道を選ぶでしょう。飛水の守備兵は小勢なので、これを二手に分けるよりも、一箇所に集中させた方がいいと思われます。
勘解由は、敵を確実に南門に導くためにおとり部隊を出し、南門に向かって退却させながらおびきよせるという策を立てました。南門の前には千鳥掛けの柵をつくり、敵がもたつくところへ弓と鉄砲をうちかけます。城壁に辿り着いた敵は、頭上から丸太を落として追い落とします。
実にもっともな作戦なので、誰も文句をつけられません。
飛水状の兵達は、勘解由の作戦に従って準備を始めました。
戦仕度となると、お手軽部隊が大活躍します。
熊谷入英直実(くまがいニューウェイなおざね)は、千鳥掛けの柵を作り終わり、今は鉄砲隊が銃撃するための柵を作っています。
殿は、後ろに鉄砲隊がいることがわからないよう艤装しろと命じたので、直実は木の枝や葉で柵を隠しました。苦労したのは銃眼の配置です。あまり規則的に並べると敵にわかってしまいますし、かといっててんでんばらばらでは鉄砲隊が撃ちにくくなったり、射撃の効果が薄れてしまいます。
直実は、鉄砲隊に、立って撃つ者、中腰で撃つ者、腹這いになって撃つ者に分かれて貰うことにし、何とか自然な感じに銃眼を配置しました。
林威助(はやしいすけ)どんは、丸太の罠の作製を命ぜられました。
大木の枝に丸太をはさみ、枝の先端に紐を結びつけて、地面に張ります。敵がこの紐に足をひっかけると、枝が折れて丸太が敵の頭上に転がり落ちるという仕掛を工夫しました。
南門の手前には、東門への道へ続く連絡道があります。敵にここを利用されないよう、威助どんは丸木の大柵でふさぎました。連絡道に面した崖には、一部が張り出した岩場があります。威助どんはそれを見て、いいことを考えつきました
小幡勘解由は、内心ほくそえみながら、戦の準備を見分しています。
勘解由の献策は決して間違ったものではありません。安住が普通に攻めてくればこの作戦で十分撃退できるでしょう。
しかし、今回は自分が内通しています。
大殿様は、初めて一軍を指揮する若殿の参謀になってくれと言っていましたが、飛水城の守備に回されたことで、疑いをかけられていることは何となくわかります。勘解由はこの戦いのどさくさに紛れて、明騎野を退転するつもりでした。
明騎野は、どんなに身分が低い者でも意見を言え、いいと思えば採用して貰えるという家風があります。勘解由も流れ者でしたが、大殿様に意見を取り入れて貰い、何度も勝利に貢献しました。今では譜代の重臣に劣らぬ身分に取り立てられています。
それなのに、あの程度の横流しを咎められるとは、と勘解由は腹立たしくてなりません。
(まあいい。どうせこんな小国にいてもたかが知れているのだ。それに比べて、安住は大国、当主は天下に野心満々だ。うまくいけば、天下分け目の大戦で、思う存分腕をふるえるかもしれぬ)
飛水城の南門に続く道の途中には、東門への道に下りられる抜け道があります。道ともいえぬ崖道ですが、軍というのは、馬の蹄を置ける余地さえあれば何とか移動できるものです。勘解由は、夜のうちにそこを通って、飛水城攻撃隊の大半を東門への道に移動させるよう、安住に伝えていました(連絡道をつかえれば一番いいのですが、そこだと明騎野勢から丸見えですからね)。
残った一部は陽動部隊として、明騎野軍の作戦に引っ掛かったふりをし、南門に向かわせます。この部隊は、東門から攻め入られたことに明騎野勢が気づいた時、彼らがそちらへ向かえないよう足止めする役割があります。
こうして、無防備な東門からやすやすと攻め入った部隊と、陽動部隊が、明騎野勢を挟撃して殲滅するという作戦です。彼らが飛水城を占拠する頃には、安住勝利(あずみかつとし)率いる本軍が明騎野の本城に迫っているはずです。飛水城攻撃隊は、今度は本城を背後から衝き、本軍と連携して本城を落とすという段取りです。
何も知らない明騎野勢は、せっせと南門の防備を固めています。
若殿の側近の若侍が、それを見ながら、勘解由にあれこれ質問してきました。この青年は、思いがけず勘解由と同じ陣で戦えることになったので、少しでも彼から軍略を学ぼうと、つきっききりで教えを乞うているのです。
この若者も、この戦で戦死する運命だと思うと、憐憫の情がわいてきて、勘解由は親切に質問に答えてやりました。
いよいよ安住軍が攻めてきました。
飛水城攻撃の司令官檜垣重正は、東門へ続く道に軍を整列させました。
夜間に険しい崖道を移動するのは非常な難行でしたが、強国安住の軍勢は粛々と遂行しました。
一方、山名時忠率いる陽動部隊は南門への道を行軍して行きます。
夜が明け、朝霧が晴れれば戦闘開始です。
風に吹き流される霧の向こうに、明騎野のおとり部隊が現れました。
(つづく)