銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

瓜南直子さんの死、アイリスオーヤマの社長、メトロポリタンホテル、豊島屋さんの未来、高橋まつりさんの母、・・・・・(鎌倉市)小町から考え付く5題噺

2018-08-03 15:44:48 | 政治

 さて、これは、完ぺきに前報(あと注1)の続きです。なお、相変わらず、前報の、リンク先が示しえていませんが、お許しくださいませ。この章は、5日の午前二時に総タイトルを変更をしました。

副題-1、『人間は、にこにこすることが大切だ』

 下の文章を、副題0から、副題3まで書いて、午前、4時に一応完成といたしました。しかし、鎌倉市役所の移転という点からいうと、いささか逸脱エピソードばかりです。芯のところまで到達しておりません。しかし、私を囲む、ミステリーは爆大ですから、1話だけで、完結するものでもないのです。でね、この章など、脇道だけで終わっています。しかし、それで、いいのだと、私の内面で、言う声があります。なぜかというと、小町という地域を中心にしても、あれこれ、面白いエピソードを誘い出しているからです。

 小町の一角に敷地500坪以上を使って、大ビルが建設されようとしています。これは、鎌倉を大きく変化させるでしょう。JR東日本は、CIAエージェントに、すでに、私が乗った電車を遅延させるという点で、協力していますから、伊藤玄二郎一派の特権はゆるがないと、思いますが、豊島屋さんの主役の時代が終わるかもしれないのです。豊島屋さんは、今の社長の代になって、伊藤玄二郎に振り回されておられます。前の社長の時代は、そうではなかったのにです。で、「大きく協力をしました。ところが、裏切られました」と、言うことにならないでもないのです。これは、大きなことでしょう。

 というのも敷地、500坪のメトロポリタンホテルです。パン屋もおかし屋も、中にできると思いますよ。アーケード街も。そこに豊島屋もブースを持ちますか? そうですね。一種のコアになるのだから、乗り遅れてはいけません。だけど、圧倒的に一番だった豊島屋さんの地位が、JR東日本から来たサラリーマン社長の前で、薄くなるかもしれないのです。というのも敷地500坪のビルなんて、今までのところ、鎌倉にはなかったと思いますし。すごいことなのです。

 ただね、この章を書き終わって、もう一つ懸念が浮かびました。それは、逸脱エピソードばかりだと、言うことのほかに、「お前、結構遊んでいるじゃあーん。それに、金持ちかよ」という思いを抱く方もあるでしょう。三回目の普請をしたいなどと、書いていますのでね。

 しかし、これは、はげしい弾圧を受けている私の気分転換に過ぎないのです。アイデアだけの設計図なら、五分で一枚描けます。それが、リアルな世界で実現をしなくても、私はにこにこしているわけです。そして、その作業は絵や版画をせいさくするよりも簡単だから取り組むのです。絵や版画の場合、個展を9回もやったということは、相当なレベルに達したということなので、簡単にはできない制作なのです。それを今やれるほどには、落ち着いた環境が用意されていません。

 私にとって、今、簡単にやれて、心の底から、にこにこできることなら何でもいいのですよ。そして、人間にとって、にこにこしていることが本当に大切なのですよ。明朗であり、機嫌がよいこと。それが、大切なのです。

 なおね。宝くじというのは、神様からお金が来ることだから、それはありうるといっているのです。私は、損失を大きくこうむってきています。それを、人間は補填をしてくれません。伊藤玄二郎一派は、そういう発想は持っていないのです。謝罪したり、修正したりする方向へは進みません。しかし、此処で、神様というのが登場します。私をひどくいじめた人のうち、すでに、五人の人が死んでいます。1978年以来の長いスパンで言っていますが・・・・・病気、他殺と思われるケース。事故、その他ですが、五人もの人が、大きくいじめてきて、そして、ある程度いじょうの量がたまったら、あの世へ去ってくれています。

 瓜南直子さんのケースなど、世の中のほとんどの人は、彼女が、伊藤玄二郎の教唆にのっとって、私をいじめているとは、気が付かなかったでしょうね。私は彼女については、死後ずっと後で、書き始めていて、しかもその時、彼女がすでに、死んでいるということは知らなかったのですよ。あまりひどいことをやってくる人だから、2011年の11月の末に、一切の情報を遮断し始めて居たら、いつの間にか、亡くなっていたのです。

 遮断とは、フェイスブック紙上では、彼女の投稿は、一切読まないことにしたのでした。私は、自分が関心を持つ対象としては、彼女を捨てたのです。「おやりなさいね。なんでもいいから、私の方は、あなたを捨てたのだから、関心がないから、どうぞご勝手に」、と、言う風にしたら、たった、7か月後に彼女は、死にました。肝臓がわるかったと、おもいます。でも、あの速さで、しかも、あれほど、元気な様子で投稿を続けていたのに、あっという間の死であって、世の中の人は、ひどく驚いたと、思います。私も驚きました。

 彼女のいじめとは・・・・全日本ああすはが連に関する投稿が、石春産業の証拠隠滅工事につながるものであって、それが、鎌倉市役所の移転へつながるものであって、それが第一ですが、

 第二としては、レオスカラックス監督が大反日、または、大侮日映画【TOKYOの中の第二部メルド】を作っている状況がある中、文化庁が、それに、800万円を支払っています。それが、書いてある大切なプログラムが我が家から盗まれています。それを、ブログで、私が書いているのを狙って、楽し気に、映画のプログラムについて、記述を続けていたのは悪意満々の投稿だったのです。

 それから、金田ゆう子さんとのイチャイチャは、すべて、手ひどい、いじめだったのですよ。直子さんと、執事、金田ゆう子さんとの関係は、私が、結んだものです。それなのに、瓜南さんは、私を友達から切ってきました。で、二人だけで、イチャイチャの限りを尽くしていたのです。非常に気色の悪い投稿が、豊島屋の【源平巻】(商品のこと)を、種にして、あったころ=また、その同じころ、この世には存在しない、日本酒【恋の鶯から】を使って、金田ゆう子さんが、からかってきたときから、二人を切ったのでした。

 そして、お料理です。彼女はお料理の投稿をよくしていました。これが、また、言うに、言われない理由で、私いじめなのですよ。ものすごい理由が裏にあるのですが、どういうことか、本当に、あっさり言うと、とても、嫉妬深いひとだったのでした。だから、彼女の全投稿が、2011年8月以来は、私いじめに利用をされていたのです。彼女は、眠っているとき以外は、私を攻撃していたのでした。でも、あっという間に彼女が死んでくれて、『ああ、神様って、本当に、おられるのだ。悪魔みたいな、伊藤玄二郎一派に協力すると、神様に、怒られて、命まで落とすのだ』と、思いましたよ。

 が、私は、研究熱心だから、削除される前の彼女の投稿を、3年前に、改めて丁寧に、読んでみて、肝臓を洗浄するために、お医者さんが、「ものを食べない様に」と、おっしゃったのが、気持ちの衰えを招いたと、思っています。結構、勝気な人でした。意地悪も平気でできる人でした。お顔は、きれいな人ですが、性格には問題がありました。

 しかし、食べるものを食べないという事は、エネルギーが出ないです。勝ち気であれ、攻撃的であれ、その根源のエネルギーが出ないです。それは、急速な気落ちに向かったのではないかなあ。それを彼女自身は、愚痴として、書いてはいないけれど、相当に、がっかりして、気力がなえたと、思いますよ。

 だから、私はアリと、あらゆることに関して、復讐策を講じるという意味では、何も動かないのです。なんとかなると、思っていて、そして、大体その通りになっていてくれています。ともかく、自分一人で、じぶんだけで、できる、いろいろな工夫をして、どんな苦境の時もニコニコしていることに努めています。それが大切です。にこにこするためには、体を動かして、興味を抱いた対象に迫るということも大切です。実際に現場に見に行くという事が大切です。瓜南さんは、フェイスブックの投稿があったので、皆様がわかりやすいと思いますが、ほかの四人は、インターネットには、投稿をしていません。だが、見事な因果関係があります。だから、誰に頼まれても、私を攻撃したら、そして、その量が多いと、あなた自身の、命が天に奪われますよ。それが、法則です。だから、おやめなさいと、常々書いていますが、瓜南さんは、私を小ばかにしていて、私の投稿を一切読んでいなかったので、あれほどの、激しい攻撃者となっていたのでした。そして、非常に短期間(というのも私が彼女の嫌みたっぷりな投稿を、しっかりと読んでいたのは、2011年の、8月から、11月までだったので)だけで、死亡へと、つながったのでした。2012年の、6月だったそうですね。

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副題0、『小町とは、どういう土地柄なのかを、まず、説明をさせてほしい」

  なお、此処の、副題1へ入る前に、地理的な特徴を、あげさせていただくと、鎌倉市小町地域とは、駅に非常に近いうえに、部分的には、商業地域なのですが、部分的には、高級住宅街となっている一帯です。少説の舞台に、なったことも、あまりないし、そこにあるお寺群も、土地を貸すことで、大金が入るために、観光業には、熱心ではないので、静かな一帯で、メディアにその名前、【小町】が出ることがほとんどないのです。が、すでに、鎌倉市民になっている人間から見ると、『もし、私が小町に、50坪でも、いいから、自分の土地を持っていたら、なんと、幸運なことだろう』と、思う様な一帯です。大衆的な有名人としては、コシノジュンコさん、紳士服のコナカの社長、それから、多摩美の教授の、宮崎進さん、などがすんでいます。コシノさんは、とびぬけて派手ですが、一般的に見て、ご婦人方の衣装は、派手ではありません。

 そこは、港区とは、違うのです。白金あたりは、80代でも、最高レベルのおしゃれをしている人が歩いていますが、鎌倉には、そういう人はいないでしょう。鎌倉には、昔ながらの商品を扱っている乾物屋さんとか、炭屋さんがあるくらいで、【婦人之友】風の生活スタイルを、守っている奥様方が多いのですよ。港区の住民は【婦人画報】か原書版の、【VOGUE】を読んでいると感じます。そして、小町も白金も、「上流階級は、テレビには出ない」を守っている人たちが住んでいる一帯です。

 一度、【浄妙寺】(原節子がすんでいるということで、有名な一帯)に住んでいる女性から、ひどい目にあったことがあって、浄妙寺は、玉石混交だなあと、思っております。駅から遠い(絶対に歩けない)ので、それだけ、安く手に入ります。で、一般庶民のくせに、5000万円ぐらい出せるから、転入してきた人がいるわけです。で、急に鎌倉マダムになったつもりで、一階級か、二階級、上になったつもりで、観光客を馬鹿にするのです。鎌倉霊園に向かうバスは、途中の浄妙寺まで、観光地が多いので、混んでいます。曲がるときに揺れて、前に座っている人に、私の膝が触れたのです。突然邪見に振り払われて、びっくりして顔を見ると、太っていてブスです。洋服もポリエステル製らしいツーピースです。小花模様らしいのですが、色が全くよくないです。どこにも、さえたところがありません。一方の富沢夫人など、75歳は過ぎているのに、いまだに八頭身です。私は7.5頭身ぐらいです。今は二人とも年を取ってしまったので、衰えていますが、10年ぐらい前までは、ふたりとも、とても、おしゃれだったと思いますよ。「目立たないんだが、品がよい」というスタイルで、外出していて、しゃっしゃ、しゃっしゃと歩いていたと、思います。

 豊島屋の前の社長さんと、本当に仲良く、二時間近くお話をしたことがあうのですよ。ノグチイサムと、ニューヨークで、お食事を一緒に、したという話他、いっぱい伺ったのですが、そのなかで、「私達は、鎌倉の人を、四階級に、カースト分けをしているのですよ」という話が出ました。「原住民、先住民、新住民、インヴェーダーです」と。笑っちゃいました。テレビゲームができたばかりの時には、インヴェーダーというゲームがあったのです。

 紳士服のコナカの社長さんは、新住民ですが、インヴェーダーと、呼ばれているとは、聞いたことがありません。奥様が上品なのだと、思います。で、きっと、つつましい生活をなさっているので、インヴェーダーとは、呼ばれていないのです。

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副題1、『富沢家の跡地は、すでに売れている。私は、富沢家側から、親の家(=空き家)が、どういう風になったのかと、その行方を、調べていて、それを、知ったのではなくて、家を普請するのが大好きなので、三回目の普請をしたくて、そのために、土地が欲しくて、不動産物件を探しているので、気が付いたのだった。もちろん、今はお金はない。しかし、宝くじでも当たったら、買おうと思って、よい物件を常に探している。今、不動産を三つ持っているが、一つが、駅から、徒歩、公称、5分の土地であり、小さいけれど、利益を生む、有効な土地なので、そういう種類の、土地を探している。鎌倉でなくても。よいが、探している。家を建てるのが趣味だから、暇があるときは、常に、新しい設計図を描いているし、25坪でもいいから、そこが、建蔽率60%だったら、どういう形の家が建つかなどと、いつも、検討をしている。この間見つけた土地は、駅から交称・徒歩4分で、28坪で、建蔽率は、80%で、容積率は400%だった。欲しかったけれど、今は、お金がない。あ、は、は。しかし、一週間程度は、間口、3間で、奥行き7間の、6階建てビルの設計図を描くのに没頭をした。楽しい趣味だ。あ、は、は。

 で、鎌倉駅前不動産やの、ショーウィンドーに、ある日、47坪、駅より徒歩7分、(=600m)で、一億二千万円の、ぶっけんをみつけた。ばしょとして、とても、よい場所なので、普通なら、売り物がある様な一帯ではなくて、したがって、無住の空き家だと富沢夫人が言っていた、ご主人の親の家であろうと、推察した。ゼンリンの地図で確かめると、まさに当たりだった。もともとは、150坪~200坪程度の広い区画だったと、思われるが、三つか四つに、分筆をされていると、感じた。その情報は半年も前に得ていたのだが、私宅から駅へ行くまでの、みちの途中にあるわけではないので、長い間放っておいた。しかし、6月のはじめの、快晴の日に、ふと、あそこへ、行ってみようと感じて足を伸ばした。

 そこでは、・・・東北の、住宅関連メーカーの社長さん・・・が別荘を建築中だった。建物が、平屋で、100坪であり、単価が非常に高い(和風の)数寄屋造りだそうだ。建蔽率から考えると、敷地は、250坪は必要だ。ウーム。誰だろうと、考え込む。しかし、たまたま建設業者さんが出てきて、あれこれ、その建築様式のすばらしさを説明してくれたために、かえって、建築確認申請の看板を見ることがはばかられて、施主さんの名前を見ることができなかった。その後、足を怪我をしたために、見に行っていない。したがって施主さんの名前がわからない。もし、完成すると、建築確認申請の看板はtekkyosare、施主さんの名前は、永遠にわからない。別荘だそうだから、表札も、〇〇庵などという、特殊なものがせっちされるかもしれないし。

 しかし、しかしなのだ。丁度、見に行った直前に、アイリスオーヤマの社長さんが、【カンブリア宮殿】に出てきた。それは、6月21日だったらしい。そこから、足を怪我をする、30日の間に、見に行っている。私は勘が、非常に鋭く、かつ、引き寄せる人なので、あの別荘が、アイリスオーヤマの社長さんのものである可能性は高い。だって、今東北で、社員600人を抱える、住宅関連メーカーといったら、アイリスオーヤマしかないではないか?【カンブリア宮殿】の中では、アイリスオーヤマは、アイデアに、満ちた、家電商品を作って、大当たりだそうだ。確かに、私も、シュレッダーをヨドバシカメラで、買って、使っている。しかし、私の昔からの、認識では、ホームセンターで、敷石風のタイルを買った会社として覚えている。あれって、外回りの製品だけど、住宅関連商品といえばいえるし。  

  私は家に帰って、主人にこういった。「駄目だわ。あそこを買っちゃあ。お隣がアイリスオーヤマの社長だったら、どうしても、こちらが、みじめさを、感じさせられるでしょう。・・・・決して、自分を他人とは、比較をしませんよ。私は人間ができていますから・・・・と、超然としていても、ダメでしょう」と。今、書くことに大変な妨害を受けていますので、この・・・施主がアイリスオーヤマの社長かもしれない・・・という、想像はきっとあたっているのでしょう。

 奥様はどういう方でしょうね。品よく、目立たない生活をなさらないと、インヴェーダーと、陰で、呼ばれてしまいますよ。お気をつけあそばせね。ともかく、屋根は、銅板ぶきだそうです。はい。それは、鶴岡八幡宮と同じです。高価、な、ものであり、ふつうだと、個人の家には、使いません。今を時めくしゃ長さんだから、使う素〇いでしょう。 

 しかし、この家は、平屋だし、別荘だから、鎌倉における存在感として、は、おとなしめの、動きになると、思われます。しかも、大町の通りと、言う、車が通る道からは、20メートルか、30メートルぐらい東へ入っていますので、それだけ、地味目に見えます。だから、大丈夫でしょう。嫌われないと、思われます。

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副題2、『しかし、派手な、派手な、大資本が、参入してきます。メトロポリタンホテルが、旧警察署跡地にできますよ』

 私はね。最近、一か月、足がわるいために、非常に動きが鈍かったのです。その間に、大クレーンが設置されていて、大工事が、小町の、一角で始まっていました。建築確認申請書の看板を見ると施主は、里見雅行さんですって。『あれ、この名前は、セガサミーの里見さんの息子さんかしら?』と思いました。それで、帰宅してすぐ、インターネットを開いてみると、違いました。里見雅行さんとは、旧国鉄に、入社した東大卒様だったのです。

 表の社会でのエリートです。テレビには、絶対に出ないが、知る人ぞ知るエリートです。特に3.11の時に、JR東日本仙台支社長だったそうです。で、その人が、現在社長をしている子会社は、池袋のメトロポリタンホテル内にあるらしくて、全国に、メトロポリタンホテルを展開している会社でした。

 私はね。友人の一人に、旧国鉄に、東大卒として入社したが、過労死なさった父君の、思い出を語る、人がいたのです。過労死なさった後でね。総裁以下、5人ぐらいのえらいおじさま方が、保護者として、いろいろ、サポートをしてくださるそうです。しかし、それも善しあしで、結婚とか恋愛に、関してエリート主義を押し付けられるので、大変みたいでした。相手に対して、注文が付くそうです。

 そして、さらに分かったことは、エリートというのは、結婚相手が、これまた、ハイクラスだと、言う事です。奥様がきれいで、教養の高い方を迎えることができるのですね。だから、彼女も娘として、非常にきれいな方でした。母君は、朝日新聞の短歌の第一次選考をする方だったのです。あれって、高名な歌人が三人選者ですよね。彼女の母君は当時、まだ、40代だったから、お弟子として、選考の、下請け(というか、第一次選考)をしていたわけです。だから、自分の先生が、よい点を与えそうな歌を選んで、先生に、持ち上げることをやっていたのでした。

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副題3、『しかし、実をいうと、母親がきれいで、教養が高いことが、彼女にとって、マイナスを与えてもいた。そこまでのことを若い日には、言う、程の、胆力が、自分には、なかったが、それを理解する心は持っていた。私の母は、そういう社会的肩書は持っていなかったが、毎日新聞で、音楽コンクールと美術コンクールを創設した、ご近所おじさまから、東横線の車中で、「あんたは、馬鹿だけど、お母さんは、聡明だ」と、面と向かって言われたことがあるので、私も、上にあげた友達と、似た様なところがある。つまり、母親が賢すぎるケースとしての娘の難しさを、になっているともいえる。

 しかし、私には、父親がいた。それで、やや、緩和されている。その上、母は死ぬ前に、私を姉扱いをいしてくれて、非常に、頼ってきているのを感じさせた。それと、ニューヨークで年下の、日本人女性と生涯で、初めて喧嘩をして、圧倒的に勝ってしまったので、自分が他人が思っているよりも、はるかに大物であることを知った。しかし、若い日は、違っていた。若い日には、歯に金冠をはめていたので、激しい劣等感を持っていて、アリと、あらゆる友人の、下手に出ていた。

 だけど、口で表現をしないからといってバカではない。で、小さいころから、母親と、子供の関係については、複雑なものがあることには、気が付いていた。社会階層的に、上流であっても、母の愛が、少ない人は、冷たかったり、神経質だったりする。

 この点で高橋まつりさんの母親には、大きな問題を感じている。最初の記者会見は、対私狙いの意味があって、母君はスター扱いを受けていた。それで、ものすごくきれいな人だと、私は思った。

 しかし、・・・このお母さんは、自分から申し出でて、離婚をしたのではないか?・・・とも、思い当たった。これは、どこにも報道をされていないがあたっていると思う。五嶋みどりさんもそうなのだけれど、本当のお父さんがいても、母親の方が、離婚を主張して、夫から逃げるという形で、離婚をした後で、お父さんが、別の女性と、平凡にして幸せな家庭を築いたと、仮定をすると、お父さんは、前の奥さんとの間の娘について、名乗り出ることがない。みどりさんは、実父と会うべきだと、私は思うけれど、そういう話を聞いたことがない。まつりさんの場合も、お父さんが死別であるとは発表をされていない。で、まつりさんが25歳と若いのだから、お父さんもいまだ元気だと思うし、心の中では、自分があれこれ、助言をして、助けてやればよかったと、思っているはずだけど、お母さんに対する嫌悪感があって、名乗り出ないのだと、思う。

 高橋まつりさんの悲劇とは、あに、電通の上司にあるだけではないと、私は思う。(あと注2)

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 なお、富沢夫妻、特にミスターは、先住民にあたるでしょう。藤本禎子さんも先住民です。豊島屋の社長さんは、原住民です。 

  なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4808412です。

【蛇足】宝くじの話には、お笑いなさる人も多いでしょう。しかし、私は言論弾圧によって多大な経済的損失を受けております。それに対して、神様が、もし補填をしてくださるとしたら、宝くじぐらいしかないだろうと、思っているのです。

 後注1、 

鎌倉小町・富沢・親・家にある銅版画制作機への慨嘆・・・・・・鎌倉市役所移転問題の5

2018-08-02 04:25:32 | 政治

後注2、 

まつりさんは性格が悪い?。自殺は、母にも遠因があるのでは?・・・・・母って胸騒ぎがするものなのですよ△  2016-11-12 20:00:14 | 政治

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