銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

私と香月ひとみと小堀令子の間の、心の貸し借りから、鈴木紗綾ちゃんの母・一ノ瀬智恵子が美術9条の会に入って居る事が判明した△

2018-10-28 05:02:29 | 政治

   今は、28日の朝6時です。が、下の文章の推敲と加筆が終わりました。で、恒例の三角印を総タイトル横に付けておきます。尚、この章と前報で、小堀令子さんのれいを、間違えておりますが、それは、栗田玲子さんが、この日曜日の日曜美術館で、突然目の前に現れたからですよ。隠喩的意味ですが・・・・・

副題0、『この章を公開するにあたって、の、私側の心の秘密と、書いた時期への弁明』

 私の最近のものは、あまりにも長いです。(苦笑)、そして、ぴっちりと、分けられておらず、連綿として続きます。しかし、其れでもいいと思って居るのは、読ませたい相手がいるからです。それは、鎌倉エージェントと私が呼ぶ人たちで、彼らが作り出した謀略の裏側を「ここまで、私はわかっていますよ」と、知らせたいのです。彼らは、次から次へと、いじめ用の案を繰り出してくるので、仕方がなくて延々と文章が続くこととなります。   昨日など、16時間程度書き続けました。でも、本当の主題は、11月1日に来る、山田浩二の裁判です。それを説明するために延々と続いたのです。が、一般の読者様にとっては、ちんぷん、かんぷんでしょう・・・・・と、書いている私本人がわかっております。で、前報など、その中に、三つぐらい大きなエピソードが入っておりますので、山田浩二からは外れますが、分割しようと思って居ます。   いわゆる掌編小説という形で、読んでいただきたいという形で、分割します。何を最初に独立させるかというと、前報内の、最後のエピソードです。そこには、ほかの人が今まで、知らなかったであろう、部分を初出として書いてありますので、其れを、独立をさせましょう。ただ、何故、今これを蒸し返したかというと、山田浩二から秋葉原関連で秋田智大が浮上し、かれを研究するにあたって、その事件当時には、私はネットというものを、全く知らなかったと、言う感想を持っています。そこから出てきた文章がこれなのでした。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『ここで、私が対峙するのは、香月ひとみという女性です。彼女は、とても賢いので、野見山暁次さんなどに、推薦されて、銀座で画廊を開く事となって北九州から上京しました。そちらでは、テレビタレントとして、音に鳴らしたらしいので。彼女のお手持ち画家の絵を、東京で広めたいという部分だけではなくて、私(=雨宮舜)を「弾圧する為の、いろいろな、作業を、やりなさい」と、ひそかな任務をもって上京をしたのだろうと、私は、思っております。  しかし、美人で頭がよくて、かつ、如才がない。したがって、人たらしの天才とも言えます。彼女は、クリエーター(画家)ではないので、私と、接触しても、効果が上がるかどうかがわからないと敵さんたちが見たらしくて、策略の当日には、もう二人ほど、有名な画家を、使いました。私がその作品を以前から、いいなあと、思って居る小堀玲子さんが、罠の、表(おもて)面として、使役をされました。 さらに信用をさせるために、上條陽子さんという、私が美術界において、もっとも、頻繁に電話で交流した、有名な画家(安井賞受賞者)が、加わっています。最初の場面(=2013年、4月)の、は、小堀令子さんが個展をしていた、奥野ビル内、画廊香月で、次の場面が、北京亭(二丁目にあった、大衆的な中華料理店、二階に宴会ができる部分があった)です。    この章をどんなに、一生懸命書いても、読ませたいのは、この二人ではなくて、あくまでも、鎌倉エージェントと、私が普段呼んでイル人たちですよ。彼女たちは、その男性達に教唆されて動いている、2013年4月の時点では、操り人形ですから、ある意味では、気の毒な人たちなのです。 

 この・・・・・夕方7時に画廊をしめたのちに、行われる・・・・・二次会だが、2006年までは、私も、銀座でよく誘われた。そのころは、「銀座で、川崎千恵子を知らないのは、潜りである」と、言われるほどに、私は、輝かしい存在だったのだ。その実力のほどを高く評価してくれていたのが、山口みつ子さんだった。そして、自分でも「私には、出そうと思えば個展の案内状を、5000人の人を相手に出すことができる」と豪語するほどだった。     しかし、評判の高かった月刊ギャラリーを踏み台にして、さらに上り詰めようとする、私だったからこそ、激しい弾圧が始まった。特に自分の力で、紙に印刷された本を出版し始めたことが、彼らCIA軍団にとっては最大の脅威だったらしくて、裏では、パソコンが壊れるとか、そのほかの、システム破壊が、毎日、50回は起きるなどの、苦痛を味わわさせられるし、表の世界では、何のお知らせも、編集長から来ていないのに、月刊ギャラリーの連載が終わってしまう・・・・・などの屈辱も味わわされた。

 この【裏で、行われている攻撃】は、・・・・見破られている可能性はない・・・・と、敵さんたちは、私を見くびをり、安心しきって、やって来たらしいが、私は、見破っていた。それを最初に外へ出したのは、ICU時代の同級生、川島章由君(当時、ソニー損保社長)の逝去(2007年)を、きっかけにして、だった。ICU卒業生10期には、訴え始める。で、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントの面々と、その私兵と化している警察の特殊部隊は、ハッキングを常時行っているので、私が、社会で、重要な仕事をしている人たち、200人ぐらいにこの件を訴え始めたので、いくばくかの不安を感じ始めたらしい。もし、すべてのいじめ用事案の、裏側を、私がわかっているとしたら、道徳的に言って、恐るべき悪辣な、ことを彼らがやっていることが、世間にさらされてしまうからだ。  で、様々な人が、私が、裏側をどこまで、知っているかを探るために、安心させて、自由自在な会話を、させる役目をする、その種の、スパイとして使われてきた。親戚もいるし、先輩もいるしで、いろいろな人がスパイとして送り込まれていた。そういう時期だった。そして、2013年4月には、香月ひとみさんが、小堀玲子さんをアイコンとして使って、私を飲み会に誘ったのだった。私はそれが、罠だとは、わかっていたが、参加した人の中に、上條陽子さんがいたので、彼女に気を使って、参加し、かつ、後刻、この会の事をブログに、弾圧の一種として、書く事はしていない。

 しかし、私は香月ひとみさんには、それとなく、「これが罠である事は判っていますよ」と、におわせては置いた。野見山さんは、九州出身の聡明な美女を二人、両輪の輪として使って居ると感じる。一人が、秘書をしている山口千里さんで、もう一人が、こちら、ひとみさんであろうと、思って居る。で、彼女は任務を見事に果たしてはいるのだけれど、頭が、良いだけに相当なストレスを感じていて、その顔は青ざめていて、死相が浮かんでいるというほどだった。  で、私は「あなた、死相が浮かんでいるから、今の生活を少し変えた方がいいわ。自分を守る為よ」といった。これは、その日初対面だった、女性同士の間では、驚天動地の失礼なやり取りだった。と、思うけれど、私はひとみさんが、この罠の主役だと知っていたから、そういった。そして、ひとみさんを『かわいそうだ』とも、思った。『この人の内面は結構きれいでしょう。だから、こんなに疲労をしているのですよ』と。      『だから、そんな事からは、逃げなさい。もう、いい加減な、態度で、野見山さんの命令に従いなさい。今だって、私は、あなたの罠には、引っかからない様な、話題を選んでいるでしょう。それで、判って下さいね』と、言って居るつもりだった。小堀玲子さんの方は、どうだろう。彼女は香月ひとみさんよりも、豪胆で、しぶとい感じがする。(これは、小堀玲子さんには、その恋愛や結婚に関して、既に、日曜美術館でも、語られている様な劇的なエピソードがあり、私が、其れを知っているから、そう見えたのかもしれないけれど)   そして、上條さんだ。彼女は、美術界において、私の方にとっては、もっとも、親しい間柄の人だと、思うけれど、こういうスパイの罠の会では、話し合う事案がなかった。その上、少し耳が遠い人だ。だから、私としては巻き込むのを避けた。で、小堀さんと、上條さんと、ひとみさんが話し合う様に仕向けて、 私は、その日、小堀さんが連れてきた彼女の姪という人と、主に話しあった。東大で、研究生活を送っている学究で、大変面白い話ができた、アカデミックハラの問題等だ。私は、自分が東大に努めていたことがあるので、相当の、深い真実を語る事ができるし、彼女も頭がいいので、真実を語ることができる人だった。その会話に満足したので、この日の会の事をブログ化しなかったのだ。

 世の中には表裏がある。プラスマイナスがある。でも、私は、その会での私の損得は、フィフティフィフティで、イーヴンだと考えた。したがって、問題無しとして、ブログには、書かなかった。怒りを持たなかったのだった。しかし、私は、ひとみさんは、私が、この罠を見抜いている事を、判っていると、思って居て、貸しができたなと、内心で思っていたのだった。  で、その貸しを頼りに二人を11月に入ってから、飲み会に誘った。「私がごちそうするわよ。ともかく、あのレストランの夜の食事を試してみたいのよ。株主優待券で、20%引きだし」といった。偶然で突発的な出来事だった。そして、それ以外の意図はなかった。そのレストランは、自分一人で、また、主人とともに昼、間は、何度も試していた。テレビ取材を受けているほど、お昼は女性向けのメニューを出していた。8階にあって見晴らしが効く。しかし、私の夫は、お酒を飲まないし、夜外出するのを好まないので、夜のその店を試すチャンスなど、私の方にはなかったからだ。   好機だと、思った。それで、ざっくばらんに、「20%引きだから、3人で、一万七千円ぐらいまでの注文でね」と、言ったかな? 言わなかったかな?   ともかく、ひとみさんは、もっと、いい場所を知っているし、私のおごりだという事も、引っかかるし、かといって、私と飲むのに自分のお金を出すほどに、私を親しいとも、大切だとも思って居ないので、ある種のディレンマに陥ってしまって、其れを解消しようとして、インテリアをけなし始めた。「フェイク(偽物)ばかりで飾ってある」と、言い始めた。しかし、私は彼女の心の流れがわかるので、『かわいいなあ』と、思って聞いていた。私の方の四月の時点での、「死相が浮かんでいるわよ」に比べると、ずっと罪がない会話だった。あれから、既に、半年がたっていた。しかし、今度は、突発的で、自由な会なので、小堀さんもリラックスしていた。以前よりは、グッと素直に、会話に入ってきていた。

 私は、できるだけ、美術界の事は話すまいと、決めていた。で、自分はそれには関心がないものの、世間の耳目を集めている事件として、三鷹ストーカー事件を取り出した。は、本当の事を言うと、吉祥寺には、土地勘があった。そして、一ノ瀬さんの家を、その事件より前に、訪問をした事はないものの、『あの家の近所に、一ノ瀬さんは、住んでいるだろう』と、事件以降の、一か月間、ずっと思っていたのだった。で、二人に向かって、「あの家の上をヘリコプターが飛ぶでしょう。くるくる回るじゃあない。そして、あの家が映るじゃあない? 私ね、あの映像を見ていると、・・・・・なんだか、この家って、一ノ瀬智恵子さんの、近所の様な気がするなあ・・・・・と、いつも思うのよ」といった。すると、二人は、びっくりした様な顔をして、「あなた、何も知らないの。あの家は、一ノ瀬さんの家なのよ」と、言った。   今度は私が驚く番だった。単純に・・・・知人の家で、惨劇が起きた事に対して・・・・ではなくて、私の予言が見事に当たったからだ。無論のこと、お嬢さんの死までは、予想をしていなかった。ただ、世間の人は、誰もそれを知らないが、当人にとっては、大きな苦しみである、そういう風な種類の、苦しみを、一ノ瀬さんは、子供の事で、将来に、負うだろうと・・・・・そういう予想は、既に、2005年の4月9日に、抱いていたからだ。~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『一度、其れを書いているが、私は、事件のほぼ10年前に、一ノ瀬さんの態度に衝撃を受け、その結果、予測をした。一ノ瀬智恵子さんの将来の子供に関する苦労がある事を』

 それは、正確に言うと、2005年の、4月9日の午後二時ころから始まる、四時間以上に及ぶ、観察によるものだった。その日の午後二時ごろ、私は逗子駅前の葉山へ向かうバス乗り場で、一ノ瀬さんを見つけた。私の五人ぐらい前で、渡辺豊重さんと歓談をしていた。私はそれ以前から、渡辺豊重さんが必ず、女性を同伴で、行動をする事を知っていた。そして、その意味も分かっていた。渡辺豊重さんは、他人から嫉妬されていじめられることへの防衛手段として、女性を使っていたのだった。それが、トヨシゲさんという愛称で呼ばれる作家の、処世術の一つだった。    いつも同じ女性というわけではなかったが、必ず、女性をそばに侍らせていた。セックスが狙いではない。高級なガードマンというわけだった。または、 高級なアクセサリーといっていいかな? それ以前のケースでは、知らない女性だったので、批判をする事もなかったが、その日は、一ノ瀬さんだったので、よく知っている女性だからこそ、私は驚いて、一ノ瀬さんに対する批判の気持ちを抱いた。

 これは、世間の誰も知らない事だったが、例のCIA連中は常に、私に対してライバルを設定して、そちら側を盛り上げ、名誉やお金が下りる様にしている。そして、一ノ瀬さんは、そういう設定をされている私のライバルの一人だった。この事件の半年前にもセーシェルのインターンに招かれている。どこが、主宰したかは、知らないが、他人のお金で、リゾートを兼ねて、箔をつけるたびに行くことができる人だった。  どうしてそういう設定をされているかというと、彼女には夫もいて、子供もいる。それと持ち家に暮らしていて、その家は、人々が、そこがいいなあと、思う人気の町にある。私は鎌倉駅まで、公称徒歩8分、彼女の家も吉祥寺駅まで、同じ近さだと、推定している。その上、いかにも都会育ちだという雰囲気を持っている。おしゃれである。高校あたりまで、名門に通って居る。・・・・・というわけで、年齢こそ、20歳程度、彼女の方が若いが、それ以外の側面で、は、相当に似通った条件下にあった。だから、酒井忠康、秋山祐徳太子、他の美術評論家から高く評価をされていて、他人のお金(または、税金)で、いい目を見る事が多くあった。それで、彼女には甘いところがあった。それは、このブログの世界で、度々、取り上げている石川和子さん(かまくら春秋窯主宰者)と、よく似ている、人生だった。

 彼女自身の個展をやりに葉山の美術館に行くのなら、何時にバス停にいても、いい。しかし、片岡球子展を見に行くのに、渡辺豊重さんと待ち合わせて、葉山の美術館に行くのは、よくないのだ。友達と行動を共にするのは確かに楽しい。楽しいが、時間の使い方に制約がかかる。事前に何度も、電話や、メールでやり取りをする。また、そういう事を依頼されるまでには、個人的にも、付き合いがないといけない。私に言わせると、母であり、妻であり、かつ画家である人の時間など、本当に少ない。きりきり舞い状態が普通だ。だから、葉山行きのバス停で、一時半に待ち合わせ、帰りも一緒に、五時半に逗子駅につくなどという生活は、ありえない生活だと、思う。私の方は、その時点で、子供はすでに、30歳を超えていて、家をすでに出ていた。しかも逗子の隣に住んでいる。だから、片岡球子展を見ても、彼女よりは、二時間早く家に帰りつく。この時点で、お嬢さんが、16歳ぐらいだろうと、想像をしていたので、これは、危ないなあとは、思っていた。しかし、実際には、8歳だったのだけれど。

 しかも帰りの横須賀線車中で、渡辺豊重さんが強烈に、いじめてきた。なんでと思ったが、後で、美術9条の会の存在を知って、なるほどと思った。ああいう会は、二次会等を通じて、私の悪口を流す様にもっていくもので、実質的な、井上ひさしの私兵と化しているのだった。そういう会で、入手した情報を単純にも受け入れて、渡辺豊重が、いじめてきたのは、瞬時に、判った。しかし、私は、渡辺豊重の方はあまり、問題にしなかった。彼は、色遣いは、美しい。しかし、此処までの大作家(新横浜のサッカー場の、エントランスホールの天井画を描いている)になったのは、処世術がうまいからでもあろうと、推察していて、したがって、御大野見山暁次の言うなりであって、北久里浜の地籍変更届の事も、鎌倉雪ノ下の、アジサイ畑欺罔事件の事も何も知らないのだった。渡辺豊重さんにも、此処で、文章としては、言いたい。「あなたは、ね。よくペンキ屋上がりだと、他人から言われています。美大に進学できなかったのは、父親が早く死んだことが原因だから、仕方がないポイントですが、目に余る、処世術の駆使ですね。本日も一ノ瀬さんを、侍らせている。あなたは、気分がいいかもしれないけれど、私はね。そういうあなたを見て、なるほど、処世術の人だと、思っているわけですよ。自分より上だと、見ると、ペコペコへつらって、自分より下だと、見ると、今ここで、其れが、行われた様に、いじめてくるのですね。何たる低レベル!」と。保坂涼子(現在は航子と名前を変えている)を軽蔑するのと、同じレベルで、この時以来、深く深く軽蔑しはじめた。其れだけの、事だった。

 だけど、私と、豊重さんの二人の様子を見ていて、一ノ瀬さんは、にこにこ笑っているのだった。この時に、「うわ、驚いた。この人の精神とか、頭脳の中には、母としての、規範とか、心根というものは、何も入って居ないのだわ』と、思って。だからこそ、将来お子さんの事で悩むことになるだろうと、いう予言を、その車内で持った。    ただ、あそこまで、劇的な感じで、お嬢さんが、殺され、リヴぇンジポルノ騒動が起きるとは、予測をしてはいなかった。せいぜいに、引きこもりと、リストカットぐらいのレベルで、一ノ瀬さんは、悩むだろうと、予測をした。  その時点では、二人には何も言わない。リアルな世界で、喧嘩をするのは好まない。負けるからではない。それだけ、自分に負担がかかってしまい、こういう風にものを書く生活が保てなくなるからだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『私は、その数寄屋橋の飲み会を、早々に終わらせて、香月ひとみと、小堀令子と別れた。二人には、自分が、今、何を思って居るかは、むろん、告げない。しかし、この三鷹ストーカー事件は、私が、日頃考え続けている・・・・・子育てと、女側の仕事をどう両立させるかの問題・・・・・特に画家であることと、子育ての両立の問題とか、・・・・・自分が、どれだけ、宗教的なレベルが高い状態に達しているか・・・・・などを、明瞭に示す事件だったので、深い考察に入らないといけないからだった。ブログ(あと注の三本他)を書き始めながら、初めて、ネット検索をあっちこっちたどって、行き、最終的には、・・・・美術9条の会に、一ノ瀬さんが参加して居ること・・・・をも知った。其れは、非常にありがたい情報であって、それによって、銀座で見聞きするいやな事の、70%は、因果関係がはっきりした。   リヴぇンジポルノがどうしたこうしたと、言う動画類は、ほとんどが、削除をされていて(または、私のパソコンだけに、そういう印が出るのかもしれないが)、見ることは、できなかったが、そこに動画のあったという印を示す、黒いアイコンと、タイトルだけは残っていた。「洗面器を使った放尿シーン」とか、そういう風に。そういう動画を世間の誰かが見て、劣情を催したのかもしれないが、私にとっては、すべて、一ノ瀬さんの、母親としての日常生活をしのばせる、語彙となっているのだった。だって、こういう動画を、紗綾ちゃんが、撮影しているその同じ時刻に、一ノ瀬さんは、セーシェルのビーチにいたかもしれないではないか? お嬢さんに、問題があることが、既に、わかっているのに、正しい解決を取らないで、逃避していると、見える。それで、私は何本か、文章を書く。

 ところで、どうして、今このエピソードをさらしたかというと、秋葉原無差別殺傷事件から、関連して、書く必要を感じたのだった。 ネットというものの真実の姿を、三鷹ストーカー事件で、初めて知ることとなったからだ。

2018-10-27~29にかけてこれを書く。雨宮舜(本名 川崎千恵子)  

   なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4671936です。

渡辺豊重さんは、沙彩・ママを、自分のアクセサリーとして、連れ歩いていたが?△  2013-10-28 01:56:05 | 政治  

母とは、普通はもっと地味で、堪える姿勢がある筈だ(三鷹ストーカー殺人事件)△  2013-10-30 06:21:07 | 政治  

リボンの騎士から、小学生のヰタ・セクスアリスを語る。三鷹ストーカー事件  2013-11-12 17:41:34 | 政治


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私は小堀令子と、香月ひとみ... | トップ | 日曜美術館に、山本容子が出... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事