銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

リボンの騎士から、小学生のヰタ・セクスアリスを語る。三鷹ストーカー事件

2013-11-12 17:41:34 | 政治

  今は、12日の20時です。これから、10日の夜に書いた以下の文を推敲加筆していきます。これを、一日前にアップしようと思っていましたが、NHKのBSプレミアムに、アラスカ州の田舎町スペンサーの図書館に住んでいた賢い猫、デューイが、登場しましたので、急に、順番が変わったのです。ところで、本日も、総タイトルが変わる可能性はありますが・・・・・

 最初は、『図書館猫デューイの中に登場する母性愛と、三鷹ストーカー事件の、それと比較してみよう』でした。

副題1、『某有名作家が、猫には、スカと、あたりがあるといっているが』

副題2、『村上春樹は、逃避と言うことについても、そのエッセイ内で書いていた』

副題3、『忙しい母にとって、実母(祖母)の助けは、大変、ありがたいものだろう』

副題4、『中村紘子さんも、とてもさびしい、孤独な子供時代を送ったのだけれど』

副題5、『青い性を売り物にしていた山口百恵チャンも、結婚までは、純潔だったはず』

副題6、『ここで、・・・・・手塚治虫って、相当に、エロチックだった・・・・・ということを語ろう』

副題7、『私の、ヰタ・セクスアリスを、森鴎外に倣って語ろう』

副題8、『吉祥寺には、大きな商店街がありますね。母親は気をつけないといけません』

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副題1、『某有名作家が、猫には、スカと、あたりがあるといっているが』

 作家(この場合は、文章系)の中には、猫好きの人が多いようです。鎌倉に、大仏次郎が晩年を過ごした(?) 家があり、今、喫茶店になっています。彼が生きていた時代に、訪問をしてくる、人懐こくて、見事な毛並みの三毛猫が居たので、「あなたは、どこの猫ですか?」と言う手紙をつけて返したら、「角の風呂やの猫ですよ」と言う手紙をつけて、再訪問をして来たそうです。

 鶴岡八幡宮で、勧進相撲があったときに、関取さんたちが、その風呂やまで、裸足で歩いて向かうのに、出くわしたことがあるのですが、閉店してしまいました。時代は移り変わります。

 最近で、猫好きの作家と言うと、町田康ですね。猫専門の雑誌にエッセイを連載をしていて、時々読みます。これから分析しようとしている、醍醐イサムと言う画家が、美形を売り物にしているのですが、誰をあげたら、皆様に彼の雰囲気が伝わるかと考えていたら、町田康なども美形なので、たとえる相手として、適切です。

 ところで、猫ものエッセイで、一冊の本を出版してはいない(・・・・と、思うが、詳しくは知らない・・・・)ものの、猫好きだとわかる作家が、村上春樹です。私は彼の『ノルウエイの森(上下)』は、買ってあるのですが、ちょっと読んだだけで、ついていかれないと感じて、それ以降は一切、著書を買っていません。だが、よく週刊朝日は読んでいたので、村上朝日堂と、銘打った、見開き2頁のエッセイは読んでいて、それが、文庫化されたものも、買って読んだりしています。

 東京への電車が、往復二時間あるので、その合間の、暇つぶしのつもりで、読んでいるのに、時々はっとする観察に出会います。そのひとつが、『猫にもスカとあたりがある』と言う分析でした。飼って見ると、どんな猫でもかわいいのですが、特別に頭のよい猫が居るのも確かです。

 我が家の、今の猫もそういう種類の猫ですが、さらに上を行くのが、今取り組んでいる、『図書館猫のデューイ』の主役、デューイ・リードモア・ブックスです。この名前ですが、三つの部門で構成されている、立派なものです。

 著者の、ヴィッキーマイロンは、「もし、私達に貴族趣味があったら、サー・デューイ・リードモア・ブックス、と呼んだだろう」と、言っていますが、まず、デューイとは、本の10進分類法を編み出した人物で、捨て子・猫として、図書館に来たころから、自然に付いた名前でした。苗字は、「もっと本を読みましょう」という意味ですから、見事に図書館猫の、役目をあらわす名前です。

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副題2、『村上春樹は、逃避と言うことについても、そのエッセイ内で書いていた』

 村上春樹のエッセイ集の中で、惹かれたもうひとつの主題は、逃避と言うことについての考察でした。村上春樹は、日本での、修行時代には、喫茶店を経営していたようです。そこへ雇ってくださいといって、若者が大勢訪れます。ファンですといって、来るらしいのです。で、雇った結果ですが、「僕は将来小説家になるつもりです」という人間の中に、使い物にならない人物が居ると、言う趣旨でした。

 つまり、私は将来小説家になりますという種類の人間は、大志を抱いているように見えますが、それが、現実逃避だった場合には、喫茶店のウエイターと言う仕事もろくにできないし、無論、将来に、小説家になることもできないといっているのです。彼自身の言葉の中には、逃避とか、現実逃避と言う言葉は一切なくて、それが、プロの作家として、成功した彼のテクニックだと思いますが、私は、簡単にまとめるために、逃避と言う言葉を使います。

 それを読んだときに『村上春樹って、怖いなあ』と思いました。だって週刊朝日に書くわけだからその解雇された若者も当然のごとく読むでしょう。すると、うらまれて、後日ストーカーかしかねませんよ。それでも、販売部数以上、100万人近くが読んでいる、週刊朝日に、それを書くのだから、すごい人なのです。

 後日彼が、イスラエルで賞を授与された時に、イスラエルをたしなめるような発言が出たのも、『そうでしょうね。彼は、顔は、温和だけど、中身は、厳しい人間でしょう』と思いました。でも、彼の本・・・・特に大宣伝をされている小説の類で、上下2巻のもの・・・・を買う気にはなれません。ああいう大宣伝は、私が最も嫌う類のものですから・・・・・

 ところで、私はよく「大アーチスト(美術系)になろうとして、挫折してしまって、今は、あきらめているところです」といっています。そういう私ですから、村上春樹の経営する喫茶店で、もしアルバイトをしたら、使い物にならないといって、解雇されるかもしれません。(笑い)

 ただね、その言葉は、今の時点で、しかも、半分ジョークで言っているのであって、本当にそれを目指していた15~10年前のころは、ただ、版画を一日、10時間ぐらい制作していて、土日も休まず、それをやっていて、他の事は、何も考えていなかったのでした。出世とか金儲けも、考えているとは、一応、他人に言っては見るものの、本当にそれに役立つ行動はとっていません。今でも同じです。

 ただ、挫折の原因として、画家になる前に、すでに、結婚をしていて、子供も二人居たというのは大きいです。私は、どうも接する人、接する人に甘えられるタイプであって、無論、家族からも甘えられます。ところが画家(または、版画家)の仕事って、頭脳の働きにおいては、24時間、休みがありません。それは、家族にとって、とても嫌なことであるらしいのです。そこで、いろいろな葛藤が生まれます。で、その結果として、人生の岐路、岐路で、家族を優先したということがあります。

 猫にも甘えられます。大きな食卓の上にパソコンを置いて、この文章を打っているのですが、猫が、ノートパソコンと同じ高さで、テーブルの上に、デーンとねそべって、私に、ちょっかいを出すので、うまく、キーボードが打てません。のどをごろごろ鳴らしながら、手を伸ばして、私を引っかくので、対応しないといけません。猫にも甘えられきっています。

 ブログのように、パソコンを使って、文章を書くのは、時間を区切ることができるので、妻や母であることとの、両立が、やや容易だから、今は、それを、やっています。で、これで、自足をしています。だって、できないことに手を伸ばしても、ただ、あせるだけで、プラスにはなりません。この状態で我慢をするのは、仕方が無いことでしょう。あきらめも肝心です。後退も時には、大切です。

 今の私の生活が、客観的に見れば、甘いものかもしれませんが、自分では逃避をしたという意識は毛頭ないのです。ただし、美術界での、自分の立場は、小さいです。

 沙彩ちゃんのママ、一ノ瀬智恵乎さんやら、醍醐イサム氏に比べると小さいです。でも、最善を尽くしてきたという思いがあるので、引け目を感じたり、自分を下だとか、劣位にあるとは微塵も思っていません。

 むしろ、『一ノ瀬智恵乎さんのほうが、逃避を重ねてきましたね。特に母としての役目や義務から』、と思っているのです。

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副題3、『忙しい母にとって、実母(祖母)の助けは、大変、ありがたいものだろう』

  図書館の館長をしていて、しかもシングルマザーだった、ヴィッキーマイロンは、子育てを、実母(自分の娘にとっては、いわゆる祖母あたる)に助けてもらっていました。元気で愛情もいっぱいだったその人が、癌にかかりました。何度も乗り越えてきた癌でしたが、『今回はだめだろう』と、言う時期がやってきました。

 で、ヴィッキーは、母にささげる詩を書きます。そこに母性愛とは何だとか、母の役目はどういうものかが書いてあります。

 ヴィッキーは忙し過ぎて、実母としては、足りないところのある方のお母さんでした。実際に、17歳ごろに、娘に反抗をされて、家から出て行ってしまわれます。だが、もう一回帰ってきて、自分の手元で、無事に娘の結婚式を挙げて、二人の孫にも恵まれます。

 それは、娘が子供のころ、深い愛情に満たされていて、家族の大切さとか、自分を大切にする基本的なところを身に着けていたからでした。それを、支え、教えたのが、自分の母だったのです。祖母が、実は、祖母ではなくて、第二の母となってくれていたのです。

 その部分を本から、抜き取って、ここに、字おこしをして見ます。本当は英語の原文だと、韻律なども踏んでいるはずですが、日本語(翻訳家は、羽田詩津子)だと、そういう香りの部分は飛んでいます。でも、意味が深いので、韻律がなくても人の心を打つでしょう。

母さんの思い出

 記憶を探ってみた

 ある日、ある事件、あるおしゃべり

 わたしのいちばん愛している記憶には

 それ以上の中身があった

 

 七十年代に結婚が破綻して、すべてを失った

 人生が後退していくのを感じた

 落ち込み、もがいていた

 まさに正気を失いかけていた

 

 友人と家族がわたしを支えてくれた

 誰より五歳にもならない娘ジョディが

 彼女がすべてを埋め合わせてくれた

 生き延びようと闘っているときに

 

 母さんありがとう

 母さんはわたしが再生できることを教えてくれた

 でもあなたのもっとも大切な役割は

 ジョディの第二の母だったこと 

 

 わたしに与えられるものが何もなかったとき

 ベッドからでようと苦闘をしていたとき

 母さんはジョディを抱きしめて

 魂に栄養を与えてくれた 

 

 限りない愛情と安定に包まれ

 そのハートリーの家では

 スイミングのレッスン、馬鹿げたゲームが行われた 

 ジョディは一人きりにならずにすんだ

 

 わたしが人生を立て直しているあいだ

 勉強し、働き、自分の道をみつけるあいだ

 母さんはわたしになかったものをジョディに与えた

 日々の特別な気くばりを

 

 ジョディを育てるあいだわたしは混乱していた

 だけどジョディがころぶと、母さんが、支えてくれた

 ありがとう、母さん、なによりも

 わたしの娘を導いてくれて

  上の詩で、部分的に、イタリックにして、かつ太字にしたのは、私です。そこが、母のするべきことであり、それを、ふわふわと外出ばかりしていた、沙彩ちゃんのママは、やっていなかったと思わるので、特に重要だと感じたからです。

 初めてこのブログに入ってきた方は、沙彩ちゃんのママについて書いた別の二つの文章を、後で、ご覧ください。あるところに、リンク先を置いておきます。

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副題4、『中村紘子さんも、とてもさびしい、孤独な子供時代を送ったのだけれど』

 ピアニストの中村紘子さんが、夕方とてもさびしかったと、エッセイの中で、書いていらっしゃいます。だけど、彼女はおかしな方向へは曲がりませんでした。

 どうしてかと言うと、『自分の母はシングルマザーであり、働いている。母にとっては、世の中で、生きていくのがとても大変なのだ』と、わかっていたからでしょう。彼女は慶応の幼稚舎に通学していたのですが、もし、公立に行っていたら、私と同じ小学校の同じ学年のはずで、放課後も、どこかのオタクに、預けられたり、遊びに行くことも可能だったと思います。

 私の場合、母は自宅に居ました。だから、子供として、さびしがっては居ないのですけれど、しょっちゅうどこかのお宅に招かれて、そこの子と一緒にすごしていました。それは、日吉と言う町には、当時、エリートサラリーマンを夫にもつ、専業主婦の優秀なお母さんが何人も居て、お誕生会とかパーティとか、私塾とか言うことを盛んにやっていたからです。今で言うシロガネーゼに近いといっていいかな?

 だから、『紘子さんも、もし、公立の日吉台小学校へ行っていたら、あれほど、さびしい思いをしなかったでしょうに』と思うほど、さびしい夕方を過ごしていたのでした。画廊月光荘のオーナーだった母の耀子さんは、定時に閉めたとしても、夜の八時半過ぎに帰ってくるはずだし、時には総理大臣を含む有名人達と、地下室で、パーティを開いていたから、夜はとても遅かったはずです。ただ、ピアノのレッスンと猫が、彼女を慰め、時間を充実させてすごすことに役立っていたと、推察されます。

 私は、ピアノ演奏においては、中村紘子さんをそれほど、好きではないけれど、エッセイを読むと、なるほどと、思うことは多いです。特にシングルマザーの下で育っても、ご自分は安定した、そして、立派な家庭を作られました。それはえらいです。何も揉め事が起きていませんよね。

 それは、『お母さんが、疲れていて、大変だ』という思い(同情心に似たもの)があって、『お母さんを心配させてはいけないのだ』という縛りが、彼女にあったから、健全な思考が育っていったと、思われます。

 画廊の経営者と言うのは、ビジネスマンです、美術という、虚業を扱ってはいるが、お金を稼いでいる人ですから、実業の世界に片足を突っ込んでいる人です。そうすると、娘が、偉くて成功をした母から、プレッシャーを与えられるとしても、同時に、敬意も感謝も育つはずです。

  一方で、沙彩ちゃんにとって、一ノ瀬智恵乎さんが、どう見えていたかですが、『偉い人だから、それよりも偉くならないといけない』と言う圧迫感を与える存在でもあり、また、一方で、『勝手なことをして、出歩いている人よね』と言う感覚もあり、ともかく、同情する相手ではなかったでしょう。また、心からの敬意を払う相手でもなかったと推察されます。感謝の心は無論なかったと思われます。

 それは、お父さんが居ることで、お金の面で、お母さんが稼いでくるものが、家庭を、潤すとか、家計に足すという側面がなかった筈だからです。現代アートの世界なんて、どんなにちやほやされても、制作用の材料費を捻出し、個展を開く際にかかる費用を出していたら、ほとんど、収支ゼロになると思いますよ。

 私なんか、ずっとマイナス続きです。1998年にパリに行くときには残額2400万円の貯金があったのに、2008年ごろまでには、ゼロになっていましたから。まあ、6種類の本を作って、3ヶ月間の海外修行を三回行い、また、その海外修行を自由に行うための一人暮らしを逗子でしていて、そのマンションの家賃も払っていましたので、無くなるわけです。そして、そのあいだに、自分が費用を全額払う個展も、4回か、五回挟まっています。ともかく、無駄遣いをしたつもりは、全然ないのですが、そういうことになっています。

 ・・・・・そういう世界の話(現代アートの世界のお金の回り方・・・・特に一ノ瀬智恵乎さんのこの5月のカナリア諸島への旅行の話)をこれから、さらに、して行こうとしているわけですが、それよりも前に、母を敬愛するかどうかの問題において、山口百恵さんの分析をあげましょう。

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副題5、『青い性を売り物にしていた山口百恵チャンも、結婚までは、純潔だったはず』

 残間理恵子さんが、プロデュースして、大ヒットしたといわれている山口百恵の、自伝『蒼い時』を、私は読んでいません。ただ、百恵ちゃんが、「私の、大切なものを上げるわー」と歌っているのを聞いているわけですが、

 それでも、直感としては、彼女は三浦友和氏との結婚前は、誰とも、性体験を持っていないような気がします。

 どうして、そう思うかですが、彼女がタレントとして、売れ始めて忙しくなった後で、横須賀の自宅から、駅まで、毎日、近所のおじさんに、車で、乗せていってもらったことを知っているからです。そのおじさんは、主人の同僚です。

 日産自動車の研究所に勤めていたので、理系男子です。そして、結婚をしたばかりぐらいでしょう。または、子供がまだ幼い時期だと思われます。日産自動車は、横須賀市内に、研究所を持っていたので、30分以内で、行かれるので、車で、通勤するのは、彼にとっては、当たり前だったけれど、当時は、車で通勤する人が珍しかったので、百恵ちゃんの、お母さんが、そちらへ頼んだのだと思われます。

 もし、百恵ちゃんが、セックスの体験者だったら、ひとつの車の中が、異様な熱気に満ちてしまいます。理系男子で、紳士だといっても、誘惑に負けるでしょう。車って密室ですから。

 でも、駅まで送っていく習慣は、長く続いて、しかも、それを同僚にあっけらかんと、語るのですから、車の中は、とても健全な空気が流れていたのだと思います。

 でも、沙彩ちゃんは違います。今回、70枚もの、リヴェンジポルノが世に出て、そのうちの二枚は、私も見ました。そして、文字に起こされた、他の68枚も読みました。すると、沙彩ちゃんが、相当に幼いころから、こういうことに耽溺していたことがわかります。いわゆる自慰と言う形で、その世界に没頭をしていたことが推察されるのです。

 世の人はフェイスブックが悪いと言い募っています。また、同級生が池永チャールストーマスが、沙彩ちゃんの貞操観念を破ったと週刊誌で言っていたみたいです。

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副題6、『ここで、・・・・・手塚治虫って、相当に、エロチックだった・・・・・ということを語ろう』

 だけど、手塚治虫の漫画、リボンの騎士だって、エロスを教えうるのですよ。ここで、12日の加筆中に、手塚治虫が、どれほど、エロチックな世界を描いていたかを、語りたくなりました。エロスって、事件に結びつかなければ、別に悪いものではないのですが、耽溺するとよくないものです。

 で、沙彩ちゃんの世界に入った、エロスが、どういうところから始まったかが、私には推察できるのですが、まず、自分が、幼いときに、実例として、手塚治虫のリボンの騎士から、それを習ったと語りたいです。

 あれは、小学校五年生ごろの話でした。少女雑誌似連載されていた、リボンの騎士を読んでいるときに、ドキッとして思わず、周りを見回して、誰も回りに、居ないことを確認して、安心したことがあります。あれが、私の人生で、最初のエロス体験でしたが、どういう頁だったかを申し上げましょう。

 主人公はサファイア姫(または王子)といって、男性と、女性の両方の心を持つ少女です。今では、性同一性障害と言うような言葉もあり、ニューハーフと言う存在も、公認をされていますが、1953年のことだから、60年も前です。設定そのものが、当時としては、破天荒なといってよいほど、セクシュアルなものです。

 その頁を字で、起こしてみましょう。サファイア姫は、そのときはたまたま王子の服装をしていました。ただ、王子の服装であるときに、本性(女性である)を見破られると、困る事情があって、サファイア姫は逃げないといけない・・・・・という設定になっています。白馬に乗って逃げるのですが、どうしても追い詰められて、馬車の中に逃げ込みます。その馬車の中には、飼い葉用のむぎわらが大量につんでありました。王子の服装をしたサファイア姫はその中に隠れるのですが、白いタイツを穿いた片足だけが、隠すことができないで、外に、見えているのです。

 しかも追っ手が、馬車の中まで、入ってきて、そのタイツ姿の足をみてしまいます。追っ手は大人の男性です。そして、その大人の男性は、麦わらの中から、にゅっと出ている細くてなよやかな、白いタイツの片足を見て、『ああ、サファイアは、やっぱり女なのだ』と、感じるらしいのです。そして、そこで、次号に続くとなって、ストーリーは終わります。

 ものすごいエロチックな場面でした。もしその男性が、ぐいっと手を伸ばして、そのタイツを脱がしてしまったら、どうなるかと想像すると、本当に心臓がどきどきしました。サファイアは、徹底的に、無防備なんです。男性の方は力強い大男です。危うし、サファイア。

 追っ手が、敵方なのか、見方なのかを、今は、覚えていません。と言うのも、そこで、『次号に続く』となっていて、私はその続きを読んでいないからです。

 たぶんですが、非常にいい子だったので、自己規制をかけたのだと思います。テレビも自由に見ちゃあいけない家でした。無論、1953年には、我が家にはまだ、テレビが来ていませんが、それでも、大体のところ、親がどういう子供を望んでいるかは、よくわかっていました。大きく期待をされていました。これから、やるべきことがいっぱいありました。セックスに耽溺するなんて、もってのほかです。

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副題7、『私の、ヰタ・セクスアリスを森鴎外に倣って語ろう』

 私達は、小学校時代のクラス会をまだ、続けています。で、その中に居る友達ではなくて、別のクラスの、友達との間の話だと、最初にお断りをさせてくださいませ。

 死ぬまで、語るまいと思っていた出来事です。ただ、71にもなったし、どれほど、母親は、子育てに気をつけないといけないかと言うことを語るために、さらす話ですが、私は、地下鉄の車内で、女の子から痴漢行為を受けたことがあるのです。今思うと、そのこは、セックスの喜び(=自慰)を相当数経験していた子だと思います。だから、子供といって侮ったり、油断をしたりしてはいけないのです。常に見守っていて、悪い方へ、行かないように親は気をつけていないといけないのです。

 あれは、夢の中の出来事だったと思いたいし、その女の子が、後に不良になったとか、不幸になったということはないのですよ。

 日吉と言う町は、60年前は、私にとっては、非常に素敵なプチ・ソサイエティでした。私はお勉強がよくできたので、どこの家にも上がることができたし(というのは、お母さん方に、ひっぱりだこだったので)、成績のよい子だけを集めた塾にももちろん、誘われて入っていました。

 その塾では、よく、模擬試験を受けに行きました。そういう際の出来事だったのか、それとも、博物館か美術館に行った際だったか、どちらかですが、銀座線の中で、起きた出来事だったので、上野の国立博物館か、科学博物館へ、出かけた、プチ遠足の日だったと推察しています。

 渋谷駅まで、東横線で、行って銀座線に乗り換えます。日曜日の、ご前中なので、大人はほとんど居ません。痴漢をするということで、有名な40代前後の、サラリーマンは無論居ません。私達は車両の前の片隅に固まりました。ベンチはない場所で、窓だけがある場所です。私は真っ黒な窓を、見つめる形で、立ちました。すると、数分後、私のまたに手を入れてきた人物が居ます。それが、どう、考えても、よく知っている女の子なのです。フリーズと言う言葉は、このためにあるというほど、身を硬くしました。

 先ほど、町中の、お母さんにかわいがられたといいましたでしょう。それは、とても、お行儀がよかったのと、小さい妹がいて、しかも仕事があった母は、PTAなどで、でしゃばらなかったので、母が嫌われるということがなかったからでした。だけど、きょうだいの間の年の差が、離れている私は子供の頃から喧嘩ひとつしたことがなくて、右側の子に、「何するのよ。○○子ちゃん、止めて!」とあっけらかんと、手を振り払いながら、言うことができなかったのです。

 あのね、さっきから、私が、自分は子供の頃は、とてもいい子ちゃんだったといっています。だが、それは、自慢をしたくて言っているのではないのですよ。いい子って、とても大変で、不利な立場に陥りやすいのです。子供の頃は、悪がき、ぐらいで、ちょうどいいのです。

 今の朝ドラの、主人公杏が、演じるめ以子さんの子供の頃は、やんちゃな子だったという設定になっています。だから、元気で、幸せな主婦になれるのです。子供時代に、いい子ですごすと、人生全般が大変になり易いのです。良くぞ学校時代だけでも、友達にいじめられなかったものだ、と慨嘆するほどです。で、学習した結果、今の私は、いい子であることを捨てています。(笑い)

 私は目が小さいし、美貌とは程遠い顔をしています。ただ、どうしてか、肌の色だけは抜群に白くて、高校時代でさえ、あだ名は白ちゃんでした。そして、肌はすべすべしていて、自分でも触るのが大好きでした。ただ、場所は、目の下ですよ。あそこではありません。(笑い)

 特に寝る前は、そこを、30回ぐらいさするのが常で、母が私のそばで、父に、「ほら、目の下をさすり始めた。もう、眠いのよ」と、電車の中などで、言っていたのを覚えています。だから、私の肌って、同性でも、触ってみたいほど、魅力的だったのでしょう。でも、場所が場所だったので、困り果てました。

 その日の私は、地下鉄の車内で、すでに、抜群に、不幸せになってしまって、上野でも何を見たのか、覚えていないです。

 ここまでの事を書いたのは、子供でも、セクシュアルな喜びとか、自慰を知っているものだということを言いたいのです。それは、家が上流だとか、貧乏だとかとは、関係がないところで、起きる問題です。だからこそ、母親って大変なのですよ。ちゃんとやろうとしたら、疲労困憊する仕事なのです。

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副題8、『吉祥寺には大きな商店街がありますね。母親は気をつけないといけません』

 子供の周りだって、そういうことを教えるものはいっぱいあります。特に沙彩ちゃんは、便利な町、吉祥寺に住んでいるのです。古本屋もあるでしょう。そういうところで、そっと立ち読みすることだってできるし、図書館だってあるでしょう。また、両親の本棚に、サド侯爵関連の翻訳本が入っていたかもしれません。そういうものでエロスの感覚が、発達をすることがあるのです。

 その暴走を抑えるのは、母親の観察力と、母親の愛です。『それが、一ノ瀬智恵乎さんには、無いでしょう』ということに、私は、2005年ごろから、すでに、気がついていたのです。

 今回もお葬式をやって、600人ですか、そういう人に顔をさらしています。よくできると思います。母性愛があったら、もっとダメージが大きくて、お葬式など、できないと思いますよ。それが、無いから、平気で密葬ではない、お葬式ができるのでしょう。

 しかも統一教会の、教会ですって。私はプロテスタント系の教会のお葬式には何度も出ていますが・・・・・統一教会の、信者って、お父さんと、お母さんの、どちらだったのだろう?

 ともかく、彼女は必要な時間を子供に割いていないのです。手塩にかけていないのです。したがって、母性愛も十分には、育っていません。自分の娘に対する、直観力がまるで足りないのです。いえ、ゼロに等しいと思います。

 どうして、私がそこまで気がついたかと言う理由は、下記の文章をご覧ください。

渡辺豊重さんは、沙彩・ママを、自分のアクセサリーとして、連れ歩いていたが?△

2013-10-28 01:56:05 | 政治 
 

母とは、普通はもっと地味で、堪える姿勢がある筈だ(三鷹ストーカー殺人事件)△

2013-10-30 06:21:07 | 政治

 愛されていると思うと、子供は自然と自己規制をするものです。山口百恵チャンは、今でも実母と同居しているそうですね。お母さんは、シングルマザーとして働いてきたのでしょう。だから、母への同情心も厚いし、感謝の気持ちもあるでしょう。それと、自分が、かわいがられ愛されてきたことへも、疑いも無いはずです。おばちゃん風な、目立たないお母さんらしくて、偉い人でも有名人でも、ないけれど、子供に対しては、直観力のある人だと思われます。

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 なお、10日、初稿を書いたときは、以下のお断りを入れています。

 午前四時になったので、ここで、いったんパソコンから、離れます。お許しくださいませ。これから先に書きたいことを副題と言う形で置いておきます。

副題α、『子育てに必要なものは、金か?愛か?』

副題β、『育て直しとは、どういうことか?』

本日12日の方は、ここまで、推敲してきても、夜の11時15分です。だが、1万5千字を超えたので、これ以降の主題には、入らない方がいいと思います。ここで、終わりとさせてくださいませ。

 なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1885225です。

   2013年11月10日より描き始め、12日に推敲を終える。

                         雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

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