銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

シューベルトの即興曲こそ、神に近づく為に聴くべき最高の一曲だと思うが、二日連続して聞く至福よ△△△

2015-05-29 23:38:32 | 政治

 以下の文章ですが、6月1日に、まず、書き下ろしました。それは、現在では、副題1としてあげております。ところが、6月二日に、マレー・ペライアの、90番の2を、立て続けに聞きました。こちらは、副題2として文章化したいと思っております。そして、午後に入って、副題3として、クンウーパイクのそれについて、過去に書いたものも見つけ出して、さらに付け加えておくつもりです。昨日中にそうタイトル横に△印をつけてしまいましたが、今2日の午後三時にやっと全文が完成しました。で、△印を3つに増やしておきます。

副題1、『スティーヴン・オズボーンが、冒頭に、シューベルトの即興曲、142-3を置いて演奏をしていた』

皆様、私は前報を推敲しないといけません。

Franz Schubert by Wilhelm August Rieder 1875.jpg

 しかし、銀座の画廊巡りで、疲れて帰って来て、それが、重荷である時に、最高の贈り物をテレビからもらいました。いつも録画して置く、NHKBSプレミアム・クラシック倶楽部が、それをくれたのです。本日、2015年6月1日、スティーヴン・オズボーンと言うイギリスのピアニストが、武蔵野市民文化会館の小ホールで、2014年10月23日に行った演奏会の録画です。

その最初の曲がなんと、シューベルトの即興曲の、142-3です。それに夜の10時に気が付き、たちまちに眠気も覚める思いがしました。

 器楽曲としては、私はシューベルトの即興曲を一番上に置く人間です。これを作曲した同じころに彼は、歌曲集【冬の旅】も作曲しています。しかし、私はそちらは全然だめなのです。暗くて重くて、楽しくない。

 が、同じ時期に作曲されたのに、こちらの即興曲の方はなんと明るく、かつ、上に向かうスパイラルを感じさせてくれることか? 誰かが、音楽とは神に向かう、または、近づく最上の方法であると言っているそうです。それは、五嶋みどりについて書いた『雨の歌』と言う書物の最後の方に出ていた言葉なのですが、『この曲などまさにそれを表している』と感じます。

::::::::::ここに、後刻、挿入を入れます。今、『雨の歌』が見つかったのですが、その最後の方には、私が記憶していた言葉が載っていませんでした。もしかしたら、五嶋みどりに関する別の本に載っていたのか、それともこの本を推薦する言葉として、他のところで読んだのか? その言葉を伝えた人は、毎日新聞の記者だった様におぼえておりますが、男性です。

 ところで、話は変わりますが、五嶋みどりさんは、痛々しくて、見ていられない感じがします。

 ちょっと、求道的・雰囲気が似ている庄司さやかさんが、より幸せそうに見えるので、さらに、みどりさんがかわいそうでたまりません。:::::::

 そして、ショパンほど、情緒が纏綿としていないところもいいのです。ちょっと、知的で、それなのに、おさなく、純粋無垢な感じがある。結婚もしなかった、シューベルトの、ひたすらさや、ひたむきさを、しみじみと感じさせてくれる一曲です。有名な音楽一家の出でもなく、大金もちの子弟でもなく、純粋に天才として、この世に出現して、作曲以外、ほとんど何もせずに、若死にしたシューベルトの、人柄の清らかさが、もっとも、強く現れていると思うし、ある種の楽天的な要素(それは、天に自らをゆだねているから、生まれるもの)も現れているので、大好きなのです。

 内田光子が、「死ぬときはシューベルトを聞きながら死にたい」と言ったそうですが、その際の膨大なシューベルトの曲のうちの唯一の曲はまさにこれを指しているのではないかと、ひそかに、推察しています。私もできたらそうしたいですが、死ぬときにそれが、可能かどうかは、まず、畳の上で死ぬことが必要で、それが、可能かどうかは、推察の他です。

 いや、全8曲すべて好きなのですが、この7番目に出てくる曲は、その冒頭と最後尾の、動機の単純さが素晴らしい。あらゆることをやりつくした上での単純さがそこに現れているのです。大賢は、大愚に似たりと言う言葉などがあてはまる曲です。自然、自然、ナチュラルさの極みであって、かつ、美しい。

 即興曲と言う名前は、シューベルト本人の命名ではなくて、後年、楽譜出版社が命名したそうですが、90番と、142番があって、それぞれに、4曲ずつあるのですが、私は、142番の方の第三曲をことのほか好んでいるのです。それを好きになったのは、60年も前のことで、1955年だったと思うのですが、それから、60年間も、絶対に聞き飽きることのない、8曲なのです。

 この即興曲は、全8曲を弾くと、それだけで、1時間を超えるので、今回の番組内では、ピアニストは、CDで、これを聞けば、第七曲にあたる142-3だけを弾いたのですが、彼が全8曲のうち、一曲を選ぶとして、それを選んだということも、私には嬉しさの極みであって、本当に慰められました。

 今回の演奏は、テンポが速い方です。アンダンテと記されているので、もっと遅くてもいいと思うのですが、現代のピアニストのものは、大体速いテンポで、弾かれます。一番最初、1955年にラジオで聞いた時の演奏が、テンポが遅かったので、それを探しているのですが、なかなか、見つかりません。それは、ヤフー質問箱などに、この曲の難易度はいくらくらいですか?』と出ている様に、曲を弾く難しさを問題とする傾向が、世の中にあるので、プロの演奏家が、これを、ゆっくりとは弾けないのだと、推察しています。つまり、アンダンテをアンダンテとして、ゆっくりと、弾くと、技術的に自分が下手だと、聴衆に思われるという懸念があるのでしょう。

 お茶の水のユニオンに、行くことのできた日は、最近では、これ・・・・・演奏者は、誰でもよい。今最も好んでいるのは、レオンスカヤだけど、この間、ルプーという人のを買った。ブレンデルの物も探している)・・・・・ と、ストコフスキー(ロシア出身の、プラチナブロンドのバリトン)のCDを探しまくっています。

 と、ここまで書いて念のため、アマゾンを開いたら、ブレンデルの、即興曲を売っていました。で、アマゾンで、注文をするのですが、ついでに、アンドラーフ・シフのものも買ってみようと思います。・・・・・後刻ですが、実際には、内田光子と、ブレンデルを注文しました。シフはまたの機会に。

 汚いことに、両手、両足を取られている私ですが、時々、ポーンと音楽の世界にすっ飛んで行き、純粋に、そこに浸ります。それは、なんと、楽しい事であろうか?

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副題2、『マレー・ペライアが、サントリーホールで、最終曲として、即興曲90-2を弾き、それを、6月2日に二度目として聞く喜びよ。天からの、最上のプレゼントであるよ。これこそ・・・・・』

 さて、上の副題1の部分を初日の6月1日に書いて、今それを、二倍程度にふくらましたところです。私は音楽評論家でも何でもないのですが、それでも、この曲について、愛好する度合いが、強いので、書くことがいっぱいあります。それと、同時に、DVD録画機のデータを、軽めにして置きたいと思って、本日、6月2日のクラシック倶楽部を開けました。『おー、デジャブがある』と思ったのですが、こちらは、2013年10月26日にサントリーホールで行われた演奏会の録画であって、NHK側が何度も同じものを放映しているものです。

 マレー・ペライアは、1947年NY生まれなので、私より無論のこと若いのですが、それでも、現代を代表するピアニストだとNHK側が解説していました。1時間の演奏全体が、たいへんに感動を与えるものであったし、間に挟まっているお話もいいものでした。

 最近、アメリカで活躍する、アメリカ生まれの音楽家に驚きを与えられ続けています。それは、同じくサントリーホールで演奏をしたモヒカン刈りの、オルガン奏者(キャメロン・カーペンター)にも、その技術の高さや、音楽理論の鋭さや、音楽性の高さ(音楽の楽しさを、聴衆に伝えうる能力の高さ)に驚かされたのですが、90歳を超える、大ピアニスト、メナヘム・プレスラーが、庄司さやかと共演した番組も、間に挟まったお話が、最高でしたね。二人とも最高の、『大切にしあう感じ』を、表明をしていました。すばらしいトークでした。(後注1)

 メナヘム・プレスラーは、1923年ドイツ生まれですが、ユダヤ系なので、迫害を恐れて、1939年にアメリカにわたっています。だから、ほとんどアメリカ人音楽家と言ってもよいと思いますが、とても深い音楽性を示しています。

 そして、マレー・ペライアに戻ります。これのケースでは、ペライアは、90番の第二曲を選んでいます。それが、演奏会の最終曲です。放送の前の、NHK側のインタビューでペライアは、ベートーヴェンについて、荒々しい挫折の連続の人生だったと言われているが、音楽は明るく強い超克の意思に満ちていると言っています。と、同時にシューベルトについても、不幸な人生だったと言われているが、音楽は明るいと言っています。

 その明るい方の代表例が、この即興曲の特に、90番の、第一と、第二でしょう。美しいです。私が142番の第三曲に目覚めたのは、12歳の時です。だから、まだ、この90番の第一曲とか、第二曲には、理解が到達しえませんでした。メロディが全部は把握できなくて。しかし、大人になってくるにつれて、理解が容易になって来て、むしろ、142番の第三曲より、この90番の方の第一曲とか第二曲を、好むほどになりました。

 マレー・ペライアとは、現代を代表するピアニストだそうで、聴衆もよくそれを知っているみたいです。だが、当日サントリーホールを埋め尽くした聴衆も、この90番の第二曲で終わった演奏全体を、最高の体験として受け止めたのではないでしょうか。ソプラノの演奏会と言うわけでもないので、スタンディング・オベーションと言うほどの激しさはなかったけれど、拍手が、長く大きかったです。マレーペライアと言うピアニストは、このNHKクラシック倶楽部の放映で初めて知ったピアニストですが、一時期、指の故障で、演奏を休んだことがあるそうで、それもあってか、お話の内容が深いです。

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副題3、『クン・ウー・パイクの、シューベルトの即興曲』

  クンウーパイクとは、白 健宇と書く韓国系のアメリカ人だと思います。たまたま、今般取り上げた演奏家は、すべて、男性で、しかも、美形ではありません。キャメロン・カーペンターだけは美形であり、好悪取り混ぜたメディアの記事が多数ある模様で、話題の演奏家なのですが、それ以外の演奏家は、誰もフェロモン横溢の美形ですと言うわけでもないのです。しかも、カーペンターは、シューベルトの即興曲は演奏していないので、今回の文章にくくり入れるべき演奏家でもないのです。マナヘム・プレスラーも、アメリカ系の音楽家として言及しただけで、今回もシューベルトの即興曲を弾いたわけではないのです。で、残りの三人ですが、オズボーンもペライアも、そして、ここでいうクンウーパイクも、地味な演奏家です。

 でも、そういう人ほど、じっくりと勉強をしていくので、大器晩成型として、伸びていくのです。現在のクンウーパイクの演奏と音楽を語る言葉双方とも素晴らしいと思っています。彼は若い時のコンクール歴もあまりなくて、しかも美形でもないのですが、ある時のCD用録音の際に、ゆっくりと演奏することに目覚め、それ以来評価が高くなったそうです。なるほどと、頷けます。ちゃらちゃらと、テクニックを誇示する演奏が多い中で、ゆっくり弾くことで、より高い音楽性を、表現する、それは、いいことだったのでしょう。偶然に、見つけた道だけど、パイクに大きな進歩をもたらしたのです。

 ある日のことですが、私が珍しくも、丁寧に新聞を読んでいたことがあるのです。すると、政治面(第二面)の下段に、小さな記事として、日韓・政財界・交流会が開かれてクンウーパイクが演奏をしたと出ておりました。両国のお偉い人たちが集まって、庶民には知らされない形で、交流するレセプションみたいなところで、クンウーパイクが演奏をしたということは、彼が、今韓国を代表する文化人だと、認められていることを証明するでしょう。

 そのクンウーパイクが、凸版ホールで、シューベルト特集の演奏会を開いています。その記録が、以下(後注2)のブログにあります。ところで、私は美術系の人間だから、むろん、その演奏会の場へは足を運んでおりません。で、NHKクラシック倶楽部で、彼の演奏を聴いたわけですが、

 彼はその日、冒頭に、シューベルトの即興曲、90番の第一曲を置いています。これも、副題2で語っている通り、たいへん美しい曲です。そして、演奏の間に語る言葉も素晴らしくて、私はいちいちその英語を、手書きで、メモり、あとで、ブログを一本書こうと、意図したほどです。ただし、クンウーパイクの音楽評論は、いまだ書けてはおりません。

 しかし、この時大変嫌なことを発見いたしました。それは、以下のブログの、副題8に詳細に記録していますが、

中村紘子 VS クンウーパイク (芸術家を料理するメディア、特に、NHKの、それについて)△

2014-12-17 22:26:24 | 音楽

  シューベルトの楽曲の呼び名を、一般的な呼称を使わず、別の呼び方を使っていることです。最近、併記される様になったD番号と言うもので、一般的な呼び名だったら、作品番号90番と142番の即興曲と呼ばれているものが、

 その時だけ、ドイツ番号899(=90番の方)と呼ばれていました。それは、どうしてかと言うと、その時点で、グーグルの検索に引っかかっていた、私の過去ブログを、目立たせない様にする為でしょう。このブログの読者が増えない様に増えない様に、種々様々な工夫がなされているわけですが、この場合は、

 クンウーパイク、梶本音楽事務所、凸版ホール、NHKクラシック倶楽部のすべてを手名づけているわけですから、『おや、おや』と言うほどしつこいですね。そのうえ、このブログを、現在書く際にも種々様々な妨害に出会っていて、『どうして、こういう風に直接的には、政治に関係のないものさえ、狙われるのですか? あなた方は、それほど、脛に傷持つ悪人なのですね。だから、私のブログの、片言双句でも、怖いのでしょう。と、怒りが深まり、いつものごとき、政治の世界の文章を書く様になります。 

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2917535です。 

 2015年6月1日~2日、  雨宮舜 (川崎 千恵子)

後注1、他人の文章です。しかし、庄司さやかと、メナヘムプレスラーの素晴らしさを、あますところなく語っているので、ここに置きます。

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 その特に、庄司さやか篇です。http://www.audiostyle.net/archives/52044464.html

後注2、これも他人の文章です。

クラシック滅多斬り!  2013年11月09日   クン=ウー・パイク 再び!

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 この文章は、最初には、6月1日の夜11時にアップしております。しかし、恐れ入りますが、5月29日にアップしたこととさせてくださいませ。すると、放送日と、矛盾することとなりますが、

 それは、自分が後で、各文章を発見しやすくするために、一日に一本だけを公開すると決めておくからです。よろしくお願いをいたします。

 

 

 

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