副題0、お正月です。普通なら、「あけましておめでとう」と言いたいところですが、こういう大ミステリーとしてのブログ文章を書いている身としては、あまり、単純には、おめでたい気もちにもなれないのですね。ただ、「本年の私は、江ノ電が元旦に事故を起こし、12時間以上という長きにわたって停車したころ=2013年元旦=よりは、落ち着いて暮らしています」とは、申しあげさせてくださいませ。
で、今、その頃の文章を思い出して、再検討をしたくなりました。ところで、2013年に事件直後に書いた文章(後注1)も、その一年後の2014年に、書いた文章(後注2)も、否定する必要は、まったくないと、思うのですが、
その後、新しい事実を知り、・・・・・なるほど、なるほど、これは、得難い事実を知ったものだ・・・・・と、思い到り、そのラインからも、この事故が、まったくといっていいほどの、作り事として、起こされたのだと、見ています。
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副題1、『今、wikipediaを調べていて、・・・・・変だなあ。2017年の秋には、江ノ電は、西武HDに吸収合併をされていると聞いたのだが?・・・・・今は、小田急傘下となっている・・・・・と、びっくりしている。しかし、是もまた政治的解析に役立つことかもしれないのだ。分析を続けよう』
私は、2016年の秋に、西武が経営する鎌倉霊園の斎場で、父の三十三回忌と、母の七回忌を合わせた法事に出席をしたのです。その時に、変だったのです。お坊様も霊園も結託をして、非常に手抜きをされた感が一杯な法事となりました。残念至極だし、嫌な事だから、すでに、一本書いています。いや、一本を、途中までのさらし方で、書いています。
途中までしか書いていない理由は、ご想像の通りです。尊敬しているお坊さんの変身なので、裏で、鎌倉エージェントが動いたことが確実でも、書けば関係が終わりに成るので、書けないのでした。法事と言うのは、家族、親族が居る限り続くからです。
私の父が、次男なので、子孫がお参りに来るのに便利なようにと、山口県の萩にある菩提寺から、東京圏内にある鎌倉霊園に、50年前には、すでに、自分が始祖となる墓を作って、菩提寺も、移したので、却って鮮明に、それが判るのでした。父は、新しい菩提寺を、決めるにあたって、横浜市内中のお寺の、お坊さんを、あれこれと、考察の対象としたらしいのです。
仏教研究会(中小企業の社長さんが集まって、偉いお坊さんを招いて、お話を聞く会)に所属するとか、他の形で、・・・・・<このお寺のお坊さんが、横浜で一番、尊敬ができる>・・・・・として、浄土真宗からの宗旨替えを行った対象が、曹洞宗でした。当該のお寺名は、横浜生麦にある宗興寺といいます。そして、長らくですが、・・・・・生麦事件の際に、イギリス人負傷者たちが、運び込まれたお寺・・・・・として、有名でした。しかし、後述する様に、2016年に入ってからその史実さえも、変更をされていることを知り、唖然とする私なのでした。
ただ、父は若い日に、横浜の石油会社(早山→丸善石油)の技師をしていたので、生麦に住んでいたこともあり、

しかも、金銭的にもきれいな、このお寺のお坊さんに、お世話になりたいと、願っていたのです。上の写真は、これだけが、スキャンしてあったので、利用できる写真です。これも後日には盗まれたのですが、昭和八年(1933年)に、横浜・伊勢佐木町で撮ったと、裏に書いてありました。最近は、【ゆず】がブレイクして行った地として有名な、伊勢佐木町ですが、戦前には、日本有数の、大繁華街だったのです。今は、衰退していますけれど。明治生まれとしては背が高かった方なので、麻のスーツらしい着衣は自前だと、思います。貸衣裳ではないでしょう。
しかし、父の葬儀の時に、現れたのは、父がこの人として選んだお父様の方ではなくて、息子さんの方でした。
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副題2、『父の葬儀の時(=40年前と比較をすると、母の葬儀では、大きな手抜きが見られて、私は、悲しみと嫌悪感で、いっぱいとなる。どう考えても、自然な事とは、思われず、鎌倉エージェントが、こういうところにまで、いじめ(=弾圧)を、催している事に、深い嫌悪感と怒りを感じるのだが、どういう方法で、旧来の、誠実な処遇に、このお坊さんを、戻したらよいかの、方法がわからずに、悶々としていた。
大喝一声とよく言われるが、喝を、入れられたのは、40年前の父の葬儀の時の、一回きりであり、それ以降の手抜き法事ぶりには、深い深い悲しみに襲われていた。それと、弁護士と医者は、守秘義務があると、聞いている。そして、政治にも左右されてはいけないと、私は、見ているが、こんなにも単純に、鎌倉エージェントに左右されてしまう、お坊さんにも深い失望をして、この人を、元に戻すのは大変だろうと、思っていた。
私は、よく、ご近所の悪口ばかり言っていると、誤解をされているとは、思うが、24時間、しかも、毎日、どこからか、攻撃を受けていて、神経の休まる場がないのだが、この・・・・・父や、母を悼む法事に対して、お坊さんが手抜きをしていて、心が全くこもって居ない・・・・・のには、相当に参って居た。しかし、ブログに書いたら、それは、関係が終わりという事であるから、書けなかったのだ。弟の葬儀や法事が残っているからだ。
こういう風に、私に対する攻撃というのは、何らかのディレンマを含むものが多くて、なかなか、すっと書くことができないし、書けば書いたで、『そのことで、悩んでいたのか? それじゃあ、似たようなケースをもう一回起こしてやろうと、するのが、彼等の常とう手段なので、なかなか、真実を書けなかった。
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副題5、『2016年10月3日、鎌倉霊園が嘘をついた。それは、お坊様、中野氏が、手抜きをする事を正当化させるために、・・・・・直後に、予定が入って居て、次のお客が入ってくるので、法話をしている暇がない・・・・・と言う話だった。どうして、こういう風な策謀がなされていたかというと、私がどこかで、宗興寺さんに対する不満を漏らしていて、それを、室内盗聴等で、知った敵連中(警察を私兵として使っている例の連中)が企画をした事だったであろう。
中野氏には、弁明の機会は与えて置くが、私の父が、50年前に発見した、そちら側に当初はあった誠実さの方は、戻さない・・・・・という悪の仕組みはあった。
ところで、私は法事の最中から、<今回も手抜きだわ>と、感じてはいたが、こんな、小さなことでも、天は、私の方を、お助け下さるのだった。母は、株を趣味としてやっていて、配当金として、今でいう、300万円以上が手に入る人だったので、ぱっぱと、お金を使う人で、かつ、上等なものを好む人だった。私が持っているアクセサリー類は、指輪にしろ、スカーフにしろ、すべて、母からのプレゼントである。中に、30年前は、非常に珍しかった、ポリエステルの、糸で編んだ、夏用のカーディガンがあった。縁取りが、8cmの手編みでできているもので、最近では、こういう上等な物は売って居ないので、大切に使っていた。
法事が終わって、一キロは離れている料亭に、車で、総勢が、移動をしたのだが、そこで、カーディガンがない事に気が付いた。で、親族に断って、只一人バスで、元へ戻った。
さて、斎場で、探そうとすると、入り口のかぎが閉まっている。しかも、ドアは、素通しのガラスなので、中が見える。中には誰もいなかった。
つまり、<次のお客が居るので、早く終わります>と言うのは、嘘だったのだ。それに、鎌倉霊園は、大きいので、斎場は、4室ぐらいあって、他の処も見たが、空いているものがあった。だから、この部屋を、ひっ詰めて引き続いて使う必要はないのだった。すべては、宗興寺さんが、手抜きをする事への弁明の余地を与えるための謀略だった。もし、次のお客が使っている場合には、その主宰者側(喪主)が、遅れてくるお客のために、入り口に鍵など、掛けない形をとる。よほど、寒い日とか、大風が吹いている日以外は、入り口は開けっ放しになっている。
私は無論のこと、彼等の悪意は、わかって居たのが、念のために事務所へ向かった。
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副題5、『事務所のふてぶてしい、おばちゃん、社員は、平気で嘘をついた。しかし、私は彼女をとがめなかった。と言うのも「リアルな世界では、喧嘩をしない主義だ」と、前から言っている。特にたった、一分や二分で、例の、北久里浜の、【地籍変更とどけ】の悪やら、井上ひさしがまだ生きて居て、こういう謀略の案を出していることなど、説明ができるはずもないし。
それに、・・・・・結局のところ、彼女は、堤義明氏に大迷惑をかける存在になるだろう・・・・・と、見ているから、気にもしていないのだった。つまり、低劣な忠誠心に基づいて行動をする人間は、私から見ると、結局は上司に対して、足を引っ張る人間となるのだった。悪人はお互いに共食いするの典型だった。したがって、黙って、彼女の言うままに、受け取って、帰って来たのだったが、・・・・・内心では、・・・・・しめた。将来これは、使えるぞ・・・・・と思っていた。
::::::::::それは、ご近所住まいの渡辺賢司が、朝10時半に、ベランダに干している布団をばんばん叩いて、交通事故に出会った次の日の私の、睡眠を妨害して来た、事案とそっくり同じ流れなのだから。特に京橋のフレッサインで、ブログを一本書いて、そのまま、徹夜明けで東京駅から、帰宅をして、寝入ったばかりであるなどと言うことは、パソコンのハッキングをしたり、尾行をしたりしている警察でしかわからない事だろうから、渡辺賢司が、布団を叩いたことは、重要な傍証づけになるのだった。つまり、前田祝一・清子夫妻が、警察をも私兵として使う鎌倉エージェント(=CIA)の、すでに、重要メンバーとなっているのか、または、伊藤玄二郎たちと、ツウツウであるのかのどちらかを証明する人間であるからだった。渡辺賢司は、まるで、ゲーム感覚で、遊び事みたいにしてそれをやったが、私にしてみたら、重要なアイコンとなって、このブログのミステリーの、なぞ解きへの・一・リ・ン・グ・を形成したのだった。::::::::::
元に戻ろう、私に対して、嘘をついた、鎌倉霊園の、園長お気に入りらしいおばちゃん社員も、そういう手合いの一人である。
そして、更に付記をすれば、銀座でも、似たようなことが起こされ続けているのだが、その代表例としての、いじめきって来た中島三枝子さんと、長瀬いづみの二人も、結局は、嶋田章三・鮎子夫妻、大沼映夫、大沼嘉津江、他を、苦しめる存在になるのだった。私は二人が威張り返って、目の前で、いじめて来ても、・・・・・ふんふん、赤津侃さんについて近々、書かないと、ならないことになったけれど、いつにしようかなあ?・・・・・と、思ったりするだけなのだ。中島三枝子さんに、いろいろをふきこんでいるのは、赤津侃さんである可能性が高いので』
鎌倉霊園と言うのは、事務所スタッフが、12~15名で、運営をされている。ほかに出入りの石屋、仕出し屋(プリンスホテル・七里ガ浜)、花屋、お菓子屋、売店のレジ打ち用スタッフ、造園関係の作業員、清掃担当者などで、運営をされている。
例のおばちゃん社員は、事務所の奥の方のデスクに座っているのが、ポン、ポンポーンと、受付用デスクまで、出て来たので、それが、まず第一に、不思議だった。そして、「忘れ物がありませんか?」と、問い合わせる私に向かって、「そこは、次のお客が使っていますので、私共が入って、調べることができません」と言う。私が、すでに、そこに、お客は居ない事を知っているのにもかかわらず、平気で嘘をついた。
これが、謀略ではなかったとしたら、忘れ物程度の仕事は、入り口近辺に座っている若いスタッフに任せるはずだ。おくに座って居る程、重要な仕事を任せられている筈で、新しい契約の設定や、相続人が、居なくなったので、契約の解除をするなどの、より、面倒な仕事を担っている筈だ。
だから、入り口付近のカウンターで、小さな声で、問い合わせてきている私の存在などには、気が付かないのが普通なのだ。しかし、スマホの盗聴等で、私が引き返して来るのを、警察からの連絡で、聞いた園長は、頭が良くて、普段から右腕と頼んでいる彼女に、委細を言い含めて、対応をさせたのだろう。だが、園長が頭がいいと、見込んだ、この、おばちゃんスタッフだけど、私に言わせると、非常に頭が悪い人間のひとりだった。私はよく、鎌倉エージェントに、協力する人間たちを、「トカゲの脳味噌の持ち主だ」と規定するのだけれど、この女性もその一人だった。
ここで、謀略でも、謀略とみやぶられないためには、どういう風に行動をするかなのだけれど、まあ、被害者としての、私の方からあえて、教えてあげるとすると、
「あ、調べてまいりますので、ちょっと、お待ちださい」と言って、そばにいる若手のスタッフに、「この方にお茶を差し上げて。あそこで」と、ソファーの有るコーナーなどを指示して置けばいいのだ。
普通のお客で忘れ物の問い合わせに来たお客などには、お茶を出さない。しかし、私は鎌倉霊園の、園長でさえビビりまくる程の大物なのだ。で、礼節を尽くして対応をして置けば、5分間以上、事務所を出ない。その間に、何でもできるではないか。嘘でも、もっと上手な嘘がつけるはずだ。「今、調べてまいりましたが、ありませんでした」とか、「有りました」と、言えるではないか? そうなると、私の表向きの第一の目的は達成をさせられてしまう。そうなると、内心では、・・・・・今日は、謀略を仕組んできたなあ・・・・・と、わかって居ても、相手方に瑕疵が見当たらないので、ブログ文を、説得性を持つ形で、書けない事となる。
香炉の、炭を消しておく作業一つだって、法事が終わったら、普通ならやるだろう。それをやらないと、悪くすると、火事を起こしてしまう可能性すらある。または、お香の煙が充満しすぎて、次の日に臭すぎて、差し支えるはずだ。
だから、上に提示した、正しい対応策のバリエーションの一つとしては、中年おばさん社員が、フロアー全体に向かって、「誰か、後始末をした人は居ませんか?」と問い合わせて置くというアイデアもある。
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副題6、『さて浄智寺さんなのだ。軽いというか軽薄な人物だ。父親、又は、叔父に当たるだろう、方は、立派な人だったらしいが、こちらの、二代目さん(=朝比奈宗温さん)は、やることなす事、軽いのだ。
NHKの【クイズ100人に聞きました】に出るとか、瓜南直子さんのために鎌倉五山の全トップ+覚園寺さんを集めて、ラーメンの会を催したりする。
つまり、伊藤玄二郎と、ずぶずぶで、その言う事を、聞きまくりの、お坊さんなのである。ラーメンの会なんて、すでに、肝臓が悪かった瓜南さんを、さらに、死の方向へ追いやるものだった。それが企画をされてから、一年もたたないうちに、瓜南さんは、亡くなっている。ラーメンの会が、瓜南さんにとって、特にいけないというのは、それが塩っ辛いからだけではない。
画家という物は、常に、平静で平坦な生活をする必要があるのに、伊藤玄二郎は、2011年6月から12月にかけての半年間、彼女を利用しまくった。動かしまくった。テレビに出したり、小泉淳作氏から、絵の具類の、遺贈を受けるとか、京都泉涌寺で、グループ展を開いてあげるとか、種々の企画に引っ張り出した。
それらは、彼女にとって、断れないものでもあるが、普段の生活からは、外れている事なのだ。それらは、報酬もあるのだが、それなりの、事前投資(お洋服を買うなど)が必要で、時間を割く必要がある。そういうものすべてが、彼女には大きな負担となっていたのだと、思う。それが、すでに、2011年の8月の時点の、彼女の投稿(伴清一郎さんが、京都の、泉涌寺への、上り坂をタクシーで上がっていくときに彼女を拾っていかなかったことへの、愚痴)に現れていた。
日本画は額装をする場合、絵そのものは、薄くて軽いのに、額の本体にべニアが、用いてあるので、重い。油絵よりも重い。彼女には、既にタクシーで、泉涌寺に行く経済的余力がなかったことがうかがえる。そして、体力もなかったのだ。
泉涌寺さんのグループ展とは、覚園寺さんの紹介であり、覚園寺さんと伊藤玄二郎の関係は、酒井忠康氏の、仲介だったのか、それともロータリークラブとか慶応三田会の、紹介だったのか?
浄智寺で、五山のトップと、覚園寺さんを集めて、瓜南さんを主役に祭り上げてあげることは、私には不可能な事だから、私へのライバル設定として、彼女をお姫様扱いをする事へ、浄智寺さんは、寄与したのである。で、私は結論付けるのだが、瓜南直子さんの、急死の、真因は、85%が伊藤玄二郎に帰するし、7%が浄智寺さんに帰するし、8%が覚園寺さんに、帰するのだった。
私は瓜南直子さんに、散々にいじめられた。あの時期の投稿はほかの人にはわからないものの、アスベスト対策を名目にして、アジサイ畑欺罔事件の証拠隠滅を図る、前哨戦と言う、小町通の、アスファルト、舗装をからかう、全日本あすはがれんも、その一種だったし、
映画のプログラムに関する投稿も、その一種だった。我が家から、ブログを書くのに絶対に必要な映画のプログラムが、すでに、盗まれていたうえで、瓜南さんに、その種の投稿をさせることは、瓜南さんが悪魔と同化するという事であり、もし、彼女が善人なら、心と行動の間に、大きな裂け目が、できるの深いストレスを与えられるのだった。
その上、具体的な、人間関係でも、多大な損失を彼女は、私に与えて来た。
ドゥローイングギャラリーの、奥様が態度を急変させたり、柴田悦子さんが、微妙にいじめてきたり、北鎌倉の侘助のおばちゃんが、私の胸を、ひっつかんで、追い出したりしたのも瓜南さんの讒言ではなかったかと、思っているので、(今、パソコンに異常が見られたので、この想像は正しいでしょう)彼女の死は、鎌倉エージェントの悪意の結果だと、見ている。
で、また、ラーメンの会に戻る。瓜南さんのフェイスブックへの投稿を、読まなくなったのが、11月の半ばであり、ラーメンの会は、まだ読んでいる時期に、行われたので、真実がわかって、とてもよかった。
この、ふわふわした浄智寺さんが、今年、2017年の雪洞祭りに於いて、とんでもない事をなさっていた。
雪洞の下に、献灯者名を書いた名札(短冊)が、貼ってある。普通は、五百住乙人とか、扇千景とか、小杉小二郎という名前だけで、それぞれに、洋画家とか、参議院議長とか、洋画家という冠は、ついて居ない。
しかし、浄智寺さんのモノにだけは、浄智寺、朝比奈宗温とあった。非常に驚いた。これをだれが書いたのかが大問題だった。伊藤玄二郎が、それを、鶴岡八幡宮様に勧めたので、八幡宮様が特に、その柱にだけ、冠名を入れたのか?
または、ぼんぼりが立ってから、浄智寺さんが、社務所に、出向いて、筆と硯を借りて、立っている柱に、ご自分で、浄智寺というなまえを書き入れたのか? 私は数分間立って、それを見つめて居た。
そして、結論として、『浄智寺さんがわざと、雪洞が立った後から、書き入れた』と、結論をつけた。と言うのも、冠名が、斜めに歪んでいて、しかも、冠名と、名前の字の大きさが違うので、そう考えた。
『だが、どうして、そんなことをする必要があるのだろう?』と、新たな謎が、湧く。そして、考え続けているうちに、『もしかすると、浄智寺さんって、非常に子供っぽい精神の持ち主なのではないかしら』と、思い当たった。その途端に、私の頭にひらめいたことがった。
それは、『浄智寺・朝比奈宗温さんと、宗興寺・中野誠哉さんは、学生時代からの友人なのではないかしら?』と言う事だ。『同じ大学(=駒澤大学)の出身?』と、思い到る。では、『中野誠哉氏が、この20年間で、激しい変貌を遂げてしまっていて、クライアントとしての、父や母に失礼なぐらいの、手抜き法事をするのは、上智寺さんからの讒言にもとづいていますか?』とも、思いが至って来る。
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副題7、『横浜駅、北側の、青木橋を渡ったところに、横浜市・神奈川区の町内を、案内する地図を兼ねた掲示板がある。新しいもので、プラスチック製か、それとも、金属製かは、判らないものの、美しく丈夫である。しかし、びっくりしたことに、そこに表示をされていたことは、歴史を変更する内容だった。・・・・・つまり、生麦事件後の、英国人の、遺体とか、が、運び込まれた場所が宗興寺ではなくて、本覚寺に変更をされていた事だった。
「嘘っ!」と叫びたいぐらいだった。
こういうところまで、私のブログが影響をおよぼしているのだった。それは、私が、このブログ内で、・・・・・宗興寺で、生麦事件の被害者の遺体を預かったという歴史がある・・・・・と、すでに書いて居るからだった。私のブログを潰すために、京急・青木橋駅・傍に立っている看板は、嘘をついて居るのあった。本覚寺は、高いところにある。血を流している、イギリス人たちを、そこまで運んだ馬鹿は居ないと、私は、考えている。
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副題8、『この件を書こうとしていた時期に、オイコノミアで、以前、2月22日(2014年から、2016年の間の、2月の話)で、神楽坂円福寺で、収録された、【謝罪の経済学】という篇が、そっくりそのままの概念で、総持寺で、収録しなおされた(後注3)のである。
それは、どうしてかと言うと、宗興寺の、中野誠哉氏が、曹洞宗の、宗務関係の、偉い人に、すでに、なっていることを、裏で、彼等CIAが確認をしていて、
それを、私も知っているからこそ、
テレビで、総持寺を、取材をする事によって、「曹洞宗は、ものすごい力を持っているのだ」と、誇示をして、その上で、曹洞宗の宗務の偉いところに、勤務している「中野誠哉氏について書くな」という論理で、その番組の、再度の、作り直してき、制作が行われたのである。
これは、まだ、まだ、続きますが、本日は、ここまでで、終わります。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4412179です。
2018年1月2日の早朝から、書き始めて、3日の午前9時に推敲を終わる。
雨宮舜(本名 川崎千恵子)
後注1、
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